相談

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空座町


『呼び出して悪かったね、茶渡くん』


 黒髪に蒼い瞳の少女が、浅黒い肌の大柄な男——茶渡にそう声をかける。

 軽く首を左右に振った茶渡は、穏やかな声で「いや、いいんだ」と答えると、一拍置いて気を引き締めた。

 茶渡はこれから切り出される話の予想がついていたようで、無意識のうちに眉根を寄せて声を潜める。


「……井上の事だろう? あの時、本当は何があったんだ? カワキは『井上に外傷は無い』と言っていたが……」

『ああ。外傷は無かったよ。“外傷”はね』

「やはり……何かあったんだな?」


 含みがある言い方をした少女——カワキは、事件が起きた当時の記憶を辿るように視線を落とした。

 元より無口な気質の二人の間に、沈黙が満ちる。

 これから語られるのは、恐らく悪い話だ——その心構えをした茶渡は黙ってカワキの言葉の続きを待った。

 蒼の双眸がまばたきを一つ。

 思考が読み取れない眼差しをクルリ、と動かしてカワキが茶渡を見上げる。


『井上さんは洗脳や精神干渉に類する能力をかけられた様子がある』

「洗脳?」


 茶渡が鋭く息を呑んだ。

 一護が死神の力を失ってから17ヶ月の間、茶渡は「いつか一護が力を取り戻した時に足手まといにはならない」という決意を胸に、ずっと鍛え続けてきた。

 だが——茶渡の持つ能力は戦闘では役に立っても、精神に作用する能力への対処は出来ない。

 茶渡が硬い声で問いかけた。


「まさかそんな事が起きていたなんて……井上は大丈夫なのか?」


 話しながら最悪の想像が脳裏に浮かび、茶渡は顔を強張らせた。

 人形のように顔色一つ変えることのないカワキは、大丈夫だと言うようにひらりと軽く手を振って答える。


『今はまだ本人も自覚がある。……この類の能力は、術者本人に解かせるか、術者の死で解除されるパターンが多い。この件は私が対処する』

「一人で動くのは危険だ。俺も……」

『トリガーは恐らく斬撃を受けること——回避より防御に向いた茶渡くんの戦い方は今回の敵とは相性が悪いよ』


 さらりと告げられた「斬撃を受けることで洗脳が発動する」というカワキの言葉。

 それは即ち、既に洗脳にかけられている井上が、敵に何をされたのか——その事実を端的に示すものだった。

 大きく目を見開いた茶渡の心臓が早鐘を打つ。

 茶渡はざあっと顔を青くして、カワキに詰め寄ると早口でまくし立てた。


「井上は斬られたのか!? だが、『井上に外傷は無い』と……カワキはあの時も、今も、そう言っていたじゃないか……!」

『そう、どこにも傷口が無かった。それがおかしい』


 いけしゃあしゃあとカワキは言い放つ。

 事態解決のための道筋を見据えた冷徹な瞳が動揺に揺れる茶渡をじっと見つめた。

 どこまでも冷静なカワキの様子に、幾分か心を落ち着かせた茶渡。

 カワキは茶渡に言い聞かせるように言葉を続けた。


『こういう相手は君より私の方が向いてるよ。君に相応しい戦場は別にあるはずだ』

「……そう、か。……そうだな……。大声を出してすまなかった」


 カワキに諭され、平静を取り戻した茶渡が、肩の力を抜くようにふっと息を吐いて落ち着いた声音で問いかける。


「敵の正体はわかっているのか?」

『私が見たのは二人。彼らの名は——』


 秘密主義のカワキにしては珍しく、井上のマンションで起きた出来事と、その時に得た情報を茶渡と共有して、一息ついた。

 話を聞き終わった茶渡が難しい顔をして重く頷く。


「俺の方でも心当たりを探してみる」

『…………』


 茶渡の言葉を聞いたカワキは僅かに目を細めた。

 ——……心当たり、ね。

 ——なるほど、茶渡くんの新しい知人は随分と“物知り”らしい。

 小さな手掛かりを心に書き留め、カワキは協力を申し出た茶渡に忠告した。


『さっきも言った通り、この件は私が対処するから、危険を感じたら深追いは避けて賢明な判断を。敵は瀕死の状態で、私から逃げ切ってみせた男だ。……気をつけて』

「ああ。わかった」


 了承の返事をした茶渡に、心做しか満足げに頷いたカワキは、今度は自分の番だ、というように話を切り出した。


『私も茶渡くんに聞きたい事があるんだ』

「俺に? どうした?」

『一護のことだ。ここ最近、一護の様子が変わった気がする。君が井上さんのところに来た時、一護と一緒だったけれど……何か知っていることはある?』


 茶渡は長い前髪の下でピクリ、と小さく眉を動かした。

 何か言おうとした茶渡だったが、すぐに開きかけた口を閉じて言い淀む。


『……私には言えない?』

「それは……いや……」


 じっと自分を見上げるカワキの視線に、茶渡は罪悪感を抱いた。

 だがカワキが大切な友人である事と同じように、一護もまた大切な友人なのだ。

 揺れ動く感情の中、茶渡は一護の意志を尊重して話さないことを選んだ。


「……詳しいことはまだ言えない。だが、一護は今、死神の力を取り戻すための修行をしている。様子が変わったのはそのせいだろう。心配ない」

『そうか、死神の力を取り戻す修行を……教えてくれてありがとう』


 納得したようにこくりと頷いたカワキに礼を言われ、茶渡は罪悪感という名の暗雲が払われるような心地で安堵に微笑む。

 穏やかな沈黙が場に満ちて、二人は挨拶を交わした。


『それじゃあ私は行くよ。くれぐれも月島には気をつけて。時間は気にしなくて良いから、何かあったらすぐに連絡を』

「わかってる。新しい事がわかったら連絡しよう。それと……今日はカワキから相談されて嬉しかった。また頼ってくれ」


 茶渡の言葉に、きょとんとした顔で首を傾げたカワキは、二、三度まばたきをすると素直に頷いた。


『……うん、そうする』

「ああ」


 嬉しげに微笑みを浮かべた茶渡と別れて暫く歩く。

 その頃にはいつも通り、作り物のような顔をしたカワキが口元に指を当ててボソリと呟いた。


『残るは——……浦原商店か』


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