逃避行③

逃避行③



初作 逃避行 – Telegraph 2024/1/1

前作 逃避行② – Telegraph 2024/1/7


続き 逃避行④ – Telegraph 2024/2/18


※閲覧注意※

作品を通して、グロテスク、病気、流血、軽度のリョナ、

ネームドキャラ及びモブの死ネタを含みます。

今回は比較的穏やかです。ちょっと晴れ間が覗きます。

キャラ同士の距離が近いですが、あくまで友情・親愛・ブロマンスです。

恋愛感情はありません。

文章が長いです。

以上が許せる方のみお進みください。






〈ifロー視点〉


病室から、窓の外をずっと眺めていた。

失ったクルーたちが…正確には、別世界のクルー達が、笑顔を浮かべてはしゃぎ回っていた。

素潜り対決をしたり、体術勝負をしたり、トランプをしたり。

毎日、明るい笑い声が聞こえてくる。

いい歳してなにをやっているんだと、前までは思っていただろう。…今となっては、それがどれだけ尊く大切な日々だったか。

二度とは帰らぬそれらを求めて、必死になった日があった。結局はすべて、無駄でしかなかったけれど。

息が苦しくなって窓から離れ、床に蹲る。

『部屋に鍵はついてないが、あいつらには無理に押し入らないよう言ってある。具合が悪くなったらナースコールを押せ。手が空いてるやつが来る。…もし調子がいいようなら、少し外に出てみろ』

 

この世界のおれの言葉を思い出す。

ゆっくりと、ふらつきながらもドアへ寄った。震える左手で、ノブを触った。少し手首をひねるだけ。それだけでおれは外へ出られる。


…怖くなった。足がすくんだ。

たたらを踏んで、また蹲った。

指先と息の震えが止まらない。腹に抱え込んで、情けなさに膝に顔を埋める。

悪夢だと思った。

おれの部屋にドアなんてない。

出入り口のない鳥かごこそ、おれが居るに相応しい。

『ローさん、一緒に日向ぼっこしましょう』

『……いかない』

『でも…今日は日差しも強くないし、ちょっとだけ、だめですか?』

ペンギンが優しく微笑んだ。昼頃まで眠っていたおれに昼食を運んでくれた上に、おれを気遣うように話しかけてくる。

顔をまともに見られなかった。

答えられないまま黙っていると、そっと左手を握られた。

恐怖を感じて、震えて、バレたくなくて振り払った。

傷つきたくなかった。

それなのに、おれはきっと傷つけた。

 

…二度と来てくれるなと願った。傷つけたいわけじゃない。けれど、おれは何度でもお前たちを傷つける。だから放っておいてくれと願った。

ペンギンは何も言わなかった。静かに微笑み、頭を撫でられた。


俺はまた、一つ、壁を積み上げた。小さな亀裂が無数に入っていた。それをペンギンと同じように撫でて、誰も気づいてくれるなと願った。

 


『ローさん、夜は何が食べたい?』

『……いらない。たべたくない』

『えっと…今日はペンギンが担当だから、いつもより美味いですよ』

シャチが浮き足立つような口調で言った。

初めは重湯。おじやになって、段々と野菜のポタージュも、柔らかめの固形物も食べられるようになった。

それでも時々、どうにも飲み下せなくて、吐き出して、…それが辛かった。

せっかく作ってくれたのに、申し訳なさと情けなさに、夜にひっそり泣いた。

優しさを失いたくなかった。これ以上失望されたくなかった。見限られたくなかった。

どうせ突き放されるなら、おれから嫌われるように仕向けたかった。突き放すように言葉を紡いだ。

シャチはそっかぁ…と呟いて、今日は薄めのポトフにしてもらおう!と明るく言った。


壁を一つ高くした。…外からそっと撫でるような音がした。壁を挟んだ向こう側。おれは逃げるように距離をとって、…どこにも行けず、膝を抱えた。

 


『ローさん』『ロー』『トラ男!』

名前を呼ばれる。声が響く。みんながいる。クルーも、麦わら屋たちも。

たくさんの口が、明るい笑顔がおれを呼ぶ。

狂気も、暴力も、威圧もない、純粋な親愛。

壁が軋んだ。いつしか鳥かごのようにおれを囲っていたそれは、ピシッと音をたててヒビを大きくした。

おれは焦った。やめてくれ。もう諦めたいんだ。放っておいてくれ。

これ以上の希望を見せないでくれ。

 

お前たちまで失ったら、そうなれば、おれはもう、…もう……

『くるな!こっちにくるな!はなれてくれよ!』

『なんでだよ。ほら、出て来いよ』

麦わら屋が、はるか頭上の壁の隙間を軽々と飛び越えてきた。呆然と立ち尽くすおれに、あの時と変わらない笑顔が向けられていた。

 

忘れかけていた“あの日”が目の前にあった。

逃げ惑う国民と怨嗟の怒声。悪魔の笑い声。

真っ白な糸が、血を吸って鮮烈な桃色に染まる、その様。


怖かった。また失うのか、これを。太陽のような男を。おれのせいで。

 

逃げようと思った。背を向けた。

ゴムの腕に巻きつかれて、引き寄せられた。

糸が絡みつくような錯覚を覚えた。違うとわかっていても、恐怖心が湧き上がって、立っていられなくて、震えながら座り込んだ。

呼吸が浅くなる。狭まる視界の中で、麦わら屋が静かに歩み寄ってくる。身をよじって精一杯の抵抗をしたが、一年間のブランクがあるおれと、四皇の実力のある麦わら屋では勝負にすらならないのは明白だ。

情けない。どこまでも。なにをするにも一人ではできない、無力な自分。

 

愚かだと、アイツが囁く。それでも愛そう、と、あの笑顔が。

頭を振ってアイツの姿を追い払う。伸びた前髪が落ちてきて、視界を遮った。

髪と髪の隙間に、麦わら屋のサンダルが除く。


『なんで…なんで、やめて…くれ、やめて、たのむから…!』

『なんでじゃねェ。おれはこんなとこいたくねェよ、ここは寒い。あの壁、すげェ冷てェし。なァ、こんなとこにずっといたら腹減っちまうぞ』

さむい、ここはさむい。そうだよ。でもいいんだ。あの日、抱きかかえることも許されなかった仲間達は、きっともっと寒かった。

腹を空かしていたやつだってきっといた。


頬が濡れた。いや、元々濡れていたかもしれない。

いつから?はじめから?どうして?

いや、もうどうだっていい。

 

おれはいつも遅いんだ。間違えてばかりなんだ。だから仲間は死んだ。おれが殺した。友達と呼んでくれた麦わら屋も殺した。

今更なんだ。自分勝手にひとりになろうとしたくせに。

都合がよすぎる。なにを救われようとしている。

『は、ぁ、はははッ、同情なんか…しないでくれよ…おまえ、に、ッおまえにわかるかよ!わかってたまるか!ずっと、ずっとッ』

拘束はなくなっていた。それでも、もう身体を動かせる気はしない。

壁は少しずつ崩れ始めていた。光が差し込み始めて目が痛かった。

麦わら屋は口角を下げて、麦わら帽子を押さえつけていた。

 

あの目が見えない。すべてを受け止めるような、常に未来を見据えるような、無邪気な少年のような、あの不思議な目が。

おれは何が言いたいのだろう。麦わら屋が退かないのはもう嫌というほど知っている。

なら、なら、何を言ったって無駄なのに。

切り捨てられ続けた言葉が、暴力に押し込められた感情が、こいつなら拾い上げてくれるような、そんな都合の良い予感がした。

一人でいなければいけないと思っているのに。おれのせいで死ぬ人を、これ以上増やしてはいけなかったのに。

だから、猶の事、他人を必要だと思う自分が許せなかった。

『おれのせいで何人死んだ!?なあ麦わら屋!おまえも、おまえの仲間も!ベポたちも!!罪のない一般人までだ!!なんでおれはまだ生かされなきゃいけないんだ!?ずっと、ずっと、死ぬべきなのはおれだった!コラさんも、べポ達やお前らも!誰も死ぬべきじゃなかった!おれが死ねばッなにもかも始まらなかったんだ!だって、だって…なんで、だ、なんでだよ、なァおかしいだろ…!おれはいつも、生きるべき誰かの命をもらって生き延びてんだ、いつもそうだ。いつも!もう、もう、おれのせいで、だれかが死ぬのは……つかれた…』

声の限り叫んだ。目をぎゅっと瞑って、最後には嗚咽をあげた。

ごめん、と、もう伝えることが出来ないみんなに謝った。

死神である自分が、太陽のような男に照らされるのが許せなかった。

『トラ男』

『……』

『…トラ男!』

『…むぎわらや…』

浮かんでいる表情は、怒りだった。瞳孔が狭まったその目に、あの男を思い出して、また勝手に身体が震えた。

殴られると思った。身を硬くして、歯を食いしばって、目を閉じた。

頭を撫でられた。ポン、ポン、と優しく叩かれて、まだら模様のキャスケットを深く被せられた。

首が揺れるほど力加減が下手なその優しさが、痛みもなく浴びせられた。

わからない、なんで、だ、怒ってただろう。

怒っていたのに、殴られなかった。

『バカだなァ、トラ男。おれがお前を殴るわけねェだろ。友達だしな!それに、おれは死んでねェ、勝手に諦めんな!』

真剣な声だった。どこまでもまっすぐで、…どこかで感じた。忘れた感覚。

なんだっけ。わかる、思い出せる。

怒ったのは、おれが傷つけられたから。

傷つけられて、痛くて苦しくて、助けての一言が言えなかったから。

怒ってるのに殴られなかったのは、おれに怒ってるわけじゃないから。


怒りを堪えて、相手を思いやるのは。

そうだ、それは間違いようのない“愛”だ。

みんなが、今、壁を壊すのだって。

『ッ、…麦わらや』

『うん』

『みんな目の前で、ころされて、おれは、たすけられなくて』

『ああ』

『なあ、おれはどうすればいい?どうすればあいつらに報いる事ができる?おれは生きてていいのかな』

『そんなことくらい自分で決めろ。…お前の仲間ならなんて言うか、おれに聞くより、お前の方がよくわかるだろ』

『っ…!』

肩を掴まれる。急に離れた身体の間に滑り込んだ冷気に震える。

しかし、直後の麦わら屋の言葉に、それは意識の外に弾き飛ばされた。

『けどな、おれでもわかることはある。あいつらはお前に苦しんで欲しかったわけじゃねェ!自分の選んだことを後悔すんな!それにお前の“こころ”がなくなったら、生きてても意味ねェだろ!』

『こころ…』

『なんで痛いのか、なんで怖いのか、なんで辛いのか、何がしたいのか、何を伝えたいのか!お前は自分で考えて決めていい!おまえは自由なんだろ!“大好きな人”が、自由にしてくれたんだろ!?』

必死の形相だった。どうしてそこまで。

おれはお前を巻き込んで、殺した男だぞ。

喉にかかったのを飲み込んだ。そして思考する。

なんで痛かったのか。なんで怖いのか。クルーたちが目の前で死んでいったから。ひとりが怖くなった。申し訳なかった。また一人になったから。

なんで辛いのか。消えないから。痛かったことも怖かったことも、苦しかったのも。そんな感情が何も消えてくれないから。

おれは、自由。そう、コラさんが、おれを自由にしてくれた。

命をもらった。人としての心をもらった。

仲間ができた。そして、失った。

『…ひとりになった。……むかしよりもっと、くらくて、さむかった。まいにち、まいにち、いたかった。くるしかった。さみしくて、ずっと、ずっと。みんなを忘れたくなくて、何もなかったことにはしたくなくて、アイツの思い通りになんてなりたくなくて、…でも、たすけてくれた。あいつが、ベビー5と誰かが。この世界の“おれ”が。“おれ”の仲間が。怪我をなおしてくれた。たくさん優しくしてくれた。でも、それがいつなくなるかと思うと怖かった。おれのせいで、またみんなが死んじゃったらどうしようって、離れるべきだってわかってるのに』

分かってるんだ。それでも、もう一度、彼らとの思い出が欲しいと願うのは。

光に手を伸ばしたいと思うのは、いけないことだろうか。


『ここにずっといたいって思って、ダメに決まってるのに、…みんな生きてて、あったかいんだ、生きてるんだ』

『いればいいだろ。お前も“トラ男”なんだから』

『……めいわくに決まってるだろ』

 

そう簡単な話ではない。“同じ”人物が、同じ世界に存在する。

しかも今の自分は戦えるような身体でもない。足で纏いで、明らかな弱点。

優しい“ロー”達は何も言わずにいてくれるが、どう考えても…


『迷惑じゃねェよ』

酷く不機嫌そうな声が聞こえた。

驚きから上がりかけた悲鳴を飲み込んで、声の方向へと顔を向ける。

壁から落ちた破片と“おれ”が入れ替わっていた。

我ながら便利な能力だ、と少し意識をそらす。

ぼんやり見つめていると、“ロー”はつかつかと歩いて来て、麦わら屋の隣に並んだ。

 

しゃがんで、左手をそっと持ち上げられる。

それを見た麦わら屋は右腕の袖を持ち上げた。ニッ!と太陽のように笑う。


“おれ”の言葉を噛み砕くのに、時間がかかった。

『…うそだ』

『嘘じゃねェ』

『だって、おまえがいる。“おれ”は2人もいらない。邪魔だよ』

俯く。そうだ。おれはいらないだろう?

だっておまえがいるんだから。いらないに決まってる。

 

おれはお前たちを殺すかもしれない。

おれがいるから。アイツはもう一度おれの前に現れるかもしれない。


手を離そうとした。思いの外強い力で握られて、それは叶わなかった。

悲しくなって、誤魔化すようにそっと息を吐いて、力を抜いた。

『じゃあ“おれ”の船来るか?チョッパーいるし、サンジのメシはうめェし、ウソップとフランキーが作るモンはすげェおもしれェぞ!』

『テメェは黙ってろ麦わら屋。こいつはおれたちの患者だ。クルー達だってこいつを気に入ってんだ、やらねェ!』

『なんだよ〜いいじゃねェか。まったく“トラ男”はちゃんと伝えねェからなァ…』

 

は~あ…と、麦わら屋はわざとらしいため息を吐く。

青筋を浮かべたもう一人のおれは麦わら屋を睨み付けるが、当の本人は何処吹く風と口笛を吹いていた。

チッ、と短く舌を打つと、もう一人のおれが声をかけてきた。

…何を言われるのだろう。不安に押しつぶされそうになりながら、おれは、自分と同じ色の瞳を見つめ返した。


『…おれは、おれたちは、お前を迷惑だと思ったことは一度もない。本当だ。ベポも、ペンギンもシャチも、他のクルーだって、みんなお前を心配してる。はやく良くなってほしいって、会話して、散歩して、一緒に美味いものを食べたいって、毎日言ってる。どうしたら一緒に昼寝できるか、食べたいものを言ってくれるか、ずっと待ってる』

『……』

『おれもトラ男と冒険してェなァ』

『だから、テメェは黙れ!』

頭の後ろで腕を組んだ麦わら屋が笑う。“おれ”は目尻を吊り上げ、口を大きく開けて怒鳴った。

嘘には聞こえなかった。きっと本心だった。

信じてもいいのかな。…伝えてもいいかな。

ずっと言いたかったことがあるんだ。いつか必ずって思っていたんだ。

……いや、言ったところでどうなる。

『……どうして、…なんでそこまで、おれを…』

『これが、おれたちなりの“愛”だからだ。…うちはドライだが、大切なモン忘れるくらい冷え切ってはねェよ』

『おれは愛される資格なんてない…っ』

『トラ男お前、なに言ってんだよ』

『ないッ…ないんだよ!無責任なことを言うな!だってこんな、こんなの都合のいい夢かもしれないッ!』

『夢でなにが悪い!これが夢でも、おれと“トラ男”の言葉は嘘じゃねェ!!』

麦わら屋の張り裂けんばかりの叫びがこだました。

“ロー”は何も言わずにおれを見ている。左手を握る手に力が込められる。

低い体温が、やけに身体を焼いた。

どうして、どうしてこうなるんだ。何もかもうまくいかない。

出来損ないのおれに、二人はどうして真剣になってくれるんだ。

…温かい。握られた指先が。目の奥が。からだの深いところが。

 

もう囚われる必要はないだろう?と、懐かしい声が聞こえる。

 

『…おれ、みんなと生きていいのかなあ』

『お前……はぁ、馬鹿か。そのためにここにいるんだろ』

 

“ロー”はぶっきらぼうに言った。

うれしかった。じわじわと頬に熱が集まって引き攣っている。

笑おうとした。活動していなかった表情筋が痛む。

失敗して、代わりに嗚咽がこぼれた。

『…うぅ…ぅっ、あぁああ…うぁあぁ……ッ』

 

苦しい。息をうまく吸えないまましゃくりあげるおれを、“おれ”が宥めるように抱きしめて背中を擦った。

確かな体温。心臓の鼓動。震える指先と呼吸。

がらがらと、壁が崩れ落ちる音と、差し込む光。

壁の向こうに、涙に滲むクルー達と幾つかの影。

光に照らされて透け始める影と麦わら屋と、おれ達の身体。

 

あったかい。

身体の震えは止まった。目を伏せて、もう一度開く。

麦わら屋が声もなく笑った。力強く頷いて、一足先にみんなの影と一緒に消えていった。

 

ああ、いいんだ。

どうか聞いてほしい。ずっと言いたかったこと。

視線が交わる。“ロー”は目を細めて待ってくれている。

 

『…おれは、みんなと、ここで生きたい…!』

『……ようやく言ったな』

 

帽子を外されて、髪を梳くように撫でられる。

遠い昔、妹にしたような、親愛の仕草。

息を吐くような優しい笑い声につられて笑う。

 

『それを待っていた。ようこそ、トラファルガー・ロー。…歓迎する』

 

微睡みに似た感覚に目を閉じる。

“ロー”の手に重なる、大きな手の平を感じた。

光に吸い込まれるような感覚がする。そして、おれの意識はそっと薄れた。

 

 

 

 

 

〈正史ロー視点〉

 

正史ロー「……んン…」

Ifロー「ぅう、ん……?」

 

「!…トラ男、ロー!?」

 

意識の浮上に合わせて、遠い声が少しずつ大きくなる。

視界は靄がかっているが、至近距離のおれと同じ色の瞳は、もう一人の自分だと分かった。

おれの右手はローに握られていて、ぴったりと双子のようにくっついた状態で大きなベッドに寝かされている。

 

Ifロー「……なんで、おれ達…?」

正史ロー「…なにがあった…?」

チョッパー「二人とも!大丈夫か?」

 

トニー屋がベッドによじ登り、おれ達の額に手を当てる。

じっと待っていると、安堵の息を吐いてベッドサイドの椅子に飛び乗った。

こめかみを抑えて呻きながら身体を起こす。ローはそこで、おれと手をつないでいることに気が付いたようだ。

なぜ握っているかはわからないが、このままでは寝にくいだろう。

そう思って手を離そうとした。

が、ローは精一杯の力でおれの手を握り、抱え込むように身体を折り曲げる。

その行動が予想外で、おれは腕を引かれるままバランスを崩し再びベッドに沈んだ。

 

正史ロー「!?は、おい…?」

Ifロー「ッ、ぁ…ご、ごめ、…ごめん、なさい」

 

大げさなほど肩を揺らし、ローの顔からさっと血の気が引く。

咄嗟に離そうとした手を、離してはいけない気がした。

ローの手を握り返し、横たわったまま脱力する。彼の背後に余った手を回し、なかなか寝付かない妹を思い出して背を軽くたたく。

 

Ifロー「え…?」

正史ロー「…落ち着け。おい、トニー屋。このまま聞く。なにがあった?」

チョッパー「え、あ、えっとだな!えーと、まず、おれ達と偶然再会したことは覚えてるか?」

正史ロー「あァ。…お前は?」

 

ローは部屋にいたからあまり流れが理解できていなかっただろう。

と思ったが、物資の補給に訪れた島で、おれ達が麦わら屋と遭遇したことは何となくわかっていたようで、小さく頷いた。

トニー屋に目配せして先を促す。

 

チョッパー「それから、おれ達とトラ男たちの船を人目につかない所に移動させたんだ。トラ男から同盟を再度持ち掛けられて、詳しく話を聞くために。その時におれ達はもう一人のローの存在を知った。それから、トラ男がローを呼びに行ったんだ」

Ifロー「…それは、おぼえてない」

正史ロー「おれはわかる。……こいつを連れて甲板に出たところまでは」

チョッパー「うん。詳細はまた後で話すけど、ルフィがローに興味を持ってさ。トラ男やロビンの静止を聞かずにローに抱き着いて話しかけたんだ。…それで、その、…ローがパニックを起こして気を失って、ローを支えようとしたトラ男も気絶したんだよ。そんで今まで眠ってて、もうすぐ明け方だ。さっきまでべポ達もいたんだけど、交代して、おれが看てる」

 

情報量が多いな…。

つまり、おれはローを紹介しようとした。麦わら屋はおれ達の静止を気にも留めずローに絡み、ローとおれは気絶。

麦わら屋達と会ったのは昼過ぎくらいだったから、半日以上経ってるのか。

ここ数日はいろいろ調べものをしていて寝不足だったから、それもよくなかったな。だが随分身体は軽くなった。やはり睡眠は大切だ。

…おれが意識を失ったのはそれだけではないだろうが。

 

正史ロー「最近はなかったんだがな…。世話をかけたな、トニー屋。おれの方は心配いらねえ。たまにこいつとリンクすることがあるんだ」

チョッパー「リンク?」

正史ロー「同じ夢を見たり、お互いの感情が流れ込んできたりな。別の世界の同じ存在だからかと思うが、理論は不明だ。ローの体調や精神が安定しはじめてからは“個”として存在するようになったのか、しばらくそういったことはなかった」

チョッパー「???なんかよくわかんねェけど…そういうもんなのか?」

正史ロー「そういうもんだ」

 

腕を組んで首を傾げるトニー屋は、眉間にしわを刻んで唸った。

クエスチョンマークが頭上を飛び交う幻覚がありありと見える。

…そんなトニー屋がかわいいと思うのはおれだけではないだろう。

トニー屋に癒されていると、ローが身じろぎする気配を感じた。そして、何かを覚悟するような気配も。

 

Ifロー「……さっきの、夢…」

 

搔き消されてしまいそうな程の小さな声に、そちらに顔を向ける。

うつらうつらと上下する瞼に合わせて瞳が揺れていた。

 

ローの言葉。

夢、を見ていた。おれも。

きっと、同じ夢を。

 

一つ息を吐いた。一度、固く目を瞑り、まっすぐにおれを見つめる。

不安気な表情は、それでも、今までとどこか違っていた。

 

Ifロー「……おれ、ほんとうに、めいわくじゃないか?」

正史ロー「何度も言わせるな」

Ifロー「…うん…そっか…。ごめん、たしかめたかっただけなんだ」

正史ロー「……親切が不安なら、何か理由をつけるが?」

Ifロー「…ふ、いらないよ」

 

そっと目を伏せ、ローは息を吐くように笑った。

始めて見せた笑顔はどこか満足気で、そして安堵を含んでいるように感じる。

ローの奥にある窓の外は、紺碧の闇の片隅に、太陽の気配が光を連れてきていた。夜を漂う雲の端が、白金に染まりかけている。

それでもまだ海は暗い。もうひと眠りしても問題はないだろう。

 

正史ロー「まだ夜は明けていない。今は休め」

Ifロー「ん、おやすみ…ロー」

 

ゆるく口角を上げ、ローは目を閉じて言った。

意識を保つので精一杯だったのだろう。すぐに穏やかな寝息がし始める。

トニー屋がそっとシーツを引き上げた。目が合うとニッと笑いかけてきて、口から笑みがこぼれる。

 

さて、おれはもう寝る必要はない、のだが。ローはおれの手をしっかりと握って離す様子はない。

どうしたものか…と悩んでいると、トニー屋が口元に手を添えて耳元に寄って来た。

 

チョッパー「トラ男ももう少し休めよ」

正史ロー「いや、おれは起きる」

チョッパー「…けどよぉ」

 

トニー屋が困ったように眉を下げる。

庇護欲を掻き立てられるその生き物に、おれはグッと息を詰まらせた。

くそ…かわいいってわかってやってるだろ…!

 

チョッパー「もう一人のトラ男、ずっと魘されてて…トラ男と一緒に寝かせたら少し良くなったんだ。今も、すごく穏やかに眠ってる。…そいつが起きるまででいいから、一緒にいてやってくれよ…」

 

一緒のベッドにいたのは、そういう理由らしい。

トニー屋の言葉に、もう一人の自分に目を向ける。

下がり気味の眉はほぐれて、薄く開いた唇が時折小さく動く。境遇が違えど、自分自身であるとは言え、幼くあどけない様子にうっかり毒気を抜かれる。

おれは息を吐きながら身体の力を抜いた。

ローに向かい合うように身体の向きを変える。

 

正史ロー「…誰か来たらおれだけ起こせ」

チョッパー「おう…!」

 

トニー屋は小さいながらも元気に返事をする。

大き目の間接照明が落とされ、卓上のランプの明かりだけが部屋を照らす。

暗闇に紛れたら、遠ざかっていたはずの睡魔が再びやってきた。

 

正史ロー「…おやすみ」

 

誰に言うわけでもなく、おれは意識を失う瞬間に呟いた。

トニー屋の声が聞こえた気がしたが、既に眠りの世界に落ちたおれに確かめるすべはない。

 

ただ一つの決意を胸に、意識を閉ざした。

 

…目が覚めたら、とりあえず麦わら屋をしばこう、と。

 

 

 


最終修正 2024/1/29



初作 逃避行 – Telegraph 2024/1/1

前作 逃避行② – Telegraph 2024/1/7


続き 逃避行④ – Telegraph 2024/2/18


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