1.宇宙港から

1.宇宙港から


 


 プラントの宇宙港にあるメンテナンスポートは、各社の船が共用で使用し、出入りも激しいため作業車や整備用のモビルクラフトが乱雑に配置され、いつも雑多な光景だ。

 淡いブルーグリーンのつなぎの作業着は、会社から支給されたリユース品で、機械油の匂いが染み付いているし、所々に取れないシミもある。それでも手持ちの衣類が少ない薄給の身からすると、支給で賄える部分が少しでもあるのは有り難い。その上から、作業用の大仰なだぶつくノーマルスーツを着用し、青年はいつものように額の小さな汗を時折拭いながら、作業車の群れの中で、清掃用の小型装置を片手に忙しなく手を動かし続ける。

 何故パイロットでも無い彼にも、防護ヘルメット付きのスーツの着用が義務付けられているのか__。

それは、この広い艦船メンテナンス用の空間の扉一枚隔ててすぐ隣に、美しくもあり、恐ろしくもある、広大な宇宙の大海原が広がっているからだ。

 次の運航スケジュールまでの停泊中に、燃料の補給をしながら、宇宙間の航行で船底に静電気で張り付いてしまったゴミやら埃、砂鉄、何だか分からない砂粒等を綺麗に除去する。

この作業は一見地味ではあるが、船の運行上欠かせない必須のメンテナンスだ。

特に彼の勤める職場のような小さな船、一般輸送貨物船にとっては、この作業の念入り具合で船の燃費が違ってくるため、ひいては自分達の給金にも直接的に関わってくるので、気を抜くことは許されない。先輩方からも特に念入りに、丁寧に、それを心掛けろと念押しされた作業である。

 昔から年上から気に入られることは多かったと思う。それともこの武骨な作りのノーマルスーツの上からでも分かるガタイの良さが、頑丈そうに見えるためなのか、船長は行く当ても無く生活に困っていた自分が、真剣な眼差しで勢い良く頭を下げ、何でもします、頑張りますと、威勢良く宣言すれば、即座に雇うとを決めてくれた。

このひと月と少し、ただ真摯に輸送船の乗組員の一員として、メンテナンス作業、搬入作業の見習いとして懸命に学び、働き、ひたすら真剣に向き合ってきた。

コンコンとヘルメットのサイドが小突かれる。

「ボブ、終わりそうか__?」

掛けられた声は厚いヘルメット越しのため、少しぼんやりとしている。

ボブと呼ばれた青年は、慌てて防護用のヘルメットを取り外すと、掛けられた声の主の方へと向き直る。

無造作に留めていた黒に近い濃茶色の髪が少し崩れる。明るいピンクに染まった前髪が一筋はらりと落ちて、空の青、浅海の青に似た澄んだ色の瞳を隠し、視界が少し遮られる。

この職に就いてから、時間が無くて伸ばしっぱなしの前髪が、最近やたらと額にかかってきて煩わしい。

「すみません、まだ少し掛かりそうです」

「昼飯まだなんだろ?ここ、置いとくぞ」

「有り難うございます!」

「俺たちは身体が資本なんだから、ちゃんと食っとけよ? 無理続けると、若くてもぶっ倒れるぞ」

「はい!」

 元気良く返事を返すと、ボブは真剣な表情を少し緩めて、健康的な色艶の褐色の肌から白い歯を少し見せて、ニコリと笑みを浮かべた。

男性も、深く刻まれた額の皺の下で、目の奥に優し気な色を浮かべて、ニコリと小さく笑みを向けると防護用ヘルメットを被り直す。

指導の折には時に厳しい声も飛ぶが、船のメンテンナンスで手の空く停泊中は、こうやって弁当を片手に配りながら乗組員の様子を見て回る、面倒見の良い船長だ。

心優しい船長と気さくな歳上の先輩同僚達に囲まれ、ボブは心が渇く事の方が多かったように思う18年間の中で、今一番安らげる日々を過ごせている気がしていた。

 そんな事を頭に思い浮かべながら、次の出航までの残り時間を手元で確認する。

これはモタモタしてられないぞ。さぁ、作業の続きを__、と再びヘルメットを被り直し、清掃装置のスイッチを入れた瞬間だった。

突然2発の発砲音が響いて消える。一歩二歩離れつつあった船長の足が止まる。ボブも慌てて手元の装置のスイッチを切る。二人は動きを止めて固まった。静寂の中、耳を澄ます。

「何だ__?」

間髪置かずに次の銃声が響き渡った。勘違い、じゃない__。ボブのこめかみを冷や汗が一筋伝う。その次、と発砲音が断髪的に続く。嫌でもその音が急激に近付いてくるのが分かった。襲撃を受けている。ボブは全身を硬直させて戦慄する。

先日、休憩中に横目に聞き流したモニターニュース。数月前に起こったと言うクエタ襲撃テロの続報が頭の隅にチラついた。

通路へ続く大型のゲートが怒号と共に開く。

ボブがそちらに目を遣った次の瞬間、10メートル程先に立っていた人影が頭から崩れ落ちる。メンテナンスポートの大空間にハッキリとした銃声が共鳴する。と同時に、警報アラームの赤色光とサイレンが港内に鳴り響いた。電源が落ちた構内は一気に暗くなる。

赤色灯のチラチラする赤暗い視界の中で、ギラリと光る銃口が遠方からこちらに向けられるのが小さく見えた。

「危ない!! 伏せろ!!!」

船長が覆い被さるようにしてボブの身体を引き倒す。作業車の影に身を潜めると同時に、鉛玉が跳ねる音が耳を掠める。

「残りは全て捕縛しろっ!! 盾に使う、抵抗する者は撃ってもいい」

恐ろしい言葉が耳に入り、心臓がキュッと痛くなる。悲鳴を上げそうになる口を慌てて塞ぎ、必死で押さえる。

「…ボブ、大丈夫か…?」

船長の苦しげな声が自分の体の上から聞こえた。ボブはハッとしてその身体を抱き起こす。

震えるグローブ越しに伝わる生ぬるい感覚が一体何なのか、咄嗟に判断出来なかった。これが現実であるとの理解を、本能が拒否している。小さく首を横に振りながら、それでも身体は勝手に動いた。

「船長__、早く手当てを!」

「……静かに……この警報の意味、分かるか__? どうやら、またぞろ地球の奴等の襲撃らしい。ここには同胞(アーシアン)だって沢山いるってのに、全くイカレタ連中だ……そこのロッカーに救難用のビーコンが置いてある。取ってあそこの非常用のハッチまで、合間を縫って走れ……緊急ロックの解除…操作はこの前教えたろ? ……ここから宇宙(そと)に出て、出入りの艦船に助けを求めろ。大丈夫だ……お前ならやれる……諦めるなよ?」

 じわりじわりと血の気の引いていく船長の顔を、目を見開いて見つめながら、一つ大きく頷くと、ボブはその表情を引き締めた。腰に巻いた作業用のポーチから、テープ状になった補修用シートを素早く取り出すと、血染みの出来たスーツの大腿部にあてがいグルグルと巻きつける。数秒で溶け固まったそれは、本来は機械や壁面などの補修用だが、これで酸素が漏れ出す危険性は、限りなく低くなるはずだ。

「…わかりました……諦めません! 船長、一緒に行きましょう!!」

ボブは体に巻き付けていた安全確保用フルハーネスの一部を取り外し、血の染みが出来た船長のスーツの上から止血帯代わりに固く縛った。

「…俺の事はいい…自分で何とかする……」

苦しげな声はやけに弱々しく、こっちも胸が苦しくなる。

「おぶって走ります」

「ダメだ!俺の事はおいてけ……二人じゃ逃げ切れない、この傷で走るのは無理だ」

「絶対置いてきませんからっ!!」

そう宣言すると後は有無を言わさず、小柄とは言い難い船長の身体を背負う。

慎重にロッカーを開き、ビーコンを片手に取ると、力の入らない船長の身体を両腕でしっかり支えながら壁を蹴って走り出す。

低重力エリアであるとはいえ、それでも大の大人の男一人を抱え、間近に迫る襲撃者の目を盗みながら走るのは想像以上に困難だった。

極度の緊張感の中でふらつく足元。全身を伝う冷や汗と、目の端にじわりと滲んでくる涙が冷静さを奪い取り、気が触れそうになってくる。どくどく脈打つ拍動が耳に煩い。

「置いてけって言ってるだろうが__、馬鹿野郎……」

耳元で船長が力なく呟くが、必死で駆けるボブの耳には入らない。

乱立する遮蔽物と赤色灯の光が充満するおかげで視認性は非常に悪い。耳が割れるような警報アラームが、ある程度大きな音までは掻き消してくれるだろう。

きっと大丈夫だ、ハッチはそう遠くない___。


 逸る心を押さえつつ、非常用ハッチの袂にたどり着いたボブは、耳を裂くような警報アラームの洪水の中で、緊急ロック解除ボタンの保護ケースを拳で強く叩き割る。

緊急事態警報に新たな警報音が重なる。低いモーター音と共にゆっくりとハッチが開いていく。

早く開け! 早く開け! とそう念じながら、やけに間延びして感じられる時間を待つ。

背後からは複数の足音と殺気が迫っている。

それを察知したボブは慌てて船長を腹の内に抱え込む。

さっき船長がしてくれたように__。

瞬間、陰圧に巻き取られるようにして黒い世界に投げ出される。

暗い宇宙空間に放り出されるのと、後ろから放たれる複数の銃撃は、一体どちらが早かっただろう__。


 船長を抱えたボブは、黒い宙(そら)をくるくる回転しながら漂う。

突如として襲撃されたプラント、回る視界の中でその全貌が見えてくる。2か所で黒煙が上がっている。

少し離れた岩陰で、輸送船と思しき小型船から、移送コンテナを背負ったらしきモビルスーツの黒影が出入りしている。

ジャックされたか__。

どこかで見覚えがあるような光景に、思考が咄嗟にそう判断する。

その意味を深く考える暇もなく、景色も視界の中で、次第に小さくなっていった。

 充分な距離を取ったことを確認すると、マニュアルにあるとは言え実際には初めての作業なので、多少まごつきながら救難ビーコンのスイッチを入れる。

腕の中の船長の身体が小刻みに震えているのに気付く。固く縛った傷口はそれでもじわりじわりと血が滲んできており、次第に染みを広げている。

ボブは船長の顔を覗き込む。船長との通信は、弾を受けたときに損傷を受けたのか、うまく繋がらない。

「__寒いですか?」

「……大丈夫だ……」

声の通らぬ真空の闇。

目で尋ね、応えるより他はない。

キチンと会話になったかどうかは分からないが、ボブは船長の温もりを少しでも保とうと、しっかりとその身体を抱き寄せる。

予備の酸素を足す余裕はなかった。船長も自分もそう長時間は持たないだろう。

後は運が良ければ、あるいは__。





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