17.試行錯誤

17.試行錯誤



 取り合えず持ち帰った粉末状の睡眠剤は、ボブと一緒に食事の取れる夕食時に、少しずつ混ぜ込んで試してみる事にした。『普通に割っても気にならないレベル』それは非常に好都合である。

ナイスアシストだよ、カミル__。


混ぜ物をしても気付かれにくいモノ

それは何か__? 

よく溶けて良く混ざる、固形物より液状の物が適任だろう。且つ、色も濃くて視覚的にも誤魔化しやすく、味も舌触りも濃厚で、しっかり薬臭さをオブラートに包んでくれるような、そんな奴だ。カレーやビーフシチューとか? いや、毎晩出しても不審じゃないと言う点でそれは無しだな。クラムチャウダースープ? いや待てよ、濃厚さにやや欠けてることが懸念材料だ。鍋料理? いや、まず文化が違う上に、フロントは冬季であっても気温がそこまで低くない。毎晩メニューに加えるのはさらに不自然だ。と言う事で、料理はやめて飲み物に仕込もうと思う。迷って取捨選択をした結果、食後の締めをトマトジュースに変えてみた。

__ボブは座って休んでて。

そう言い残して、空になった食器類を重ねてトレイに載せてキッチンへと向かう。
足音を忍ばせながら、今はリモート用の仕事部屋と化している、亡き父さんの書斎に置いてきた社用のビジネスバックを取りに戻る。
そこから小型の茶色の薬瓶を息を潜めるように静かに取り出し、0.1グラム単位まで計れるデジタルスケールで、きっちり計量した細かな粉を薬包紙から滑らせる。グラスに注いだどろりとした赤い液体に、白い粉がこんもりと山をつくった後で、ゆっくり崩れて沈んでゆくのを横目にしっかり確認しながら、小さなブレンダーを引き出しから取り出すと、念入りに、慎重に混ぜ溶かす。


__うん、これで完璧だ。


茶色の小瓶は再びビジネスバッグの鍵の掛かるポケットにしまい込んだ。鞄はキッチンカウンターの横に暫く放置される事になるが、このまま置きっ放しで彼の目に触れたとしても、瓶の存在までは気付かれまい。
片方のグラスには白い粉入り、もう片方は普通の何てことない、ただのトマトジュースだ。それをトレイに2つ並べて、再び食卓へと運ぶ。因みにグラスの片方は模様の入りが微妙に違うので、僕には見分けが付くのだが、ボブには同じグラスに見えるだろう。差し出す方を間違えたら大変だ。不自然にならないよう、努めて和やかな微笑みを作りながら、間違いなく粉の入った方をボブに差し出し、眼の前にコトリと置いてみる。


コースターの上に、結露の雫が一筋伝って落ちた。


僕はそれとなくボブに勧めてみる。

『この前所用で学園まで出掛けた時さ、同寮の生徒達から聞いたんだけど、学生の間では、今粗挽きのトマトジュースがトレンドらしいんだ。ヘルシーだし、栄養価が高いんだって。総裁の娘が自ら温室で育てたオーガニックの物が配合されてるらしいよ。彼女さ、学生だてらに(株)ガンダムなんか立ち上げちゃって、少しばかり経営が厳しいのかな? 多角経営のつもりなのか、ちょっとしつこいくらいに学園で推しまくってるらしいんだ。地球寮の連中とつるんで営業販売に注力してるんだって。イチ押しの逸品らしいよ。僕も試しにひとつ買ってみたんだけど、確かに味は美味しいからさ、暫くこれを食後の締めにしようと思って。勿論君が気に入ればの話だけど。ほら、試しに飲んでみなよ』とかなんとか言いながら。


「へぇ」

目を丸くしながらボブはそれを手に取った。純真無垢そのもののような澄んだ瞳をぱちぱち数度瞬かせ、グラスを少し見つめた後、一気に飲み干す。


よっしゃ、いけた。


視線は動かさず、僕も自分のグラスに手を付けながら、目の端で彼の様子を伺う。

空のグラスを手に、しげしげとそれを見つめるボブに思わず生唾を呑む。


なに? 何__?

なんなの、やっぱりダメだった__?


「甘くて酸っぱい。濃い味だけど嫌いじゃないです、美味しいですね、コレ。スムージーに似た感じなのかな」


あ、良かった。

多分これっぽっちも気付いてない。

そりゃぁ美味いよ。君の目を欺くために、高級食材店から特別取り寄せたものだから。


しかしながら、初日だからか勝手が分からず量の配分を間違えてしまったようで、口直しの紅茶を僕が入れてる間に『何か…今日は眠い、です…』と言った後、ボブは食卓で派手に額を打ち付けて、そのままぐぅぐぅ寝息を立てだした。


おーい、ボブさん? おーい、おーい……。


駄目だな、これは。

頬を叩いても、少しばかり抓っても、まるで全く反応がない。おまけに少しコブが出来てるぞ、可哀想に…。

これでは聞き出すどころの話じゃない。仕方が無いので寝室まで運ぶのが大変だったが、手間賃として、やましい事だけしておいた。反応が無いとあまり詰まらないという、どうでも良い事を学習した。


 次の日は逆に量を減らしすぎた。いつまで経っても船も漕がない、トロともしない。平気な顔で後片付けまでニコニコしながら手伝いに来る。ブンブンと振り切れんばかりにシッポを振りながら、どこまでも付いてくる子犬みたいな可愛い顔で。これでは話を聞こうにも、覚醒し過ぎで聞くに聞けないじゃないか。

粉砕してしまった分、余計に分量調整が難しくなってしまったのは想定外の事だった。何とも悩ましい。




「ねえ、ラウダさん?」

「うん、なんだい?」

ボブはこちらをチラリと見てから、視線を落として伏し目がちに口を開く。

「一つ聞いても良いですか?」

「えっ、うん……」


ヤバい……。

ここ数日、試行錯誤を繰り返しているが、まだ一度も上手くいっていない。

さすがに気付かれ始めたか__?


「え、と、その__俺って一体何なんでしょう?」

「……何って、ボブじゃん」

「いや、そうですけど。そうではなくて……」


ラウダ、さんにとって…何なのかな、って…


急に声が小さくなる。

良かった薬の事じゃなかった。内心ホッとして胸を撫で下ろす。

うん、そうだね。よく分からないね、僕にもよく分からないよ。

だけど、本音を言えば『結婚したい』くらいには好きなんだ。

言えないし、言わないけれど。

手放すつもりもない、だからこうやって僕なりに頑張ってんだ。


「身体の方も、お陰様でじきに元通りになりそうで。そうすると、今度は今の状況や周りの事とか気になっちゃって。このままラウダさんに甘えてばかりじゃ、なんだか申し訳なくって。何か仕事が、したいと言うか……」

「う~ん、でもね、分かってるだろうけど、君は一応監視の対象でもあるんだ」

「ですよね……」

「ほら、評議会が煩いからさ」

「すみません。本当に、面倒なお荷物で…。何か思い出したら必ずお伝えします」

「無理は、しないで」


嘘だ__。

本当は少しでも情報が欲しい。喉から手が出るほどに。

でもボブは傷付けたくない。

この前みたいに勢いで出ていくなんて言われたら、きっと僕は何も手に付かなくなるだろう。


「……僕はもう君に対して危険性を微塵も感じていない。違うな、君といると癒される。居て欲しいんだよ、僕と一緒に」

ボブは不思議そうな顔をして、目をぱちぱちと瞬かせている。


こんなにもはっきりと言ってるのに__。

この男、ちゃんと分かっているのだろうか。


「正直、今みたいに家の事を安心して任せられる人がいるってだけでも、心理的な面から随分助かってるんだけどな。実際にその通りだし。君って割と何でも出来るもんからビックリした、きっと良いお嫁さんにもなれると思うよ」

「お嫁さん、ですか…? それは、つまり…ラウダさんの、愛人…という事でしょうか……じゃあ、それも…出来るだけ…頑張ります…」


思わず眉がヒクつく。おい、僕の出自的にそれは禁句だろ。まあ、ボブは知らないんだろうが、ジェタークでありながら苗字が違うんだから、それぐらいは何か察せよ。時々デリカシーの無い事を口にするなぁ、何だよこいつ…。


ボブは小難しげな顔をして、そうか、愛人枠か…と小さく呟いている。少し不服そうな雰囲気なので、もう少しまともな肩書を考えてみる。


「じゃあ、この家の管理人と言うのはどうだい? 手入れしてくれると助かるよ、家って放っておくとすぐ荒れちゃうらしいし。正直会社の方で手一杯で、今はこの実家に割ける時間も人手もなくて困ってる」

それを聞いたボブは、分かりやすいくらいにパッと顔を明るくする。

「俺、船の清掃とか、点検管理やってたので、分野は違うけれども得意かもしれないです。きっとお役に立てると思います、一生懸命頑張ります!」

「じゃあ、お願いするよ。でも一つだけ注意して。外部に顔がバレないように、気を付けてほしいんだ…特に、そのちょっと派手めな前髪だよね…。面を割られるのは面倒と言うよりも拙いんだよ、例えそれがご近所さんでも。どこからどこに伝わって足元掬われるか分からないし、兄さんがこっそり戻って来てるなんて噂が立つのも、間違いなく面倒な事になる。だから、その点だけは用心して。居留守を使うか、どうしてもダメな時は、ニット帽でも麦わら帽でも目深に被って、目元を隠して。声音も変えて、最低限の接触にしてほしい。もし何かあったら、これで僕に連絡して」


ボブの手に通信端末を手渡して握らせる。デバイスはこっちで制御してる。履歴もバッチリ確認できる。所謂ペアレントコントロールだ。そこそこの自由を与えて泳がせてみようという算段でもある。

ボブはそれを特に喜ぶ風でもなく、不思議そうな顔で受け取ると、そのまま胸ポケットにしまい込む。


「分かりました」

「……それから、そうだ。今度一緒にアルバム見ようよ。沢山あるんだ。君そっくりだけど、君よりも、もっとずっとカッコいい兄さんの写真。笑っちゃうくらいそっくりだから。気晴らしにはなると思うよ」


気晴らし、ではない。家族写真を見せて彼の反応を窺うためだ。心の何処かでまだ燻っている、彼は本当は兄さんじゃないか、との思いを払拭したい。完全に打ち消して楽になりたい、気持ちにケリを付けたいのだ。


 結局この日も彼の記憶を引き摺り出す作業は不発に終わった。服薬量と効果の出方や表出時間など、データは詳細に取ってはいるが、彼は体格が良いせいか、添付文書や一般的な参考文献の類が通用しない。本当に難しい…。
そして、いつまで待ってもニコニコと爽やかな笑顔を絶やさず、お喋りを止めようとしないボブに少し閉口した。


 僕の言葉で俄然やる気になってしまった彼は、メンテナンスに最低限必要となるであろう道具類を目をキラキラさせながらリストアップし、その有無やありかを尋ねて来たが、僕だってここ数年はその殆どが寮生活で、屋敷や家の隅々までの全てを把握しているわけじゃない。

記憶を辿れば、庭木の茂る屋敷の隅に小屋があって、そこから使用人や出入りの業者が道具を出し入れしていた気がする。

それを告げると、表はもう真っ暗なのに、懐中ライトまで持ち出して庭先に出て行こうとする。


おいおい、ちょっと落ち着け。なにも今じゃなくても良いだろう? 途中で薬が効き出して、庭の敷石で頭をぶつけたりしたらどうすんだ。危ないだろうが!? 

コイツ、スイッチ入ると猪突猛進モードに切り替わるとこ、なんか兄さんに少し似ているな。ふにゃつく笑顔の方は、あまり似てはいないが。


 僕はすぐさま玄関へ向かおうとする彼の腕を取り、もう暗いし細かい所まで見えやしないから、また明日にしなよと引き留めて、それより今日は少し時間があるから、後片付けを終えたら一緒に映画でも見ようと誘った。


 ソファに並んで、ランキングで適当に選んだ流行りの映画を眺めてる。僕は足をクロスに組んで、背もたれに両腕を広げて、少しばかりふんぞり返ったような体勢で。横のボブは膝の上にクッションを抱えて、ちょこんと言った感じで膝を揃え気味に座ってる。大柄な彼にちょこんの擬態語は可笑しい気もするけど、そんな感じだ。


 話題の映画は映像美が素晴らしいと評判の、王道過ぎる恋愛ものだった。確かに画面の中では、華やかで色鮮やかな場面が次から次に流れ続けてる。

でも正直、映画の内容なんて本当はどうでも良いんだ、君さえこうやって、すぐ隣に居てくれるなら__。


 退屈だったのか、それとも今頃薬が効いてきたのか、ボブは話が中盤に差し掛かるその前にウトウトし始めて、僕とは反対方向のソファの端に転がりそうになる。気付いた僕は、広げていた片方の腕を咄嗟に伸ばして、今にも崩れ落ちそうな身体を引き留める。ウッと低めの声が出た。ずっしりとした重みで腕がみしりと軋んだからだ。気合を入れて一気にこちらへ引き寄せると、気の抜けたような顔をした彼は、僕の肩と胸の辺りに凭れかかって、すぅすぅ寝息を立て始めている。


僕は彼の顔を、今日も間近で眺めてる。

瞼は完全に閉じられている。何一つ気兼ねは要らない。

兄さんの顔もそうだけど、毎日見ても、何度見たって、見飽きるなんてことはない。凛々しくてキリッと造作の美しい兄さんと、控えめで奥ゆかしくて、可愛らしい、綺麗な造形のボブ。今日はその寝顔だ。


少しだけ開いた口が可愛い。そこから今にも涎が垂れそうになってるけれど、こっちも君を見ていると、別の意味で涎が垂れそうになってくる。

その唇は見た目よりも、ずっと柔らかいこと、知っているのは宇宙できっと僕だけだ。


目元を覆う柔らかな桃色髪が可愛い。モサモサした濃茶の長い後ろ髪が可愛い。

見た目は少しごわついてそうだけど、撫でてみると案外ふわふわしてること、それを知っているのも、きっと世界で僕だけだ。


兄さんと同じところにある目尻の黒子もやっぱり可愛い。
緊張感の欠片も無くなり、少し伸びてる頬が可愛い。

肌はいつもはサラリとしているけれど、僕がその耳元で吐息混じりに君への思いのありったけを囁きながら強く抱き寄せ、優しく舌先で舐め回し、指の平で撫で潰すように愛したならば、その肌は途端にしっとりと赤みが差してきて、潤んだ瞳と可愛い鳴き声とが綯い交ぜになり、こちらの理性など簡単に吹き飛ばしてしまうなんてこと、君はきっと知らないだろう。


僕の瞳はいつの間にか画面じゃなくて、眠る君に釘付けになってる。

画面の中で華麗に踊る、往世の傾城の美女を模したというAI製の女優より、僕にとっては君の方がよほど魅力的に映るんだ。


目と鼻の先にある、桃色の前髪を柔らかく掻き上げる。

少しだけ顔を傾けて、瞼を閉じて__。ゆっくりと、僕だけの眠り姫に近付いた。






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