やるべき事はひとつ
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空座町・商店街
艶やかなポニーテールを揺らして、少女が商店街に居を構える駄菓子屋の引き戸をガラガラと開く。
菓子の陳列された棚が並ぶ店内は明かりが点いておらず薄暗かった。
店が消灯していることは戸を開ける前にわかっていたことだ。
夜目が効く少女にとって歩行にさしたる障害はない。
『…………』
店内を見渡しても店員の姿はなかった。しん、とした駄菓子屋のカウンターも同様に、店番をする者はいない。
一般常識がある人間ならば「今日はもう閉店しているのか」と店を後にするところだろうが、少女は気にした様子もなく店の奥に向かって呼びかけた。
『こんばんは。浦原さんはいる?』
しばしの間があって、畳が敷かれた店の奥から深緑の甚平に目深く帽子を被った、怪しげな風貌の男が姿を現した。
「おや、カワキサン。どうされました? アタシに何かご用っスか?」
胡散臭い笑みを浮かべた男はこの駄菓子屋の店主、浦原喜助だ。
愛想良く接客する浦原に対して、ポニーテールの少女——志島カワキは、愛想笑いの一つも浮かべることなく口を開いた。
『ああ。少し聞きたいことが——……』
浦原に訪問の用件を伝えようとして——カワキは開きかけた口を閉じると、蒼い目をキュッと細めて、浦原の背後へと視線を動かした。
物陰に隠れ潜む獲物を見つけた獣のように奥にいる何者かの霊圧を感知したカワキが、感覚を研ぎ澄ませながら、浦原に鋭く問いかける。
『奥、誰かいるね。この霊圧……』
「おっと……。気付かれちゃいましたか。さすがカワキサン、鋭いっスねぇ」
今にも霊子兵装を展開しかねないカワキに、浦原はその警戒心を解くようにヘラリと力の抜ける笑みを向けた。
同時に、奥にいる存在が誰なのか察したカワキが持ち上げかけていた腕を下ろす。
襖を振り返った浦原が奥に向かって呼びかけた。
「おーい、出て来て良いっスよー! もうバレちゃいましたし」
襖の奥からパタパタと足取り軽く、小柄な人影が飛び出す。
死覇装の左袖を半ばで留めた黒髪の少女は、溌剌とした声で嬉しげにカワキに笑いかけた。
「カワキ! 久しいな!」
『朽木さん?』
久しぶりに再会した友人、朽木ルキアの姿にカワキは僅かに目を丸くすると、すぐに彼女の腕章に目をやった。
袖を留める「十三」の二文字が刻まれた腕章は、護廷十三隊の副隊長が身につける副官章だ。
ルキアが副官章を身につけているということは——
『その腕章……そうか、昇進おめでとう』
「うむ!」
表情こそ変わらないものの、普段よりも幾許か穏やかな声色で祝いの言葉を告げたカワキに、ルキアは誇らしげに胸を張って返事をした。
再会の挨拶もそこそこに、小首を傾げたカワキがルキアに疑問を投げかける。
『だけど、どうして朽木さんが現世に? もう気軽に動ける立場じゃないだろう』
「まあな」
カワキの疑問は尤もだと、肯定を返したルキアは難しい顔で長く息を吐いた。
浦原と顔を見合わせて頷き合ったルキアが、真剣な面持ちでカワキに向き直る。
「……カワキには、話しておいた方が良いだろう。実は——」
ルキアが現世にやって来た目的、尸魂界の抱える事情、そして——銀城空吾の正体を聞いたカワキが、手首につけたシルバーのチェーンを揺らして滅却十字を握った。
『なるほど……事情はわかった。現状も』
静かに呟くと踵を返し、その足で足早に出口に向かう。
引き戸の取手に手をかけて開くと、外はすっかり陽が落ちて暗闇に包まれていた。
暗闇の向こう——町のどこかに潜む敵を思って夜の町を睨みながら、カワキは早口で別れの挨拶を告げた。
『悪いけど先に出る。今の話の通りなら、一護が危ない。彼を護るのが私の仕事だ』
「ああ、行ってやってくれ。私達もこれを仕上げてすぐに追いつく」
青白く輝く日本刀を手にしたルキアが、真っ直ぐにカワキの背中を見据えて力強く頷く。
その声には確かな信頼が滲んでいた。
暗闇に踏み出そうとしていた足を、ほんの一瞬だけ止めて、カワキが振り返る。
「気をつけてな」
『……ありがとう。また後で』
開け放たれた引き戸をくぐった次の瞬間——
夜の商店街に踏み出したカワキの姿が、ルキアの前から消え失せる。
否——瞬きの間に消えたと錯覚するほど高速の飛廉脚で、カワキは町中を移動する一護の霊圧を追って駆け出したのだ。
『初代死神代行……か。誰が相手だろうと関係ない。一護を害するものは排除する、それが私のやるべきことだ』