Written In The Lineage “Heartless”
空座町・墓地
『気を失ってしまったようだね。……それじゃあ、私はもう行くよ』
一護が気を失うと、カワキはすぐに立ち上がって背を向けた。
傷だらけの一護を放置して立ち去ろうとするカワキを、ルキアが追いかける。驚きと緊張に上擦った声で、ルキアがカワキを呼び止めた。
「ま……待て!!」
『……なに?』
少し間があって、億劫そうに緩慢な動きで振り返ったカワキの声は訝しげだ。僅かに寄せられた眉が「面倒だ」という内心を物語っている。
長い前髪の下、垂れ気味の目を動かしたカワキが、視線だけで周囲を観察する。
その目がルキアの背後で動きを止めて、パチパチとまたたいた。
『ああ』
得心したような声を上げたカワキは一護の腹に開いた傷を指差す。そしてあっさりとした口調で言った。
『治療なら君ができるだろう。腹の傷さえ塞げば、他はかすり傷だ。放置しても死にはしないよ』
一目で現在のルキアにできる治療の範囲を把握し、的確な指示を出したカワキは、用は済んだとばかりにまた歩き出した。
一護を助けたいのか、一護に興味が無いのか——何を考えているかわからない態度のカワキに、ルキアは慌てて「違う!」と叫んだ。
「傷の話ではない!」
『…………私は君に用は無いのだけれど』
小さく溜息を吐いたカワキが、煩わしさが滲む声色でルキアを振り返る。
ルキアは緊張から眉間にシワを刻んで、重い口を開いた。
「助けてくれたことには礼を言う。だが、貴様は一体何者なのだ……? なぜ人間が虚と戦うことができる……!?」
先刻、ルキアが驚いていた理由も、この問いかけの中にあった。
驚愕で思わず語気を強めたルキアの問いかけに、無表情のカワキはそんなことか、という風に一護へ告げた言葉を繰り返す。
『言ったはずだよ。私は滅却師だ、と』
「……滅却師……!?」
『…………。最近の死神は知らないのか』
ガラス玉のような目を伏せたカワキは、ややあって、斜めに下げた視線を上げるとルキアを見る。
死神であることまで知られていたルキアは、心臓を跳ねさせて表情を固くした。
(どこまで見透かされているのだ……?)
観察するような目を向けられ、拳に力が入る。
ゴクリと唾を飲んでカワキの言葉を待つルキアに、感情が抜け落ちた表情のカワキは冷淡に告げた。
『気になるなら、尸魂界に連絡して上官に確認を取ると良い。年嵩の者は知っているだろうから』
「それは……」
——できない。
なぜなら、一護に死神の力を譲渡した今のルキアには、尸魂界と連絡を取る手段が無いからだ。
仮に連絡手段があったとしても、カワキの提案は、ルキアには実行不可能だった。
人間に死神の力を譲渡するのは、尸魂界では重罪だ。今のルキアが、どうして上官に確認など取れようか。
(こちらの事情までは知らぬのだな……。なんと説明すれば良いものか……)
顔を曇らせて目を逸らしたルキアが言葉を返しあぐねていると、カワキの蒼い目が再びルキアの背後に向いた。
ルキアの疑問にも、返答にも、不可解な態度にも——どれもまるで興味が湧かないという様子で、カワキはスッと持ち上げた指先でルキアの背後を指し示す。
『それ。早く塞がないと死んでしまうよ』
「……あ……!」
ザッとルキアが顔色を変えた。弾かれたように後ろを振り返る。
(そうだ、一護の治療がまだ——)
ルキアの意識が重傷の一護に向けられ、カワキを視界から外した次の瞬間——
『じゃあね』
短い挨拶の言葉を残して、カワキの姿は夜の墓地から消えていた。
◇◇◇
「いっ……てえーーーーッ!!!」
「大騒ぎするな!」
目を覚ました一護を肉体に戻したルキアが、叫ぶ一護に叱責を飛ばす。
「魂魄の状態で受けた傷は肉体に戻った時にそのまま肉体に現れる! もうわかっておるはずだろう!」
「だって、今までは全部キズ治してから体に戻してたじゃねぇか……」
「すまんな! 腹の傷に殆どの力を使ってしまったから、他のところは完治させられなかったのだ!」
一護の体に入っていたコンの義魂丸を、ライオンのぬいぐるみに戻したルキアは、バツが悪そうにプイッと顔を背けた。
雨をいくらか防げる木の陰で、地べたに座っていた一護は、己の腹に手を当てて礼を言う。
「……ありがとな」
戦いが終わり冷静になったことで、一護は今になって、戦闘中は気にならなかったことが引っかかり始めた。
見知った人影を探して、キョロキョロと辺りを見渡しても、墓地には一護とルキア以外の人影は無い。
一護はルキアの背中に問いかけた。
「なあ、ルキア。あいつは……志島はどこ行ったんだ? あいつにも助けられたからな……。事情も聞きてーし……」
「……知らん。戦いが終わった後、すぐにここを去って行った。私も引き留めて話を聞こうとしたが……」
「…………そうか……」
みなまで言わずとも、暗い声音から結末は察せた。
雨が止まぬ空を見上げて、一護は意識を失う直前に聞いた言葉を思い出す。
——私は志島カワキ。
——滅却師だ。
「志島カワキ、か……」