ギャレス・ウィーズリーを贔屓するレガ主 二
正午の太陽でさえ漂う憂いを払いのけられないサウスシー湿原にて、荒く舗装された土道を球体をかたどった煙が白い尾を引きながら何かがかき混ぜられるような音を鳴らし、その数瞬にして一点からもう一点へ横切った。
グルグルと渦巻く人魂のような物体から現れたのはスリザリン寮のローブを纏った生徒。彼が『着地』した場所から少し離れた位置に彼に追い付こうと走る男がいた。
「ちょっと待ってくれよ……道案内してるのは僕だろう……!ただ着いてきてって言っただけなのに、はぁっ……止まって……」
「ギャレスってば遅いなぁ」
全速力で後を追うにも、走行とは移動効率が比べ物にならないくらい優れている『ローリング』は転がった場所から更に六メートル程進める便利な技術。(勿論室内では使えないが)膝に手をつき浅い呼吸を繰り返すギャレスにスリザリン生は駆け寄る。
「君ってこんなに体力なかったっけ?」
「誰でも三時間ぶっ通しで走ってたら……はあ……こうなるに決まってるだろう!?煙突飛行使えばこんな遠出せずに済んだんじゃ……」
「僕あそこまだ解放してないからなぁー。ヤマアラシ君たちの生息地はこっからまだ後……えーっと、1300くらいあるから頑張ろうか」
「解放……?いや1300の何?」
「こっちの話だからだーいじょうぶ」
二年前ウィーズリー副校長によって支給されたフィールドガイドを保管する本は恩師によって様々な呪文がかけられており、いずれのほとんどををスリザリン生は感覚で常日頃活用している。
なおその原理の全ては理解しきれておらず、スリザリン生はまれに何者かが『選択』する権利を剥奪しているような感覚を覚えることもあった。
どこからともなく本を取り出したスリザリン生がそれを開いた途端、光が本を包みそれと同時に蝶のようなものが目にも留まらぬ速さで飛び立ち、金色の鱗粉が空気を舞い目的地へ続く細い線を構成した。だがそれも本人以外には見えていない様子。
「これ、見えないの?」
「いや……だから何が」
「えー。まあ良いや、ちょっと休憩しよっか」
肩で息をしながら額から流れる汗を袖で拭うギャレスを気の毒に思ったスリザリン生は彼に肩を貸しながら木陰に移動した。木の下に胡座をかきながら涼むギャレスは、離れた先で目眩まし術と服従の呪文、石化の呪文を駆使し甲冑を纏ったトロールを一方的に蹂躙するスリザリン生を見ては失笑を漏らしていた。
「つくづく恐ろしいやつだなぁ……」
ギャレスは周囲の景色に溶け込むスリザリン生の大まかな位置を(次々倒れていく『敵』の位置で推測し)目で追いながら一人か細く呟いた。
揺るぎない力を持つ者が暇をもて余して割りを食らうのはいつも彼『が』敵と見なす全てだった。そしてそれは抵抗する隙も与えられず砂埃を舞い上げながら地面に突っ伏した哀れなトロールが顕著に体現している。
暇潰しという名の狩りに飽きたのか幾度の戦闘を経てしてもかすり傷さえ負っていないスリザリン生は木陰に戻りギャレスのすぐ隣へ腰を下ろした。
「ねえギャレス、ユニコーンの角とかヘレボルスのエキスとか……何に使うつもり?」
「とある魔法薬だよ。あえてほんの少しだけ失敗させる予定なんだけど」
「あえてってどういうこと?」
「失敗させることで……簡単に言えば効能が過剰になって、最悪眠ったままになるかもしれない薬が醸造されるだけ」
軽々しく口から発された『眠ったまま』の一言に肝が冷えたスリザリン生は目を見開いた。元からギャレスは魔法薬が関わると何食わぬ顔で生命に関わるような事を宣うことが多い。自分自身も身近な人々が関わらない限り命を軽んじている節があったため、スリザリン生のこの瞠目はただの戦慄だけではなく感嘆と好奇心からのものでもあった。
「ふぅん……一体誰を殺そうとしているのさ」
「はは、人聞きが悪いな。失敗作を観察することで新たな発見ができると思わないか?それに、成功の基準の確立は大事だと思うんだ。ふくろう試験でもこれに関して出題されてたとはいえ、実践が一番だからね」
「えー、去年の試験とかもう覚えてないってば。ていうかそろそろなんて魔法薬なのかそろそろ教えてよ、そう説明されると更に気になっちゃうんだって」
知的探究心からくるじれったさに体を揺するスリザリン生にギャレスは目を細めて笑いかけ、縁が擦り切れ始めている革表紙に覆われた帳面を取り出した。常日頃持ち歩いている新品同然のものとは違い、今まで数える程も見かけなかった本にスリザリン生は頭の上に疑問符を浮かばせながら興味を示した。
「結構昔に書いたやつだからところどころ滲んでるかもしれないけど……あった」
ギャレスは「安らぎの水薬」と左上に書かれたページで止まり、効能を簡潔にまとめた一文を指でなぞりながら朗読した。
「『不安を鎮めて、緊張から引き起こされる負の感情を和らげる。また飲む前にはよく混ぜる必要がある……』まあその名の通り飲んだ人の心を落ち着かせる薬だよ。でも強すぎると鎮まるのは不安だけじゃなくなるわけだ」
「あぁ〜、ちょっと思い出してきたかも……」
「つまり、ちゃんと醸造したものならともかく、あえて失敗した方はいたずらに摂取するのもだめだ。絶っっっ対、絶対に飲まないようにね」
二度も強調されて忠告されたスリザリン生は「僕がそんな馬鹿な事をするわけがないだろう」とでも言わんばかりに唇を尖らせてギャレスを見つめたが、先日彼が小瓶いっぱいに詰まった「愛の妙薬」を飲み干した例の事例を淡々と語られるとたどたどしく言い返そうとしたもののいずれ萎縮しきった。
「さて、疲れも取れたし……えっと、ここからは歩いてくれないか?その、よくわからない転がりじゃなくて」
「えーーーーーー」
「えーじゃない。疲れるんだよ、帰りのための体力だって温存したいんだ」
「ギャレスは別に歩いても良いのに。それか僕がおんぶし──「僕が目的地まで案内してるんだよ?」
「そ、そんな食い気味に答えなくっても……もう、僕だけなら箒でひとっ飛びなのに!」
「箒に乗れなくて悪かったね。いずれにせよ目的地は極めて秘匿的なんだ。周辺までなら時間があれば誰だってたどり着けるだろうけど、きっと抜け道を知ってるのは僕含めてごく少数。君も何故か勘が鋭いからいつか見つけることはできそうではある。でもいかんせん新たな発見が僕を待ってるんだ。ここまで来た以上は今更帰るわけにもいかないだろ?」
ギャレスはどこか大義そうに長々と説明すると途中から集中力が切れてぼうっとしつつも、ふてくされた様子ではあるがひとまず納得した様子のスリザリン生が立ち上がり「もう行くよ」と一声を上げた。ローブについた土を払いながらギャレスも遅れて立ち、「僕が先頭に」と提案するもスリザリン生は自分が前を歩きたいからと(また)耳を貸さなかったためとうとう諦めた。
「抜け道のことなんだけど、ギャレスはどういう経緯で知ったの?」
「はは、誰が君にハニーデュークスへの隠し通路を教えたと思ってるんだ?僕なりのやり方があるんだよ」
「レベリオとか?」
「君じゃないんだから。それに暴露呪文で見つけられるのならあそこはとっくのとうに観光スポットさ」
早朝、正確に謂えば午前七時頃に城を出たとはいえ、徒歩で南の果てまで何度か休憩を挟みながら長時間歩き続けるものなら到着する頃には気温も涼しくなる頃だ。ひんやり心地のいい風が吹きはじめ疲労も感じづらくなり、スリザリン生も常にギャレスの数歩前とはいえある程度以上の距離を出来る限り作らないよう配慮もしてくれていた。
しばらく歩き続けた二人はアイアンデールに着き、折角だからとスリザリン生が当村で店を経営しているパドレイエク・ハガーティーと会話を交わす合間ギャレスは村の光景を見回し、ふと川沿いの水車が目に入るとそこへ向かった。
「……うちにほしいな」
「おまいさんのようなガキに水車など勿体ないわ!大体この水車はわしが生まれるずっと前からあってだな!それを所有したいなど烏滸がましいわ……」
「えっ、えっちょっと危な、危ないです──げふっッッいっっっった!!!」
ギャレスは別に誰も聞いていないだろうと顎に手を添えながら心にも(ほとんど)ない一言をぼそっと連ねたその瞬間、いつの間にか近くにいたあからさまに不機嫌なお爺さんが歩行の補助用の杖を振り回しながらいちゃもんをつけ始めた。杖の先端がギャレスの脇腹を抉る勢いで当たると反射的に「痛い」と叫び、呻き声を上げながら膝から崩れ落ちる。
「急に何……いっ"っ"つ"……ですか…」
「はん、わしがおまいさんくらいの頃はこんなもんじゃ声ひとつ上げんかったぞ。たく最近のわかもんは自分が最も偉大な存在だと驕っていやがる」
「そんな殺生な」
自分にも、自分の周りにいる一部の人間にも見覚えがあったギャレスは反論できなかった。体勢を立て直し脇腹を擦りながら、お爺さんの無駄に熱のこもった演説を聞き流していた。
「~~~……しかもなんだァそのふざけた赤毛は!目立ちたがり屋か?」
「これは……ただの遺伝で」
最初は怒号に圧倒されていたものの脇腹の痛みも引き、ほぼ同じ内容を壊れた蓄音機のように繰り返すお爺さんにも飽きたのかついに外見批判にまでヒートアップした彼に対してもギャレスは、ブラック校長に愛想良くしているみたいにめんどくさいという感情をさらけ出しながら返答しはじめた。
「ギャレスってば何油売ってるのさ」
そんな奇妙でなんとも独特な空気の状況を諌めたのは丁度知人との世間話を終えたスリザリン生だった。両腕には菓子やパン、果物などの食べ物が詰まったかごを抱えており、きっと先程の話し相手に持たされたものだろうと推測できる。
「いや僕じゃなくてこのお爺さんが急にぺちゃくちゃ喋り始めたんだよ」
驚愕のきの字も消え失せていた空気はスリザリン生のダメ出しによって完全に平穏に戻り、頭に血が上っていたであろうお爺さんも脱力していた。
「そう?まあそんなことよりそろそろ出発……あ!トゥイドルお爺ちゃん、これ食べる?」
そう言いながらかごから紙箱に詰められたホットクロスパンを取り出し、一個ちぎると消沈したとはいえ未だ顔が真っ赤なトゥイドルに差し出した。トゥイドルは元々しわくちゃな顔を更にしかめつつも受け取った。
「ギャレス、行こうか」
「ん、あぁ……もういいのか?」
「良いよ。行こう」
スリザリン生は理不尽に絡まれたことに対する同情からか柔らかな笑みを向けているように見えたが、すぐに背を向けてしまい全貌はわからずのまま。ギャレスは村を速やかに出るべくどこか落ち着かない様子で足早に西へ歩くスリザリン生の後ろを歩いた。
「ここからもう少し進んだ先にある黒い印のついた木の近くの茂みに人差し指くらいの大きさの『不自然な裂け目』があるんだけど、そこで杖を反時計回りに三回振るとその裂け目が這えば通れるくらいの大きさまでに拡張されるんだ」
歩を進める最中、ギャレスが抜け道の出現方法を説いたものの当のスリザリン生本人は一切の反応を示さなかった。彼が抱えていたかごはいつの間にか消えており(本にしまいこんだ)、代わりに右手に杖が固く握られている。普段は視覚的にも聴覚的にも騒がしいスリザリン生ではあるが、一切口を利かなくなるとそれはそれで違和感と不安を覚えてしまう。
「……どうしたんだ」
「っ我ながら大人気ないなって思った!」
肩を落としながら大きく振り返ったスリザリン生はハキハキと伝えた。ギャレスは思わず足を止めたものの、眉を顰めているとはいえ吹っ切れたような満面の笑みを顔に貼り付けているスリザリン生の表情を見据え隣にまで向かう。
「君が怒鳴り散らかされてるとこ見てたらなんかイライラして。トゥイドルお爺ちゃんはああいう人だって知ってたのに、もうちょっとアイアンデールにいたかったのに気づいたらこんなとこ!」
「融通がきかな……頭が固…えー、意思が強い人はたくさんいるから君が気にする必要はないと思うけどね」
「んんー。でもそういう問題じゃないって……わかってるんだけどなぁー……」
自身の行いに葛藤の姿勢を見せていたものの、三秒も持たずしてスリザリン生は頭の上で手を組み、半ば投げやりな声色で語尾を伸ばしながらそれ以上深く考えるのを諦めまた前進し始める。空をぼうっと見上げながら歩き続けるスリザリン生は、途絶えた会話をまた賑わすように大きなため息をついた後一つの悩みを打ち明けた。
「自分が何考えてるかとか、どう思ってるかがわからなくなっちゃうんだよね」
「?心配ないさ、僕だってたまにそうなるし、それに君の頭の中がどうなってるかなんて到底わかったものじゃないよ」
「それってどういう意味!?」
「一回自分の行動を客観視してみるといいんじゃないかな」
「……皆してそう言うんだから困るな」
サッと目線を横に滑らせながらギャレスは一本調子に言いのけた。嘲るように緩く曲線を描いた口元にスリザリン生が気付くと、鼻孔から大きく息を吐いた後ギャレスの二の腕に自身の肘を強く打ちつけ反応を楽しみながらも無骨な声で不平を垂れた。
「後200くらいだけどもしかしてもう目印見えてたりする?」
フィールドワーク本を左手に開きそこからスリザリン生は、まばらに生い茂る木々の中でも一際逞しく地に根を張るヨーロッパナラを杖で指差しながら問いかけた。
「あー、そうそう、その木だよ。あれの周辺だけやけに周りの草が育ってるだろう?木陰だというのに不自然だよね」
出会って間もない頃は脈絡もなく数字を単位もつけずに挙げるスリザリン生に毎度困惑していたが、それがなんらかの距離を表すものであることを何回目かで推測したギャレスはその問いを肯定した。
その刹那、スリザリン生はするなと言われていた『ローリング』で高速で何かに包まれ、白い光芒を残しながら高速でさながら姿眩ましでも唱えたかのようにこの場から消えたという状況を飲み込むのに数秒かかったギャレスは、一秒もたたずして過ぎ去った突然の出来事に跳ね上がった心臓を落ち着かせつつ歩き続ける。
「……裂け目……裂け目か……『レベリオ』!」
スリザリン生は草むらに入ると空に向かって弓なりに杖を振りながら辺りを見回したが、お目当てのものが見つからなかったというのは二回目、そして三回目の暴露呪文の詠唱が表していた。四回目を唱えようとしたところにギャレスが追い付き、呆れの態度を全身で表現しながら同じく草むらへと入っていった。
「ほら、見つからないだろ?」
「『才能ポイント』ちゃんと振ったはずなんだけどなぁ、せめて何色に見えるのかがわかれば…」
「……ん?いや、それより。僕が言った裂け目は茂みの中だからね」
スリザリン生は杖を掲げ首を左右に動かしながら周囲を注視していたが、ギャレスのその一言でまるで『イモビラス』に掛かったかのように一瞬硬直した。
「えっ、僕の労力返して」
「城内駆け巡って暴露呪文使い続けてたというのに労力もなにも……ほら、ここだよ」
ギャレスは膝まで青々と茂る草を通り抜け木の根のすぐそばまで向かいしゃがみこみ、草をかきわけ空間そのものに切り込みを入れられたかのような小さな裂け目を目視出来次第スリザリン生へ手招きした。
「レベリオに頼ってばっかだと単純な探し物も出来なくなるかもね」
「ちっちゃ……え、青い……」
「真っ白だけど、君には何が見えてるんだ?」
スリザリン生は「開いた口が塞がらない」を文字通り体現するかのように口をポカンと小さく開けていた。小さな疑念と(幻覚が見えているのだろうか)と不安が横切りながらギャレスは杖の先端で裂け目を指し、反時計回りに丸を描いた。三回目が終わると後ずさりながらスリザリン生に「少し離れて」と声かけた。
細く白い線が裂け目を突き刺すようにゆっくりと引かれていき、地面に着いた途端目を抉る勢いで光を放ちはじめ二人は反射的に目を伏せた。暫くすると直視しても眩しすぎない程には収まってきたものの、ギャレスはまぶた越しにも微かに届く煌めきを前に目を閉じ続けているスリザリン生の肩を叩いた。
「ほら、出来たよ。抜け道」
「……おー、始めて見るような魔法、かも?姿をくらますキャビネット棚みたいな感じなの?」
「その棚がなにかは知らないけど、これは九と四分の三番線へ続く壁にかけられた呪文を応用したもの……だと思う」
「わかんないんだ?」
「僕が作ったわけじゃない訳だし、当たり前だろう」
肥大化した裂け目に顔だけ覗き込ませたスリザリン生が見たのは一面真っ白な空間だった。地平線がどこにあるかもわからない程に、さながら薄っぺらな白紙を見ているようだった。
抜け道を通り抜けて立ち上がろうとしたスリザリン生だったが、体を起こそうとした瞬間「天井」に頭を強くぶつけてしまい痛みからうずくまる。ギャレスは肩をすくめながら「あー……」と、同情から苦々しい声を発した。
「いっっ……い……は?」
「だだっ広い空間に見えるだろう?実際は一本道なんだよ。それも四つん這いじゃないと狭すぎて通れたものじゃないんだ」
「先に言ってよ!!」
スリザリン生は打ち付けてしまった頭部を擦りながら声を張り上げた。
四方八方白一色、永遠に続いているように錯覚してしまう抜け道を這い続けた二人は突如何かに空間ごと思いがけぬ速さで引き上げられているような感覚に陥った。スリザリン生は咄嗟に身体を強張らせ来るかもしれない衝撃に備えていたが、一方でギャレスは慣れているのかいつもと変わらぬ様子を見せている。
「……すっっごい速いエレベーターみたいな……なにこれ」
「最初は僕もビックリしたよ、でも今はむしろ楽しい」
「なんだ、危ないわけじゃないのか……うーん、そろそろ着きそう?」
「後もうちょっとだね」
空間は二人が言葉を交わす合間にも天に届く勢いで上昇し続けていたものの、慣性の法則を当たり前のように無視し反動もなく急停止したその刹那、二人は煙突飛行で暖炉と暖炉を飛び回る際の渦巻きに酷似した激しい視界のぐらつきを覚えた。
「着いたよ、……大丈夫か?──「ギャレス」
「…あれ?ここって」
目眩からまぶたを固く閉じていたスリザリン生を気に掛け、彼の名を呼ぼうとしたギャレスを抑圧する勢いの声色で謂いながら顔を上げる。憑かれたかのように見開いた目で何度か瞬きを繰り返し、落ち着きを取り戻したのかもう見張っていない目でスリザリン生は周辺を見回した。
ギャレスはスリザリン生の豹変には今まで何度か居合わせていたものの、そのたった一秒の間に流れ込む恐怖が回数を重ねる毎に減る等といったことは過去一度も起こっていないものの放心状態から目覚めさせる最短ルートとしてたまに使っている。
そういえば彼の名前は一体なんというのだろうか。スリザリン生と親しい人達に度々沸き上がる質問だが、そう思った刹那、まるで忘却呪文にかけられたようにその疑問はすぐに消え去ってしまう。
「うおっまぶしっ!」
「………そこまでではないだろう」
自然とはあまりにも乖離していた無機質な白とは一変し、見渡す限り緑に覆われた密林に飛ばされた二人は木々の隙間から零れる日の光に当たりながら立ち上がった。
「こんな場所があったなんて知らなかったなぁ」
「ここは別空間だからね、無理はないよ……っと、お目当ての子だ」
「そういえば魔法薬の材料取りに来てたんだったね。デート感覚で楽しんでたよ」
「あー、うん、そうだね」
ふらふらと気ままに密林を歩き回っていた(度々道とはいえない道に阻まれていたが)二人だったが、スリザリン生の突拍子もない戯言に慣れきっていたためギャレスは適当に流しながら、ヤマアラシを視界に捉えては杖先を対象に向ける。真剣な返事などはなから求めていなかったスリザリン生はだらしなく笑っていた。
同じくヤマアラシを見据えたスリザリン生も袖から杖を取り出しながら「締めようか?」と一時の躊躇もせずに尋ねた。
「君の悪いとこだよそれ。『グレイシアス』」
ギャレスは特に驚いた様子もなく淡々と凍結呪文を唱えた。杖の先端に青い光が点り、周囲に冷気を撒き散らしながら(スリザリン生が「もっと一点に集中させないと周りも寒くなるんだってば!」と手袋越しにも寒さで悴む自身の指を見ながら指摘した)矛先にいたヤマアラシに向かって光が撃たれる。
直接命中はしなかったものの弾着点から地面が凍りつき、その近くに居合わせたヤマアラシもゆっくりと氷に侵食されはじめた事に気付き怯えた様子でその場を離れようと走り去ろうとしたものの、再度唱えられた凍結呪文が背中に当たってしまい、一瞬にして氷塊に包まれいよいよ一切の動きも制限されるものとなった。
「わー最低ー」
スリザリン生はなんの感情も籠っていない声色でへらへらと笑いながら茶化した。
「君は命を奪おうとしていたよね?」
「言葉の綾だし!それに僕がどれだけ生物達に優しいかギャレスなら知ってるでしょ!」
「……密猟」
「あれは!!保護だってば!!!その、最近はしてないし……」
金儲けの手段の一つではあるものの、ちゃんと「保護」の一面もあるらしく故に後ろめたい事だという自覚は少なからずある様子。ギャレスはそんなスリザリン生の額を指で弾き、彼が面白おかしく怯んでいる合間に氷付けにされたヤマアラシを回収しに行った。
「てかさ、針ってどう抜くつもり?まさかブチィッっていくの?」
「流石にそれはしないよ。適当なクッションかなんかで飛んできた針を防御して拝借するんだけど、どうして真っ先に思い付くのがそんな野蛮なものなんだ君は……」
氷付けのヤマアラシを最初はローブの袖を伸ばしながら両腕で抱えていたギャレスだったが、体温と長時間外部に触れているせいで段々と溶けてしまう事と単純に重たいという理由でスリザリン生のフィールドガイド本の中に一旦しまい込んだ。
遠路遙々訪れたというのにヤマアラシだけを確保して帰るのは癪に障ると双方賛成し、密林の中を暫くの間歩き回る事となった。
木々の隙間から漏れる光を浴びることも、澄みきった空気を全身で感じる事も、草木がふわりと揺れる音も、普段箒で空を飛び回り野営地を襲撃して全身に血と土の匂いをこびりつけてばかりなスリザリン生にとっては新鮮なものだった挙げ句、一度も訪れたことのない環境という事で年齢にそぐわず大はしゃぎしていた。
「あーっ!えっ!?マンドレイクが当然のように生えてるよ!禁じられた森以外で自生してるなんて見たことない!よいしょっ……ア"ァ"ァ"ッ"!あーっうるさい!!」
「君の方がうるさいよ!!」
足元に偽物の金貨を撒き散らしながらわらわらと寄ってくる若干名のレプラコーンを踏まないようにしながら安らぎの水薬の材料の一つであるヘレボルスを採取しに向かっていたギャレスは、ただならぬ大声を上げながらマンドレイクと張り合っているスリザリン生へ一声を上げた。
マンドレイクの叫び声のせいで鈍った聴覚をどうにか取り戻したスリザリン生は木の幹の上に佇む斑入りの二匹のニーズルの関心を引くべく口から空気を抜くような音を何度か鳴らしていたが、片方がやっと降りてきたかと思えば顔面に着地された挙げ句爪が引っ掛かり跡を残されそのニーズルはそのまま茂みの中に消えていってしまった。その様子を見下ろしていた三色の毛を持つニーズルは丁度頭の真上に降りて動かずにいたものの、どうせならこうしてやろうとでも言わんばかりに後頭部に噛みついて同じく茂みへと隠れていった。
「引っ掻かれたぁ……いっっった……いっだあ"っ"っ"!!もうっ!なんなのさ!追い討ちとかひどいなぁっ!」
ニーズルが消えた先の茂みへ叫んでいたものの、顔面に刻まれた爪痕も本来なら出血しているであろう後頭部の歯形も跡形もなく塞がっていた。
「ニーズルって悪人とか不審者を見分けて攻撃するらしいね」
「僕が不審者だとでも言いたいの!?」
ギャレスはヘレボルスの束を抱えながら「あぁ」と微笑を湛えながら淡白に返した。知り合い全員に変人という印象を抱かれていると自覚しているスリザリン生でも面と向かってそう言われると僅かながらも腹を立てるというものの、今回ばかりはなぜか満足げに笑っていた。
「ふー、良い収穫!白菜もあれば毎日来るんだけどなぁ……あっパフスケイン!魔法生物もこんなにたくさんいるなんて、是非ポピーにも見せてあげたいな」
フィールドガイド本に毒触手草と自然では殆ど見かけない萎び無果実をゴロゴロと詰め込んだスリザリン生は苔の生えた岩に腰を下ろした。
「どうして君は……ガーリック先生の言葉を引用すれば、『大鍋の外で扱われる植物』をつくづく好むんだ?雷調合薬は飲まないだろ。……答えなくて良いから。わかってる。」
ギャレスは口を開きかけたスリザリン生を止めるように手を挙げながら告げた。一言も発することを許されなかったスリザリン生はしょげたような態度を取りながら頭上を飛び回る鬱陶しい妖精を鷲掴みした。ニーズル相手にはあんなにもどんくさかった彼の本来の動体視力と反射神経はギャレスの背筋に悪寒を走らせた。
「……ここって煙突飛行ネットワークに繋がってる暖炉ないの?」
「なんなんだ唐突に。あるわけない……いや、わからないけど」
「必要の部屋にあったしここにもあるはず!探してくる!」
ニーズル事件(と二人は呼んでいる)の後、しばらくの間は魔法生物の観察や他の魔法薬の素材を採取していた二人だったが、スリザリン生は突如何かの衝動に駆られたのかと言わんばかりの勢いで制止も聞かずに『ローリング』で姿を消した。
……と思いきや二分も経たずして元いた場所へ戻ってきたスリザリン生は大変ご満悦な顔をしており、きっと見つけてしまったのだろうとギャレスは察した。
「僕が探した時はどこにもなかったのに」
「所在地の都合上わざわざ面倒な過程踏まずに直接飛べるようになったってのは必要の部屋に似てるね、流石『制作陣』だ。きっと僕がここに訪れたことで『生成』されたんだろうなー」
「……あ、あぁ……?何はともあれそろそろ帰らないか?煙突飛行出来るようになったなら直ぐに戻れるだろう」
「えーもっと居たいよ」
「明日は平日ってことを忘れないように。暖炉まで道案内よろしく」
暖炉への道を通る最中あくびを溢し目を擦ったギャレスの横顔を一瞥し、この空間の空は恐ろしいくらいに美しい青色だというのに、外──元いた場所はきっともう夕暮れか夜なのだろうと推測したスリザリン生は少し歩く速度を上げた。
「そろそろ着くはずだよ……ほら、あれ!」
スリザリン生は木々の間に『出現』していたイグナチア・ワイルドスミスの肖像画が飾られた暖炉を指差す。暖炉には鮮やかな青緑色をした炎が既に揺れていた。
「今までは形式的にフルーパウダー振ってたけど別にいらないよね?」
「私が開発した煙突飛行はフルーパウダーが必要だというのに、貴方が来ると勝手に灯るんだもの。勝手にすると良いわ」
肖像画は五百年以上前の自身の偉業をさりげなく折り込みながら炎を見下ろして告げる。何百回も聞いた同じような誇示にスリザリン生は一時期苛立っていたものの、ある日を境に一気に頻度が減ってからは妥協(無視)出来るようになっていた。
「帰ろっか、ギャレス。グリフィンドール寮の近くは…『教員塔』だよね。それか直接談話室に飛ぶ?」
「談話室に煙突飛行出来たら合言葉の意味がなくなるだろ」
「僕は飛べるよ?スリザリン寮談話室にだけだけど」
ギャレスは困惑した様子で「えぇ……」と口から洩らした。
「……ヤマアラシは一旦預かってくれないか?夕方に必要の部屋に向かうから」
「わかった」
半信半疑で「グリフィンドール寮談話室」と行き先を告げた後炎の中に入ったギャレスは炎の勢いが強まる音と共に一瞬にして暖炉から姿を消した。
「……闇の魔術に対する防衛術の教室」
「良い子はもう寝る時間よ?」
スリザリン生はなにも言い返さずに炎の中に入り、密林を後にした。