かすがい。(5) #早瀬ユウカ&天童アリス

かすがい。(5) #早瀬ユウカ&天童アリス


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「……え、えっと、ユウカ?」


 心配そうなモモイの声に、一瞬だけ気持ちがくじけそうになる。

 だけど、ここまで来たらもう止まれない。みんなが勇気を出して、今まで言えなかった本音を私に教えてくれたなら。

 私だって、言っておかなきゃいけないことだと思ったから。


「私……ずっと、みんなに嫌われてるんじゃないかって不安だった」


 吐き出すように口にする。

 みんなを心配させたくなくて……ううん。私自身がその気持ちと向き合いたくなかったから、ずっと心の中だけに閉じ込めてきた、私の本音。


「これでも私、今までセミナーの会計として、ミレニアムのみんなのためにって思って頑張ってきたつもり。

 限られた予算を少しでも有意義に割り振って、こうすることがミレニアムのためになるんだって、みんなに納得してもらえるように。

 そのためには、私情を挟まずにどんな時でも公平な判断をしなきゃダメだって……ずっと自分に言い聞かせてきた」


 息が苦しい。喉がカラカラに乾く。自分でも、声が震えているのが分かった。


「今までみんなにはキツいこともたくさん言ってきたし、嫌な思いをさせたことだって一度や二度じゃないって思う。

 だから……みんなが私のことを嫌うのも、無理はないって思ってた」

「ユウ、カ……?」


 モモイの声には不安そうな気持ちが滲んでいた。

 ……無理もないわよね。今の私がいつもの私らしくないってことくらい、私が一番分かってる。

 セミナーの会計になってから、誰かの前でこんな風に弱音を吐いたことなんて……多分、初めてだったから。


「セミナーの会計になったことを後悔してるわけじゃない。自分の性に合ってるとも思ってるし、やりがいだって感じてた。

 でも……"あの日"の前は、どこへ行っても、誰と話しても、煙たがられるのが当たり前で」

「………………」

「どれだけ私が真剣に叱っても、みんな私の言うことなんてちっとも聞いてなんかくれない。

 それどころか、冷酷な算術使いだの、体重が100キロあるだの、何かにつけてあることないこと言われて、からかわれて……私がどれだけ頑張ったって、私の声がみんなに届かないなら、意味なんてないのかなって。

 本当はみんな……私なんていなくなった方がせいせいするんじゃないかって。ずっと不安に思ってた」

「な、何言ってるの、ユウカ……!?」


 信じられないとでも言いたげなモモイの声。

 ……そうだよね。本当は私だって分かってる。みんながそんなこと思うはずないって。みんなはちゃんと私のことを理解して、認めてくれてるってこと。

 でも……頭では分かっていても、心の何処かでは、どうしても不安が拭いきれなかった。


 数日前のノアとの問答が頭を過ぎる。

 あのとき私がノアに掛けた言葉は、自分を責めるノアに「誰も悪くない」って言ったあの言葉は──

 "あの日"、紛れもない私自身が、誰かに掛けて欲しかった言葉だったから。


 ──"あの日"。

 汚らわしいほどの悪意に塗れた、悪夢の中で。

 抵抗なんて無意味で、心なんてとっくに折られてて、セミナーとしてのプライドも、女の子としての尊厳も、何もかも踏み躙られて……底無しの恐怖と絶望に染められて、自分が誰なのかさえ曖昧になっていく。

 そんな極限状態の中で、私は──容(カタチ)を失って罅割れて、壊れて、砕け散ってしまいそうな私自身を、この現実に繋ぎとめるための「理由」を、必死に探して、考えていた。


 なんで、こんな理不尽が罷り通るんだろう。

 なんで、私がこんな目に遭わなきゃいけないんだろう。

 なんで、誰も私のことを助けにきてくれないんだろう。


 ……ううん。もしかしたら、ひょっとして。

 こんな目に遭うような「理由」は──私の方にもあったんじゃないのかって。


「……もしも。もしも、私のことを恨んでる誰かが、私に仕返しするためにあんなことを企んだんだとしたら……全部、私の、自業自得なのかな、って。

 ただ本当は、嫌われ者の冷酷な算術使いに、日頃の行いのバチが当たっただけなのかな、って──」


 目頭が熱い。いつの間にか、涙が零れていた。

 みんなの優しさのおかげで忘れかけていた、あの日の恐怖と感情が。どうしようもない自分の弱さが。ぐるぐると頭の中で閃いて、却ってくる。


 普段から心の奥底で抱えていた、ほんの小さな不安と疑心。

 合理性の欠片もない、普段なら一笑に付せるような、くだらない被害妄想。

 だけど、あの時の私には……そんなちっぽけな疑いを跳ねのけられるような余裕すらなくて。


 自分の苦しみに、絶望に、納得のできる「理由」をつけるために……ほんの少しだけ、みんなのことを疑っちゃった。

 そんな自分が、嫌で、嫌で。本当は、みんなのことを信じてないのは私の方なんじゃないのかって。そんな自分を認めたくなくて。ずっと隠してた。

 本音を、後悔を、懺悔するように吐き出して、私は──



「そんなこと、ない!!!!」



 静寂を、そして私の懊悩をも切り裂くように、悲鳴のような叫びが木霊する。

 もう聞いていられないとばかりに、私にしがみつくモモイの腕にぎゅっと力が籠められる。


「そんなこと、ない……! そんなこと、あるわけないじゃん……」


 私の服の裾を握り締めたまま、モモイは弱々しく言葉を紡ぐ。

 暗闇越しに感じる上目遣いの視線。哀しそうな、だけど強い意志の籠った瞳が、闇の中でもきらきらと輝いているように思えた。


「ユウカは、なんにも悪くなんてない。仮に、あの事件の犯人がユウカにどんな恨みがあったって、そんなのただの理不尽な逆恨みだよ。

 もしもユウカがほんのちょっとでも自分にも原因があるだなんて思ってるなら……そんなの絶対、間違ってる」

「モモイ……」


 ほとんど消え入ってしまいそうな掠れた声で、それでもモモイは私へと訴えかける。


「……私たち、今までずっと、ユウカのことを冷酷な算術使い呼ばわりして、ふざけて、からかって、困らせてばっかりだった。それくらいの自覚はあるよ。けどさ……

 このミレニアムで、ユウカのことを本気で嫌ってる子なんているわけない。……そりゃあ、ユウカのことをよく知らない人だったら、うわさを真に受けて怖がっちゃうかもしれないけど……本当のユウカを知ってる人なら、そんなこと絶対に思うわけない、もん……」


 モモイの必死な声が、私の胸に突き刺さる。

 それがただの慰めなんかじゃなく、モモイの心からの言葉だってことくらい、私にだって分かる。

 そして同時に、モモイの声に乗せられた感情を……悲しみと悔しさ、罪悪感を、痛いくらいに感じてしまう。


「ユウカがいつも私たちのことを心配してくれてたことも、ミレニアムのみんなのために頑張ってることも、ちゃんと分かってる。

 ……私だけじゃないよ。ミドリも、ユズも、アリスも。ノア先輩も、ウタハ先輩やマキたちだって、ネル先輩だって、みんな知ってる。私たちが私たちでいられるのは、ユウカがいてくれてるからだって、ちゃんと分かってる、から……」


 いつの間にか、モモイの声には嗚咽が混じっていた。

 その瞳から大粒の涙がぽたぽたと零れ落ちて、私のパジャマに温かい染みを作っていく。


「もしも、ユウカが本当にそんな風に思っちゃってたのなら……私たちの、せいだよ。私たちが、普段ユウカのことをおちょくってばっかりで……素直な気持ち、ちっとも伝えてこなかったから。

 ごめんなさい、ユウカ。いつも迷惑かけてばっかりなのに、肝心な時に役立たずの後輩で、ごめんなさい。ごめんね……ごめん……」

「……モモイ」

「それでも……しんじて。わたしたち、ユウカのこと、だいすきだよ。

 だいすきだから、わたし……ユウカが泣いてるのは、嫌、なの。

 ユウカがまた、げんきになってくれなきゃ、いや……なの……。

 いやだ、よぉ……っ」


 無邪気な笑顔の裏で、モモイがずっと心の奥にしまいこんできた感情が、後悔が、その嘆きには溢れていて。

 気がついたら、モモイは私の胸の中で、ひっく、ひっくと、声を上げて泣きじゃくっていた。


 何をやってるんだろうな、私。

 さっきまで、あんなに楽しい時間だったのに。結局またモモイにこんな悲しい想いをさせちゃった。

 ……ううん。ミドリも、ユズも、アリスちゃんも。暗闇越しに、今にも泣き出してしまいそうな雰囲気が伝わってくる。


 分かってる。これが私のエゴだってこと。

 本当は、こんなことをみんなの前で口にする必要なんてなかったのかもしれない。


 でも。

 ……"あの日"からずっと、私の心の内側にこびりついていた、澱みのような疑心と不安。

 それをひた隠しにして、仮初めの笑顔で取り繕って、無理して「いつも通り」を装ってみんなと過ごしているだけじゃ──きっと私は、本当の意味で立ち直れない。

 アリスちゃんやみんなが勇気を出して、みんなが悩んでいたことを打ち明けてくれたから。この楽しい夜の宴を、ただ楽しいだけの時間のままで終わらせたくないって思ってくれたから。

 だから私も、私自身が認めたくなかったこの気持ちと、向き合う勇気を持ちたかった。

 そうしなきゃ前に進めないって、そう思ったから。


 だけど、このままただみんなが悲しむだけで終わるなんてこと、あっちゃいけない。

 さっきまで話したのは、私の本心の「半分」。──"あの日"はまだ、信じられなかった。だけど、今は違う。

 だから、私は──



「まったくもう、モモイのお馬鹿さん」



 こつん、と。

 自由な方の手の、人差し指で。モモイの額を軽く小突く。


「……ゆう、か?」


 呆気にとられたようなモモイの声に、私はあえて悪戯っぽく笑い返して見せた。


「心配させるようなことばっかり言っちゃって、ごめん。……でも、大丈夫。今はもう、分かってる。

 モモイは……ううん。モモイだけじゃない。ミドリもユズもアリスちゃんも、ミレニアムのみんなも……私のことをとっても心配して、気遣ってくれてるってこと。私、こんなにみんなから愛されてたんだってこと。ちゃんと分かってるから」


 モモイの頭にそっと手を置いて、ぽんぽんと安心させるように優しく撫でる。

 「ん……」と小さな、だけど少しだけ、安心したような。


「"あの日"から、いいことなんてひとつもないって思ってた。だけど……私、こうなって初めて、みんなの優しさに気がつけた。みんなのこと、心から信じられるようになったの」


 怪我の功名……だなんてポジティブな言い方、とてもできないけど。

 多くのものを奪われて、失って……それでも、本当に大切なものはすぐそばにあったんだって気付けたこと。

 それだけは──たったひとつだけ『良かった』って思えたことなんだ。


「それにね。さっき、アリスちゃんやモモイは、自分たちのことを役立たずだなんて言ってたけど……全然そんなことないわよ。だって、みんなはちゃんと私のことを助けてくれたじゃない」

「でも……アリスたち、ユウカのために、なんにも……」


 強く握られたてのひらの先から、涙交じりのアリスちゃんの声が聞こえてくる。

 いつものアリスちゃんとは別人みたいな沈んだ声で……正直、聞いているこっちの方が痛々しくなってしまう。


「そうじゃない。そうじゃないのよ、アリスちゃん」


 だから、アリスちゃんの不安なんて的外れだって。ぎゅっと手を握ってあげる。

 私の言葉だって、ただの慰めなんかじゃない。今、ここにいる私は、確かにみんなに救ってもらえたんだって、ちゃんと伝えなきゃダメだから。


 私の体にまとわりつくモモイやミドリも、普段の生意気さはどこへやら、借りてきた猫みたいに縮こまっていて。なんていうか、らしくない。

 ユズは……ミドリの背中越しに、小刻みに震えているのがぼんやり見える。おどおどしているのはいつものことだけど、それでも今は殻に閉じこもらずに、しっかり私と向き合おうとしてくれている。


 ゲーム開発部。普段は憎まれ口を叩き合っているけど、なんだかんだでお互いに放っておけない。私にとっては手のかかる妹みたいな子たち。

 そんなみんなが素直に自分の想いを口にしてくれたから、私も今なら、いつもよりほんの少しだけ、素直になれる気がする。


「"あの日"、監禁された私を助けてくれたのは、C&Cやヴェリタスのみんなと、先生だった。もちろん、あのとき助けに来てくれたみんなには本当に感謝してる。

 でも……私が『私』に戻るためには、それだけじゃ、きっとまだ足りなかったんだと思う」

「……え?」


 ……ここから先を口にするには、私にも相応の覚悟が要る。

 今まで意識して思い出さないようにしていた──"あの日"のこと。あの悪夢みたいな日々から立ち直るまでのことを、振り返らないといけない。

 それはきっと私だけじゃなくて、モモイたちにとっても、辛い記憶だって思うから。


「モモイたちも知ってるわよね。あの日、監禁場所から助け出されてから、私がしばらくミレニアムの特殊病棟に入院してたこと。

 体力的な衰弱もあったけど、それ以上に精神的なショックが酷かったらしくて……ノアが言うには、救出された直後は錯乱して、まともに意思疎通もできない状態だった、って」

「…………っ」


 暗闇の中、モモイたちの声が慄くのが分かった。

 ……当然よね。あのとき、この子たちは私のことを心配して病室までお見舞いに来てくれたんだから。


 正直、あの頃のまともな記憶なんてほとんど残ってない。

 ただ、漠然とした恐怖と、不安。嫌悪、絶望……ありとあらゆる負の感情がごちゃまぜになって私の心にまとわりついていて。世界の全てがおぞましく歪んで見えて……とても正気とは呼べない状態だったんだろう。


 朦朧とした意識の中で、寝ても覚めても悪夢や幻覚に苛まれ続けて、夢と現実の区別がつかないくらいに錯乱して、取り乱して、泣いて、喚いて、叫んで、罵って、誰彼構わず当たり散らして……ひょっとしたら、誰かに心無い言葉を浴びせてしまったこともあったかもしれない。

 ノアや先生、ネル先輩……私のことを心配して、私のために力を尽くしてくれた人たちのことを、深く傷つけてしまったのかもしれない。


 当時の自分がどんな様子だったかをノアに訊ねても「ユウカちゃんが気にする必要はないです」って、あまり詳しいことは教えてくれなかった。

 ……救出作戦に関わったネル先輩や先生だって、あの頃のことで私を責めるような人じゃないって分かってる。

 今更気にしたって、仕方のないことなのかもしれないけど。


 だからきっと、あの頃の私の状態については、もしかしたら私自身よりもモモイたちの方が詳しいかもしれない。

 ボロボロで、錯乱して、壊れかけの……情けなくてみっともない先輩の姿を目の当たりにして、誰よりもショックを受けたのは、この子たちだっただろうから。


「あのとき……私はもうダメなんだって思った。

 絶望、だなんて言葉じゃ全然言い足りない。誘拐されて、監禁されて、今まで想像したこともなかったような酷い目に遭わされて、何もかもが嫌になって。自分が誰なのかすら分からなくなっていって。

 せっかく先生やみんなが助けてくれたあとも、"あの日"の記憶が頭の中にこびりついて、全然消えてくれなくって、っ……!

 こんな想いをするなら、もう私は私でなんかいたくない。こんな記憶なんか、感情なんか失くしてしまいたい。何もかも忘れて、投げ出して、いっそ楽になりたい、って……

 私が、『私』で……早瀬ユウカでいることも……生きていることすら、やめてしまいたいって……本気で、そう、思ってた」

「……ゆう、か……っ」


 ……ああ、やっぱり駄目だなあ。

 あの頃のことを思い出すと……まだ、心がざわついて平静じゃいられなくなってしまう。じわりと視界が涙で歪んで、怖くって、寒くて凍えてしまいそうになる。


 でも……震えているのは私だけじゃなくて。モモイやミドリ、ユズ、アリスちゃんも、同じように凍えそうなくらいに震えているのが伝わってくる。

 私のからだの思い思いの場所に触れて、抱き着いて、ひっついていた彼女たちの手に、ぎゅっと力が籠められるのを感じる。──まるで、どこか遠くへ行ってしまいそうな私のことを、必死でここへ繋ぎとめようとしてくれているみたいに。

 そんな彼女たちの体温を、心の暖かさを間近で感じると……だんだんと心が落ち着いて、寒くなくなってくる。


 気がついたら、自然と笑顔になっていた。手を伸ばして、私にひっついて不安そうにしているモモイを、ミドリを、ユズを、アリスちゃんを、順番に撫でてあげる。

 もう大丈夫だよ、心配しないでいいよ、って。


「……ふふっ。ごめんね、ありがとう。やっぱりみんなは優しいわね。あのときと一緒。私が辛いとき、いつもこうやって助けてくれるんだもの」

「え……?」

「あのとき、モモイやみんなが私のところに来てくれたから。あの日から今まで、ずっと私を励まし続けててくれてたから。私は私に……あなたたちの知ってる『ユウカ』に戻れたの」


 あの日。傷ついて、壊れてしまいそうだった私に、モモイが言ってくれたから。

 『──だいじょうぶだよ、もう、怖くないよ。私たちがいるから。もう、安心だから』って。優しい言葉をかけて、慰めてくれたから。

 あなたたちが。モモイが、ミドリが、ユズが、アリスちゃんが、私と一緒に泣いてくれたから。私のことを抱きしめて、私の悲しみを、苦しみを分かち合って、私をここに引き戻してくれたから。


「あなたたちは何もできなかったんじゃないよ。

 あなたたちが、ずっとあなたたちのままで変わらずにいてくれたこと。

 私が突き落とされたようなドロドロした世界になんて関わらずに、私の知ってるゲーム開発部のままでいてくれて、私の帰りを待っててくれたこと。

 私がちょっとずつでも立ち直れるようにって、ずっと私の傍で世話を焼いて、みんなでめいっぱい遊んで、楽しい時間を私にくれたこと。

 それが何よりも嬉しくって、安心できたから……私はまた、ここに帰ってこれたんだ」


 "あの日"、監禁された私を助けてくれたのは、先生やノア、ヴェリタスや C&Cのみんなだった。

 だけど──私の「心」を救ってくれたのは、間違いなくモモイやアリスちゃんたち、ゲーム開発部のみんなだったから。


「だから、私はもう、大丈夫」


 決意を込めて、そう口にする。

 暗闇の中で、モモイの大きな瞳が見開かれて、おそるおそる問いかける。


「……ほんと、に?」

「うん。本当。……完全に立ち直っただなんて言えないし、これからもみんなに迷惑を掛けちゃうこともあるだろうけど……ちゃんと前を向いて進めるって、みんなのおかげで信じられるようになったから」


 心がぽかぽかと温かい。モモイを、みんなのことを抱き寄せて、ぎゅっと抱きしめる。

 私の素直な感謝を、みんなが私のことを想ってくれて嬉しいって気持ちを、めいっぱい伝えるために。


「……だからね。改めて、お礼を言わせてほしい。ありがとう、モモイ、ミドリ、ユズ、アリスちゃん。

 私が今、ここにこうしていられるのは全部……あなたたちのおかげなんだよ」


 私の言葉は静かに暗闇へと溶けていって……数秒間の沈黙。

 それを破ったのは、ぽた、ぽた、という雫の音。


「ユウカは……もう、ほんとに、だいじょうぶ?」


 不安そうな、だけどどこか期待を込めた声。

 ぽろぽろと、私のてのひらに、モモイの涙が零れ落ちて。


「うん、もう大丈夫」

「ユウカは……また、わらって、くれる……?」

「うん。みんながいてくれるんだもの。笑顔になれる」

「……ぐすっ……! ううっ、ユウカぁ……よかったよぉぉ、ユウカぁぁぁぁ!」


 暗闇の中。うすぼんやりと見えるモモイは、その可愛らしい顔を涙でぐちゃぐちゃにして、わんわんと泣き出した。


「ずっと心配かけて、ごめんね」


 微笑んで、泣きじゃくるモモイの頭を優しく撫でる。

 いつも元気な彼女には似つかわしくない姿だったけど……それでも今は、その涙の理由が悲しみじゃなくて、喜びなのだということが嬉しくて。


「本当に、よかったです。ユウカが立ち直ってくれなきゃ……私、困りますから」

「……ミドリ」

「だって……そうじゃなきゃ、ライバルとして正々堂々競い合えないじゃないですか。勝ち逃げなんて絶対に許さないって、言ったじゃないですか。だから……っ」


 ミドリはおすまし顔で平静を装おうとしていたけれど、その声は涙交じりで。お姉ちゃんに負けず劣らず、私のことを想ってくれてたんだなって伝わってくる。

 これでようやくあなたと同じスタートライン……の、ちょっと手前くらいかな。

 でも、私だって絶対、負けないからね。


「ふふっ、モモイもミドリも素直じゃないんだから。そうやってあなたたちから素直に心配されると何だかくすぐったいわね。まあ、そういうところも可愛いんだけど」

「も、もうっ、余裕ぶらないでください! うぅ……」

「ううっ、そんなこと言わないでよぉ……私、わたし、ほんとにユウカのこと……っ」


 涙を流す二人をぎゅっと抱きしめる。


「……ごめんね。ちゃんと、分かってるから。ずっと私のことを元気づけてくれて、ありがとね。モモイ、ミドリ」


 まったくもう。いつも姉妹揃って騒がしいくせに、こういう時は借りてきた猫みたいになっちゃうんだから。

 それでもさ……私がこんなことになる前だって、あなたたちのことを本気で嫌ったりしたことは一度もないよ。


「……ユウカ、先輩」

「ユズ?」

「あの、本当に……本当によかった……です。ユウカ先輩が、わたしみたいになっちゃうんじゃないかって、思ったら、わたし……っ」


 おずおずとしたユズの声。だけどその中にも、確かな私への心配を感じる。

 ……ユズは昔、自分で作ったゲームがネットで酷評されたことを切っ掛けに部室に引きこもるようになって、今も親しい人以外と接するのはあまり得意じゃない。

 自分の態度や物言いがキツいってことに自覚はあったから、今までユズには怖がられてるんじゃないかって不安だった。

 でも……今思えば、ユズは今の私に自分を重ねて、ずっとシンパシーを抱いてくれていたのかもしれない。

 今の私の辛さを本当の意味で一番理解してくれていたのは、ひょっとしたらユズだったのかなって思う。


「大丈夫よ、ユズ。私も、ユズからはたくさん勇気を貰ってきた」

「え……?」

「だってユズは、どれだけ怖い思いをしたって、友達のためなら必死で勇気を振り絞ることができる子だから。そんなユズの姿を見てたら、私だって頑張ろうって思えたんだ。……ありがとう、ユズ」

「ううっ、ユウカ、せんぱい……っ、うわああああああああんん!」


 ユズが私の背中に抱き着いてくる。そのまま私のうなじあたりに顔を埋めて、静かに涙を流し続けていた。

 優しく頭を撫でてあげると、ユズはわんわんと声を上げて泣きじゃくる。ずっと内側に溜め込んでいた感情を吐き出すみたいに。

 心配かけちゃって、ごめんね。


「それに、アリスちゃんも。私のことを気遣ってくれて、ありがとう」

「……お礼なんて要りません。アリスも、ユウカが元気になってくれて嬉しいです。……とても、とっても、うれしい、です……っ!」


 私の手を握りしめるアリスちゃんは、泣き笑いみたいな顔で笑っていた。

 ……本当なら、純粋なアリスちゃんをこんなことに関わらせたくなんてなかった。世界の汚いところを煮詰めたような部分なんて見せたくなかった。

 それでもアリスちゃんは、彼女なりに必死で私の苦しみや痛みを受け止めようとしてくれて、私の力になろうとしてくれてきた。

 もしかしたら、"あの日"から、ゲーム開発部の中で一番傷ついてきたのは、アリスちゃんだったのかもしれない。


「ありがとう、アリスちゃん。だからアリスちゃんも泣かないで。どんなアリスちゃんも可愛いけど……私はやっぱり、アリスちゃんには笑顔でいてほしいから」

「ユウカ……アリス……っ」


 私の手を握るアリスちゃんの手に力が籠められる。今は私の方からこの手を離したくないって、離れたくないって思える。

 アリスちゃんだけじゃない。モモイやミドリ、ユズとだって。


 ──それから。


「……起きてるわよね。ノア」

「あら、バレちゃってましたか。せっかくユウカちゃんがアリスちゃんたちと良い雰囲気だったので、空気を読んでいたのですけど」

「まったくもう……ノアはこんな時でも変わらないんだから」


 暗闇の中。ノアの名前を呼ぶと、いつも通り飄々とした声が返ってくる。

 ……ううん。きっと私のために、あえてそう振舞ってくれているだけ。


「あのね、ノア。私……」

「ユウカちゃん。……分かってます、分かってます、から」


 ノアに言葉はいらない。わざわざ口に出さなくたって、お互いの気持ちは通じ合ってるって思う。

 普段はいつだって余裕なノアの声も、この時ばかりは少しだけ震えていて。……ノアがどれだけ私のせいで心を痛めていたのか。私のために頑張ってくれていたのか、ちゃんと分かってるから。


「ありがとう、ノア」

「……こちらこそ、です」


 暗闇の奥で、ノアがふふっと微笑んでくれたのが確かに分かった。

 これからもよろしくね、ノア。


「ああ、本当に……」


 幸せだった。

 心が、ぽかぽかと暖かかった。

 みんなの想いを、友情を、親愛を感じて。あったかい気持ちで満たされて、今の自分は世界で一番幸せ者だって思えるくらい。

 こんな気持ちになれたのはいつ以来だろうか。なんだか実感が湧かなくて、ふわふわとした気持ちで……本当、夢みたい。


 ──だからこそ、このまま中途半端で終わらせたくなかった。

 今までずっと、胸の奥につかえたまま言えなかったことを──伝えたい人に伝えたくって。


「……先生」

“なに? ユウカ”


 呼びかけて、当たり前のように返事が返ってきたことに安堵する。

 やっぱり先生もずっと起きていて、私たちのことを見守ってくれていたみたい。……そうよね。先生は、先生なんだから。

 いつだって私たちのことを考えてくれる、優しい人。私の……大切な人。


「先生。私……先生にどうしても今、伝えておかなきゃいけないことがあるんです」


 暗闇越しに、先生の顔をじっと見つめる。

 それはきっと、この夜が続いているうちに口にしなきゃいけない言葉。

 この機会を逃したら──たぶん、一生言えそうにない気がするから。


“ユウカ──”


 ……"あの日"から、ずっと迷って、勝手に引け目を感じて、諦めて、終わらせようとしていた。

 だけど……ミドリが、ノアが、みんなが私に──諦めなくてもいいんだって。遠慮しないで、幸せになっていいんだよって、そう言ってくれたから。

 だから私も、みんなに遠慮しているばかりじゃなくて……ほんの少しだけ、図々しくなってもいいって思えたから。


 だから。

 覚悟を決めて、口を開く。


 たとえ、どれだけこの身を穢されたって──この気持ちだけは誰にも穢すことなんてできない。

 初めて会ったあの日から、ずっと胸に秘めていた想いを。

 私の、素直な気持ちを──




「──好きです、先生」


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