ごめんねスレッタ・マーキュリー─役割と願望(前編)─
※スレッタ視点です。ゆりかごの星の登場人物の名前が出てきます
スレッタ・マーキュリーは、基本的にとても働き者だ。
人から頼られると嬉しいし、人の役に立つことに喜びを覚える。特に何もなければ、自分からできる仕事を探そうとする。
それは彼女が生来のお人よしだからとも言えるが、直接の原因は育った環境に起因する。
『ペビ・コロンボ23』。
いまや人々が生活するうえで欠かせなくなったパーメットを採掘するために、惑星軌道上に作られた拠点だ。
ようは炭鉱夫たちが暮らす、宇宙に設けられた鉱山集落である。
そこで暮らすスレッタは、水星唯一の幼い子供だった。けれど彼女は可愛がられるということもなく、常に厄介者扱いをされていた。
裕福な土地なら受け入れて貰えたのかもしれないが、水星はとても厳しい場所だった。
鉱山集落というものは、一時は賑わっていてもいつまでもそれが続くとは限らない。
資源の枯渇。代替品の発明。ときには流通が容易い場所に同じ資源が掘り起こされることで、突然寂れることもある。
スレッタが生活していた頃の水星は、まさにそのあおりを受けていた。
月でも採れるようになったパーメット。危険な水星での採掘作業はまったく魅力的なものではなくなり、今や取り残された老人たちが細々と採掘するだけに留まっている。
最初から採掘仲間たちの子供として産まれていたなら、きっと全然違っていた。仲間意識の強い彼らの元で大切に育てられただろう。けれど『逃げ込んできた訳アリの母親』から産まれたスレッタにとっては、水星の環境は安全で心地のいいゆりかごではなかった。
「エアリアル、入れてくれる?」
唯一の安全地帯は、母親が作ったモビルスーツのパイロット席だ。
そこでスレッタは、ゲームをしたり、動画を見たり、お話をしたり…。
僅か2メートル四方にも満たないような狭い空間こそが、彼女にとって心から安らげる空間だった。
でも、いつまでもそこに閉じこもってばかりもいられない。
スレッタの母親は仕事で忙しく、娘が成長するごとに水星に寄りつかなくなっている。
頼りになるエアリアルは、そもそも肉を持った人間ではない。
ひとりぼっちで取り残されたスレッタには、決断が必要だった。
………
…………
……………
刻んだ野菜を器に入れ、小さく刻んだベーコンを散りばめ、ほんの少しのゴマを一振り。上からドレッシングをかけて、サラダは完成。
薄いお肉を巻いたジャガイモや豆を小さい串で止め、フライパンでさっと焼いて塩コショウ。ついでにこの辺りの調味料をほんの少し加えて、おかずは完成。
混ぜ合わせたタネを布巾で冷やしたフライパンに落とし、じっくりと焼き上げてパンケーキは完成。
昨日作っていた温めたスープを器によそったら、朝ごはんの準備は完了だ。
「エランさん、出来ました」
「ありがとう。いつも悪いね」
「いえ、そんな…」
労いの言葉に照れながら、テーブルの席に着く。
最近のスレッタはとても充実する毎日を送っている。やるべき事が見えていたし、それをすることでお礼を言われるのはとても嬉しい事だった。水星では、そんなこと望むべくもなかったから…。
でも、最近はほんの少し、ほんの少しだけ、物足りない気分になることがあった。
スレッタはちらりと目の前に座る人の姿を見る。
エラン・ケレス。自分と一緒に逃げて来た、少し年上の少年だ。
彼はアスティカシア学園の先輩で、悪い会社に狙われたスレッタを助けてくれた恩人で、今も自分を守って生活をしてくれる同居人だった。
エランはあまり自分の気持ちを話さない。
けれど命が危なかったという彼に情報を与えた人。スレッタと一緒に逃げるように言ったという人物に、感謝をしていると零してくれた事がある。
おそらくそれは、母のことだ。
だから母の娘であるスレッタを守るのは当然なのだと、時には自らの命よりも優先するのは当たり前のことなのだと、そんな意味で言ったのだと思っている。
彼はとても誠実な人だ。たまに意地悪なことを言うけれど、よく聞けばそれは自分を守るために言っていることだと分かってしまう。
とても穏やかで、とても優しい。自分はそんな彼と一緒にいられて、逃亡生活とは思えないくらいに毎日が幸せに満たされている。
満たされている……けれど。
最近は、よく考えてしまう。この二人の関係性は、最終的にどうなってしまうのだろうかと。
恩人の娘。明言はされていないが、多分そうなのだと思う。
だから彼に守ってもらっているが。それはこの先も、ずっと、ずうっと続くことなのだろうか。
水星での生活を思い出す。子供だったスレッタは、役立たずの極潰しとして遠巻きにされ、時には暴言を吐かれることがあった。
それが改善されたのは、スレッタにしか出来ない仕事を見つけられたからだった。
今現在は何とか身の回りのことをして彼の役に立っているが、それは自分にしか出来ない仕事という訳ではない。
少し探せばきっと、料理が得意で、掃除も得意で、彼の手を煩わせないような気の利く人が、すぐに見つかってしまうだろう。
モビルスーツと引き離されたスレッタは、ただの世間知らずな女の子でしかない。他の人よりも明確に優れている長所は、たぶんない。
彼にとっての、自分の価値。
それを引き上げる為の役割を、スレッタは強く求めていた。
「スレッタ・マーキュリー、もう少ししたら新しい土地に行くから、そろそろ荷物を纏めておいて」
「分かりました。次はどんな所に行くんですか?」
「そうだね、しばらくまた旅をするのもいいけど…。いくつかリストを作ってあるから、詳しい話はまた後で相談しよう」
「はい。…次も美味しい物がたくさんある所がいいなぁ」
「ここよりフルーツは少ないかもしれないけど、僕は過ごしやすい所がいいと思う。どちらにしろきみが気に入った所にしよう」
「ありがとうございます。持っていけない荷物はどうしましょう?」
「後で僕が業者に頼んで引き取ってもらうよ。そのまま買い取ってくれるところもあるから、少しはお金も回収できると思う」
「まだ使えるものもたくさんありますもんね。水星でもよくリサイクルしてましたよ」
「資源が少ないと言う話だったね。確かに、使えるものは何でも使った方が効率がいい」
「はい、あそこには、無駄なものを置く余裕なんてありませんでしたから……」
エランと喋りながら、スレッタは水星での生活を思い出していた。
無駄なものがない水星。そう言うと聞こえはいいが、実際のところは常にギリギリの、張り詰めた切実さだけがあった。
身内だけで固まって、よそ者を寄せ付けない頑なさがあった。
幼かった自分はいつも、疎外感を感じていた…。
「スレッタ・マーキュリー?」
「あ、はい。何ですかエランさん」
「いや、少しぼうっとしていたから。特に体調が悪いとかはないよね?」
「大丈夫ですよ。少し昔の事を思い出してただけです」
「……そう」
スレッタの返事を聞いて、エランは物憂げに目を伏せる。恐らく自分が帰りたがっていると思っているのだろう。
彼はスレッタを無理やり地球に連れて来たことを、かなり気にしているようだった。確かに最初はなりふり構わないエランの様子に困惑したり、少し怖く思ったりもした。
けれどエランはずっと優しくしてくれて、だからスレッタは今は平気だと思っていた。彼がそばにいてくれる限りは、大丈夫だと思えるのだ。
沈んだ彼の気を紛らわすものは何かないだろうかと考えていると、出勤時間が近づいていることに気が付いた。
ほんの少しだけ早いのだが、声掛けするには十分な時間だ。
「エランさん、もうすぐ時間じゃないですか?」
「そうだね、もう行くよ」
返事をしたエランは、近くに置いていたバッグを手に取り玄関に向かった。スレッタも見送るつもりで彼の後をついていく。
「じゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃい。…あ、エランさん」
振り返ったエランの服に、細い糸くずのようなものが付いている。バッグを肩に引っかけた時に付いたのだろう。
スレッタはそれを取ろうと手を伸ばす。すると彼に触れる直前でスッと後ろに避けられてしまった。
「へ」
「…なに?」
「え、あ…ゴミが服に付いてたから…」
…取ろうとして。と言葉を続ける前に、エランはパタパタと手で服をはたいて糸くずを飛ばしていた。
「取れた?」
「あ、はい。取れました」
「…じゃあ行ってくる」
「は、はい。行ってらっしゃい」
パタン、とドアが閉じる。
「………」
彼が行った後のドアを見ながら、今のは少し不躾だったかもしれない、とスレッタは先ほどの自分の行動を思い返した。
何も言わずに触ろうとするなんて、よく考えれば失礼な行為をしてしまった。もし逆の立場だったら、自分はもっとビックリして飛び上がってしまっただろう。
そうだ。今度は横着しないできちんと声掛けをしてあげればいいだけだ。
避けられた事に悲しいと思ってしまう勝手な心を説き伏せて、スレッタは何とか気持ちを切り替えると荷造りをするために部屋へ引き返した。
「…はぁ…」
いる物といらない物を分けながら、スレッタは小さくため息を吐いた。
気持ちを切り替えたつもりでいたが、どうしても朝の出来事が頭を過ぎってしまう。
彼に手を伸ばす自分と、その手を避ける彼の姿だ。
「………」
少し休憩とばかりに作業を中断すると、ベッドに腹ばいになりながら端末を手に取る。
電子本のアプリを立ち上げ、お気に入りのコミックのデータを呼び出した。
そこには紆余曲折あって結ばれた後の、少し大人になったヒーローとヒロインの姿があった。お話の本当に最後の方だが、穏やかで幸せな新婚生活を送る様子が描かれている。
仲睦まじい2人。夫が出かける前に曲がったネクタイを丁寧に直し、ほっぺたにキスをして送り出す可愛らしいヒロイン。
そのページを目に焼き付けて、ぱたりとスレッタは仰向けになった。
「いいなぁ・・・」
思わず声を出してしまう。
水星での生活を思い出す。スレッタはあの世界での異物だった。仲間内で凝り固まった彼らの中に入れず、輪の外でうろうろするだけの部外者だった。
彼らの繋がりは強固で、更に家族ともなれば誰にも引き離せない絆があった。
あの怖いエルゴだって、妻のメリッサの抱擁を大人しく受け入れていたのだ。
スレッタの家族はずっとプロスペラとエアリアルの2人だけしかいなかった。一応は婚約者としてミオリネがいたが、彼女の誕生日が来るまでの仮契約という話だったし、今は物理的に遠くに来てしまっている。
それに、学園でもいまいち花婿という立ち位置にピンと来ることはなかった。自分がなれるとしたら、それは誰かの花嫁だろうとずっと思っていたからだ
いずれにせよ、今は近くに誰もいない。大好きな家族も、大好きな友達も。…大好きなエラン以外は、誰も。
「………」
ころん、とスレッタは寝返りを打つ。
エランは以前、家族などいないと言っていた。正確に言うと家族の記憶はないという話だったが、どちらにしろ彼だって今はひとりきりだ。
ならいっその事、2人で家族になる事はできないだろうか。
エランにとっての、自分の付加価値を上げる方法…。
自分だけの仕事が見つからないのなら。他人に成り代わられる可能性があるのなら。その不足分を、家族になるという事で補えるのではないだろうか。
スレッタは目を閉じる。
想像する。あの大きな腕の中に飛び込む自分を。彼に優しく抱きしめられて、幸福に満たされる自分の姿を。
「どうやったら、エランさんのお嫁さんになれるんだろう…」
スレッタの口から、寄る辺ない幼子のような声が出た。
瞼の裏には固く抱きしめ合うエルゴとメリッサの姿がある。それはスレッタにとって、誰にも入り込めないほどの、強く絶対的な絆の象徴だった。
そうしてスレッタは想像する。綺麗な白いドレスを着た自分と、白いタキシードを着たエランの姿を。
それはまるで、物語の中のお姫様と王子様のようだった。
夕方になり、スレッタは時計を見ながらソワソワとエランを待っていた。
「ただいま、スカーレット」
「!」
エランの落ち着いた声を聞いて、スレッタはすぐさま玄関まで迎えに行った。
「お、おかえりなさい、エランさん」
「……どうしたの、その恰好」
エランの指摘にドキッとする。よかった、うまく気付いてもらえた。
今のスレッタはいつもの部屋着ではなく、お気に入りのワンピースに着替えていた。外に出ていくときに着るような、繊細で可愛らしい服だ。
「え、えと。あの。しょ、処分する前に、いっぱい着ようと思って」
「そうなんだ。確かに勿体ないからね」
エランは納得してくれたが、もちろん真相は違う。
女の子らしく可愛らしい格好をすることで、少しでもエランに自分をアピールしたかったのだ。
自分は女の子にしては背が高くて、体つきもしっかりしていて、例えばミオリネのような可愛らしさは殆どないと言っていい。
けれどこういう格好をすれば、女の子なんだ、と意識してもらえるんじゃないかと思ったのだ。
スレッタはモジモジしつつも、ちらっとエランの方を仰ぎ見た。
彼は靴を履き替えて、そのままダイニングへと進んでいくところだった。
あ、あれ…?
いつもなら、もっと何かあるはずである。例えばジッと見てくれるとか、例えば褒めてくれるとか。
でも、彼はこちらを見ずに、すたすたと向こうへ行ってしまった。
「スレッタ・マーキュリー?」
「あ、は、はい」
廊下を進んだ先で、エランが訝し気に振り返る。それに救われた気になって、スレッタは彼の後を慌ててついて行った。
スレッタの心に、ほんの少しだけ不安が積み重なっていた。
「え、エランさん、今日の夕飯はエランさんの好きなお料理ですよ」
女の子の魅力アピールは失敗したが、今度はお嫁さんアピールである。今日は彼の故郷のものであるジャガイモを使った料理を作ってみた。
初めての時とは違い、形も綺麗に整えてある。味だって何度も確認して調整した自信作だ。
2人でいっしょに食前の挨拶をして、さっそく料理を食べ始める。
「うん、美味しい」
「えへへ、ありがとうございます」
心なしか口角が上がり、嬉しそうに食べているエランの姿にほっとする。
コミックでは、よくヒロインがヒーローに食事を振舞ってあげていた。『男は胃袋で落とす』とは、複数の作品で見たフレーズだ。
栄養の接種は生物にとって生きるために必ず必要になる事だ。その内容をより豊かにすることが出来るのだから、料理上手な人は異性にとって魅力的な存在に映るのだろう。
水星では料理なんてするゆとりはなかったが、原材料が手に入りやすい地球ではたくさん練習することができる。逃げた先が地球でよかったと最近はよく思うようになった。
「いつかは黒パンにも挑戦したいと思ってます」
「そうなると材料がいるけど、ライ麦粉は見た事がないな。今度店員に聞いてみようか?」
「嬉しいですけど、でも今はやめておきます。もうすぐこの土地を離れるんですから、食材は使い切ってしまいたいですし」
「分かった。買い足す食材の量もだんだん調整していこう。今あるものは使い切れそう?」
「なんとか大丈夫だと思います。もしかしたら調整を失敗して、最後の何日かは外食に戻ってしまうかもしれませんけど」
「構わないよ。いつも作ってくれているんだから、たまのお休みは必要だ」
「ありがとうございます。でも、新しい土地でもまたお料理をしたいと思ってます。もっと料理上手になりたいんです」
「熱心だね」
エランが感心するように相槌を打ってくれる。
ここでスレッタは少しだけ願望を口に出すことにした。目線は自然と下向きになり、お腹の前で両手の指先をあわせてモジモジしてしまう。
「お、お、お嫁さん…は料理上手のほうが喜ばれるとコミックで読んだんです。わ、わたしもいずれは……その、なので、練習は大事なんです」
緊張したが、頑張って『お嫁さん』という単語を口に出してみた。学園では自分が『花婿』と言われていたが、今はそんな制度とは関係ない場所に連れて来られている。
スレッタはもう誰かの『花婿』ではなく、『花嫁』になれる立場なのだと、エランに知っておいてもらいたかったのだ。
「………」
少しの沈黙。すぐに相槌を打ってくれると思ったが、エランは何も言ってくれない。
もしかして、話運びが唐突すぎたのだろうか。いきなり何を言い出すんだろうかと、思われてしまったのかもしれない。どうしよう。
気になったスレッタは、ちら、と顔を上げて、エランの様子を伺ってみた。…次の瞬間、嫌な具合に心臓が跳ねたのが分かった。
彼はなんだか、平坦な、つまらなそうな顔をしていた。
「……きみにそんな願望があるなんて、知らなかったな」
食器の音に紛れて、ようやくエランが口を開く。けれど、何だろう。先ほどまでと違って、その声音にはまるで温度が感じられなかった。
「え、え…っと、い、い、今すぐじゃなくて…いつか、いつかの話です」
「……そうなんだ。『いつか』ね」
そう言って、最後の一口を食べ終わるとエランは席を立った。そのまま食器を洗ってきちんと水気を布巾で拭いている。仕草自体は、いつもの彼だ。
そうして後始末をしてくれた後に、ふーっと大きなため息をついた。
「ごめん。ちょっと仕事で疲れてしまって。部屋で休んでいるよ」
「は、はい」
「ごめんね、スレッタ・マーキュリー」
何度も謝ってくれる。もしかしたら食事中に疲れてしまって、だから会話をするのが億劫になってしまったのだろうか。
「わ、わたしこそ、疲れているのにごめんなさい。ゆっくり休んでください、エランさん」
「うん。料理は本当に美味しかったよ。───『いつか』、いい『お嫁さん』に、なれるといいね」
「は…い」
最後の言葉に何らかの感情が込められている気がしたが、動揺していたスレッタではその意味を察する事はできなかった。
「………」
ふと気づくと、心が不安で満たされている。誰もいない対面を眺めながら、スレッタは味のしない夕飯を一人で食べ始めた。
次の日から、スレッタは何かに追い立てられるように家事をするようになった。
役割と願望 後編
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