Never Confuse A Single Defeat With A Final Defeat Ⅴ
◀︎目次
空座町
静かに倒れたカワキと一護。ルキアは顔を真っ青にして、後悔と無力感を煮詰めた表情で立ち尽くした。
自分のために、失われた命が二つ。
心が、悲鳴を上げていた。降りかかった命の重みに、ルキアの心は張り裂けそうで——暗がりに落ちかけたそれを、花火の音が引き上げた。
俯いていたルキアが、弾かれたように顔を上げる。
「……な……!?」
暗闇で輝いた星に、誰もが目を奪われた——それは、一発の弾丸。
小さく開いた白哉の口から、驚きに吐息が漏れる。己の心臓を狙って一直線に飛翔した弾丸を、瞠目した白哉が斬魄刀で弾き飛ばした。
「隊長!」
「……小娘、貴様……」
鋭い光を宿した眼差しが、弾丸を放った張本人を睨んだ。
低い声からは、強い警戒と共に、想像を絶する光景への驚愕が滲み出ていた。
「……成程。咄嗟に急所を逸らしたか」
『まだ……やることがあるからね』
——血塗れの女が、幽鬼のような様相で武器を手に立っていた。
傷口からボタボタと地面に落ちた血が、コンクリートの上に血溜まりを作る。
失血で青白い肌に生気はなく、だらりと垂れ下がった腕は、まともに動かせる状態には到底見えない。
死体を動かしているのだと言われたら、信じてしまいそうなほど酷い有様に、恋次は言葉が続かなかった。
「コイツ、まだ生きて……ッ!?」
だが——
血で固まった黒髪の下、ぎらぎらと光る眼差しが、そこに立つ少女が確かに生者であることを物語っていた。
鬼気迫る様子のカワキに気圧された恋次が、引き攣った表情で後退った。
刀の柄に手をかけた白哉が、部下を庇うように一歩前に出る。落ち着いた声音に、動揺は見られない。
「愚かな……そこで大人しく寝ていれば、少しは永らえることができたものを」
『……うん。そうだね。私もそう思うよ』
ゆらりと顔を上げて、カワキが不気味に微笑んだ。
血塗れで微笑む少女は、死神よりも死神のようで、奇妙な美しさがあった。
壊れた人形のように、小さく首を傾げたカワキが虚ろな笑みで問いかける。
『だけど……私が寝ていたら、君は一護に止めを刺しただろう? なら——愚かでも起きないと』
「…………」
痛みか、それとも失血か。あるいは、傷のどれかが障ったのかもしれない。
カワキはとうに、真っ当な判断を下せる状態ではないのだろう、と白哉は考えた。
これ以上の問答は無意味と、ただ静かに刀を構える。
「そうか。……よかろう。ならば今一度、二人まとめて覚めぬ眠りに落としてやる」
『寝かしつけは要らないよ。まだ眠りたくないんだ』
悪戯っぽく笑って、カワキは予備動作もなしに突っ込んだ。
先刻までとは、比べ物にならない動き。一息で白哉の懐に飛び込んだカワキが、胸元に銃口を突きつける。
「……!」
白哉は咄嗟に、白打で銃口を打ち払う。
照準がズレた銃口から撃ち放たれた弾丸が、パリンッと街灯の電球を割った。
辺りが闇に包み込まれた瞬間——カワキは衣服に隠したベルトに手を滑らせ、取手に指先をかけて引き抜いた。
明るさの変化に目が慣れるまでの、一瞬の隙。街灯を割る際に、暗闇に対応できるように伏せた目を上げて、カワキが白哉の姿を捉える。
指先で躍る柄に、霊子を集めた。怪我で垂れた腕が、何かに吊り下げられたように不自然に持ち上がる。
(彼らはゼーレシュナイダーの本来の用途を知らない。これは矢だ。替えが効く——あの首、ここで刎ねてやる)
剣ではなく矢。数がある武器であることを活かした不意打ち。
青白い刃の切っ先が、白哉に届いた。
「……人間にしては、できるようだ」
『衣一枚……駄目だな。踏み込みが甘い。体幹がブレた。狙いも隠せず、立ち回りも話にならない』
カワキの爪は確かに白哉に届いていた。だが——肉を裂くまでには至らない。
切り裂かれた隊長羽織りが、ひらひらと夜風に揺れて何処かへ飛ばされていく。
肩で息をしたカワキが、淡々と己の欠点をあげつらう。しかし、そこに自虐の色はない。あるのは、客観的な事実を基にした改善点の提示という「次」への反省。
白い布切れを追いかけた視線が、白哉へと戻された。蒼い視線に不愉快が浮かぶ。
『これで「できる」だなんて、下手な世辞だ。面白くないし、嬉しくもない』
「…………」
返答はなかったが、隙なく構える白哉の面持ちは、下らぬ嘘で敵を油断させるような真似をする男の顔には見えない。
白哉の発言に怪訝そうな表情をしていたカワキは、先刻の言葉がどうやら本心からのものであるらしいと知り、顔を顰めた。
『世辞や冗談じゃないなら、落胆した——幼い私に父が語った護廷十三隊は、そんな惰弱の集団じゃない』
「……なんだと? 人間の分際で、我らの何を知っている? 減らず口を叩くな」
ぴくりと眉を動かした白哉の冷徹な表情から、不愉快と怒りが滲み出す。
カワキを睥睨する凍てついた眼差しは、知った口を聞くなと、雄弁に語っていた。
次の瞬間——今度は白哉が攻勢に出た。瞬きの間に、カワキの背後に立った白哉が刀を一閃する。
間一髪、斬撃に合わせて飛び退くことでダメージを軽減したカワキが、流れ出た血を手のひらに溜めて白哉の目を狙った。
呆気なく躱され、追撃が迫る。
目で追うことはできる。だが、弱った体がついていかない——カワキは己の力不足に苛立ちを覚えた。
『……っ、……くっ……』
「終わりだ、小娘」
ゆっくりと、しかし着実に、白哉の勝利——そしてカワキの敗北が、すぐそこまで迫っていた。
突きつけられた実力差。
息も絶え絶え、視界が霞んでも、カワキは思考を止めることだけはしなかった。
(制限状態でこの強さ……いや、私が弱いんだな。失って、封じられて——そうして得るものもあるのか)
ああ、もしかしたら。
「あの人」は、私にそれを教えたかったのかも。だとしたら——なんて遠回りで、なんてわかりにくい伝え方だろう。
思わず、笑いが込み上げた。
『……ふ、あはは……』
「何がおかしい?」
『うん? なんて言えばいいんだろう? そうだな……強いて言えば、私の弱さが』
「気が触れたか……これ以上、貴様のような羽虫にかける時間はない。失せろ」
突然、幼い子供のような笑い声を上げてそう告げたカワキに、白哉は早々に決着をつけようと動いた。
そして、今度こそ——地に伏したカワキが起き上がることはなかった。
◇◇◇
死神達が去った空座町に、雨が降る。水を踏む足音が間近に聞こえた。
道路に横たわったカワキが、ゆっくりと視線を上げる。
『……浦原さん……』
足音の主を見上げたカワキが、掠れた声で名を呼んだ。
ぼんやりとした調子で、先刻の出来事を淡々と伝える。
『朽木さんなら尸魂界に帰ったよ、迎えの者と一緒に。……あなたは誰に何の用?』
「……そっスか」
いつも捉えどころのない駄菓子屋の店主は、今夜はどこか気落ちして見えた。
深く被った帽子と、雨除けに差した番傘が作る影で、表情はよく見えない。
「アタシは……少し散歩に」
用件を問いかけたカワキに返されたのは見え透いた嘘。けれど、カワキは浦原の嘘を追求はしなかった。
「……怪我は平気っスか? カワキサン」
『大丈夫。今夜のことは、次に活かそう。そう思える程度には、元気だよ』
それ以上何も言わずに、浦原を見上げていると、後ろめたさが尾を引く声が、治療を申し出た。
「……よければ、治しますよ」
『ありがとう。だけど、私より一護を優先して。さっきまで……ずっと泣いてた』
眉を下げた浦原が、力ない笑みでカワキに言った。
「きっと雨っスよ……今夜は土砂降りですから」