かすがい。(6) #早瀬ユウカ&天童アリス

かすがい。(6) #早瀬ユウカ&天童アリス

February 10, 2025

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「──好きです、先生」


 暗闇の中で、誰かが息を呑む音が響く。

 モモイかな? それともミドリ? ノア? ……ううん。多かれ少なかれ、みんな驚きはあると思う。

 それに……誰よりも今、一番驚いているのはきっと、先生だろうから。


 そう、好きなんだ。

 こうして言葉にしてみて、改めて自分の気持ちを再確認する。


 シャーレの先生。

 優しいけれど、ちょっと子供っぽいところもあって、いつもとぼけていて頼りなくって……「完璧な大人」だなんてお世辞にも言えないような、世話の焼ける人で。

 それでも、誰よりも私たち生徒のことを考えてくれて、私たちにいろんなことを教えて、導いてくれる。

 そんな先生のことを放っておけなくて、力になりたくて、半ば無理やり押しかけて、ずっと傍にいて……

 気がついたら、もうどうしようもないくらいにこの人のことを好きになっていた。

 先生は私がいないとダメだし、私は先生がいないとダメなんだって、そんな風に信じていたかった。


 いつの間にか私の中で、コントロールできないくらいに大きくなっていたこの感情を……今までは、伝える勇気なんてなかった。

 だって伝えてしまったら、これまでの「先生と生徒」としての関係まで壊れちゃうかもしれないって思って……怖かったから。

 そうやって自分の気持ちに蓋をして、理由をつけて先延ばしにしているうちに……“あの日”の事件が起こってしまった。


 嬲られて、弄ばれて、穢されて……私にはもう、先生に想いを伝える資格なんて無いんだって、そう思い込んでいた。

 これ以上傷つきたくなくて、仕方ないんだって自分に言い訳して、逃げて、諦めようと、してた。


 でも。

 ミドリが。

 ノアが。

 アリスちゃんが。

 モモイが。

 ユズが。

 セリナさんが。

 ミレニアムのみんなが。

 “あの日”から今まで、私に優しさをくれた全ての人たちが、私の背中を押してくれた。

 私は私のままでいいんだって。

 何一つ引け目を感じることなんてない、自分の気持ちに素直になっていいんだって、そう伝えてくれたから。


 だから私は、今。

 みんなの気持ちに報いるために。

 ずっと名前の付けられなかったこの想いを、今、ここで──愛だと定義して、証明するんだ。


「私は、先生のことが好きです。愛しています。生徒としてではなく、一人の女の子として」


 一言一句を自分の中で噛みしめるように。ずっと心の中に秘めていた方程式の答えを解答用紙に書き込むように。

 いつも隣にいて、だけど今まで一度も口に出せなかったその言葉を、私の素直な気持ちを──真正面から先生にぶつけて、提出する。


 計算も、検算も、もうとっくに終わっている。

 あとは、先生からの採点を──「答え」を待つだけ。


 胸がどきどきする。

 ……本音を言えば、少しだけ怖かった。先生から「答え」を告げられてしまうことが。

 この恋が、ただの一方通行の片思いのままでいられなくなってしまうことが。

 永遠とも思えるような数秒間が過ぎていって、そして──


“……そっか”


 長い長い沈黙の後で、先生がようやく口にしたのは、そんな短い一言だった。


 “あの日”から……ううん、先生と初めて会ってから今までの、私の想いの全てを込めた一世一代の告白。

 それに対する返答としては、先生の言葉はあまりににもそっけなくて。


 それでも、私には理解できた。

 その短い言葉の中に、先生のどれだけの苦悩と葛藤が込められているのか。今、先生がどれだけ真剣に私の想いと向き合おうとしてくれているのか。

 ……長い付き合いだもの。それくらい、ちゃんと分かってる。


「意外、でしたか?」

“……それは”

「なんて、聞くまでもないですよね。自慢じゃないですけど、先生との付き合いの長さだけは誰にも負けないって自信がありますから。──私の気持ちなんて、先生ならとっくの昔にお見通しだったでしょう?」

“………………”


 先生は無言のまま、何も答えてはくれない。

 だけど……きっと、その沈黙は肯定とイコールなのだろう。


 だって、先生は誰よりも生徒のことを考えていて、私たちのやりたいことを応援してくれる──そういう人だから。

 そんな先生が、今の今まで私の気持ちに気付きもしていなかっただなんて不自然だもの。


 自嘲するように笑う。

 ……自分がどれだけ浅ましいことをしているのかなんて、分かってる。

 先生の優しさに──これ以上私のことを傷つけたくないって気持ちに付け込んで、大好きな人に不条理な決断を強いようとしているんだから。

 だからきっと、この重苦しい沈黙を断ち切るのも私の役目なのだろう。そう思って言葉を紡ぐ。


「ごめんなさい、やっぱり一方的でしたよね」

“ユウカ……”

「突然こんなことを言っておいて何ですけど、いい返事なんてこれっぽっちも期待してないんです。

 ……だって、答えなんて最初から、分かり切ってますから」


 ──分かっている。

 「先生」と「生徒」は、恋人同士にはなれないって。


 たとえ先生が、どれだけ私のことを大切に思っていてくれていても。どれだけ私に対する負い目があったとしても。

 私が「生徒」で、先生が「先生」である限り……先生はきっと、絶対に私の想いに応えてくれることはない。

 ……私だけを「特別な人」として見てくれることはない。


 それはきっと、告白された相手が私じゃなくたって……ミドリでもノアでも、他の生徒の誰が相手でも、違わないのだろう。

 ……そんなことは最初から、分かってたんだ。


「それでも。この夜が終わる前に、この気持ちだけは伝えておきたかったんです。……ただの我儘、ですよね。こんなの」


 冗談めかして笑う。

 ……半分以上は、ただの虚勢。失恋の痛みを隠すための、ただの強がり。

 わざわざ届かないって分かってる想いを口にするだなんて、自分でも滑稽だなって思う。

 先生にとってはただ迷惑なだけの、ちっぽけな私の自己満足で……非合理的な感傷でしかないのかもしれない。


 それでも、人の心の全てが合理や理性だけで割り切れるわけじゃない。

 これは私なりのけじめなんだ。


 過去に縛られて、ずっと立ち止まっているだけだった私が、今はもう大丈夫なんだって。

 これから先の未来に向かって、ちゃんと自分の足で歩いていけるんだって。

 みんなに……そして、誰よりも私自身に証明するための。


“──ごめん、ユウカ”


 先生の口から申し訳なさそうな言葉が零れ落ちる。

 それは、私への謝罪の言葉であると同時に……「先生」として、私の気持ちには応えられないっていう、やんわりとした拒絶でもあったのだろう。


“ユウカの気持ちは嬉しいよ。それでも……私はシャーレの先生として、誰か特定の生徒と『特別』な関係になることは……できない”

「……はい」

“相手がユウカだから駄目だとか、他の誰かだったら良いわけじゃなくて……私が「先生」になることを決めた時に、誓ったことだから”

「……分かってます」


 ……分かってる。

 先生はそういう人だって、最初から分かってた。

 それでも、実際にこうしてはっきり言葉にされると──やっぱり、ちょっとだけ辛くて、胸がずきずきと、じくじくと痛んだ。


“……ごめん”


 繰り返される謝罪の言葉。

 だけど……その言葉を吐き出す先生の方が、なんだか私よりも、よっぽど辛そうで。


“私は……ユウカのことを助けられなかった。私にできることなら何でもするなんて言っておきながら、ユウカが苦しんでいる時に、何の力にもなれなくて……”


 そう口にする先生の様子は、普段の先生とはまるきり違う。

 まるで、今にも泣き出してしまいそうなくらいに弱々しくて。


“今だって、ユウカの望むことを何一つ叶えてあげられない、最低の先生だ……本当に、ごめん”


 それはきっと……私たちの前で「大人の先生」として強がっていた仮面の、その向こう側から零れ落ちた、先生の本心。

 悩みもすれば間違いもする、等身大の人間としての「彼」の弱さだったのだろう。


 無理もないって思う。

 あの日から、先生だってずっと苦しんでた。

 大切な生徒が悪意によって傷つけられるのを止められず……ただ見ていることしかできずに。

 そんな生徒が最後の拠り所として伸ばした手さえも今、自分の方から振り払おうとしている。

 ……この人は今、きっとそんな風に自分を責めているんだろう。

 長い付き合いだもん。先生の考えそうなことくらい、全部お見通しだ。


「そんなことないですよ、先生」


 それでも、何度でも言う。先生は悪くないって。


「先生が責任を感じる必要なんてこれっぽっちもありません。……むしろ、我儘に付き合わせちゃってる私の方が謝りたいくらいなんですから。それに──」


 ──“あの日”。

 最悪な形で終わりかけて、一度は諦めかけてしまった私の初恋。

 でも、みんなが私のことを助けて、励ましてくれたおかげで、私はぎりぎりのところで絶望せずに踏み止まれた。

 たくさんの人から勇気をもらって、そして今……ようやく私の大好きな人に、素直な想いを伝えられた。


 だから私は、もう絶対にこの気持ちを手放したりなんかしない。

 これからも、ずっと。


「勘違いしないでくださいね。私、先生のことを諦めたわけじゃないですから」

“……ユウカ?”

「先生が、今の私を一人の女性として相手にしてくれるだなんて思い上がれるほど、私だって子供じゃありません。それでも──このままあなたへの想いを綺麗さっぱり諦められるほど、大人でもないんです」


 決然と言い放つ。

 これからも先生を諦めないのだと、宣言する。

 先生は今、どんな顔をしているだろう? きっと、いつものユウカらしいくないって戸惑っているんだろうな。

 もしかしたら、はっきりと迷惑だって思われてるのかも。


 ……不安じゃないって言ったら、嘘になる。

 だけど、そうだとしても、この想いを諦める理由になんてならない。

 このまま自分の気持ちに蓋をして、中途半端に納得したふりをして……卒業までずっと、ただの「先生と生徒」のままでいるなんて、そんなの嫌。

 そんな妥協を「大人になる」だなんて、呼びたくなかったから。


「だから、お願いします。先生、私に時間をください。卒業までのあと一年と少し……私が先生の『生徒』でいられる、その間だけ」


 ──巷じゃ、ミレニアムサイエンススクールの生徒はみんな、頭でっかちの合理主義者だなんて言われてる。

 だけど、実際はその真逆だって私は思う。


 たとえ今の世界の常識やルールに真っ向から逆らってでも、自分の夢を、理想を、やりたいことを成し遂げたい。

 まだ誰も見たことのない景色を見たい。「できない」を「できる」に変えたい。

 ミレニアムサイエンススクールに入るような生徒はみんな、そんな根っからの変人で、筋金入りのロマンチストの集まりで──

 それはきっと、私だって例外じゃないのだろう。


「私、頑張ります。先生に私のことを『特別』だって思ってもらえるように。あなたの隣にいるのに相応しいって、そう認めてもらえるように」


 ただ……みんなが夢を見るためには、みんなが見たくないような現実を見る役回りだって必要で。

 リオ会長や先生が私たちにそうしてくれたみたいに、私もミレニアムのみんなの夢を叶えるための役に立ちたいって、そう思ってずっと頑張ってきた。

 誰かを応援して、誰かの世話を焼いて、誰かに振り回されて。

 ……そうしているうちに、いつの間にか。

 私自身が本当にやりたいことを、後回しにする癖がついちゃってた。


「いつか、私がミレニアムを卒業して『大人』になれたなら──改めて、私の気持ちを先生に伝えたい。

 その時は先生も、先生とか生徒とか関係なしに……一人の人間としての私に向けて、答えを返してほしいんです」


 でも……こんな私にも、「なりたい自分」なんてものがあるのなら。

 私はきっと、先生みたいな「大人」になりたかったんだと思う。


 キラキラした夢を追いかけて、それを叶えようと頑張っている子供たちの成長を見守って、正しい方向に導いてあげられるような。

 そして、憧れの人のすぐそばで、対等の存在として助け合えるような。


「あなたのそばで、あなたのことを支えたい。それが、今の私の『夢』なんです」


 ……聞き分けの良い「いい子」でいるのは、もうおしまい。

 この夢を叶えるためなら、この身に起こった不運だって、どんなチャンスだって利用してみせる。


 それくらいふてぶてしくなきゃ、セミナーの会計なんて務まらないもの。


「だから、先生。お願いします。

 あと、もう少しだけ──私に先生のお時間、いただけますか?」


 今はまだ、届かないって分かってる。

 だって……今の私はどうしようもなく未熟で、子供で、足りないことばっかりだもの。

 こんな私じゃ先生と釣り合わないし、相手にされないのだって当たり前。


 それでも、諦めたくなんかない。

 だから、手を伸ばす。

 なりたい自分に、理想に、未来に向かって努力する。

 思い描いた理想を、いつか現実に変えられるように。


 それをきっと──人は『夢』って、そう呼ぶのだから。



“……敵わないなあ、ユウカには”


 長い、長い沈黙の後で。

 困ったように、観念したように。

 それでも、先生の声はどこか嬉しそうで……私の知ってる、いつも通りの先生に戻っていた。


“ねえ、ユウカ。もしも許されるのなら……ほんのちょっとだけ、私の言い訳を聞いてほしいんだ”


 今度は私が先生の声に耳を傾ける番なのだろう。

 無言のまま、先生に続きを促す。


“今はまだ、私はユウカの想いには応えられない。でも、ユウカが私のことを想ってくれているのと同じくらい、私もユウカのことが大好きだって思ってる。……ズルい言い方だって分かってるけど、それだけは嘘じゃないよ”


 ──とくん、と心臓が跳ねる。

 きっとそれは、私が本当に欲しかったのとは少しだけ違う意味での「好き」なんだろう。それくらいは分かってる。

 それでも……先生の口から「好き」って言葉を向けられただけで、どうしようもなく心が弾んでしまう。


「それは……私が、先生の生徒だから、ですか?」

“ううん。ユウカが、ユウカだからだよ”


 気がついたら、緊張で強張っていたはずの顔がいつの間にか綻んでいた。

 本当に単純だなあって我ながら思う。


「それじゃあ、私がミレニアムを卒業して、先生の生徒じゃなくなっても……先生は私のことを大切に思ってくれますか?」

“当たり前だよ。たとえ大人になっても、ユウカはずっと私の大切な教え子だもの”


 先生のその言葉を聞いた瞬間、暖かな安心感が心を満たしていく。

 長い付き合いだもの。先生のその言葉に嘘は無いんだろうって信じられた。


「なら、これからも見守っていてくれますか。大人になっていく私のことを、誰よりも近くで」

“うん。もちろん”


 先生は一旦そこで言葉を切って、一呼吸置いて……

 それからゆっくりと、また口を開く。


“いつか、ユウカが大人になったら。その時は改めてユウカの気持ちに返事をするって約束するよ。生徒のための先生じゃなくって、一人の人間としての私の答えを。……今はまだ、それだけしか言えないけど”

「……ううん。十分ですよ、先生。本当に、ありがとうございます」


 嬉しかった。

 ……もちろん、大人になった私がもう一度先生に告白したとして、そのとき先生が私の想いに応えてくれるかなんて分からない。

 私に誰かを好きになる権利があるように、先生にだって好きになる相手を選ぶ権利はある。その相手が私である確証なんて、どこにも無いんだから。


 それでも、先生は私の想いを無碍にはしなかった。

 「子供」であることを理由に突き放さずに、これから先も、正面から私の気持ちと向き合い続けてくれるって約束してくれた。

 今はただ、それだけで満足だった。

 勇気を出して想いを伝えたことが報われたって、そう思えた。


“だから、私からもユウカにお願い。これからも私の傍で、私のことを助けてくれるかな”

「──はい、喜んで」


 笑顔で頷く。

 断る理由なんてあるはずもない。むしろ、私の方からお願いしたいくらいだった。

 これからも、先生の隣にいられる理由になるのなら。


「ふふっ、覚悟しておいてくださいね。いつか絶対、私がいなきゃダメなんだって言わせてあげますから」


 悪戯っぽく笑って、どこか挑戦的に宣言する。

 これは根比べ。私と先生の、意地の張り合いの勝負。

 「先生と生徒」の垣根を超えて、この人が私のことを「特別」だって認めてくれるまでの、延長戦。


“『いつか』じゃないよ。だって……はじめて会った時からずっと、私はユウカがいてくれなきゃダメなんだもの。知ってるでしょ?”


 ……そんな風に決意を新たにしていた私の思惑なんて、軽々と飛び越えて。

 大人の余裕さえ感じさせる甘い囁きが、私の心を搔き乱していく。


「……ずるいですよ、先生。都合のいい時だけそういうこと言うの、反則です」


 まったくもう、本当にこの人ったら。頼りになるんだか情けないんだか、よく分からない。

 ……でも、だからこそ惹かれてしまう。

 私がいないとダメダメで、危なっかしくて放っておけなくて、目が離せない。

 それに……あなたがいないとダメなのは、きっと私も同じだもの。


 だから──

 いつか、私が大人になる日まで。

 あなたと同じ目線で、真正面からあなたに想いを告げられるようになる、その日まで。


「……これからも、末永くよろしくお願いします、先生」

“こちらこそ。よろしくね、ユウカ”


 その時までは……今はまだ、「先生」と「生徒」のままで。

 あともうちょっとだけ、あなたのそばで。


 あなたと私の「お時間」を、続けさせてくださいね。

 ──私の、大好きな先生。


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