逃避行 

逃避行 



続き 逃避行② – Telegraph 2024/1/7

   逃避行③ – Telegraph 2024/1/29

   逃避行④ – Telegraph 2024/2/18


※閲覧注意※

作品を通して、グロテスク、病気、流血、軽度のリョナ、

ネームドキャラ及びモブの死ネタを含みます。

視点がコロコロ変わります。今回は比較的 不穏 です。

キャラ同士の距離が近いですが、あくまで友情・親愛・ブロマンスです。

恋愛感情はありません。

文章長いです。

以上を許せる方のみお進みください。







【本文】


暴力を“躾”と称し、“躾”を愛だと言った。

“かわいい弟”には愛ある“躾”を、と宣うアイツ。

奴の言う愛はおれを壊していく。


右腕を切り落とされ、ハートのジョリーロジャーを裂かれ、時には身体中に刺繍をされた。

着せ替え人形のように奴の好みの服を着せられ、傷つけられた足首をそのままに無理矢理踊らせられる。

食事が受け付けなくなったおれに、繋げられる延命措置。

首を絞められるのも、糸で切られるのも、殴られて骨が折れるのも、何回あったか思い出せない。思い出したくない。

身体が震えて、呼吸が乱れて、視界が回り始める。恐怖でしかなかった。

怖い、怖いんだ、あの男はおれを壊しにくる。おれの大切なものを悉く弄び、目の前で壊す。何度も何度も。

奴が知らないおれを壊しては、奴が知る“おれ”を押し付けてくる。


耐えられていたはずの暴力。繰り返される“人の死”と自責の念。

過去のトラウマ、病の再発。暴力と自分自身の異常な行動。

限界なのに、気が狂いそうなのに。狂い切れない自分がいた。

反抗すれば、殺されかける。自分で傷つけたくせに“かわいそうに”と手当てをして、また傷を増やす。

何が正しいのかわからない。

何をすれば傷つかないのか、許されるのかわからない。

なぜアイツの許しが必要なのかすら…

そして、おれを“壊す”手段のひとつに使われたのが“珀鉛”だった。

ある日、キャンディを与えられた。白い煌めきの怪しさに拒否すれば、無理矢理口に含ませられて、それが故郷の味だとわかるのに時間はかからなかった。

あの痛みが、白が、故郷の死がフラッシュバックして、吐き出そうとする俺の口を塞いだアイツは、確かな笑みを浮かべていた。

飲み込まない。絶対に。なのに、口の中に存在するそれがじわじわと小さくなっていく。優しい甘みがなくなったとき、あったのは確かな絶望だった。

次第に現れたのは、身体の内側から、骨まで貪られるかのようなジワジワとした苦痛が命を削る感覚。

陶器のように滑らかな白に染まった肌の下は特に痛み、寝返りさえ出来ない程に症状が進んでいる。全身のうち、元の肌を見つける方が困難だろう。

初めは恐ろしかった。過去を奪い去った白が再び己へと手を伸ばしてくる。

逃げることもできずにそれを受け入れるしかなかった。

少しずつ増幅する痛みが、白が、身体を侵食していく様子を、それに無意識下で震えるおれをわらっていた。

症状が酷くなれば海楼石を外されて、自分で自分を治療させられる。逃げようとしたら糸で身体を何度も貫かれた。

何度も繰り返した。症状が出て、痛みに悶えるおれを、アイツは満足そうに眺めるのだ。

何度も何度も。数えるのはとうにやめた。ただ分かるのは、だんだんと治療の感覚が狭まり、珀鉛病が再発するスピードがどんどん早まったこと。

痛みで気を失って、痛みで目を覚ます。

暗い部屋と、冷たい枷。愛しいと嘯く口で、苛立ちから舌を打つアイツ。

柔らかな布が水を吸うように、懐かしい甘さの飴が口の中でとけるように、少しずつ弱る心が自分でもわかっていた。

知らず涙が溢れて、血が止まらなくて、自由なんてものは言葉すら見えなくて。

ドレスローザの王女達が、クルー達が、目の前でいなくなった時、みんなが“生きろ”と“あきらめるな”と言ったから。

死ぬわけにはいかないと思って、その言葉だけに縋って生きた。

でも現実は変わらなかった。ずっとここは、暗くて寒くて痛い。

俺も冷たくなれば、きっと寒くない。

壊されるくらいなら。大切に隠してしまう方が良い。

大切がなくなるくらいなら、おれがおれであることをやめた方が、きっとずっといい。


死は、裏切りではない。少なくともおれの中では。

珀鉛は、静かな希望に見えた。幼い頃、教会学校でフレバンスと珀鉛の歴史を知った時に、それを誇らしく思ったように。

おれの始まりはこの白い病だ。

なら、終わりもこれで。…すべて終わらせよう。

きっとそれが、いちばんうつくしいのかもしれない。

あの晩餐の後、おれは自身の治療をやめた。

 

 

 


奴は焦った。

なぜだと、死にたいのかと喚くアイツに、知らず口角が上がった。精一杯の反抗は、おれを自由にしてくれるのかもしれなかった。

糸で皮膚を裂かれて、床に抑えられながら包帯を切り裂かれ、傷を弄られる。自分の思い通りになるように、痛みでおれを支配する。

痛いとは感じない。…うそだ。痛いし、苦しい。でも、生きるよりは辛くない。

血溜まりに頬を押し付け、ぐったりと横たわる。視界に入る鮮明な赤と、対照的な白色に目が眩み、意識が朦朧とする。

それでも確かな喜びは潰えなかった。

奴はおれの首を片手で掴み、激昂した。

ifド「ロォオオオオ‼︎‼︎」

息が詰まる。苦しい。傷があつい。でも、もうすぐ終わる。

あと数日。きっともうすぐ。

おれの能力以外に、珀鉛病の治療法はないんだから。

だからもう怖くない。生きたかったけど、もう痛いのはいやだ。

ごめん、ごめんな。おれのせいで死んだみんな。生きられなくてごめん。おれと出会って、巻き込んでごめん。せっかくくれた命を捨てるようなことをして。

どうか、そっちに行けたら受け止めてくれないか。ちゃんと謝らせてほしい。

ああでも…きっとおれは地獄にいくんだろうなぁ。

おれが巻き込んだから、みんなを殺したんだから。

残された左手で、撫でるようにアイツの腕を掴む。少し手の力が緩んで、咳込みながら息を吸った。

薄く目を開ければ、奴は怯えたように眉間を寄せながら、怒りに眉を釣り上げていた。器用な男だと、ぼんやりと思った。

そしてそれが余りにも不釣り合いで、愉快に思えて、喉が震えた。

ifロ「…ふ、ぅ、ぐ…、っふふ、……おまえ、の、おも、ぃ、どーり、なんて、ならな、ぃ…」

ざまあみろ。おれはとうの昔に自由をもらったんだ。

外の世界を知ってる今となれば、ここは小さな夢の中。

お前は何もかもが気に食わないと憤るわがままな幼子だ。

おままごとに付き合う義理なんて、ない。

今まで怯えていたのがばかみたいだ。もっと早くこうすれば、おれを助けようとした使用人たちは生きられたのだろうに。

ベビー5は、シュガーはどうするのだろうか。あの2人も奴のお気に入りだ。数少ない“ファミリー”の生き残り。

あの晩餐の時、怪我はなかったはず。なら、大丈夫かな。

従順でいれば、傷つけられない、殺されない。

勝手だろうが、どうか生きてほしい。幸せになってほしい。この痛みはおれが持っていく。

「とーさま、かあさま、らみ、しすたあ…こらさん、ベポ、ペン、シャチ…みんな…」

あいしてる。声には出さない。こんな奴に、聞かせたくもない。

奴は何も言わない。心ここに在らず、と言った風に、おれを宙に放り出すと、籠から離れて部屋を出た。

投げ捨てられた痛みと、籠の冷たさに身体を丸める。筋肉なんてものはとうに削げ落ちて、骨と皮が人の形になっただけの自分の身体。温もりなんてある筈ないが、それでも丸くなれば少し安心する。

宝石は依然腹の中だが、既に排出できるような体力もない。その執着も、おれと一緒に地獄に落ちて、砕けて、溶けて仕舞えば良い。

「ふふ、く、ははは、はぁ、はぁ、ふふ、」

うれしいのかもしれない。ようやく終わらせられる。

笑い声も涙もとまらない。はやく終わらせよう。この命を。この地獄を。

1人でも寂しくない。みんなから、色んな形の愛をもらった。それさえあれば、命だって惜しくない。地獄に行ったってだいじょうぶ。ひとりでも。

だいじょうぶ、ずっと、ひとりでいるべきだったんだ。

 

これが正しい結末だ。


「だいすきだ、みんな、あいしてる」

ベビー「起きなさい!ロー!起きて!」

ベビー5の叫びで目を覚ます。身体を襲う痛みに呻き、それを耐えて声の方を向いた。

血塗れのベビーが、鳥籠を掴んで揺らしている。

額の切り傷から、鮮明な赤色が頬を一筋、そしてたわわな胸元にぼたりと落ちる。腕も脚も、無事な肌を見つけられない。

慌てて這い寄り、籠を掴む。ガシャンッと耳障りな音が響いた。

ifロ「ベビー、なんで、血が…!手当てをっ、救急箱は…!」

息が上がる。だって、この傷はアイツの糸だ。なんで、なんで、どうして…!

混乱して冷静さを失う俺の前で、ベビーは身体を武器にして柵を通り抜け、俺を抱き締める。珀鉛に侵された身体には酷い刺激だ。

激痛が走るが、ローは悲鳴を飲み込んだ。ベビーがあまりにも震えていたから。

ベビー「ロー、いい?これからローは別の世界に行く。ローの望む世界に」

意味がわからない。これは夢なのだろうか。ベビーは何を言っているんだ?

ベビー「古代兵器“ヘルメス”。これは世界の渡守。これを使えば、別の世界に逃がせる」

ifロ「え…?なに、それ、待て、待ってよ、意味が…」

ベビー「お願い、ロー。望んで。ここから逃げてよ。お願いだから…」

ベビーは目にいっぱいの涙を湛えて言った。俺は押し付けられた“ヘルメス”を目線の高さに持ち上げる。

おもちゃの古時計のような見た目。12まで書かれた秒針の先。今は短針と長針が12を指していた。

ベビー「“ヘルメス”、座標を指定します」

[お望みの世界をお教えください]

ベビー「…ほら、ロー」

ifロ「…別の、世界…」

おれがのぞむ、世界。

望んでもいいのだろうか、こんなおれが。光を見て良いのか。

口には出せない。代わりに精一杯“ヘルメス”を抱き締め、心の中で告げる。

俺が望むのは…“                         ”

[……座標を設定しました。10秒後に転移します]

伝わった、のだろうか。“ヘルメス”が淡い光を放つ。球体のように広がる光の空間で、おれも同じ色の光に包まれて、身体が少しずつ透け始める。

ベビー「……それとね、はい、これ、帽子。大事なものでしょ」

白地にまだら模様の帽子。懐かしさがこみあげる。頭にのせられて、血と砂埃の匂いが鼻を掠めた。あの日のままの、日常の匂い。


9

ベビー「刀は見つけられなかったの、…ごめんね」

帽子の上から頭を撫でられる。細くて、小さくて、でも戦う人間のしっかりした掌。安心する。そっと目を伏せた。


8

ベビー「あなた、“助けて”って言えないからさ、姉としては心配なのよ。意地っ張りなんだから」

ベビーがため息交じりに言った。そうだろうか。そうだったかもしれない。でも、元の“おれ”なんて、もう覚えていない。


7

ベビー「ロー、あなたは“幸せになれる”。必ず…!」

しあわせ…?意味が分からない。おれのせいでたくさんの人が死んだ。

おれがアイツの機嫌を損ねたからだ。なのに、幸せになる?おめおめと、生きていく?

首を傾げると、ベビーが涙目で微笑んだ。


6

ベビー「あ、そうだ。そんなボロボロの服じゃ寒いでしょ?」

よく見れば、ベビーは分厚い布を腕にかけていた。それを広げ、おれの肩にかける。おれには大きすぎる。重たい。

つい先ほどまで持ち主が着ていたのか、上質な生地がほのかに温みを帯びている。冷えた身体に、優しく染み込んだ。


5

ベビー「ふぅん、けっこう似合うわね。やっぱりローは…そういう服のほうがいいわ」

そうだろうか。それより、これは誰のものだろう。首元のもふもふを触りながら、思考を巡らせる。それが顔に出ていたのか、ベビーは首を傾げた。

4

ベビー「そのコート、誰のか気になる?…ふふ、ごめんね、教えないでくれって言われてるの」

微笑みを湛え、ベビーはコートに触れた。そっと伏せられた瞼が、長い睫毛を強調する。思わずその冷たい手を掴めば、ベビーはそっと握り返してくれた。


3

ベビー「でもね、優しい人よ。…コラさんみたいな人」

息が詰まった。ベビーからその名が出るなんて思わなかった。

あの日、ベビーはあそこにいたのか?思い出せない。ああでも、アイツなら連れて来るかもしれないな。“ファミリー”を裏切った末路を教えるにはいい見せしめだっただろう。


2

ベビー「私の話を聞いてくれて、あなたの為に泣いてくれる人」

光が強くなる。時間だ。

ベビーがおれを強く抱きしめて、すぐに離れる。鳥かごの外へ出ると、おれと同じように透けていた身体がもとに戻った。

ベビーの腕が機関銃へと変化する。部屋を暗く閉ざしていた扉が開くと同時にそれを放った。

轟音の隙間を縫うように、鈍色の糸がおれに向かって伸びる。

息をのんで目をつむり身を固くするが、痛みはない。ただ、ぬるい湿った血の匂いがした。ベビーが糸に貫かれている。腹部を中心に突き進んでいた糸が、鳥かごに触れる直前で伸びきって止まっている。ずるりと糸を引き抜かれ、ベビーは支えを失って鳥かごの柵に激しく身体を打った。


1

ベビー「ロー、どうか“生きて”ね。あなたを“愛してる”!!」

血が唇を染め、端のほうから静かに落ちる。


0


[転送を開始します]

おれの指先が、青い光となってとけていく。

ベビーは泣いていた。泣いていたけど、笑った。くしゃくしゃの笑顔だった。

おれの目からも、涙が溢れた。久々に、胸の奥が熱くなるような、懐かしい感覚がした。

おれがその空間から 消えるその瞬間、ベビーの背後にアイツがいた。

“逃がさない”。お前は、俺から逃げられない”

それを最後に、おれの意識は光に沈んだ。

波の音がした。

「…あれ、キャプテン?」










【おまけ】ifローが治療をやめようと決意したきっかけ

先日、麦わら屋達の一回忌だと、奴はとても嬉しそうに言った。タヌキのぬいぐるみと、オレンジ色の髪の人形と、ベビー5とを連れて。

ぬいぐるみと人形は、時々アイツに連れられて俺の手当てをさせられている。他には一人、小さなお姫様のぬいぐるみがいて、重症度が高いときはその子が連れてこられる。

ぬいぐるみも人形も、元は人間だ。シュガーの能力によって姿を変えられたのだろうが、おれの記憶の中に、三人は見つけられない。

そういうもの、だ。

ifロ「…殺さなかった、のか」

ifド「フッフッフ!まあ、コイツらは貴重な医者だからなァ。お前が死んだら元も子もねえだろう?」

おれが閉じ込められている籠の外に、奴はソファを作り出してどかりと腰を下ろす。さっさとしろよ?と、待ち切れないとばかりに言った。

籠が消えて、おれはベッド程の高さからドサリと落下する。受け身を取る体力なんてない。無様に這いつくばって、痛みに息を詰める。

慌てて駆け寄ってきたぬいぐるみが、生傷の手当てをした。人形は力の入らない身体を支えている。こちらを労わる手つきに目と鼻の奥が痛んだが、少しでも心を預ければ、この二人は殺されてしまう。必死に感情を殺した。

肌は半分ほどが珀鉛に染められている。そろそろ治療しなければいけないだろう。

包帯とガーゼに塗れた身体には、ベビーの手で喪服が着せられる。いや、喪服との共通点は“黒い”というだけだ。

ひらひらとしたドレスのような裾のジャケットと、黒いベルボトム。ジャケットは胸と腹が開いていて、腰の部分は布ベルトが付いている。背中はコルセットのような編み込みだった。ベビーの優しさでキツく締められなかったのが幸いだ。

最後に海楼石のピアスとブレスレットをつけられ、完成。ベビーが触れても特に動きに支障がないところを見るに、効力は弱いはずだが、おれには十分に効いている。

それだけ弱くなったのだ。身体も…きっと心も。

自由なんてないまま、おれは鳥籠から解き放たれた。

そのまま全員で広間に向かう。シュガーが可憐な黒のドレス姿で、震える手で手のひらサイズのお姫様のぬいぐるみを抱きしめていた。ああ、お前たちのまだ生きていたか。

ダイニングでテーブルを囲み、おれはアイツの真横に座らされる。

いつもより機嫌が良かったぶん、久々の“食事”は豪華だ。

既に点滴でしか栄養を取らなくなっていたおれは、おれ以外に用意された食事の匂いに吐き気がした。強いストレスに視界がぐるぐると回り、呼吸が浅くなる。

給仕人によって、俺の前には色とりどりの大粒な宝石と、真紅のワインボトルが1本置かれている。

カラリ、と、白い陶器の上で、色とりどりの花弁と宝石が輝いた。

望むままの感情を。生きる為の最善策を。

そう思っていたのに。

ifド「どぉしたァ?ロー。今日は祝いだ。いつもより豪華だろう?お前がおれの元に戻ってきてくれて一年と、おれからお前を引き離していた奴らがいなくなって一年の、なァ?」

ifロ「……」

ifド「ロー?…食えないのか。困ったな」

ifロ「っ、」

ifド「何が気に入らない?盛り付け方か?量が多かったか?なぁロー、黙ってちゃわからないぜ?」

ifロ「……食べたく、ない、……むりだ、こんなの、」

声が震えた。

押し殺していた自分が、やめてくれと叫びをあげる。

小さい物でも親指の関節一つはある。喉が切れる。裂けるかもしれない。

少し前も食べさせられた。その時はこれより小さかったけど、それだって飲み込むのが痛くて涙が滲んだのだ。

なのに、これは、こんなもの無理に決まってる。食べられない。そもそも食べる物じゃない。

まだ普通の食事なら、吐き気を我慢するだけでよかった。なのに。

どうしよう、どうする、とグルグル考えていると、隣のアイツが笑う気配がした。ざわっと血の気が引く。痛みに備えて身を固くする。

ifド「そぉか」

ひゅる、と音がして、おれじゃない男の悲鳴が上がる。ハッと顔を上げれば、先程の給仕人が糸に雁字搦めにされ、浮いていた。

その顔は恐怖に引き攣って、見開かれた目が絶望に染まっている。

バチリと目が合って、立ち上がる。駆け寄ろうとしたが、腰のベルトを片手で強く引かれ、痛みが走る。圧迫される苦しさにぐうっと呻くと同時に、水の音が弾けた。

「たすっあ゛、ぁ、あ゛っ‼︎‼︎‼︎」

男の断末魔は一瞬にして霧散し、バラバラに切り刻まれた物体が液体を広げていく。ベビーの押し殺した悲鳴と、シュガー達の、恐怖に怯える短い声。

おれは呆然と肉塊を見つめた。行き場を失った左腕がアイツの手に絡め取られる。抱き留められ、背を預ける形になる。

奴はそのままおれの手の甲に口付け、涙を拭って楽しそうに笑った。

ifド「ロー、次こそはお前好みの“料理”を出すようにしておくからな。今日の所は、それを食えよ」

ifロ「ぅ、あ……うそだ、うそ、おれのせいで、っあぁあああああ゛っ‼︎‼︎」

喉が千切れると思った。ベビーとシュガー達がいることも忘れて、涙を流して謝罪する。

なんでこうなった?どうして、どうして、どうして。

また、また死んだ。また間違えた。

ちゃんと自分を隠せなかったから。おれが殺した。

ifロ「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいっ‼︎‼︎うぅあああっ‼︎」

ifド「謝るなよ、ロー?お前好みの料理が作れなかったのはそいつだ。が、せっかく作ったんだ、勿体ねえよなァ。俺が食べさせてやる。ほら、お座りだ」

軽々と身体を持ち上げられて、隣に座り直させられる。輝いていた宝石には細かく血が付いていて、あの男の悲鳴が延々とリピートされる。

ここでもう一度拒絶すれば、今度はベビー達の誰かが殺される可能性がある。それはダメだ。絶対に嫌だ。ああでも、でも、…だめだ。

 

おれは今、意志をもってはいけない。

混乱して首を引っ掻く手を握り込まれて、俺は荒い呼吸を整えることもできないまま震えた。指先には薄く血が滲んでいて、喉が熱い。切れたんだろうか、どうでもいい。

奴が初めに選んだのは、鈍い深緑色のもの。丸く加工されたそれは、皿の中ではまだ飲み込みやすそうだ。

ifド「ほら、美しいだろう?お前は悪い蟲をたくさん引き寄せるからなァ、魔除けの意味があるそうだ。花は…お前の肌と同じ真っ白な花弁だ。ほうら口を開けろ、ねだってみろよ、ロー」

ifロ「は、は、ぅ、……じぶんで、くえる」

ifロ「“おねだり”だと言っただろう。食事なんて久しぶりで忘れちまったか?それになんだ、その言葉遣いは」

ifロ「っ、ご、ごめ、んなさい。…たべ、させ、て、にいさま…」

薄く口を開いて待つと、アイツが酷く嬉しそうにそれをスプーンに乗せて運んだ。

舌先に乗せられたつるりとした表面。冷たい丸いもの。そして鼻に抜ける青苦い花弁の香り。

ぐ、と喉に力を入れて、なんとか胃に落とそうとする。しかし、飲み込み方を忘れた喉はいつまでもそれを喉奥から下へは通さない。

何度もえずきながらやっとそれを飲み込み、今にも逆流しそうな胃液を押し留めると、滲んだ涙で視界が滲む。

奴が満足そうに頭を撫でた。

ifド「偉いぞ、ロー。さあ、まだまだある」

まだ、この晩餐は終わらないらしい。

ifロ「ぅ、えっ、ゔぐっ、…ん゛んんっ!」

残り1個、と言うところで、限界を感じた。尖った宝石で喉がズタズタで、逆流する胃液で傷が焼ける。吐きたくて顔を逸らせば、口元を手で塞がれて飲み込むまで離してもらえない。無理矢理胃に戻される。

生理的にか、痛みからか、ボロボロと涙が頬を伝う。唾液と共に、血が口の端から伝い落ちる。

食事を終えたベビーがおれを支えていた。その手は可哀想なほど震えていて、申し訳なくなる。シュガーは未だ椅子に座って俯いていた。

ぬいぐるみと人形も、二人抱き合って震えながらベビーの陰にいる。

ベビー「ロー、…もう少しだよ。あと、少し…」

ifド「ベビー5、ああ…お前は優しい子だ。可愛い弟が心配だろう。ナァ、ロー。あまり姉上と妹に心配をかけるもんじゃねぇなァ?」

ifロ「ぅ、げほっ、が、は、はぁ、ハァ…ごめん、なさい、ドフィ……姉様も…」

機嫌を損ねてはならない。怒らせてはならない。

この4人だけは殺したくない。傷つけたくない。

そっと皿の上を盗み見る。宝石も花弁を、残りは一つずつ。

ifロ「…さい、ご?」

ifド「フッフッフ…ああ。ほら、最後はルビーだ。…ハハハ!お前は赤色がよく似合う!」

一等大きな赤い宝石。尖ってはいないが、美しくカットして整えられた表面がゴツゴツとしている。血液と同じように赤い宝石とスグリの実が、血と混じって溶けそうな錯覚。

はやく終わらせたい。その一心で口を開く。

血で滑りが良くなって、今までで一番早く飲み込めた気がする。

雛鳥のように口を開け、飲み込んだことを伝えれば、奴は狂ったように笑い声を上げた。

いや、“ように”ではない。狂ってる。奴はもう人ではないのだろう。

ifド「ロー、美味しかっただろう?さあ、食後のワインだ」

とくとく、と4杯のワイングラスが満たされていく。指2本分に入れられたそれを左手に持たされ、4人でグラスを傾けた。

強いアルコールが比喩ではなく喉を焼くように感じ、芳醇な香りに吐き気が強まる。左手で口元を抑え、俯く。

ifド「フッフッフ、うめェな。コレはドレスローザで作られていたワインだ。懐かしいよなァ」

失くすには惜しい国だった。と笑う。

国土は焼け焦げ、建物も民も王も糸に刻まれた。海軍の大将や、シュガーやベビー5のように若い幹部以外は全員死んだ。

俺と麦わら屋だけ、あの中心で生き残った。生かされた。そして麦わら屋も死んだ。

レベッカの笑顔が、ヴァイオレットの泣き叫ぶ声と諦め切った泣き笑いが、いつまでも消えない。国中からあがる悲鳴も、炎も、麦わら屋の横顔も。

あの時、麦わら屋は怒っていたか、それとも絶望していたのか、もう思い出せない。

麦わら屋の覇気がまだ戻る直前に屋上に居るのがバレて、二人揃って拘束された。糸で縛り付けられて、抵抗は尽く封じられた。

鳥籠が閉じる頃、悲鳴と怨嗟の声に耐え切れず、おれは意識を失った。

目を覚ませばベビー5が手を握って泣いていた。近くに麦わら屋はいなくて、混乱しつつ暴れるおれを、アイツは壁に磔にして笑った。

『お前の言う“麦わら屋”は、とっくに殺したさ。目障りだったもんでなァ。フッフッフ…ああ、そんなに可愛い顔をするんじゃねえよ。“代わり”に、色んな奴に合わせてやるさ』

友だちだって、それを否定しなければ良かった。ほんとうは嬉しかった。ただ、この戦いで死ぬ人間のことなんて覚える必要はないと、さんざん利用しておきながら、せめておれをすぐに忘れられるようにと、…親しくなるのが怖かった。こんな事になるなら、友だちだって、おれからも言えば良かった。

その日は申し訳なさと苦しさに泣き続けて、いつの間にか気を失って、数日の空白の後に次の日を迎えた。

それからクルー達が連れてこられた。1人ずつ、1人ずつ、目の前で死んでいった。

たまに“ファミリー”の幹部が来てはおれをいたぶった。そいつもいつの間にか殺された。残されたのは、遠巻きに見つめていただけのシュガーと、手当てをしてくれたベビーのみ。

あの椅子に座っていた最高幹部すら、奴はおれのためと言って殺したのだ。

ifド「あっという間に1年だ。ロー、ベビー5、シュガー、お前たちは俺の可愛い兄妹だ。なァ、俺を裏切るな。俺に殺されてくれるなよ?」

サングラス越しに、ドロリとした執着心が伝わってくる。息を飲むベビーを抱きしめ、おれは目を閉じた。

ifロ「もちろんだよ、……にいさま…」




死は、裏切りではない。少なくともおれの中では。




 了



22024/1/1 逃避行①最終修正




(感想くださった方々、本当にありがとうございます!めっちゃ嬉しい不安だったから泣きそう…。素敵なアイディアをお借りしています。皆さんありがとうございます。

実家からマンション戻ったらホスト規制されてる…しばらくROM専です…。

テレグラフは使えるから、ひっそり更新していきます。

余談ですが、ss書くためにドフィを考察してたらドフ虐と受けにハマってしまった何でや…なんか悔しい…)


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