ギャレス・ウィーズリーを贔屓するレガ主 三
『闇の魔術に対する防衛術の教室』近辺の暖炉へと煙突飛行したスリザリン生は、人一人いない静まり返った暗い城内と窓から覗き込む冷たい月光で自分の予測が当たったことに気づいた。足音を出来る限り立てないようにすぐそばの階段を降り、階段裏へと向かう。
一見するとただの行き止まりでおおよそ興味を惹かれるとは言い難い場所だが、向かって右側の星や惑星の意匠が施されたいくつもの時計を飾る棚(を模したもの)は、「聖堂」と名付けられた地下室への入り口だということをもう一人の友人に教わっていたのだ。
スリザリン生が杖を軽く振ると、全ての時計の長針と短針がぐるぐると素早く回り始めたのと同時に壁が扉のように開き、一応周囲を確認した後スリザリン生はその中へと入っていった。
薄暗い通路を通り鉄格子があがるのを待ちながら聖堂の内装を見渡す。地下室の存在を知るたった二人の人物の気配はなく、床や柱に置かれたいくつものろうそくの火は寂しげに揺れている。
室内に足を踏み入れたスリザリン生は適当な柱に寄りかかりそのまま滑るように座り込む。フィールドガイド本を取り出し何ページか捲っていたもののすぐ不躾に閉じ、床に放り大きなため息を溢した。
「『僕』って何してるんだろ?……この声って聞こえてる?」
天井を見上げながらあたかも自分を監視している何者かがいるという前提の語り口でスリザリン生は話し続けた。
「そもそも姿現しも姿眩ましも『ローリング』も使えないホグワーツ城内で煙突飛行出来るのおかしいじゃん!ていうかなんで他の皆はあのひっっっろい城内で煙突飛行使わないの?」
答えが返ってくる訳もなく、また彼自身もそれを理解しているが、自分以外が煙突飛行を使う場面を殆ど見かけないスリザリン生にとって当然の疑問を一方的に問うた。声量が大きくなっていることにも気づかないまま、哀求とも呼べる声が聖堂に響いた。
「僕と、僕が今煙突飛行を使ってほしいって思ってる人にだけ見えてるってこと?僕がそう思ってる間だけ城内で煙突飛行出来ることに誰もなんの疑問も感じな──」
スリザリン生は突如喉奥が冷たくなる感覚にそれ以上の発言を戒められ、渋々言葉を途中で切った。
「……きっとこの本だって、自分が許されざる呪文を使ってもお咎めなしな事だって、暖炉に入らずとも煙突飛行出来る事だって……傷がすぐに治ることだって、君のおかげなんでしょ?ありがとう。そこだけは、ね」
スリザリン生は『フィールドガイド本』の革表紙を軽く撫でながら一人きりの地下室の中で本心からの感謝を告げる。
「でも勝手に知らない単語を喋らされるのは困っちゃうよ、なにさ制作陣とか才能ポイントとか……皆困惑するんだよ?それに、体の主導権奪われる感覚って思ってるより気持ち悪いんだ」
口元を隠しながら大きくあくびをしたスリザリン生は本を拾いながら立ち上がり、ホグワーツ城のマップ──地図が載ったページを開いた。大階段周辺を『拡大』し、『スリザリン寮談話室』と浮かび上がった緑色の暖炉の絵を指差した瞬間カチッと音が立つと同時に最初から居なかったかのように聖堂から消えた。
翌日、あまり寝付けなかったスリザリン生は朝食も取らぬまま雲一つない快晴の下他寮(主にハッフルパフ寮)と魔法生物飼育学の合同授業を受けていた。ディリコールの実態やマグルとの関係性、羽の用途を羊皮紙に書き殴りながら隣に座るポピー・スウィーティングに話しかける。
「ポピー、僕昨日すごいところに行ったんだ。……ニーズルとか……後確かビリーウィグもいた気がする!それで魔法植物も生い茂ってて空気が美味しかったし、とにかく色んな魔法生物がいてさ、君にも見せてあげたかったなぁ」
ニーズル事件を未だに根に持っているのか、ニーズルと言った時だけ声が少し低くなっていたものの、昨日の経験を嬉々として語りつづけるスリザリン生にポピーは微笑みかけながら話を聞いていた。
「ふふ、あなたって本当に色んな場所へ行くんだね。だから昨日は一日中見かけなかったんだ……」
「僕のこと探してたの?」
「実はね。アルバス君について話したいことがあったんだ」
「アルバス?」
スリザリン生は最近は後輩の名が上がる事が多いな、と思いながらポピーの話に耳を傾ける。
「彼に相談されたの。私がこの話をしたことは秘密にしてほしいのだけど、あな……好きな人が自分をずーっと子ども扱いするんだって。七年の私から見ても凄くしっかりしてるのに。同級生のように接してほしいとか、そういうわけではないみたい。だから表には出てないけど最近は落ち込み気味なんだ」
「そうなんだ?それは災難だね」
「……あなたもやっぱりそう思う?」
スリザリン生は二重の問い掛けに困惑したものの頷いた。ポピーは笑みを浮かべたままだったが、口角は先程よりも平坦になっていた。
「この事について一回だけでも話し合えば……少なくとも私はいいんじゃないかなって思ってる。もちろん私の入れ知恵は無かったことにしてね」
「僕に恋愛においてのアドバイスは期待しない方が」
「アドバイスじゃなくてもいいんだよ」
ポピーはホーウィン先生の方へ向き直したが、二人が話している合間も授業をずっと聞いていたらしいポピーは丸っこく可愛らしい書体で羊皮紙にディリコールのノートを書ききっていた。それとは反対に、自分の羊皮紙にはポピーに話し掛ける前までの情報しか書かれていない事に気づいたスリザリン生は冷や汗をかき始める。ポピーはなにも言わず彼女の羊皮紙をスリザリン生にも読みやすいように寄せた。
「あぁー……魔法生物達のお世話してる時だけ真の安寧を感じる……」
二匹のパフスケインを前に、片方に餌付けをしもう片方をブラッシングしながらスリザリン生は意気地のない声でぼやいた。ホグズミード行きたい、自分って本当に自分なのか、いつアルバスと話そうか、そういえば最近ディフィンドの切れ味が悪い気がする……特に考えなくてもある程度こなせる授業内容だとどうしても雑念に脳を支配され時間の感覚も吹き飛んでしまう。ぼうっと明け暮れていた矢先スリザリン生の正気を取り戻させたのはレイブンクロー生だった。
「君、授業もう終わってるけど」
「っえ」
辺りを見渡すと生徒は声をかけてくれたレイブンクロー生しかおらず、自身が世話をしていたであろうパフスケインはどこかに行っていた挙げ句目の前にはホーウィン先生が一言も言わずに立っていた。
「眠り姫が目覚めたようだわ、ミスター・ラーソン」
「はは、姫だって」
「あ、ほーいんせんせい、これはちがくて」
ミスター・ラーソンもといアンドリュー・ラーソンは姫と揶揄されたスリザリン生に向かってニヤリと笑った。スリザリン生は呂律の回らない舌で自己弁護を試みたものの、ホーウィン先生は首を横に振りながら「ミスター・ラーソンと居残り」と命じた。
今日中の授業を全て終えたスリザリン生は、居残り罰を受ける為に魔法生物飼育学の教室へ向かう途中鳶色の髪の幼いグリフィンドール生に声をかけられる。
「先輩、昨日はギャレス先輩とどこかに行っていたと聞きましたが」
「あっアルバス!そうそう、一日中ギャレスとデー……とある密林にいたんだよね、魔法薬の素材集めしてたんだ」
今まで昨日についての話を聞いた人も、挙げ句当事者でさえ昨日の出来事を「デート」と本気で思っていないとはいえ、その単語が上がりそうになった事に対して冗談と捉える事を難しく思っているアルバスはとりあえず笑顔を繕いながら平静を保とうとした。
「そうだったんですね。一体何の魔法薬を醸造しようとしているんですか?」
「安らぎの水薬だよ、といっても失敗させるらしいけど」
「させる……とは?」
「なんか新たな発見ができるかもしれないとかなんとか……流石ギャレスだなぁ、向上心に溢れてるよね」
張り合うように「僕も実は」とスリザリン生に教わった武装解除呪文の精度を一人こっそり上げていっている事を言おうとしたアルバスだったがあまりにも幼稚だな、と最初の一言を言う前に踏みとどまった。
「あの、先輩、時間があればいつもの部屋で話しませんか?できればふたりきりが──」
「時間……あっ!そういえば今日居残りだった!ごめんアルバス、夜まで待てそう?」
「えっ、あ、勿論です」
「ありがとう!また後でね!」
スリザリン生はアルバスに手を振りながら駆け足で階段を降りていった。その背中が完全に見えなくなった後もアルバスは彼がいた方角を見ていた。
「やあ。君も居眠りなんてするんだね。そういえば君の罰、アレだけど大丈夫そう?」
スリザリン生より先に教室で居残り罰を受けていたアンドリューは、本日最後の魔法生物飼育学の授業中にパフスケイン数匹が急に暴れて飛び回ったという事故のせいで辺りに散乱してしまった教科書を拾い集め、飛び散った抜け毛を箒で掃きながら教室に到着したスリザリン生に話し掛けた。
「ん……寝てないよ、ボーッとしてたら授業が終わってた……」
「それを人は居眠りと呼ぶんじゃないか?」
「色々考え事してただけなんだってば……うわっ」
アンドリューが指さした木箱の中には大量に魔法生物用のブラシが入っていた。いずれも全て抜け毛がこれでもかというほどに溜まっておりスリザリン生は箱を覗き込んだ瞬間思わず驚嘆を声に出した。
居残り罰として綺麗にしないといけないブラシに絡まった毛を魔法で取ろうとしたものの、「ちゃんと自分の手で」とホーウィン先生が教室を空ける前に注意されていた事を思い出したスリザリン生は眉間に皺を寄せながら渋々取り除いている。
たびたび声をかけるアンドリューはその気持ちを和らげるどころか元々なくなりかけていた気力を更に消し去っているような気がした。木箱には未だ手つかずのブラシが最低でも二桁入っており、スリザリン生は終わりそうにない作業を前に閉じようとするまぶたを辛うじて開けていた。
「そういえば……どういう経緯で居残りに?」
「別になんにも。強いていえばムーンカーフの骨格標本を壊した事くらいだよ……三体くらい。後クサカゲロウが入ってる瓶を落とした。でもそれだけなんだ、もちろん修復呪文で直したよ」
「なんにもって言葉の意味調べた方が……ってあれを直したって呼ぶの!?」
「いやー……少なくとも床に散らばってはないだろ?」
「直した」と言いつつ、背骨の先端に大腿骨が代わりについていたり頭蓋骨が肋骨の中に入ってたり、前足と後ろ足が繋がっていたりと見ていて心地いいものではないモノが三体壁際に並んでいた。
アンドリューの修復呪文の腕前はお世辞にも良いとは言えないようだ。クサカゲロウを入れていた瓶は多少ヒビが残っているものの修復されているが、その肝心のクサカゲロウは一匹たりともいない。割った瞬間に飛び去ってしまったのが机に置かれた瓶全てが悉く空き瓶である理由だろう。
「もしかしたら僕のせいで魔法は使わずにってなったのかもね。実は呼び寄せ呪文で本を呼び寄せようとしたらコントロールが狂っちゃったせいでクサカゲロウの脱走に一役買っちゃったんだ」
アンドリューはへらへらと笑いながらまだまだ毛が詰まっているブラシを見下ろした。今すぐ彼の鼻の穴か目玉にでも杖を突き刺してやろうか、と寝不足と相まって苛立っていたスリザリン生だったが、週末ホグズミードにでも行こうとアンドリューに誘われ顔中に幸せそのものを塗りたくったかのような表情になった。アンドリューはその過剰なまでの反応を見て思わず一歩下がり、そそくさと掃き掃除を再開した。
「……そういえば前ナティから聞いたよ、君はホグズミードを……ふっ……口説いてるんだってね」
自分でも何を宣っているのか全くもってわかっていないアンドリューだったが、二年前に編入してきた日から暴露呪文の乱用や床で仮眠をとっている光景を数多の生徒達に見られていたスリザリン生を前に何を今更、と開き直る。それはそうと自分の口から出たあまりにもとんちきな文に笑ってしまった。
「どういう意味?」
「『ホグズミード、今行くよ』って毎度のように言ってるんだろう?」
「……っ言わされてるの!」
「誰に!?」
居残り罰が課せられてから二時間は優に超えているのだろう。風は勢いこそそのままだが気温と共に段々と冷えていき、橙の空に濃藍のグラデーションがかかりはじめていた。
スリザリン生は魔法生物用のブラシの毛抜きを掃き掃除と教科書の整頓を終えたアンドリューと共に進めていき、残り三個となった頃に「標本は私が直します、あなた達……特にミスター・ラーソンには任せられないので」と教室へ戻ってきたホーウィン先生に告げられた二人はお互い隣人に目線を送ろうとしていたのか目が合った。
言葉は交わされなかったものの、修復においての信頼を完全に失ってしまったことではなく『そろそろ開放される!』と伝えようとしていたことは明確だった。作業の手が突如早くなったことに気づいたホーウィン先生は二人の単純さに思わず呆れの入り交じった笑いが溢れる。
「明日の天文学は何するんだろ……楽しいけど最近は夜寒いから嫌だなぁ」
座りっぱなしの作業で体全体がこわばったスリザリン生は立ち上がってグッと伸びをしながら会話の火種を投下した。
「みなみのうお座の一等星、または秋の一つ星、フォーマルハウト」
「……ん??」
「星の少ない秋の夜空に見える唯一の一等星。たとえ凍死してでも見る価値はあるよ、シャー先生はここ数日フォーマルハウトの話をし始めてくれたじゃないか」
「アンドリュー、それ、シリウスに対しても同じこと言ってたような」
「まあ。……星というのは手が届かないからこそ惹き付けられると思うんだ。そしてこれは星に限った話じゃない──例えそれが『比喩においても』な」
急に何をロマンチストのようにほざくか、とスリザリン生は言いかけた。
最後の一個を終えたところでホーウィン先生から解散の許可を得た二人はホグズミードへの訪問の約束を日時と共に再度確認した後それぞれの帰路についた。スリザリン生はふと空を見上げ、紺色に塗りたくられた秋の夜にまぶされた星々と雲の後ろに隠れてる半月を浮かばせた夜空を目に焼き付けた。
「綺麗な空だなぁ……そういえば二人はまだ待ってくれてるのかな、居残り受けてるってふくろう送っとけば良かった」
スリザリン生は申し訳ない気持ちに満たされながらフィールドガイド本を取り出した。そして十秒も経たずしてカチッと音が響いたと同時に彼は空気に溶けたかのように姿を消した。
「アルバスー?ギャレスー?」
出来るだけ早く『必要の部屋』へ煙突飛行したスリザリン生は待ち人を栽培室に(当然だが)見かけず、二人の名を呼びながら栽培している噛み噛み白菜を片手間に収穫した。
「調合部屋かな」
いくつもの調合台が並ぶ一室はスリザリン生以外にも時折、大抵は無断で使用するだけでなく、数ある部屋の中で唯一ソファが複数設置されているという理由で友人達のたまり場となることもあった。
噛み噛み白菜の種を植え直したスリザリン生は期待を調合部屋に押し付け顔を覗き込ませ、不本意にもこの世のものとは思えぬ程(彼にとって)愛らしい光景を視野に入れた。
「何処に行ってたんだ?それにアルバス君が来るなんて知らなかったし、彼もう寝ちゃったんだけど」
ギャレスはスリザリン生の姿を捉え、彼に呼び掛けたものの反応が芳しくなかった事に困惑しつつもう一度声をかけようとした。
「大丈夫?」
「…………可愛いなぁって思った。二人とも」
「ん。あぁ……ん?それより……君は一体僕らをどれだけ待たせる気だったんだ?」
『ギャレスの肩に寄りかかりいつの間にか眠ってしまったアルバス』をどれだけ真顔を取り繕っても隠しきれていない笑みで見下ろしながら「居残りしなきゃいけなくて…」と片手を頭の後ろにやりながら答えた。
「一体何をしでかしたんだ?」
「魔法生物飼育学の授業中色々考え事してたらぼーっとしてたみたいで、気付いたら授業終わってた」
「つまり寝たってことか」
「寝てないってば!これは本当!」
アルバスが眠っているというのに声量を抑える事もしないスリザリン生を咎めるように人差し指を自身の口の前に持っていった。スリザリン生は「ごめん」と口ごもった。彼が居眠りしていようがしてなくとも特に驚かない程奇僻に慣れてしまったギャレスはそれに適当に相槌を打って話を切り変える。
「ヤマアラシの針は八本位あれば良いよ」
「あっそうだ……忘れた」
スリザリン生はフィールドガイド本を取り出しながら魔法生物を飼育している部屋へと走り去っていった。しばらくすると壁越しにも状況が何となく掴める位に大きな喚き声が必要の部屋に響き渡り、ギャレスはその騒音に反応して身体を縮ぢこませたアルバスをあやす様に肩をポンポンと叩いた。
騒音が冷めて少し経つと、スリザリン生が身体中にヤマアラシの針に刺された状態で調合部屋へと戻ってくる。
「まるで君がヤマアラシになったみたいだね」
「そこまでじゃないよ……そこまでじゃないよね?」
ギャレスは冗談めかしてそう言ったものの、スリザリン生が淡々と針を抜いていく光景を見苦しく思い目をそらした。当のスリザリン生本人は痛覚が遮断されているのかと思う程速やかに針を取り除いていた。
「僕に刺さった針って洗ってもヤダ?」
「血を洗い流してくれれば構わないよ」
「わかった。あ、後でアルバス起こしてやらないとね……あっやばっ」
スリザリン生はヤマアラシの針を適当な調合台に置き杖を一振りし『アグアメンティ』を唱え針を洗い、すぐ『エバネスコ』で杖の先端から出した水を消失させた……が、水に終わらず調合台も誤って消失させてしまう。
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫だけど……『照準』で調合台も巻き込んじゃっただけっぽい」
スリザリン生はヤマアラシの針を床から拾い上げ、出現魔法で同じデザインの調合台を出現させて角度と位置を調節しながら「安らぎの水薬って今作るの?」とギャレスに尋ねた。
「僕も眠たくなってきたし後日ここを借りるよ。アルバス君、寮室に戻ろう」
アルバスを軽く揺すりながら起こそうとしたものの反応はなかった。それを見かねたスリザリン生は一つの案を提唱する。
「僕はアルバスが話したいことがあるって言ってたから起きるまで待つよ。二人きりが良いみたいだから、その」
「わかった。良い夢を」
ギャレスはアルバスを起こさぬよう頭を抑えながら慎重に立ち上がり、スリザリン生はギャレスの座っていた位置に代わりに腰を下ろし自分の肩にアルバスの頭を寄せた。お休みの一言を交わして部屋に二人残ったスリザリン生は暇潰しに片手でフィールドガイド本を開き、クレシダ・ブルームの日記の一ページを模した羊皮紙を『写し出した』。
「性格悪いなぁクレシダは。でも別にこの酷評は間違ってないんだよね……言葉は選ぶべきだけど」
それぞれの羊皮紙にはギャレス・ウィーズリーに始まりエバレット・クロプトンやイメルダ・レイエス、ソフロニア・フランクリン等様々な生徒に対する悪口や貶しがびっしりと書かれおり、読んでて楽しいものではないとはいえひねくれ者にどう世界が見えているかの追体験は決してつまらないものではなかった。
「この日記ももう二年前のかぁ。クレシダは僕の悪口も書いてたりするのかな。まあ別に僕は良いけどポピーの悪口は絶対に許さないぞ……」
今まで故意でも無自覚だとしてもしでかしてしまった事や自身の特異性から、誰かに狙われ中傷されるという事はおおよそ他人事ではないと自覚しているスリザリン生はクレシダの日記を斜め読みしながらぼやいた。
時刻は夜の十時過ぎ、日記を一通り読み終えた後は(勝手に拝借した)他人の手紙にも読み耽りアルバスの頭が肩に寄りかかっているという事もとうに忘れていた頃にアルバスが目を覚ます。
「……ギャレス、先輩?」
「おはようアルバス。僕だよ、ギャレスはもう行った」
「あ……ごめんなさい。重たいですよね」
先程まで隣にいた人の声ではない事に気付いたアルバスは重たい目を擦りながらスリザリン生を見定め、肩に寄りかかっている体勢から身を起こしあげる。
「大丈夫だよ。こっちこそ待たせてごめんね、居残りしなくちゃいけなくってさー……それで話って?」
「はい。深刻な話とかではなくて、ちょっとした世間話を……先輩の事をもっと知りたいなと思って」
「特に話すこともない気がするけど」
「そんなことないですよ。聞きたいことは沢山あるので」
スリザリン生は感心からか驚きからか目を丸くしつつ、すぐにまた微笑んだ。フィールドガイド本を閉じて両腕で抱えながら「答えられるものなら答えるよ」とどこか濁しつつも聴した。
だがその「答えられるもの」は思ってたよりも狭き門だったようで、話を広げられそうな簡単な質問……好きな教科や個人的に気に入ってる先生、天候に好きなお菓子等の些細なものは悉くうやむやな答え(「気分次第」をまどろっこしくしただけ)を返されてしまっていた。
唯一まともな回答を引き出せたのは、「闇の魔法使いになるつもりですか?」とほんの冗談で聞いた質問だった。スリザリン生は取れてしまいそうな勢いで首を左右に振りながら「ないないない!アルバスのバカ!質問はちゃんと選びなさい!」とあまり真面目に聞けない叱責を食らわせアルバスを笑わせていた。
アルバスはその後ものらりくらりと話すスリザリン生に度々むず痒くなり、いよいよ最も「答えは知りたいけど本人からは聞きたくない」質問を問いかけた。
「……先輩は恋とかしますか?」
「恋かー。まだ一年生だというのに随分とませてるじゃん」
「貴方の多面性は理解していますが、だからといって度々話の腰を折るのは悪いところですよ」
「……オミニスにも似たようなこと言われた」
「実に妥当な評価じゃないですか。それでどうなんですか?」
「わからない」
「まあ、貴方ならそういうと思ってました」
人前では感情表現が豊かで喜怒哀楽がキッパリと分けられているスリザリン生だったが、珍しくもの寂しさと戸惑いが混じったような弱々しい笑みをアルバスへ向けた。
「違うってば。本当にわからないんだ」
「と言いますと?」
「好きに色々あるのはわかるんだ、その中に恋心ってものが入ってるって僕は思ってるんだけど……」
「恋」という自身とは到底相容れない概念に対する回答をどうにか捻り出そうとしているスリザリン生を緊迫した表情で見つめるアルバスは一方で「本当に聞きたいのだろうか」と心の中で思い続けていた。
「もしかしたらもう誰かに恋してるのかもしれないね。でも皆同じくらい大好きなんだ、各々の性格とかで表面上の接し方は変えてるつもり。恋をする感覚がわからないからそう思ってるのかもしれないと言われればそれまでだけど」
「僕はわかりますよ」
「何が?」
「先輩が恋をしている人です」
アルバスは自分の意思とは反対に小刻みに揺れるキラキラと輝く青い目をどうにか抑えながら一回の深呼吸を経て答えた。
「……ギャレス先輩ですよね」
「ん????」
「先輩は、えと、良くあの人と一緒にいるじゃないですか。それに気付いてるんですよ。今朝、ギャレス先輩とデートしたって言いかけていたこと」
スリザリン生の脳内は困惑が支配していた。呆気からんとした顔つきで声を震わせるアルバスの証言を聞いていたが、その証言が終わって少しして口元を隠して笑いながら答え始める。
「ん…ふふ……あは…えーーーーーーー、ジョークだよそれは。急にビックリしたー……ギャレスは冗談が通じて気まずくならないしなんかシナモンの匂いがするからってわけで、それに付き合うとなったら絶対にイヤなタイプだよ彼は。てかイメルダともアミットともしてるし!」
「……、えっと、え……イメ、イメルダ先輩と?」
「ってのはちょっとだけ冗談……いやそこまで冗談ってわけでもないのだけど、まあなんでギャレスなんだろうねー。ここら辺は僕もわかんないよ」
「えっ、あ、そうですか」
「はぁ……『アイツ』はこんな時に限って代わりに答えてくれないんだから困るよ」
「……あの、先輩ってもしかしてお疲れですか?」
アルバスが抱いていたスリザリン生がなんと答えるかへの憂慮は、彼の脈絡も突拍子もない発言のせいでスリザリン生本人の状態に対する心配へと一瞬にして切り替わった。
「っそりゃあ疲れてるよ!昨日は全然寝れなかったし!」
「それは……災難ですね……あれ、床でも地面でも寝られる貴方が寝不足ですか?」
心配といえどスリザリン生なら対した問題ではないだろうと無意識的な信頼を寄せていたアルバスは軽く茶化しつつも、内心ではむしろ普段が図太すぎる彼が寝不足だという事実に不安を募らせていた。
「あはは、こう見えて僕って結構必死に生きてるんだよ」
スリザリン生はくしゃっと顔を綻ばせて笑った。普段のパキっとした明るい笑みとはまた違う、様々な感情の込められた微笑にアルバスは一瞬目を奪われるも、絶妙にはぐらかされた返答の中で一際目立った『必死』の一言を更に掘り下げようとした。
「命懸けで闇の魔法使いと戦い続けているのが悪いのでは」
「そういう意味じゃないよ、仮に死んじゃっても『リスポーン』出来るし。僕が言ってるのはとある折り合いについてだよ」
聞き慣れない単語は受け流すと学んだアルバスはそれに続いた回答について触れる。
「折り合いですか。答えたくないのなら別に良いんですけど、誰と何についてですか?」
「ふぅ」と息を深く吐いたスリザリン生は抱えていたフィールドガイド本をソファの空き席に置き、本の革表紙を軽く叩きながら答えた。
「『僕』だよ。なんせ自分自身でもなに考えてるのかがわからなくなるときがあるから」
「なるほど、何となくわかります。ごちゃ混ぜになった気持ちを整理したくなる事が何度あったか」
「全人類共通だよね。でも僕のは自分だけで完結する感じじゃないというか、気持ちの問題で終わらないような気がして……いや、これ以上はちょっと言いすぎになるかな」
散々興味を惹かれたところで打ち切られてしまったアルバスは思わず身をのりだし「教えてください」と焦慮に駆られながら願ったものの、スリザリン生はただ変わらず微笑んでいた。
「じゃあ真実薬でも持ってこないと。話したいのは山々だけど、許されてないって感じがするんだ」
「……心の中の貴方にですか」
「きっとね。ほら、もう夜も遅いから自分の寮に戻ろうか」
スリザリン生は自分の返答に自信がないことを誤魔化すかのように、アルバスの鳶色の髪に触れながらまぶたを伏せて笑った。
「『ベリタセラム』……三滴だけで全て白状……醸造に月の満ち欠け程の時間を用いる……魔法省の厳しい管理下にあって──」
「生徒への使用は厳禁」
図書館の一席で高度な魔法薬についての本を借りたアルバスは「真実薬『ベリタセラム』」の項目を熱心に何度も読み返しながら羊皮紙を見ずに羽根ペンを走らせていた。
周囲の雑音を全て打ち消す程の集中力はアルバスの右を通った誰かの一言で途端に崩れ去ってしまい、アルバスは心臓を跳ねあげながら右を見上げる。
「……ギャレス先輩」
「ベリタセラムは七年のN.E.W.T.で学ぶ魔法薬だというのにもう独習しようとしてるのか」
「そうかもしれません」
昨晩のスリザリン生との対談でギャレスは本人二人でさえ理由もわからないまま厚遇されていると再認識したアルバスは、そんなつもりはないというのに素っ気なく返してしまった。
「すっごい曖昧な答え……まあ頑張って、もし仮に醸造してみたいってなったらいつでも手を貸すよ。それじゃ」
「先輩」
ギャレスはどこかピリピリとした後輩を気に掛け、そう言い残し去ろうとした途端アルバスに呼び止められる。いつになく真剣で冷えた声色だったことに双方気付き一瞬空気が気まずくなったものの、どうにか和ませるべくギャレスが静止を断った。
「どうした?」
「たまたま所持してたり……いや、前に醸造した事があるのなら是非助けてもらいたくて」
「ベリタセラムをってことなら、本来はシャープ先生に全部提出しなきゃいけなかったのを少量こっそり手元に残しておいた分があるんだよね。別に今後誰かに飲ませる機会はないだろうしせっかくならあげるよ」
自他共に認める「魔法薬学の神童」は伊達ではないな、と感服から目を見開いた。
「本当に良いんですか?そんな希少なものをなにもせずに貰っても……あの、実はこの薬は──」
ベリタセラムの用途とアルバスの事情から誰に使用するかを彼なりに推測したギャレスは「説明はいらないよ」と気を利かせ、放課後談話室にて待つ約束を取り付けた。改めて図書館を後にする前にアルバスの肩に手を乗せて笑みを見せたギャレスは、先程はなぜぞんざいに接していたのだろうかと思わせる程の親しみやすさを醸し出してた。
「仮にベリタセラムが使用された途端魔法省に即通知が向かうとしても必要の部屋で使えばその点は大丈夫だろうし。いかにも、生徒には使用してはいけないなんてルール最初から守るつもりないだろ?それじゃ、また後で」
「……さっきは申し訳ないことをしました」
「ん?」
「いえ、こっちの話です」
旧来より他人をも巻き込む小さな悪行を自身の生活の一部にしていたギャレスの頼りがいと寛容さに、アルバスは知らぬ間に唇を弓なりにしていた。
『……聞いたぞ。アルバスが真実薬を誰かに盛るんだって?』
『リアンダー!周りに人がいるんだ、静かにしてくれ……まあ他の誰にも言わなければ……絶対に……』
ギャレスが段々と離れていく光景を少しの間見守ってから本に目線を戻した瞬間全身に悪寒を走らせる会話が聞こえたアルバスは、開きっぱなしの本に突っ伏しながら落胆から頭を抱える。二人の声が完全に図書館の奥へと消えるまで耳が火照る感覚と締め付けられる心臓に苛まれていた。
夕暮れ時、人気のないグリフィンドール寮談話室に足を踏み入れたアルバスはパチパチと薪の燃える音と共に暖かな朱色で周囲を照らす暖炉の近くに座る赤毛の青年と、もう一人別の赤毛の青年を彼の隣に見かけた。
「ギャレス先輩……とリアンダー先輩」
「それでアンドリューが来週も全員分のマフラーを持ってくるらしくて……あ、アルバス君」
アルバスを見てギャレスは話を中断し手を振りながら迎えた。
「やあアルバス。面白い話が聞けそうだと思っただけだ……別に密告しようってわけじゃないから安心してくれ」
リアンダー・プルウェットはギャレスの肩に肘を乗せており、アルバスの到来まで随分と寛いでいたのが伺える。
「それなら良いのですが」
「これが例のベリタセラム。でもどうやって飲ませるつもり?」
アルバスは暖炉近くまで向かい、砂時計のような造形をした小さな青色の小瓶をギャレスから受け取りながら「あの人の事なので飲み物に混ぜれば良いでしょう」と楽観的に答えた。三人全員共通意識を持っていたのか声に出して笑った。
「今日決行するとしてここに呼ぶのか?それともいつもの部屋か」
ギャレスは肩に乗っているリアンダーの肘を(「飛び入り参戦したんだから話はちゃんと聞いとけ」と小声で囁いてから)然り気無く払い除けながら見通しを尋ねる。リアンダーはそれに懲りずまた肘を肩に乗せようとしたが事前に押し退けられていた。
「え、先輩方も来るんですか?」
リアンダーは目を見開きギャレスを一瞥してからアルバスへ向きなおって、「そりゃあ気になるし」と答えた。
「……質問内容はあまり聞かれたくなくて」
「リアンダーがすまない。全部じゃなくていいし、嫌ならそれで大丈夫だから終わったら是非何が起こったか教えてくれ」
ギャレスが落としどころを薦めると、アルバスは青色の小瓶を少し見つめてから安心したように頷いた。
「わかりました。でも多分今日中には無理ですよ、あの人夜は基本城外にしかいないので」
「アイツらしいな、いずれにせよ成果が出たら教えてくれ」
「色々ありがとうございます、ギャレス先輩」
「……僕は?」
リアンダーがそう言った瞬間ギャレスとアルバスの思考が完全に一致した。二人はお互いに目を交わし何度か瞬きをしてからまた逸らし、アルバスは先輩相手という事で言及せずにいたが友人相手の軽口としてギャレスが一言突き刺した。
「君はなにもしてないだろ」
「「「…………」」」
「それでは失礼します。良い夜を」
数十秒の沈黙の後アルバスが会釈しながらそう伝えて寝室へ向かい始める。談話室にギャレスと残されたリアンダーはあくびを溢しながら不満を垂れた。
「……なんか冷たくないか?」
「僕と君の仲ゆえだよ」
平然とした返答を誇らしく思ったリアンダーは直ぐに調子と(別にそこまで失っていたわけではない)機嫌を取り戻した。
「まあな。でもお前だって出来れば居合わせたかったって思ってるだろ?」
「当たり前さ、なにしろ好奇心に抵抗するのは難しい。でもきっとアルバス君は踏み込み始めてる訳だけだから尊重してあげたいって気持ちの方が大きいのかもしれない」