Hope For The Best

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尸魂界・瀞霊廷


 瀞霊廷の一角で、右目に眼帯をつけた男と、妙齢の女が向かい合って席に着く。

 黒の死覇装に白い羽織、その上から女物の洒落た着物を肩にかけた男は京楽春水。護廷十三隊総隊長の座に着く死神の長だ。

 対して、白の騎士服の上から黒の外套を羽織る女は志島カワキ。6年前の霊王護神大戦に敗れ、滅び去った「見えざる帝国」の皇帝、ユーハバッハの娘である。


 一番隊に属する二人の副隊長、伊勢七緒と沖牙源志郎が見守る中、机に徳利と猪口が運ばれた。

 コツン、と机に陶器が当たる音。猪口を手に取った京楽が口火を切った。


「じゃあ、始めようか」


 机を挟んだ向かい側から、カワキがこの会談でのお決まりの言葉を口にする。


『私か、京楽さんか……どちらかが会話をできなくなった時点で、会談はお開きだ』

「今回はボクも本気を出すよ。今日こそ、和平条約を結ばせてもらう」


 食うか食われるか、熾烈な戦いが起きる直前のような、張り詰めた空気。

 緊張感が頂点に達しようかというその時——ふっと肩の力を緩めた京楽が、どこか冗談めかした口調で、会談の空気を平穏なものに戻した。


「じゃないと、ボクの秘蔵のコレクションが飲み尽くされちゃうからねえ」


◇◇◇


「……ゔぅん……」


 呻き声を上げながら机に突っ伏して平らになった京楽に、仕方のない人だと呆れた様子で七緒が水を差し出す。


「ほら、お水ですよ」

「……ありがとう……七緒ちゃん……」


 平たく潰れたままの京楽が酒焼けした声で礼を告げ、ゆるゆると腕だけを動かして渡されたコップを受け取った。

 結局、今回の会談も具体的な条約内容は決まらぬまま——即ち、いつも通り、京楽が酔い潰され、お開きと相成ったのだ。


 頭を抱えてウンウン唸る京楽を尻目に、涼しい顔のカワキは黙々と残った酒を飲み干していく。

 酔いの欠片も感じさせぬ蒼い目が、酒の肴代わりに潰れた京楽の姿を眺める。


『ああ、そういえば……』


 ふと——思い出したようにカワキが猪口から口を離して言った。


『そろそろ、手持ちの酒が空になる——と言っていたね』


 二人の会談は、酒席で行われるのが恒例になっていた。

 話し合いを渋るカワキを来賓として招くために、会談の場を設けた主催者側である京楽が、カワキの好みに合わせた形だ。

 儚げな見かけによらず、カワキは「酒であれば種類は問わぬ」と言うほど無類の酒好きとして知られていた。


 初めこそ、会談の席で振る舞われる飲食費は、必要経費として護廷十三隊の予算に計上されていたが——それも第1回まで。

 理由は単純だ。カワキの飲酒量が、文字通りに桁外れだったのである。


 八岐大蛇も真っ青な量の酒を平然と飲み干すカワキ。

 いかに総隊長とは言え、「こんなものを経費として落とせるか」と、経理担当部署に蹴飛ばされるのは、時間の問題だった。

 しかし、可能な限り早く滅却師との和平を結びたい京楽としては、カワキを会談の場に引き摺り出せる策は捨てられない。

 そこで、第2回以降は京楽が自身の秘蔵の銘酒を放出して、会談を開催していたのである。


『打ち止めにしたいのなら、どうぞ気兼ねなく。私はいつでも会談を取りやめる用意がある』


 振る舞われる酒は、京楽の自腹であると知りながら、委細構わず、美酒を楽しんでいたカワキが交渉の中断を提案する。

 元より、カワキは京楽との話し合いに、乗り気ではなかった。事もなげな顔で言い放つカワキに、京楽が重い頭をもたげた。

 ぐらぐらと揺れる頭を何とか持ち上げた京楽は、吐き気の波と戦いながら、必死に次の約束を取りつける。


「じ……、次回の……日程は、うぅっ……追って、連絡……するよ。ゔっ……!」

「そっ、総隊長! 袋を取ってきます! もう少しだけ堪えて下さい!」


 顔色を忙しく赤と青に行き来させて口元を抑えた京楽に、大慌ての七緒が袋を取りに走った。心配そうな様子の沖牙が、京楽の丸まった背中をさする。


『ごちそうさま』


 バタバタと慌ただしさを増した席で、我関せずの顔をしたカワキは、酒が尽きると静かに席を立った。


『見送りは結構。失礼するよ』


◇◇◇


 先の戦争以前から、カワキは「見えざる帝国」を離れて現世で暮らしていた。

 理由はユーハバッハから命じられた任務のためではあったが——

 その頃から死神と交流を持ち、護神大戦の最後には、自身の父であり滅却師の首魁でもあるユーハバッハの討伐に大きく貢献したカワキは、死神達からの絶大な信頼を得ていた。

 故に、滅却師であると一目瞭然の格好をして瀞霊廷の中を歩いていても、カワキに敵意を向ける者はいない。


「おお、カワキ! カワキではないか! 久しいな!」


 復興が進む瀞霊廷の中を駆けて、小柄な人影がカワキに手を振って走り寄った。

 嬉しげな声は、カワキもよく知る相手。足を止めたカワキがくるりと振り返った。


『朽木さん』

「うむ!」


 腰に手を当てて満面の笑みで頷いた死神は朽木ルキア。十三番隊の副隊長であり、カワキの友人でもある。

 立ち止まったカワキの姿を上から下まで確認したルキアは「おお」と、思い出したような声をあげた。


「その格好……今日は会談の日か。して、今回の結果はどうだった?」

『美味しかったよ』


 会談の結果を尋ねる問いに、酒の感想を述べたカワキ。その返しに、ルキアは今回もダメだったか……と微妙な顔で苦笑いを浮かべた。


 久方ぶりの再会だ。二人は往来の邪魔にならぬよう道の端へ避けて、互いの近況を語り合う。

 話も落ち着き、そろそろ……という空気になった頃、「お前にも、言い分はあるのだろうが……」と、ルキアが困り顔をして真新しい石畳に視線を落とした。


「総隊長殿は悲惨な争いを繰り返さぬために、尽力しておられるのだ。無体を強いるのは、ほどほどで頼むぞ」


 どこか寂しげな顔で困ったように微笑むルキア。

 ややあって、カワキは同意を返した。


『……私だって、無意味な戦いは嫌いだ。君達と、揉め事を起こしたくはない』

「……ああ……」


 それが、本心からの言葉であると感じ、ルキアは目を閉じて深く頷いた。

 友と気持ちが通じ合ったことへの喜びを胸に、今度は温かな微笑みを浮かべる。


「そうか……そうだな……」

『そうだよ』


 短く答えたカワキが、別れの挨拶を切り出した。


『そろそろ、現世に帰るよ。浦原商店での仕事があるからね』

「私も隊舎に戻ろう。研究の手伝いは良いが……浦原が妙なものを作らぬよう、お前がしっかりと目を光らせておくのだぞ」


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