Prepare For The Worst
◀︎目次
空座町・影の領域
尸魂界での会談から数日後——現世へと戻ったカワキは、常と同じく浦原の研究を手伝っていた。
浦原商店でのカワキの主な役割は、浦原の研究助手と、有事の際の戦闘員だ。
特記戦力に名前が挙げられるほど優秀な科学者である浦原のことは、カワキも父、ユーハバッハ同様に高く評価している。
そのため、カワキは浦原に、かねてより空座町の影に拡げていた領域に設けた研究施設の使用許可を与えていた。
「いやあ! ここ、本当に設備が充実してますね〜、助かります」
『陛下やハッシュヴァルトは、万が一の時には、ここを潜伏拠点にする気だったからね。まあ……』
手元の文字を追う無感情な目。
『万の未来に、この光景は一つもなかったようだけれど』
微塵の感慨もなく、読み終わった資料を閉じたカワキは『何にせよ……』と言葉を続けた。
『ここを気に入ってくれてよかった。存分に活用してほしい。貴方には期待してる』
「心強いパトロンっスねえ……。ご期待に応えられるよう精一杯努力しますよ。あ、カワキサン、次こっちお願いします」
『わかった。今、着手している分はそこに置いておくから、後で確認を』
「了解っス」
今日も今日とて、二人はいつか日の目を見るかもしれない怪しげな、そして使い方次第では危険窮まる研究に明け暮れる。
時計の針が真上を少し過ぎた頃、ぐっと伸びをした浦原がカワキに声をかけた。
「そろそろ休憩にしましょ。表でテッサイサンがお昼ゴハン用意してくれてますよ」
『もうそんな時間か。浦原さんといると、時間を忘れてしまうことがあるよ』
「あらやだ、口説いてます?」
『口説いてない』
平穏かと問われると、いささか疑問ではあるが……それは、いつも通りの日常だ。
影の領域を出た二人が、一度昼食を摂りに地上の浦原商店に戻った。
静かだった影の中とは一転、今日の町は風が騒がしく、強風が店の戸をガタガタと揺らす。
「今日は風が強いっスね〜。気をつけないと、お洗濯物が飛んでっちゃうっス」
どんよりと曇る窓の外を眺めた浦原が、軽口を叩く。カワキは雑談に応じず、煙草を咥えて火を点けた。
無視された形になるが、浦原は別段気を悪くした様子はない。
午前いっぱいを影で過ごし、作業に神経を使った二人が休憩に入った。
さて、一息つこうか……という、まさにその時のことだ——浦原とカワキが、同時に顔を上げた。
一瞬にして、空気がピンと張り詰める。
僅かに見開かれた目に、警戒が滲む。
「……気が付きましたか? カワキサン」
『ああ。……妙な霊圧だ』
最低限の言葉で二人は意思疎通を図る。
妙な霊圧——カワキの言葉に浦原は頷きを返した。
二人の動きは、突如として空座町に出現した奇妙な霊圧を感知してのことだった。
種族で分類したならば、虚のものが近いだろうか。だが、死神の霊圧にもよく似ていた。
それは、破面の特徴でもある。しかし、どうにも、それだけでは無い気がした。
喉に小骨が引っかかったような違和感。ともすれば、そのまま流してしまいそうなほど僅かな感覚でも、それを見逃す二人ではない。
火を点したばかりの煙草を、躊躇いなく灰皿に押し当て、カワキが立ち上がった。
『“視て”くる』
「アタシはここで分析を進めます」
短い会話で、二人は各々の役割を決めて動き出した。
◇◇◇
霊圧を隠蔽したカワキが町を移動する。最初に霊圧を感じた地点を俯瞰できる場所に陣取ると、ゆっくりと周囲を見渡した。
付近に大きな影は見当たらない。やはり霊圧の主は破面か、中級大虚以上の小型な個体という線も考えられる。
あるいは——未知の存在という可能性も捨てきれない。
感覚を研ぎ澄まして、全身で警戒する。
息を潜めて、根気強く索敵を続けていると、ごうごうと吹き荒れる風の音に紛れて迷子の子どものような声が聞こえた。
「………………こ……どこ……?」
『…………』
嵐が来たような強風の日に子どもが一人で出歩いているとは考え難い。
先刻から、現れたり消えたりを繰り返す霊圧を、最後に感知したのはすぐ近くだ。当然、霊圧の主もこの近くにいるはず——
じっと押し黙って、カワキは気配を殺し続ける。拠り所を失った気弱そうな声は、段々と近づいて来ているようだ。
そして——風にかき消されていた声が、ようやく明瞭な言葉となって、カワキの耳に届いた。
「——……ねえ、どこにいるの……?」
剣呑な蒼が、声がする方角を見据える。相手はまだカワキに気づいていない。
正体不明の霊圧を放つ存在を、カワキがその視界に捉えた。
白を基調とした洋服に身を包んだ、小柄な少女。フリルが揺れる衣装の派手さの割に、その顔色は死人のように青白い。
特徴的なのは、少女の右目を覆う、骨のような材質の仮面。
(右目の仮面……破面か。だけど、何だ、この霊圧……?)
近くで観察することで、ようやく違和感の正体に気づいたカワキが息を呑んだ。
(この気配……まさか、まさか——)
カワキの観測通りなら、あれは白昼堂々と現世を彷徨いていて良いものではない。
訣別の日からこの6年間、「どこにあるのか」「どんな形をしているのか」「そもそも、実在するのか」——何の確証もないソレを、カワキは「ある」と信じてずっと探し続けていた。
それは、言わば勘だ。ある意味では信頼とも言えるだろう。
あの人ならきっとそうする、それが可能な力を持っている——感情論と表現しても良い理由で探していたもの。
あの破面が内包しているもの。
それは、霊王宮で楔を務めるカワキの父——ユーハバッハの力の残滓だ。
『こんにちは』
生気を失ったように、フラフラと何かを探し求めて彷徨う破面の後ろに、カワキが姿を現した。
突然、背後から挨拶の言葉をかけられた破面が、緩慢な動きで振り返り——
「……あ……」
カワキを認識すると、ぼんやりした表情から一転、弾けるような笑みを浮かべた。
「やっと見つけたぁ! 探したよ!」
破面は無邪気にカワキへと笑いかける。
突如、空座町にやって来た破面の目的はカワキだったようだ。
敵意や害意といった不穏なものを感じることはなかったが、警戒は解かない。
どこか焦点の合わない独特な薄灰色の瞳をした破面に、カワキはゆっくりと碧眼を細めて口角を上げた。
『私も……探していたんだ』
不思議な輝きを宿した眼差しは、目の前の破面を見ているようで、別の「何か」に注がれていた。
互いに噛み合わぬまま、黒と白の二人が「再会」の喜びに微笑み合う。
『来てくれてありがとう』
「会いたかったよ——殿下」