第六章
双殛の丘での戦い双殛の丘
「な……!? 何だよこりゃ…!? げほっ! げほっ! な…何だってんだ一体――」
⦅あれは“太陽の鍵”の様なものか――しくじった…⦆
カワキは眉間にしわを寄せて手際よく止血する。隣で咽せていた恋次が顔を上げて、呆然と呟いた。
「…何だ…? ここは…双殛の丘――…?」
「ようこそ。阿散井くん。旅禍の少女。そして、もう一度言おう。朽木ルキアを置いて退がり給え」
先程と同じ笑みで、同じ言葉を繰り返した藍染に、恋次もまた同じ言葉を返した。
「…断るって言ってんだろ…! ……カワキ、さっきはありがとよ…お前は下がって傷の手当てしてろ」
『援護くらいはするさ。この程度で動けなくなる様な柔な鍛え方はしてないつもりだよ』
ルキアを抱えたままの恋次が刀を握った。少し後ろでカワキが銃を構える。不気味に微笑んだ藍染が、囁くように「…そうか」と呟いて刀を振るった。
◇◇◇
ぼたぼたと音を立てて血が滴り落ちる。引き攣った顔のルキアが、肩で息をする恋次を仰ぎ見た。
「…れ……恋次…!」
「…やれやれ…」
藍染が刀を横薙ぎに振るうと、飛び散った血が地面に線を描いた。血塗れの腕をぶら下げた恋次の顔に、諦めの色は欠片も見当たらない。
「随分上手く躱すようになったじゃないか、阿散井くん。成長したんだね。嬉しいよ」
親しげに言葉をかける藍染に対して、恋次は険しい顔をしたままだった。藍染が景色でも眺めるように顔を背ける。
「だけど、できれば余り粘ってほしくはないな」
余所見をする余裕を見せた藍染の横面に、カワキが弾丸を浴びせる。道理のわからない子どもを見るような眼差しで銃撃を防ぐと、恋次へ穏やかに告げた。
「潰さないように蟻を踏むのは力の加減が難しいんだ。僕も君の元上官として君を死なせるのは忍びない」
恋次がそっと息を吐く。恋次の身を案じるように名を呼んだルキアに「黙ってろ…」とだけ言って、藍染を睨み付けた。その目には怒りが燻っている。
「何が…“元上官として死なせるのは忍びない”だ…! だったら何で雛森は殺した…!」
「ああ、さっきの霊圧の震えはやはり天挺空羅か。勇音くんだね」
⦅このままじゃジリ貧だ……。火力も。速度も。何一つ足りてない――…⦆
雛森の事は仕方が無かったと語る藍染の言葉を聞き流しながら、カワキは考える。現状のカワキでは藍染とまともに戦うのは論外だ。だが撒いて逃げるという案も現実的ではない。カワキは『手詰まりだな…』と小さな囁きをこぼして、ため息をついた。
「…良く解ったぜ。あんたはもう、俺の知ってる藍染隊長じゃ無えって事がな。どんな理由があるか知らねえが、死んでもあんたにルキアは渡さねえ」
「もう自分の知る藍染惣右介ではない、か。残念だがそれは錯覚だよ阿散井くん。君の知る藍染惣右介など最初から何処にも居はしない」
カワキが頭を悩ませているうちに、二人の会話が進んでいた。凄みのある笑顔を見せた藍染に、鋭い眼光で眉を寄せた恋次。高く跳躍し、刀を振り上げる。
「吼えろ蛇尾丸!!!」
伸びた刀身が藍染を頭上から狙う。カワキが銃撃で援護した。藍染はどちらの攻撃にも振り向かない。刀を頭上で構えて口を開く。
「始解か。その傷みきった体では始解が精々だろうが…わかっている筈だよ」
蛇尾丸は構えられた刀に直撃すると、そのまま曲がって地面を削った。藍染の腕はぴくりとも動かない。
「始解じゃ時間稼ぎにもならないって事ぐらいはね」
⦅直撃してこれか――…!⦆
悔しげに「くッ」と歯を食いしばって、恋次が刀身を戻す。恋次の叫びに合わせて、鞭のようにしなった蛇尾丸が再び藍染に向かって伸びた。
「わかんねえさ!!!」
「困った子だ」
藍染が素手で刀身を鷲掴んで止めた。折れ曲がった刀身は藍染の足元だけを削り、石の破片が飛び散る。素手で受け止めた藍染に恋次がゾッと悪寒を覚えた。
⦅これだけ霊圧に差があっては、阿散井くんの攻撃は決定打にならない……⦆
「やはりあの三人の中で君が一番厄介だよ。阿散井くん。確信だ」
援護しながらも、彼我の実力差を測るカワキの目の前で、藍染が蛇尾丸を繋ぐ骨に刀を押し当てて切断した。刀身がバラバラに散っていく。驚愕する恋次の背中から、噴水のように血が噴き出した。
「どうやら、僕の勘は正しかったらしい。最後だ。朽木ルキアを置いて退がりたまえ」
⦅潮時か……。阿散井くんは保たないだろう⦆
濁った目で藍染が最後の忠告をする。カワキは恋次が諦めると思い、自棄になるであろう一護をどう止めようかと思案した。しかし、予想は裏切られる。
「…放さねえぞ……誰が放すかよ…バカ野郎が…!」
恋次の答えにカワキがきょとんと目を丸くする。ルキアを抱き寄せる腕にグッと力を入れて、恋次は不敵に笑った。藍染が静かに口を開いた。
「そうか。残念だ」
⦅阿散井くんが斬られるな……⦆
カワキは、恋次に向かって振り下ろされる凶刃を眺める。護衛対象ではない恋次を守る理由がカワキには無かった。藍染の刀を刀身まで黒い刀が受け止める。
「…よォ。どうしたよ、しゃがみ込んで。ずいぶんルキア重そうじゃねえか。手伝いに来てやったぜ。恋次!」
ついに来てしまったか。言葉には出さず、カワキが胸の内で呟く。こうなっては前に出ざるを得ない。
カワキは一護を見て意味深に微笑みを深める藍染を注視しながら、銃を握り直した。