小鳥遊ホシノと甘い希望
他に誰もいない実験室で、小鳥遊ホシノは実験を行っていた。
桃色の髪をポニーテールにくくり、眼鏡とダブついたワイシャツを羽織った風変りな恰好である。
「18番、薬効あり~!」
掲げた試験管の中身が透明になっているのを確認し、何かのドラマで見たセリフを呟く。
先日砂漠で発見したこの砂糖は、奇妙なことに砂漠の砂からできていたのだ。
かき集めて色々試した結果、一定時間火で炙り、加熱することで溶けて固まると透明な結晶になるようだ。
火で炙った試験管を傾けると、秤量紙に固まっていた結晶がポロリと落ちていく。
落ちた衝撃で結晶は砕け、粉がフワリと舞い甘い匂いが漂う。
「匂いヨシ! 味は……うん、おいしい」
最初は衝撃的な甘さに動揺したものの、味に慣れるとじっくりと味わう余地も出てくる。
口内に広がる甘味、砂漠が水を吸うようにじんわりと全身に広がる熱と多幸感。
これも当たりだったようだ。
「うへへへへ、な~んでこんなことになるのかわっかんないなぁ、でもいいか~、重要なのはそこじゃないし」
あの場所だけの特殊な素材の可能性も考え、ホシノはアビドス各地から砂を採取していた。
実験結果として、アビドス内ならどこの砂でも同様に砂糖へと姿を変えることになる。
フワフワとした高揚感に包まれながらホシノは傍らのノートを書きなぐる。
───アビドスの砂漠はただの砂漠ではない。
その砂は火で一定時間炙るとまるで氷の様な透明の結晶になる。
それは、砂糖の様に甘く芳醇で口にした者に空を舞うような多幸感を与える。
「えっと……【砂漠の砂糖(サンド・シュガー)】と名付けられたそれは、甘味料としてキヴォトス全域に広まり、多くの生徒を魅了した――っと、こんな感じに続くのかな? うん、いいね~これは研究者ホシノ伝説、始まっちゃったかな?」
ノートに綴った文言に、我ながら良く書けた、とホシノはにんまりする。
その時は白衣をばっちりと着こなした、眼鏡の似合う理知的な自分が写真に載るだろう。
まあ身に着けている眼鏡は伊達だし、白衣もなかったので、今はワンサイズ大きめのワイシャツで代用しているのだが。
小鳥遊ホシノ、形から入る女である。
愛用の盾も、手に入れてから馴染むまで血反吐を吐くほど練習したのだから。
『ホシノ先輩、すごいです~』
『ん、後輩として鼻が高い』
【さすがだねホシノちゃん、私も鼻が高いよ】
「いやいや、それほどでも~」
将来大成した姿をイメージして、それに称賛される自分
妄想であっても、後輩からの羨望の眼差しは面映ゆいものだ。
【頑張ってホシノちゃん。もっともっと砂糖を広めようね】
「そうだね、ユメ先輩」
耳元で聞こえたその声の正体に、ホシノは気付かない。
少なくとも、今はまだ……。
砂糖を舐めたとき、これは売れる、と判断した。
砂しかなかったアビドスで、名産品になりうるものを見つけたのだ。
しかも材料はありすぎて困っていた無限といっていいくらいの砂の山。
捨ておくことはできなかった。
あとはこれがアビドスだけか、というのが問題だった。
「サンプルが足りないなぁ。今度よその自治区の砂も集めて研究しないと」
各地の砂をかき集めて、実験をしなければならない。
アビドス以外がどうなるか、という反証も添えると説得力が増す。
「でもなぁ、ゲヘナとか素直に通してくれるかな? あそこ治安悪いし……前に情報部がうろちょろしてたのを叩き出しちゃったし」
――そういえばあの時、けっこう頑丈なのがいたな。
ホシノと同じくらいの矮躯だったが、一発で倒れず一人奮闘していたのを覚えている。
その後、名前も知らぬ少女は、何回か遠目で見かけた後は姿を消した。
砂漠しかないような自治区の情報収集などつまらないから、おそらく辞めたのだろう。
もし今もまだアビドスを調べていて、ゲヘナの万魔殿が砂糖の存在を嗅ぎ付けたのなら、既に行動を起こしていてもおかしくない。
ゲヘナの生徒会らしく強欲な万魔殿が何もしないというのなら、誰もまだ気づいていないといっていいだろう。
閑話休題
「こういう研究なら三大校のミレニアムでやるのが一番なんだろうけど……砂を炙ったら砂糖になります、なんて言って信じてくれるとも思えないよねぇ」
どこの錬金術だ、と首を傾げたくなるような事象だ。
自分がミレニアムだったら何をバカなことを、と一蹴する自信もある。
言うまでもないが、砂の成分は大部分が岩石・石英などの鉱物や化石の欠片だ。
それが飲食可能な物質に変化するなど、通常ではありえないことが起きている。
いきなり持ち込んで話を聞いてくれるならまだマシで、よくできた手品と思われれば、まともに話すら聞いてくれず門前払いということもありうる。
「『素人質問ですが』は嫌だなぁ、図書館で過去の文献とかも漁らないと」
過去のアビドスで同様の対策を練った先輩がいるかもしれない。
そちらにも目を通してからでないと、話は進まない。
「文献を調べて、サンプルを集めて実験して、レポートをまとめて、本格的に動けるのは来年になりそう……ああ、やること山積みだ。忙しいな」
忙しい、忙しいと口にしながらも、ホシノの心は浮足立っていた。
「ああ、そうだ。販売戦略も考えないと。今は飴玉くらいしか作れないけど、ヴィジョンは持っていた方が販路に乗せるときに説得しやすいしね。ん~こんなに甘いんだし、まずは既存の砂糖との組み合わせて、砂糖の使用量を減らしてカロリーを抑えられるってところから攻めるのがいいかな? カロリー控えめの人工甘味料とかならあるし、受け入れられやすいかも」
ぶつぶつと口からこぼれる提案を片っ端からノートに綴っていく。
次から次に泉のように湧き出てくるアイディアで、ペンを持つ手が止まることがない。
逆転の一手になりうる手札だ。
嬉しくないわけがない。
ホシノが言ったように、願望が形になるのは、まだまだ先の話になる。
だがホシノの目には、砂糖によってつながる甘い未来への希望が見えていた。
「……ん、メール? 誰から……うへぇ」
スマホに届いたメールの差出人を見て、ホシノの幸福な気持ちは吹き飛んだ。
―――――――――――――――――――――――――――
「クックック……今日はご足労いただきありがとうございます」
「黒服……お前に連絡先を教えた覚えはないはずだけど?」
「私にもそれなりの伝手はありましてね、その程度のことなど造作もないのですよ」
呼び出しを受けて向かった先にいたのは、ホシノが黒服と呼ぶ謎の怪人だ。
全身真っ黒な体を、ブラックスーツに包んだ人物。
ただの人間と呼ぶにはありえないメタリックな質感と、顔に走る大きなひび割れ。そして眼球はないのに光る眼が奇怪で、どこからどうみても不審人物だ。
それがたびたびこうしてホシノに接触を図ってくるというのだから、警戒しない方が難しい。
「……何でもいい、とっとと呼び出した要件を済ませてくれる? こっちは忙しいんだ。前みたいな変な提案とかだったらもう帰るよ」
「これは手厳しい……では本題に入りましょうか。 先日こちらの観測機器が砂漠で奇妙なエネルギーの発生を観測しました」
「エネルギー? 砂嵐でも起きたんじゃないの? いつものことだよ」
「いいえ、このエネルギーは突如として砂漠の一点で発生し、砂漠全体に浸透するかのように広がり、そして痕跡を残さず消えた。決して砂嵐のような性質ではない。となれば詳しい人物に聞くのが早いでしょう」
「……」
「ではお尋ねしましょう。こちらの観測した時間に、ちょうど砂漠へ足を運んだ小鳥遊ホシノさん。何か……ご存知ではありませんか?」
「っ!?」
――こいつ、私が何か知っていると疑っている? いや、あの時周辺にはドローンも何もなかった。砂糖は全て回収したし、後から来たところで気づけるはずはない。
「……知らないね、そもそも砂漠は広いんだ。私は廃品回収に行っただけで、変な動きと言われても私が知るもんか」
「クックック、そうですか……ではこの話題はここまでとしましょう。もし何かありましたらご連絡ください。それに価値があると判断したら、高く買い取りますよ」
「お前に売るものなんて、砂漠の砂粒一つもないよ」
そう宣言してホシノは踵を返した。
―――――――――――――――――――――――――――
「はい、それでは今回の対策委員会の議題は~」
ホワイトボードを背にいつものように話しているノノミ。
落ちてくる瞼にあくびをこらえながら、まどろむ思考でホシノは考えていた。
(早く研究を進めないと……人手が足りない)
いっそ二人にも教えて手伝ってもらうか、そう考えたとき、脳裏に黒服の姿がよぎる。
(……いや、今はまだ、話せないな)
ノノミのバックには、セイント・ネフティス社がいる。
ネフティス社の人間は、ホシノの嫌う大人だ。
ノノミは嘘が得意な子ではないし、秘密を抱えて何もしないということもできないだろう。
たとえノノミが食後の団欒中にポロリとこぼした情報だけでも、食いつくには十分な餌だ。
いかな理屈があれ、金儲けできる情報を得たら動くことは子供でも予想できる。
現状は砂糖の製造方法を知るのはホシノだけだが、火で炙れば済むものを長々と隠し通せはしない。
広大なアビドス砂漠の砂を勝手に持っていかれても、それを防ぐ術はない。
「――」
ネフティス社が主導で開発をしたら、研究は瞬く間に捗るだろう。
ホシノが今やろうとしていることなど、それこそ子供のごっこ遊びでしかないほどに。
だがそれで生まれるのは、ネフティス社にとって都合のいい実験場だ。
そこにアビドスの名はない。
それでもいい、と納得できるのなら、最初からノノミの持つゴールドカードに頼っている。
「――せんぱいっ」
ではシロコは?
記憶喪失の彼女には疑うようなバックなどない。だがシロコだけに話してノノミに隠すこともできない。
なにより記憶を持たないシロコはまだ何も知らないのだ。
大人の汚さなど想像もつかず、素直にすくすくと育っている今、水を差したくない。
砂糖を教えるのは、すべてが形になってから、企業などが手を出す前に速攻で特許などを取って備えるしかないだろう。
「もう、ホシノ先輩、聞いてますか!」
「うへぇあっ!? な、なになに?」
「あ、その感じ、また寝てましたね~。ダメですよ、夜はちゃんと寝ないと」
「ん、寝ないと大きくなれない」
「唐突に横から刺してくるねシロコちゃん。おじさんはもうこれ以上伸びないから……で何だっけ?」
「人を増やすにはどうしたらいいかって話です~。ここはやっぱり、進学率とか外にアピールできるものを増やすのがいいと思うんですよ~。だから勉強会しませんか?」
「勉強会ね、いいと思うよ。アピールできるかはともかくとして、勉強は学生の本分だし。もうすぐテスト期間にも入るからね、わからないところがあるなら教えるよ」
「ん、ホシノ先輩勉強できるんだ、意外」
「意外ってなに!? こうみえてもおじさん真面目にコツコツやるタイプだからね?」
もう一年は前の話になるが、ホシノは当時の生徒会長のユメ先輩と、たった2人で生徒会を維持していたのだ。
ユメ先輩は生徒会長として人をまとめる才能はあったが、その大らかな性格が故か、細かい書類作業などは雑でちゃらんぽらんな部分もあった。
そこを指摘するのはホシノの役割でもあったのだ。
必然、学園運営にかかわる勉強などもする必要があり、上級生までの知識は修めている。
「おじさんのことはもういいでしょ。それよりシロコちゃんはどうなの?」
「ん……」
「んん~? どうして目をそらすのさシロコちゃん? 今はおじさんと話しているんだよシロコちゃん。人と話すときは目を見て話しましょうってこの間教えたよねシロコちゃん」
「ホシノ先輩、これシロコちゃんの先日の模擬試験の結果です~」
「っ!? ノノミ、それは……」
ノノミから渡された試験結果に、ホシノは眉を顰める。
赤点が多い。
全てではないが、この時期のテストでこれとなると、この先が厳しいとしかいえない点数だ。
顔を挙げて、何か弁明は? とシロコを見る。
「……ん、私は記憶喪失」
「それで?」
「記憶喪失だから、勉強ができないのも仕方ない」
「へぇ~なるほど、じゃあ仕方ない……って、そんなわけあるか!」
テーブルをひっくり返すホシノ。
確かにシロコは記憶喪失なのだろう。
だがそれはエピソード記憶がないだけで、こうして言葉は覚えているし、文字の読み書きなども問題ない以上、知識に該当する意味記憶は残っているはずだ。
「よ~しおじさんやる気出てきたぞ、頑張ろうねシロコちゃん」
「ん……ん……」
「そんなに難しい顔しなくても、テスト見た感じ、興味あることとないことで差があって、低い方は解き方がよくわかってないみたいだから、そこを覚えれば何とかなるよ」
だがそれでもシロコの顔は暗い。
簡単そうにホシノは言うがそれで大丈夫だろうか? と顔にありありと書いてある。
ノノミと目を合わせて嘆息すると、ホシノは懐から秘密兵器を取り出す。
「ほら、シロコちゃん」
「ん……めがね?」
シロコの顔に、フチのある伊達眼鏡をかけてホシノは言った。
「形から入るってのも意識の切り替えに良いよ。これで君は、スーパーシロコちゃんだ!」
「スーパー……!」
「シロコちゃん、こちらをどうぞ~」
ホシノの発言に、シロコはカッと目を開く。
すかさずノノミが手鏡を差し出すと、キラキラと目を輝かせて眼鏡のツルをくいくいと指先で何度も持ち上げている。
せわしなく耳も動いており、もし尻尾があったら大きく振られていただろうことが見て取れる。
「それじゃあ私は参考書とか、ちょうどよさそうな問題集とか探してきますね~」
「ノノミちゃん、いつもすまないねぇ」
「もう、それは言わない約束でしょ、お父さん」
「うへぇ、誰がお父さんだよ~」
おじさんを自称しているホシノだが、お父さんになった覚えはない。
「ん、ホシノパパ。これ買って」
「どれどれぇって、これプロ仕様の自転車じゃん! 超高いヤツ!」
シロコがサッと差し出したのは自転車のカタログだった。
ブランドの自転車が数多く収載されており、当然商品に付くゼロの数も多い。
「……だめ?」
「うへ……そ、そんな目で見られても……」
「……」
「……て、テストでいい点が取れたらね」
「ん、約束。ホシノ先輩は私と指切りげんまんするべき」
「うへぇシロコちゃ~ん、腕そんなにふらないでよ、おじさん腕がとれちゃうってば~!」
苦し紛れのホシノの一言に、絶対に逃がさないとばかりにギュッと指を絡める。
ブンブンと風を切るほどに強く上下に振って指切りを済ませると、シロコは机に向き直った。
「ん、今の私はインテリジェンス。高得点も夢じゃない」
眼鏡を煌めかせてうお~っと熱意に燃えるシロコに、ホシノは指折り数えて嘆息する。
「はあ、次の利子の支払いまではまだあるし、ちょっと頑張って稼がないとね」
研究が軌道に乗れば、自転車など何台でも買えるだろう……だが未来で手に入る大金よりも、今は手元にお金が欲しいホシノだった。
「ふふ、そういうところがお父さんなんですよ、ホシノ先輩」
そして頭を抱えるホシノを、ノノミは微笑みながら見ていた。
翌日、指名手配のカイテンジャーがヴァルキューレの詰め所の前に積まれていた、という報道がクロノススクールによって流された。
「――で、ここはこうやって――」
「ん……?」
「こうして、この公式を使って――」
「ん……💡」
「そうそう、そうやって――」
「お疲れ様です~。おやつ買ってきましたよ~」
「お、もうこんな時間? 休憩にしようか」
「……ん」
タイミングよく差し入れを持ってきたノノミに、疲労困憊だったシロコの頭が上がる。
「じゃ~ん!、トリニティで有名なお店のロールケーキです~」
「おお、きれいだねぇ」
ノノミが取り出したのは、フルーツが入ったロールケーキだった。
むらなくふんわりと焼き上げられた生地がクリームをしっかりと包み、間にフルーツが彩りよく散りばめられている。
「ん、いただきます……っ! おいしい!」
「旬のフルーツが入った新商品みたいです~。ん~おいし、これは当たりですね~」
「もうシロコちゃんったら、がっつきすぎだよ~」
やはり甘いものは脳に良いのか、一口ですっかりと元気を取り戻したシロコに微笑ましさを感じながら、ホシノもケーキを口に含む。
(……あれ?)
違和感。
(味が……薄い?)
まるでプリンだと思ったら茶わん蒸しだったような、見た目から想像できる味と、実際の味との乖離に、舌が混乱する。
自分のだけ味が悪かった? いや、これはロールケーキだ。
一つのロールケーキを切って分けているのだから、それはない。
ケーキを見つめるホシノに、ノノミが首をかしげる。
「ホシノ先輩、どうかしましたか? おいしくなかったですか?」
「うへぇ、いやなんでもないよ、おいしいよノノミちゃん。ありがとね」
笑いながら、ホシノは止まっていた手を動かし、ケーキを食べる。
「うへへへへへへ」
――今、自分はちゃんと笑えているだろうか?
戸惑う内心を隠しながらケーキを食べる。
美味しいケーキのはずなのに、まるで砂を噛んでいるような気分だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……あれ、シロコちゃんじゃん、おっきい方の……久しぶり~元気してた?」
「……」
「それ、例のゲームだね。やってくれたんだ?」
「……」
「どうしたの?」
「ん――あやまり、たくて……」
「謝る? 何を?」
「……あの時、アトラ・ハシースの箱舟が崩壊してこっちの先生に助けられた後……私はアビドスに戻れなかった。私は償いきれない罪を犯した罪人で、アビドスのみんなを見るのが怖かった。だから逃げ出した」
「……」
「でも、もし戻っていたら、ホシノ先輩のことに気づけたかもしれなかった。そうでなくても、何かできることがあったんじゃって……」
「それは違うよ、シロコちゃん。私が暴走したのは、私が愚かだったからだ。ユメ先輩から受け継いだものに醜くしがみ付いて、それを誰かに託すことができなかったから……だからバカな私は、遅かれ早かれ同じことをやらかしていただろうね」
「……」
「シロコちゃんはさ、別の世界からこっちに来たけど、それでも私たちを助けてくれた。あのクソッたれな砂蛇が出たときに手伝ってくれたじゃん。謝る必要なんてないし、むしろ感謝してる……ありがとう」
「ん――ズルい、そう言われたら何も言えない」
「気づいちゃった? おじさんはズルいことも平気でできちゃう人間だよ。だから純情なシロコちゃんは騙されるしかないのだ~」
「……ふふ」
「あ、笑った? 今笑ったよね?」
「ん――ねぇ、ホシノ先輩」
「どうしたの?」
「ゲームをして、昔のホシノ先輩の見ていたものを知った」
「そう……あの時のシロコちゃんは可愛かったねぇ、今でも可愛いけど」
「そんなんじゃ、ない……」
「ん?」
「あの時の私は自分のことだけで精一杯で……過去の記憶もなくて、ホシノ先輩やノノミにわがままばかり言っていた。借金の自覚もなく他人事で」
「それは仕方がないよぉ。そんな借金だらけのところに無理やり入れたのは私だし」
「だからホシノ先輩やノノミが悩んで、苦しんでいても私にそんな顔を見せないようにしていたのに甘えていた」
「気にする必要はないのに、うん。あの時おじさんやノノミちゃんは、やりたかったことをやっていただけ。それを重荷に感じることはないよ」
「でも、それでもいえることはある。もう朧気だけれど、私の世界に【砂糖】はなかったけれど、アヤネもセリカもまだいなかったあの部屋で、あの時のホシノ先輩は、本当においしそうにケーキを食べて笑っていた」
「ああ、そう……ならそれは、本当においしかったんだよ」
「ん――私もそう思う」
「……ねえシロコちゃん、勉強はできるようになった?」
「ん――得意じゃないけど、ホシノ先輩が教えてくれたから……」
「そう……それならさ、いつか」
「?」
「いつか……こっちのシロコちゃんも誘って、みんなでサイクリングに行こうか」
「!? いい……の?」
「おじさん、お給料のほとんどが復興支援につぎ込まれているからお金が貯まるのがいつになるか分からないし、自由に外に出られるようになるかも分からないけど……それでもいいならね?」
「いい。行こう。絶対に」
「ならさ、サイクリング用の自転車について、おじさん詳しくないから教えてよ。勉強するから」
「ん――わかった。教える約束、ホシノ先輩は私と指切りげんまんするべき」
「……ああ、懐かしいねこのやり取り。うん、そうだね。約束するよ」
何もかもが終わってしまった後で、小指の先にわずかに残る熱が、ホシノにとって甘い未来への希望となった。