糸の約束
原作26巻228話の直後あたり「あ、石田や〜」
どこか気の抜けた声に石田は振り返る。二学期に入ってから持ち歩くようになった黒いギターケースを手にして、平子撫子が立っていた。
「平子さん……」
「なんや久しぶりやんなァ。一護もチャドくんも織姫ちゃんもみぃんな登校して来ぉへんの。石田もどうせたまたま登校できただけやろ? みんな大変やね」
まあアタシもノートのために登校したようなもんやけど。そう言っていつもと変わらない表情でケラケラ笑う。
——「今後一切死神には関らんと誓え」
——「……誓います。僕は二度と、死神ともその仲間とも関らない」
喋ろうとして開いた口を閉じる。
そうだ。滅却師の能力を取り戻すにあたって、死神ともその仲間とも関らないと誓ったのだ。それは能力が戻った今も有効だろう。取り戻してから数日しか経っていないのだから尚更。
周囲の話に耳を傾けてみたところ、黒崎一護も茶渡泰虎もしばらく登校していないようで、つい先日から井上織姫も同様らしく、平子撫子はそのいずれかに——おそらく黒崎——に関わっているのだろう。
平子撫子には謎が多い。霊圧は人間のそれなのに死神の力を持っていて、けれど尸魂界の死神ではないようだし、本人も死神ではないと自称している。しかし最近になって持ち歩き出したギターケースの中身は斬魄刀ではないかと石田は睨んでいる。もちろん、中身を見たわけではないので確証はないし、確認するのはなんとなく憚られた。
石田からしてみれば、平子撫子はおそらく死神だが不確定な存在である。誓約の範疇か判断に困った。
遠ざけるべきだろうか。石田が逡巡している中、撫子がパシッと思い出したように手を叩いた。
「——あ! せや! なァ、石田って裁縫得意やったよね? 編み物もできる?」
「え? あ、あぁ……そう、だね。できるよ」
「それなら、冬になったらアタシに編み物教えてくれへんかなぁ。家族にあげたくて本とか見てみたんやけど。習うより慣れろでやってきたからかなァ。直接教わった方が早い思うて」
「何を作るんだ?」
「マフラー! 今はなーんかみんな忙しいし、このままやと本とにらめっこして冬通り越して春になってまうわ」
九人家族やから量も多いねん。そう言ってからちょっと神妙な顔になる。
「——冬にはいろいろ片がつくと思うねん。しゃーから、落ち着いたらその頃に」
だめかな? と首を傾げる撫子は、ほんの少し困った表情で笑っている。きっと計算なんてしていない仕草だろうに、石田は少しどきりとした。
「……わかった。教えるよ」
「ホンマ⁉︎ ありがとう石田! 代わりに授業のノート取っとくわ! ちょくちょく登校して周りから借りてノート作っとくから!」
石田も頑張ってな! と、ふわふわした金の髪を翻して、撫子は自分の席へ戻って行く。
約束をしてしまった。推定死神の平子さんと。ノートはかなり有難いけれど、これは誓約の範疇に入るのだろうか。クラスメイトとしてなら大丈夫だろうか。
石田は少し速い自分の鼓動から目を逸らすように思考を巡らせた。
それから。平子撫子は藍染の手の者により虚圏へと連れ去られた。
そのことを石田が知ったのは、浦原から井上織姫が破面に拉致されたとの報せを受け、浦原商店へ向かう道中。最後の会話から約一ヶ月後のことだった。
**
「その金髪……平子撫子だな」
「なんやオマエ」
下校中、道を遮るように現れたのは黒髪の男破面。特徴を見るに、一護が遭遇したらしい個体だ。その顔には表情らしい表情が見えない。
運がない。今日は織姫ちゃんとチャドくんはいなかったけど久し振りに石田の顔を見れて、しかも約束もできたのに。撫子は顔を歪めた。
「藍染様からお前を連れ帰るように命じられている。俺と来い」
「あ〜……ちょっと待ってや。連絡入れるから」
撫子は不自然なほど自然に、ポケットから家族に借りた携帯を取り出す。特に妨害はされなかった。
かけるべき連絡先は二件。とりあえずはそれだけで充分だろう。
「……もしもし浦原さん? せやせや。アタシアタシ。ごめーん、しばらくバイト無理っぽいわー。ホンマごめーん! それじゃ! …………もっしもぉーし! カワエエ撫子チャンですけどォー! 電話口どなたァ? お、ローズやん。今日は当番やないもんね。……ローズゥ、ごめん遅くなりそうやってみんなに言っといて。……え? ちゃうちゃう。ちゃんと帰るから心配いらへんよ。一護の修行頼んだで。ほな!」
連絡を終えて携帯をポケットに仕舞う。それから、無表情を貼り付けた破面を見遣る。
「別れは済んだか? なら——」
「縛道の六十三、『鎖条鎖縛』」
放たれた長い縛道の鎖はあっさりと破面の手で跳ね除けられ、音を立ててアスファルトへ転がる。
「……ハイそうですかァって着いてく奴がどこにおんねん。抵抗はさせてもらうで」
「……」
左手には既に次の鬼道の準備がある。タダで連れ去られるつもりはなかった。
「縛道の六十二、『百歩欄干』!」
投げつけた棒状の霊圧は途中で分裂し、破面の周囲へ出鱈目にばら撒かれる。掠りそうな一本を、また片手で難なく弾いた。
「何のつもりだ? こんなもの——」
言い終わるよりも速く、破面の視界から撫子の姿が消える。
——瞬歩か。
探査神経を使うまでもない。己の後方へ移動したのだ。
破面が後方へと振り返ると、やはり撫子はそこで跪いて——
その手は最初に弾かれた縛道の鎖に触れていた。
「破道の十一、『綴雷電』‼︎」
——なるほど、二撃目は鎖を移動させ固定するための——
棒状の霊圧により縛道の鎖は破面の周囲にジグザグに固定され、その鎖を破道の雷が奔る。
破面は回避のために跳躍して、上を取っていた撫子に気づく。
至近距離だ。
「——槍打つ音色が虚城に満ちる! 破道の六十三、『雷吼炮』ッ‼︎」
今の義骸で出せる限界の霊圧を乗せた雷撃が破面を覆い尽くす。破面の姿が見えなくなるも、撫子は一旦距離を取る。これで終わるはずがないのだ。
ギターケースを開けて、浅打を取り出す。未だ斬魄刀になってはいないが、刃を介した鬼道を使用するために鞘から抜き放つ。
——取り敢えずどうにかしてコイツをここに足止めして全速力で撤退する。勝てるなんて思うな。
——仮面の軍勢のアジトに戻るわけにはいかない。撤退先は浦原商店。あそこなら浦原さんに夜一さんがいる。
雷撃が収まる。大したダメージになっていない破面の姿を視認して、次の鬼道を繰り出した。
「破道の七十八、『斬華輪』——!」
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——熱い。
——はらわたがあつい。
倒れ伏しているアスファルトの温度は低いのに、瞬閧のせいで制服の肩と背中は弾けて露出されているはずなのに、撫子の身体は痛みよりも熱さを感じた。咳き込めば温い血が吐き出される。
「——」
破面が何か言っているが、聞き取れない。アスファルトを伝わる振動で、破面が近づいて来たのが解った。右手の浅打をなんとか握り締めるも、その力は弱々しい。
——しんぱい、させてまうなぁ。
——みんななら、こぉへんと、おもうけど。
——アタシのせいで、ひゃくねん、むだになったら、いややなぁ。
瞼が降りる。過ったのは白いクラスメイト。
——ノート、つくらんと、いけんのに。
——やくそく、ふゆまでに、かえれるかな。
首に破面の冷たい手が掛かったところで、撫子の意識は黒く鎖された。