かすがい。(4) #早瀬ユウカ&天童アリス
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それからまた、一時間ほどが過ぎた頃。
その頃には流石にみんなの口数も少なくなっていって。どこからかすうすうと寝息も聞こえてくる。そういう私も、ずいぶんと瞼が重くなってきた。
……もしかしたら、もう起きているのは私だけなのかもしれない。そんな風に思ったら、ほんのちょっとだけ寂しさを感じて。
「……アリスちゃん、もう寝ちゃった?」
静まり返った暗闇の中。ふいに、隣で眠るアリスちゃんに声をかけてみる。
「ん……アリス、まだ起きてます……」
返事が返ってくることを期待していたわけじゃなかったけれど、アリスちゃんはまだ起きていたみたい。
少しだけ眠たげな声が暗闇越しに温かく響いてきて、思いがけずにほっとしている自分に気がついた。
本来、アンドロイドであるアリスちゃんには人間みたいに定期的な睡眠を取る必要は無いらしい。
だけど、ゲーム開発部の子たちと一緒に過ごす中で「人間らしい振る舞い」を学習していくうちに、こうして人間みたいに眠ったりお腹が空いたりするようになったんだって言うから不思議なものだ。
アリスちゃんとの付き合いもずいぶんと長くなるけど、まだまだ知らないことだらけだ。
「ユウカ……眠れないの、ですか?」
「うん。なんだか興奮して目が冴えちゃって……あ! べつに寝るのが怖いとかそういうのじゃなくって、むしろ逆。久しぶりにみんなといっぱい遊んで、お喋りして……楽しかったから」
もしかしてアリスちゃんのことを心配させちゃったかなと思って慌てて弁解する。
眠りたくない気分だった。だって、今日という一日があまりにも幸せで。眠りに落ちてしまえばこの時間が終わってしまうのがもったいなくて、そんな気持ちで眠気に抗ってるんだ。
「よかったです。……アリスはてっきり、ユウカがまた無理をしているんじゃないかって」
「……アリスちゃん?」
どこかぎこちないアリスちゃんの態度に違和感を覚える。
今にして思えば、今日のアリスちゃんはどこかおかしかった。
最初はいつもみたいに私や先生に甘えたいだけなのかと思っていたけど……それにしては、ずっと焦っているような必死さがあって。今さらながらにそのことに気づく。
「ねえ、アリスちゃん」
「ユウカ?」
「もしかして今日、いきなり私と先生と一緒に寝たいなんて言い出したの……何か特別な理由があったりするの?」
「……アリスは」
アリスちゃんは私の問いに少しだけ口ごもって、それでも意を決したように、ぽつりぽつりと語りだす。
「アリスは……ユウカの力になりたかった、です」
「え……?」
「だって、今までアリスは、ユウカのために……何もしてあげられませんでしたから」
絞り出すような、どこか自分を責めるような嘆き。
そんな言葉がアリスちゃんの口から飛び出てきたことが、一瞬だけ信じられなかった。
「"あの日"……アリスは、ユウカのことを助けには行けませんでした。
ヴェリタスやC&Cのみんながユウカのために必死に頑張っている時に、アリスは、モモイたちとただ待っているだけで……何も、できませんでした」
小さな肩を震わせながら、アリスちゃんは悔しさと後悔でいっぱいの言葉を吐き出し続ける。
「だって、それは。アリスちゃんやみんなを『あんなこと』に関わらせたくないって、先生やみんなが引き留めたからで……私だってその判断は正しかったって思う。だから、アリスちゃんが気にする必要なんて……」
「それでも!」
私の言葉を遮るように、アリスちゃんの声が響いて。
「……勇者、なのに。苦しんでいる人を助けるのが、勇者の役目、なのに。
ユウカが酷い目に遭わされて、苦しんで、助けを求めてるって、分かってたはずなのに……ユウカが一番辛かったとき、アリスは、なにも、できなくて……っ!」
泣きそうな声に、胸がぎゅっと締め付けられる。
「ごめん、なさい。ユウカ。アリスには、ユウカの気持ちを分かってあげられません」
「え……」
「あの日ユウカが失くしてしまったものの重みも……きっと今だって、ユウカがどうして苦しんでいるのかさえ、本当の意味では理解できていないんだと思います。
だってアリスは……生命体ではありませんから」
アリスちゃんの言葉は機械的で、淡々としていて……それでいて、自分の存在そのものを呪うような絶望が込められていた。
そんな辛そうな言葉、アリスちゃんの口から聞きたくなかったのに。
「アリスは知っています。苦しんでいる人を助けるためには、その人と同じ視点で世界を見なければいけません。
でも、アリスには、ユウカの苦しみが分からない。分かってあげられない、から……こんなアリスでも、ユウカのためにできることがあるなら、ほんの少しでも力になりたかった、です」
握られたアリスちゃんの手から、彼女の悲壮なほどの思いが伝わってくる。
「ユウカが先生と手を繋ぎたくてもできないなら、アリスが替わりになろうと思いました。
アリスがずっと、ずっと、二人と手を繋いでいれば、先生もユウカも離れ離れになんてならないって、思って。
……アリスだって、ユウカと離れたくなんて、なかった……から」
……"あの日"、私の身に起こったことが、ミレニアムのみんなを不安にさせてしまっていることなんて、痛いくらいに分かってるつもりだった。
でも、まさか……いつも明るくて天真爛漫なアリスちゃんが、ここまで思いつめていたなんて。
「ごめんなさい、ユウカ……こんなことしか、できなくて……ごめんなさい……アリスは……役立たずで、勇者、失格……です……」
アリスちゃんはぽろぽろと涙を零しながら、か細い声を震わせて、私への謝罪の言葉を繰り返していた。
ずきずきと、胸が痛む。
──アリスちゃんは「人間」じゃない。
それは感情論ではどうあっても左右されることのない、ただの事実だ。
たとえアリスちゃんに私たちと変わらない「心」があるのだとしても、その「機体」の構造は私たち生身の人間とは根本的に掛け離れている。
今のアリスちゃんが人と同じように振る舞い、飲食をし、睡眠を取って──「人」らしく振舞っているのも、彼女が私たち「人」の営みを模倣して、私たちと共に在りたいと願っているから。
だけど、生命体としての人体に由来する生理現象も、生殖能力も、それに伴うあらゆる苦痛や快楽も……アリスちゃんの本来の製造目的からすれば、付与する意味のない機能でしかない。
どれだけアリスちゃんが私たちのことを理解したいと願ったからって、自分が体験できないことは絶対に理解できない。当然のことだ。
だから、きっと。
「人」であるからこその私の苦しみを理解できないことが、分かり合えないことが、アリスちゃんにとっては何よりも辛いことだったのだと、今さら気付かされる。
……今まで自分のことだけで精一杯で、ちっともアリスちゃんのことを分かってあげられなかった私自身が、恨めしい。
「アリスちゃん……」
そんなアリスちゃんに、私は掛ける言葉が見つからなかった。
もはや言葉すら忘れて、ひっく、ひっくとしゃくりあげるアリスちゃんの手を、ぎゅっと握ってあげることしかできなくって。
「そんなこと、ない」
重苦しい沈黙を破ったのは、胸元辺りから響いた、私のものでもアリスちゃんのものでもない声。
「……モモ、イ?」
「アリスのせいじゃないよ……それに、もしもアリスが自分のこと役立たずだって言うなら、私たちだって同じだもん」
声の主は、さっきまで私に抱き着いたまま寝息を立てていたはずのモモイだった。
普段はいつだって無邪気で楽しそうなモモイの声も、今だけはか細くて、消えてしまいそうなくらいに儚くて。
「ユウカが監禁されて酷いことされてる間……私たち、なんにもできなかった。
動画まで流されて、ユウカがあいつらに好き勝手されてるところ、見てられなくて……目を背けることしか、できなくって……っ! ごめん……!」
モモイらしからぬ自分を責めるような声音に、聞いているだけで胸が締め付けられるような気持ちになる。
そんなこと言わないで、謝らないでって言いたかった。だけど、私がモモイへと声を掛けるよりも早く、今度は反対側から声が響いてくる。
「お姉ちゃんの言う通りだよ。私たちだって……ううん、私たちの方が、アリスちゃんよりよっぽど何にもできてない。ユウカのこと……少しも助けてあげられなかった」
「わたしたち、いつだってユウカ先輩に気遣ってもらってきたのに。ユウカ先輩が辛いとき、ちっとも力になれなくって……ごめん、なさい……っ」
ミドリの、ユズの涙交じりの声が、暗闇の中に木霊しては消えていく。
……なんだ、結局みんな、狸寝入りして起きてたんじゃない。
「モモイ、ミドリ、ユズ。……アリス、は」
「……みんな」
さっきまでの楽しい雰囲気の名残なんて、もうどこにも残っていない。
ただ、悲しみと不安と後悔だけが、暗闇を隔てて、私たちの間に重く横たわっていた。
まどろみと、静けさと、暗闇と、楽しい時間と、素肌と素肌が直に触れ合う距離。
それがみんなの心をちょっとだけ解きほぐして、今まで言いたくても言えなかった素直な気持ちを……ずっと抱えていた後悔を、口に出させてしまったのだろう。
私のことを不安にさせたくなくて、私の前では笑顔で振る舞って。
だけどその裏で、私だけじゃなくて、みんなだってずっと悩んで、苦しんできたんだろう。
だから……
「……正直に言うと、ね」
ぽつりと、口をついて言葉が零れる。
みんなが心の中に抱えていたものを吐き出してくれたのなら。
今度はきっと、私の番。
「私だって、みんなに謝らなきゃいけない」
「ユウカ……?」
「だって、こんなことになるまで私──みんながここまで私のことを心配してくれるだなんて、思ってもみなかったら」
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