2.見慣れぬ機体
アーシア生まれの期間就労者のボブは、就労条件が地球と比較すれば段違いに好条件であるとの話を耳にして、宇宙へとあがった。所謂出稼ぎであるが、根無し草でもあるボブには住み込み、またはそれに該当するような、あまり休暇の挟まれない就労先の方が向いていた。運よく雇われたバイト先で、テロに巻き込まれたボブは、日頃良くしてくれていた船長に庇われた。襲撃者の凶弾により負傷した船長を連れ、テロリストに襲撃されたプラントから、外部に救援及び状況を伝えるためハッチから飛び出した。こうやって二人は今、僅かな救難ビーコンの光を手に、漆黒の宇宙空間を漂っている。
ボブはくるむようにして抱く船長の身体の熱が、少しずつ下がってきている事に気付く。体温を逃さぬよう、胸の内に抱え込む事しか出来ない自分に歯噛みしながら、ただ両腕に力を籠めて丸くなった。
スーツ内の自分の心音、呼吸の音。
それ以外には何も聞こえない、黒い空間__。
船からさんざん目にしてきたいつもの光景。
見慣れた景色だが、今はとても寒々しく、恐怖を感じるほどだった。
突然視界が遮られる。足元が何かに触れる。金属製の固い何かだった。色は黒に近いグレー。包み込んだ船長ごとボブのノーマルスーツをふわりと支えるように突如出てきた固い床と壁。身体の回転がようやく止まり、驚くと共に少しばかりの安堵と警戒心をいだきながら、自分の足元から徐々に視線を上げていく。それは大きな手のひらだった。その掬い上げるように重ね合わせられた両手指の間に、二人の身体は柔らかく包み込まれていた。
息を呑んだボブは瞠目し、頭上を見上げる。大きな人型の機体が、両の掌を掬い取るように差し出しながら、眼前に立ちはだかっていた。背負うバックパックに備えられた2か所のスラスターからは青白いジェットが吐き出され、ただ静かに黒い闇の中で停止している。
何だこれは……?
見たことが無い形状だ。
MS(モビルスーツ)なのか___?
ボブの職場は、プラントへの搬入業務を伴う貨物輸送船だ。船は艦船と言えるほどは大きくない。口にするのは憚られるが、零細企業の部類であろう。
その船の見習いとして、主に船のメンテナンスや安全点検の補助、他の先輩同僚に混じっての搬入作業がボブの日課だった。
当然、地上から宇宙へ、または宇宙の各所フロントの間を、移送される事も多い各種MS類の搬入も見慣れている。
あれは某社の汎用機であるとか、最近よく目にするようになってきた某社の新型だとか、おおよその見分けはつくつもりだが、いやに白さと黒さが際立つ、色味の少ない眼前のこの機体は、全く見覚えのないデザインだった。
頭上の白く縁取られた円形の輪は天使の光輪、または神仏の光背の様にも見える。眉間から生えた黒いブレードアンテナは鬼の角のように見えた。その下の濃いマゼンタ色のツインアイ。センサーが働いているのだろうか、今まさに周囲を確認中なのかキラリと左右に揺らめいている。背負われる形で後ろに控えているのは、大型の剣または盾のような何か、仰々しい形のそれは多分ウェポンの類であろう。頭上や肩先、胸の一部や腿などに、点々とソーラーパネルのような黒いユニットが埋め込まれている。
天使のような上半分の顔つきとは対照的な、死神や髑髏を連想させる口元のデザイン。仰々しい鬼の黒角。神々しくも、禍々しくも感じられる、どこか背筋を冷やりとさせられる、心がゾクリとさせられる、そんな印象の機体だった。
目の前の機体を呆然と見上げていると、防護ヘルメットの汎用レシーバーにザザッと僅かなノイズが走り、直後通信が繋がった。
「大丈夫ですか__? 通り掛かりに救難信号が見えたので。……何かあったのですか?」
落ち着いた物腰、穏やかな響きの青年の声が耳元から聞こえた。ボブはハッと我に帰り、慌てて通信スイッチを入れて応答する。
「どなたか存じませんが、どうか、船長を助けて下さいっ!!! 俺達の大事な上司なんです!!!」
「____!!!!」
その一瞬、通信相手が怯んだような、息を飲むような気配がしたが、ボブは構わず堰を切ったように言葉を続ける。
「プラント・クエタで、社用の輸送船が係留していた発着場が急襲されて__!! 船長が俺を庇ってくれて、でもそのせいでっ__」
言葉の終わらぬ内にMSの両腕は、静かに機体の方へと近付いていく。慎重な動作でゆっくりと機体の胸の辺りまで金属製の手のひらが持ち上がり、コックピット付近に寄せられた。
開かれたコックピットから、軽装のパイロットスーツ姿の人影がワイヤーベルト伝いに降りてくる。大柄なボブより一回りほど小柄ではあるが、平均よりは幾分上背のある、スーツの上からでも分かるスラリとした背格好の男だった。
ジェスチャーでこちらに手招きをしながら、彼は俊敏な動作でボブに近付くと確認する。
「酸素の予備はある?」
「いいえ__」
「なら、急いで。上司さん、怪我してるんでしょう?」
青年はボブの腕の中の船長の足の付け根の染みにチラリと目を遣ると、そう促した。青年に腕を取られ急かされたボブは、自分の身体も小刻みに震えていた事を知る。船長の脇を抱え、青年と両側から支える。船長の腕を取った青年は一瞬、その動きを止めた。
「__とにかく、早く中へ」
コックピット内に二人を招き入れた理知的な印象の青年は、これで酸欠の心配はない、と言いながら船長のヘルメットのバイザーを開け、足元に備え付けられていたらしい応急セットの箱から止血帯を取り出して、船長の大腿部を無言で強めに巻きなおす。その表情は険しいものだった。一瞬顰めた眉の動きに、ボブは何故か嫌な予感がした。
それが終わると、青年はヘルメット越しに、こちらの顔色を窺うように明るい茶色の瞳を向けてきた。琥珀のような、べっ甲飴のような綺麗な色の瞳だとボブは思ったが、猛禽類のように鋭いその視線に不意にドキリとさせられる。
どこかで見たような色だ__。
いや、気のせいだろう。見覚えはない。
彼がこちらに向き直り、何事か口を開きかけたその瞬間、腕の中で意識を失いかけていた船長が、ゆっくりとした動きで僅かに顔を上げた。
「ボブ…無事だった…か__?」
その言葉にボブの胸はズキリと大きな痛みを覚える。
すっかり冷えてしまった身体から、声を振り絞るように、船長はゆっくり口を開く。苦しげな表情が嫌でも見て取れると言うのに「船長、無理して喋らないで下さい__」と声掛けするボブを指先で軽く制してまで、こうやってボブの身を案じてくれている。それだと言うのに、その言葉はとても怖くて痛くて、思わず耳を塞ぎたくなってくる。
眦に涙を滲ませたボブは、震える声でやっと応える。
「はい……船長のお陰ですっ……」
「それは…良かった…」
前にも聞いた気がする。
よく似た言葉を__。
ゾッとするほど優しい、間際のやり取り__。
厳しかったあの人が、種々の鎧を脱ぎ捨てて、素の優しさをそのままぶつけてくる。その姿は美しくも、絶望的に儚く思えて、思わず耳を塞ぎたい衝動に駆られるのだ。
ああ、そうだ、
昔はこんなに優しい人だった__。
どうして俺は、ずっと誤解したままだったんだろう、
どうしてもっと、理解してあげられなかったんだろう?
どうしてもっと、優しく出来なかったんだろう、
どうしてその期待にもっと、応えられなかったんだろう__?
分かってしまう、きっとこれが最後になると。
目が眩むほどの後悔、絶望感、不甲斐なさ、申し訳なさ。
それらで胸が埋め尽くされ、ひしゃげる、押し潰される。
俺がよそ見なんてしてるから__。言う事ちゃんと聞かなかったから__。
今すぐそこから逃げてくれ、厳しいままで構わない、理不尽でも、理屈が通らなくても。
もう、何だって構わないから__。
お願いだから、そんならしくもない、優しい事を言わないで。
いつもみたいに強い口調で怒鳴ってほしい、叱ってほしい、大きなその手で叩いてほしい。
お願いだから。
俺を置いて、いかないで__。
ボブは混乱する。そんな記憶はない。身に覚えがない。
天涯孤独で18年、孤児院育ちで義務教育を終えた後は、糊口を凌ぎながら独りで生きてきた。
身寄りのない俺は、知らぬ間に心優しい船長に、家族や父を重ねてみたりしていたのだろうか?
もし、俺に親父がいたのなら、別れはこんなに苦しいものなのか。
「……俺も部下が守れて…お前が生きてくれて、嬉しい、よ……」
……そんな事言わないで……
駄目だ、言葉にならない__。
ボブはただただ項垂れて、船長の手を強く握る事しか出来なかった。
握った掌から、指先から、徐々に力が抜けていく。
いくら固く握っても、熱が失われていくのを止められない。
満足そうな顔なんて、しないで。
そうやって、また俺を一人置き去りにしないで__。
この苦さ、嫌になるほど知っている。
いつだったのかは、思い出せない。
が、いつもそうだ、思うことは同じ。
誰か凄く大事な人、替えの利かない優秀な人に代わって。
役立たずの俺の方が生き延びて__。
(お前が死ねばよかったんだ!!!そうすれば父さんは!!!)
(…そうだ…俺が死ねば、父さんは__)
(……父さんを、返してよ!!!)
混乱する思考の中、涙交じりの嗚咽が聞こえる。それが胸を酷く苦しく締め付ける。
今も耳に生々しく残る怨嗟の声__。
これは、何……?
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