しんそう
これは拙作、『ひょうそう』の続きです。読んだことがない場合はリンクからご一読お願いいたします。
医療の知識に対して多大な捏造を含みます。ご注意ください。
今回は正史ローさん視点です。
「――ということで、ローさんが用意したスープ飲んで、ベッドに入ったとこまで見ました。あと、今日のスープ作ったやつ、ローさんが『うめェ』って言ってたぜ」
「よぉっしゃ!!」
シャチを含め昨日あいつに関わったやつからの報告を聞いていく。……誰だ今大声出したやつ。まァいいか。
治りかけの状態で歩き回ったのは問題だが、何か口にできたことは良かった。あとは吐き戻したりしてなけりゃいいんだが……。
そう考えていると、フッと何かが繋がったような感覚が身体に走った。
「あいつが起きた……行ってくる」
クルー達に言い残し、カルテや診察道具などを持って部屋へ向かう。それだけで意味がわかるくらい、おれもクルー達も今の状況に慣れてしまっていた。
足を進めながらカルテへと目を向ける。全身にある細かいものを抜くと、右腕の欠損、背中および胸の執拗な切創、心臓への刺繍、……珀鉛病の初期症状。どれを取ってもひどい有り様だったが、治療の甲斐あって少しずつ回復している。それよりも問題なのは……そんなことを考えている間に、あいつの部屋の前へ到着した。
カルテから目線を上げ、扉を叩く。
「……おぅ」
か細い声を聞こえたのを確認し、扉を開ける。それに気づいた他の世界からやって来たおれがこちらを向いた。
「ひとつ聞きてェんだが――」
おれと目が合うと、他の世界のおれは口を開いた。
「――何日間、誰が表に出て体を支配していたんだ?」
そして、他の世界のおれが、おれと朝会う度にする質問を、空っぽの表情のまましてきた。
解離性同一性障害。あるいは多重人格。それが身体以外にあいつが負っていた損傷だった。
今のところ確認できている人格は目の前にいる他の世界のおれ以外に二人。『コラさんを名乗る人格』と『クルー達と出会ってからの記憶と感情を持つ、もう一人のあいつとも言える人格』だ。
『コラさん』の方はともかく、『もう一人のおれ』と目の前にいるおれの人格、どちらが主人格なのか精神医学が素人のおれが診断するわけにはいかねェが……おそらく、後者が主人格だ。
目の前にいるおれが表に出ているときだけ、自分の中で何かが繋がったような感覚と心身が強い衝撃を受けたときの感覚の共有が起きている。おれはそれを、双子が感覚を共有するようなもんじゃねェかと考えている。そしてそれが目の前にいるおれだけで起きているのは主人格だからじゃねェかとも考えている。
まァ、あくまでも推測の域を超えねェし、誰かに話す気はさらさらない。素人の判断で現場を混乱させるなんてごめんだ。
おれから言えるのは、この繋がりが診察や誰が表に出ているのか判断するのに役立つということだけだ。目の前のおれが表に出ているかどうか分かればあのときのようなことは防げる。
「……一昨日の夜中に『コラさん』が、昨日は丸一日『もう一人のお前』が出ていた」
他の世界のおれの表情に色々と思うところはあるが、その思いを抑えて本当のことを口にする。それを聞いて他の世界のおれはほんの少しだけ眉をひそめた。
「コラさんが……」
「『コラさん』が出てきたのは、お前が夜中だからって鎮痛剤が切れたのに報告しなかったときだ。傷口が開いたのはお前のせいじゃねェが、こういうときは時間は気にせずちゃんと報告してくれ」
「そうだな、すまねェ。
……またおれなんかがコラさんに迷惑かけちまった」
そんなことを他の世界のおれが言うせいで、今度はおれが眉をひそめたしまった。
ドフラミンゴの野郎に負けたということは、戦いが終わったあとのあの話を聞いてねェということだ。そんなおれが自分を『なりそこないの"D"』だと考えるのは、受けた愛に理由をつけるのは自然だ。
きっと『コラさん』がおれに『愛している』と告げるのもその影響だろう。もっとうまく返してやるべきなのだろうが、コラさんへの思いに嘘はつけねェ。いつも、若干の薄気味の悪さを自分なりの理解で抑え、本当のことを言うことしかできていない。
「……ともかく、診察を始める」
おれがあのとき言われたことを伝えてもいいが、ちゃんと聞いてくれるとは思わねェ。多分、あの言葉は向こうの世界のコラさんを知っている人から聞かねェと意味がない。
だから、おれはおれにできることをする。とはいってもせいぜい傷を治療するだけだが。
「傷は痛むか?」
「痛みはあるが耐えられねェほどじゃねェ」
心の中で頭をふって他の世界のおれに問いかけた。耐えられるをどこまで信用するか問題だが……少なくとも一昨日のようにおれにまで痛みが共有されるほどじゃねェから良しとする。
傷口を確認しながら必要に応じて包帯を替えていく。昨日よりも前に『もう一人のおれ』が戦いに出てしまったせいで開いた傷口だが、また少しずつ治っていた。
傷を認識できてねぇとはいえ『もう一人のおれ』にも困ったものだ。勝手に出歩いて戦いに出るな。あのとき『もう一人のおれ』の側にいたシャチなんかは、おれにそのことを報告したときに泣いてたんだぞ。
なお、同じことを言ったら近くにいたクルー全員にジト目で見られた。何でだ。
「身体の調子はどうか?食欲はあるか?」
最後の傷口に包帯を巻き終え、顔を上げて問いかける。痛みについて隠していた負い目もあるせいか、もう一人のおれは頭をひねりながらきちんと考えていた。
「調子は変わらねェ。食欲はあまりねェな」
「昨日、『もう一人のお前』が夜遅くにスープ飲んでたしな……もし湧いてきたら飲め」
スープを入れたコップを他の世界のおれの前に置く。他の世界のおれはコップを持ち上げ、薄味に作られたスープに一口だけ口をつけた。
「……誰が作ったんだ?」
『もう一人のおれ』がうめェと言っていたそれを表情を変えずに飲んだ他の世界のおれは、コップを置いて問いかけてきた。クルー達のことを聞くのは初めてだ。そのことに内心驚きながらも作ったやつの名前を口にした。
「……そう、か」
少し考えような素振りを見せたあと、ポツリと呟いた。自分へ流れ込んでくる他の世界のおれの思いについ胸を抑えた。
「会いたいか?あいつらは喜ぶぞ」
色々あって他の世界のおれとあったことがあるのは、ペンギンとシャチとベポの三人、それも一度だけだ。みんな、目の前にいる他の世界のおれの人格に会えねぇ理由はわかっているから大人しいが、会いたいと度々口にしていた。
「今じゃなくてもいい。あいつらは待っている」
「……無理だ。ちゃんと、理由も、ある」
他の世界のおれは、少しの間のあと、覚悟を決めた顔で首を横にふった。
「…………わからねェんだ」
何度も呼吸を整え、震える声で呟いた。
「わからねェんだ。あいつらのことをどう思っているのか。どう思っていたのか。大事なクルーなのに、記憶と感情がすっかり抜けちまってるんだ。こんなに大事なことを忘れるなんて……ハハッ船長を名乗る資格もねぇ。まァ、そう思っていたやつなんて一人もいねぇだろうけどな」
ずっと抑えていたのだろう。最初の一言を言うと堰を切ったように話し始めた。
「こんなおれが許せねェのにコラさんを殺すことになるのかって思うと死ぬこともためらっちまう。自分が作り出した、本物のコラさんじゃねェのに。
いや……違うか。おれが弱ェやつだから、勝手に理由つけて死ぬ選択すらできてねェんだ」
罪悪感が、後悔が、自分自身への嫌悪が、濁流のように押し寄せ、のまれそうになる。こうなるのは二回目だ。あのときみてェにならねェように必死に耐えながら話を聞き続ける。
「なァ、お前はどう思う?仲間を二度も殺したようなおれに生きている資格なんてあると思うか?」
そう言い切った他の世界のおれはポタリと涙を流した。……涙を見るのは初めてだった。
「すまねェ、こんなに話すつもりはなかった。ともかく、おれに会う資格なんてねェんだ」
「……はァ」
ある程度落ち着いてからも涙を流し続ける彼に気づかれぬよう、静かにため息をつき、内心で呟く。
まァ、そんなことだろうとは思っていた。
『コラさん』に初めて会ったのはこの世界にやって来た日だったが、『もう一人のおれ』に初めて会ったのは次の日だった。
傷の手当てをしている間に目を覚ました彼は錯乱しながらもROOMを展開して逃げようとしていた。
それをなんとか抑え、彼自身がやって来たときに言っていた事情を伝えた。すると、経緯には首をかしげながらもここが自身のいた世界とは違うということに納得し、無理に動いた弊害で気絶していた。
そして、その次の日、目の前にいる他の世界のおれに初めて会った。
ここに来た経緯を知る存在と知らねェ存在がいることを知ったおれは、また暴れだしたときのためにペンギンとシャチとベポの三人を連れていた。……それがそもそもの間違いだった。
他の世界のおれが目覚めたとき、何かが繋がるような感覚と昨日までとはまた違う表情に何かを感じていた。だが、何が違うかはっきりわからねェおれは黙って様子を見ていた。見てしまった。
何も止められなかった彼は空っぽの表情のまま目線を彷徨わせ、三人の存在を見つけた。そのとき、彼はわずかに目を見開いたように見えた。
『止めろ!』
その瞬間、何もない感情とそれに対する衝撃、そしてそれにともなう衝動がおれに流れ込んできた。おれは、それに抗ってそう叫ぶのが精一杯だった。
意識があいまいになっていたのはほんの数秒の間だったと思う。気づいたらベポが他の世界のおれを、ペンギンとシャチがおれ自身を抑えていた。
『すまねェ……のまれていた』
初めて感じた自殺の衝撃にバクバクとしている心臓を抑えながら、二人を安心させるために声をかけた。その声を聞いて正気に戻ったことに気づいた二人はおれにかけていた力を緩めた。
『ローさん……』
同じように落ち着いたことに気づいたベポは、そのまま他の世界のおれを抱き締めた。名前を呼ぶ声は震えていた。
『………………………あった、けェなぁ』
他の世界のおれは何かを伝えようと何回か口を開き、そして最後には何も感情が見えねェ声でそう呟いた。
感謝でも、謝罪でもなく、それでもベポの思いに何とか心から答えようとしていたことがわかる様子に、ベポは抱き締める力を強めていた。
「一応言っておくが、記憶も感情もお前の中の別の人格が持っている。お前の中にないわけじゃねェ」
悪化させねェために勉強を始めた内容によると、多重人格は一を二にするものではなく、一を分割していくものだとわかった。
別の人格が仲間の記憶と感情を持っている以上、目の前にいるおれの人格からそれらが消え去っているのは自明の理だ。
だが、それだけで納得できるようなやつじゃねェことはよく知っていた。
「それに、お前が仲間のことを何も思ってないわけねェだろうが」
だから、代わりに指摘してやる。お前自身が気づいてねェことを。
「もし何も思ってねェなら……何でお前は今泣いてるんだ」
おれの指摘を聞いてハッとした様子で顔に手を当てた。やっぱり気づいてなかったか。
「記憶や感情がなくても関係ねェ。
お前はあいつらを愛しているんだ。これ以上なく、な」
きっと、現実に存在する仲間を失い、自分の中の仲間達への思いまで傷つけられるのを恐れ、それらを守るために思い出せねェくらい厳重に封じ込めたのが、あいつがこうなったきっかけだ。それくらいあいつが仲間のことを愛しているのは他ならないおれが一番わかっている。
「失ったならまた取り戻せばいい。どう思っているのかも、どう思っていたのかも」
顔に当てたままの手を取る。まだ泣いてるが……多分違う涙だ。
「あァ、そうだ。そうだったなおれは、あいつらを……」
そう呟く他の世界のおれの口元はわずかに上がっていた。