16.小細工

16.小細工



 ゴリゴリゴリゴリ……ゴリゴリゴリゴリ……
本社ビルの最上階、応接間付きの専用室で、少しの暇さえあれば意匠の凝った重厚な机の引き出しから、乳白色の小さなすり鉢を引っ張り出して、白い錠剤をこうやって砕いている。その音や小さな振動が壁越しや仕切り越しでも響いているのか、グループ共通のビジネススーツに身を包んだペトラは若干迷惑そうな、または若干引き気味の引き攣り顔で、こちらの部屋を遠慮がちなノックの音と共に、時折、いや何度も覘きにやってくる。


 父さん亡き後、株価の急落したジェターク社。公的には伏せてはあるが、長男も絶賛消息不明。人の口に戸は立てられない。周囲はおそらく誰もが知っていて、当然暗黙の了解なのだろう。
高専を上がりもしてないお飾りみたいなCEOなどでは、到底先も見込めない。泥船などに居られるかとばかりに、周りの側近達は素っ気なく、脱兎のごとく去っていった。
孤立無援で一人立つしかない中で、秘書の代わりを自ら名乗り出てくれたのは一期後輩のペトラだった。メカニック科なのでどこまで戦力になれるか分かりませんがと、あくまで遠慮がちな申し出だったが、何とも心が救われる思いがした。


「あの、代表__?」

単純作業は案外ストレス解消になるのだろうか、この作業をしていると全てを忘れて心が無になる瞬間がある。その呼び掛けに全く気付けなかった。


「ラウダ先輩!」

「あ、……ごめん、何?」

「いや、何? はこっちのセリフです。ここ数日、一体何をされてるんですか、ごりごりごりごりって…。耳障りで提出書の作成にも他の業務にも、結構支障が出てるんですけど」

「いや、すまない。君に言われた通り、ちゃんと睡眠を取ろうと思ってね、最近睡眠導入剤を取り入れてみたんだけど、指定の量じゃ何だか日中まで眠気が取れなくてさ。調節するためなんだよ、これ」

「ああ、良かった……。一応思考は正常で、理由もちゃんとあるんですね。とうとう過労で頭の方までおかしくなっちゃったかと__」


……まで? までって何__?

まるで基本、行動はおかしい人、みたいな言い方はやめてくれ……。

これでも、曲がりなりにもCEOなんだよ。今は一応そうなんだよ?

でも、確かに。ちらりと頭を掠める。

僕はこれ、正常なのか__?


 ボブのこと、監視下に置いての身辺調査を名目に、自分が責任を持って対処するから任せてほしいと、カテドラルの連中からそこそこ強引に奪取して、あの生家に引き取ってからひと月強。心配していたデータストームによる汚染や影響は解消し、身体の方はかなり復調傾向で、身体機能も8、9割方戻ってきたように見受けられる。


 間仕切り越しにボブを匿っている最中に、報告の為とは言え突然アポ無しの訪問があった時はさすがに背筋がヒヤリとしたが、幸い彼らにボブの面は割れずに済んだ。

 生家にボブを押し込めるまでに、他に顔を見られたのは、グループ末端の総合診療所の医者とスタッフ達だけ。
運び込んだ病院も極力関係の薄い機関を選んだし、彼らは兄さんの顔を知らない筈だ。ボブの事も船長の事も、襲撃に巻き込まれた輸送船の乗組員を救助したまでで、互いに面識は無いで押し通した。
ちょっとした手違いで漏電的に多量のパーメットに触れてしまい、情報の逆流現象、つまりデータストームに曝されてしまった。そんな風にドクターにはボブの状況を説明した。この言い訳は我が社の機構の安全性に対する信用を著しく損なうものだ。何より、そんないい加減な説明で医者が納得してくれるだろうかとヒヤヒヤしたが、ガンド技術が封印されたのはもう二十年以上前の事。当時の事情を知っていて、多少なりとも知識や造詣のあるという、機関末端の担当してくれたドクターは結構なご老体で、耳も少し遠かった。
僕は言葉の通じにくいドクターを前に、逆にホッと胸を撫で下ろした。
そして、その医療機関には少しばかりの圧をかけ、負傷者患者の守秘義務を徹底するよう念押しして、院長直筆でサインまでさせたので、今の今までグエル・ジェタークの目撃情報などが出回ったり、類似の騒ぎにはなっていない。
きっと僕は彼らの前で、まるで地獄の門番かと見紛うような冷酷非道に近い顔をしていた事だろう。悪気は無かったのだが、申し訳ないとは思ってる。


 そんなわけで、会社の方は相変わらずガタガタだが、僕らは生家においては平穏な日々を過ごせている。
だけど彼の素性に関するあれこれは、あれから少しも掴めていない。
最初は身体の利かない彼の介護で精いっぱいで、それどころではなかったのだが、いい加減に報告を入れないと評議会の方だって、いつまでもは待っちゃくれない。
追加報告書を白紙で提出すれば、きっと今度こそ、ここぞとばかりにドミニコスがしゃしゃり出てくる。下手すれば通告されてフロント管理社だって動き出す。
最悪ボブは宇宙の豚箱送りだ。
ボブが牢屋に繋がれて、鞭でも打たれたりしたらどうすんだ、可愛いけれど可哀想だし、とても見られたもんじゃない。

焦る気持ちは当然ある。だからと言って、こんな姑息な手段に訴えるしか能が無い、そんな自分に軽く幻滅もする。
おまけに私情の上でも余計な事まで期待している。

これさえあれば__。


あれから、中々視線を合わせてくれないボブ。
気恥ずかしいのか、警戒されてしまったのか__。

スタンドカラーのシャツのボタンを上から下までキッチリ留めて、腕のカフスもしっかり留めて、赤みが引いて黒っぽくなった胸元の痕跡も、腕の手形も、その残滓を隠すように、と言うか無かった事にするように、一切触れることなく、いや、触れられたくないと言った空気感で淡々と暮らしている。
食卓で対面してても伏し目がちで、無言の時間が長くて辛い…。


そんな彼の意に介さず、隙あらば暗転に持ち込もうと目論む僕は、果たして本当に正常だろうか__?

いやいや、正常だろうと異常だろうと構わない、そんな事をぐだぐだ考えている暇はない。今は少しでもボブの記憶を引き摺り出すのが喫緊だ。それでも頭の中は少しでも放っておくと勝手にぐるぐる低徊し始めるのだが__今はこのすり鉢に集中しよう……。


「先輩、手が止まってますよ。そんなアナログな事しなくても。私メカニック畑なんでそういうの得意です。ミルみたいなもんでしょう、自動で曳く奴作ってあげましょうか?」

「……いや、君だって忙しいし。悪いよそんなの」

「じゃあ、カミル先輩に頼みましょうよ、あの人の腕、プロ並みですから!」




ペトラは僕の言葉を信じてくれて、カミルもそう言う事なら任せておけと、快く協力してくれた。連絡を受け会社を数時間だけ抜け出すと、学園まで出来上がった粉末状の睡眠剤を取りに行く。

凄かった__。

凄いよカミル、伊達にジェターク勢のメカニックチーフやってない。

 ここまでやるの? 学生身分で何でここまで出来るんだよと、驚愕するほどだった。目の前の、微細な粉と化したそれは、ケーキの為に濾した小麦粉よりもさらにきめ細やかな指触りだ。吹けば飛ぶ。窓など開けようものなら大変だ。カミルの考案で設計、作成されたこの装置、もうちょっとだけ小型に出来れば商材として製品化もイケるんじゃ__?


 モノ作りが得意なのは、ジェタークの社風であり矜持だが、それは社員だけではなく学生達にも受け継がれているようだ。
我が社は何代も前の創業時、元々重機工業から始まったとか聞いたことがある。ディランザのホバークラフトユニットや、ダリルバルデのシャクルクロウの相手を掴み捕らえる動作は妙にそれっぽい形や動きをするし、後継機となるシュバルゼッテもそうだが、重機類に見るアタッチメント装着交換の多様性と、機体各所に接続用のハードポイントが備え付けられ、多種多様な形態を取る柔軟性は似通ったものがあると感じる。それらの共通点を鑑みると、あながち間違いではないのかも知れない。


こんな事に半分騙して付き合わせてしまって何だか申し訳ないが、それは些事だと自分に言い聞かせる。


「飲みやすいよう、出来るだけ細かくしといたぞ。溶けやすくもしてあるから、普通に割って飲んでも気にならないレベルだと思う。__立場を考えるとそうそう安易な事は言えないが、あんまり根を詰めすぎるなよ。ラウダだって本来はまだ学生なんだから」

カミルは腕組みしたままそう言うと、いつものようにニカリと笑った。


「ラウダ先輩!」

背後のドアがガラリと開いて元気な声が聞こえてくる。

「聞きました! ペトラからこっちに来てるって。大丈夫ですか、最近元気にしてますか!?」

ペトラと仲良しの後輩フェルシーも、授業を抜け出て来てまで顔を出してくれる。
兄さんが信頼を置く親友カミルは、僕にとっても頼りになる存在だ。兄さん推しの取り巻き仲良し二人組。兄が不在の今でも僕を気に掛け言葉一つで動いてくれる、心配までしてくれる。


それに加え、少しばかり驚かされたのは、ジェターク寮の学生達の反応だ。
ランブルリングでは、学生として紛れ込んだ少年兵テロリストに、のっけから沈められるという醜態を晒したうえ、僕といえば兄さんを誰にも穢させまいと、そればかりしか頭になくて、警戒を怠ることなく常に周囲を睨めつけてばかりだったから、当然遠巻きにされていたし、引かれていたし、怖がられるだけの存在だと、自分でもそう思っていた。寮生達にだって笑顔を向けた記憶はない。僕の笑顔は常に兄さんにだけ向けられるものだった。

だから、寮に顔を出したわけでもないのに、学園内の道中で彼らと擦れ違うたび、返答が多少面倒だと感じるくらいに、元気にしてるか、無理してないかと、同学年の生徒達はおろか、後輩達にまで声掛けされて、正直内心戸惑った。

無論、ジェターク寮の寮生達は、大方が幹部役員や主要社員の子供達で、我が社の行方が自分らの進退にも直結する身だ。だからこそ、心配にもなろうし気にも掛かろう。そうだとは思うのだが、彼らの顔や声の表情を目の当たりにして、打算的な思惑だけではないのでは?と感じてしまう自分がいた。

これが所謂体育会系の気質と言う奴なのだろうか? 

特別優しくした覚えもないし、柔らかな対応をしてやった覚えもない、にこやかに過ごしてきた覚えも無いが。

……一体こいつ等の頭の中はどうなってるんだ? 

暫くの間、困惑しきりだったが、歩を進める内にハッと気が付かされる。


 これは兄さんの残していった、温かさから作られた、残り香からくる陽だまりなんだ。
そのお零れにあずかり、僕はこうして人の温かみという恩恵を得ているんだ。
他寮の内情までは知らないけれど、ウチの寮ってなんだかあったかい。事ある毎にそう感じるのは、きっとそのせいなんだ。
きっと兄さんがこの3年間、寮長の務めをしっかり果たそうと真剣に取り組んで来たからこそ、一生懸命に彼らを愛で育み、柔らかな羽根でくるんで温めて来たからこそ、雰囲気全体が陽だまりみたいにあったかいんだ。


やっぱり兄さんには敵わないと、そう思う。

つくづく実感させられる。


 この学生寮の存在も、兄さんに後を任された大事な務めの一つだ。それらを守るためにも、彼らの生活を守るためにも、まずは揺れてグラつく会社の方を少しでもしっかり立て直さなきゃ。

改めてそう決意する。





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