Oriole In The Shadow Ⅰ
◀︎目次
瀞霊廷・一番隊執務室
「——……なんだって? 已己巳己巴が、盗まれた……!?」
それはまさに青天の霹靂だ。
名を取り戻し、彦禰が持つ霊王の欠片を奪い取った直後、已己巳己巴は更木剣八に斬り伏せられた。
その後は再封印され、厳重に保管されている——はずだったのだが……。
いつもは飄々とした態度の京楽も、今回ばかりは驚きに声を上擦らせていた。
嫌な予感ほど当たるものだ。
どうか外れてくれと祈る思いで、京楽は苦いものを滲ませながら、通信先の相手に問いかける。
「アレは『上』で保管してたよね? 一体いつ外に出したんだい?」
「已己巳己巴は動かしちゃいないYo」
独特の口調が京楽に現実を突きつける。
一番隊の執務室、京楽と通信で話をしているのは、零番隊第三官、二枚屋王悦。尸魂界で最初に斬魄刀を創り出し、「刀神」の異名を与えられた零番隊の一員だ。
研ぎ澄まされた刃のような声が、京楽の祈りの裏にある確信を見透かして貫く。
「本当はもう……気付いてるんだLow?」
嫌な汗が京楽の首筋を伝った。
「盗りに来た奴がいたのSa……ちゃんボク達がいる——この霊王宮まで」
静かに首を振った京楽は、隠しきれない焦りを感じさせる声で待ったをかけた。
「いやいや……ちょっと待っておくれよ。それじゃ、敵さんはボクらを飛び越して、いきなり霊王宮に攻め入ったって?」
「その通りSa」
——霊王宮に侵入者あり。
事実を改めて示した王悦の言葉に、京楽は目を見開いた後、大きく息を吐いた。
儘ならない現実を前にツキツキと痛む頭へ手を当てた京楽は、机に俯いてきつく瞼を閉じる。
「やれやれ、参ったな……いきなり王手をかけられるなんて、山爺にどう言い訳したもんかねえ」
こうして連絡を寄越したということは、霊王も霊王宮も無事なのだろう。前代未聞の事件を前に、京楽は焦燥の中でもどこか冷静さを残した頭で考える。
京楽の背後に控え、ともに通信を聞いていた副官の七緒が違和感に声をあげた。
「侵入者は、鳳凰殿にある『已己巳己巴』を狙ったのですか?」
霊王宮において最も重要な「宝」とは何か。言うまでもない——霊王だ。
五つの離殿に囲まれた塔。霊王宮の入口である表参道から、視線を上げた先にある「本殿」……霊王の居所など、よほど勘が鈍い者でなければ一目でわかる。
だからこそ——侵入者の動向に違和感を覚えた七緒は、王悦に続けて問いかけた。
「本殿の……霊王様ではなく?」
「……鋭い質問だNeェ……。そう、Wingを生やして障壁をブチ破った侵入者チャンは、ちゃんボクの離殿に一直線……ありゃハナから狙いを決めてた奴の動きDa」
ふざけた口調とは裏腹に、王悦の声音は真剣そのもの。
切り替えは素早く。現実を受け入れて、対処へ舵を切った京楽もまた、眼光を鋭くして矢継ぎ早に質問を飛ばした。
「敵の数と正体は? 已己巳己巴の行方は判明してるのかい?」
「……敵の数は一人Sa」
王悦が口にした、信じ難い言葉。執務室に緊張が走った。
ふぅと軽く息を吐いて、王悦は霊王宮で起きた事件の全貌を語り始めた。
「あれはちょうど、ちゃんボクが他の離殿に足を運んでいた時のことSa……」
◇◇◇
霊王宮・鳳凰殿
体が宙に浮く感覚。次いで轟音が響き、離殿の一つが大きな揺れに襲われた。
「きゃああ!」
「何事だ!」
屈んで頭を抱える者、付近の物に掴まり揺れに耐える者。
それぞれに衝撃をやり過ごして、離殿の者達は一斉に緊急事態への対処に頭を切り替えた。
堅固な障壁に護られ、空中に浮かぶこの場所で、地震など起きるはずはない。であれば、選択肢は一つ——何者かが、この鳳凰殿に攻撃を加えたのだ。
主不在の鳳凰殿の留守を任された斬魄刀達は、一様に険しい表情で警戒を強める。
「えいやっ!」
緊迫した空気を切り裂く軽い掛け声。
華やかな薔薇と翼で飾られた騎士が、銀の双剣を空中で薙いだ。
瞬間——一陣の風がネオンの看板を吹き飛ばす。足が地面から離れたが最後、身体ごと持っていかれる——皆、突風から身を守ることで精一杯だった。
「なんだ!? 強襲か!?」
「みんな、なんでも良い! とにかく何かに掴まれ!」
風が店の中をかき回し、悲鳴の中を吹き抜けていく。
刹那——聞き覚えのない、弱々しく頼りない声が、伏せた者の耳元を撫でた。
「うぅ……、眩しいよぉ。ここ、目がチカチカする……」
賑やかなクラブのようだった店をあっという間に廃墟に変えた風は、ほんの数秒で窓枠を吹き飛ばして去っていった。
立っていられないほど吹き荒んでいた風も、鋭い刃物を当てられたような痛みも、今や嘘のよう……暴風の中で聴いた声は、幻聴だったのだろうか。
声を聴いた斬魄刀の一人は、恐る恐る顔を上げて、頭を守っていた手を離した。
視界に入ったのは、照明が壊れて薄暗く静まり返った店内。そして、自分と同じく呆気に取られた様子の仲間の姿だけ。
髪をボサボサにして至る所に小さな切り傷を作った斬魄刀は、呆然と呟いた。
「なんだったんだ……今の……」