加筆まとめ⑦

加筆まとめ⑦

ハッシュヴァルトの説教

◀︎目次

見えざる帝国


 カワキはハッシュヴァルトとテーブルを挟んで向かい合うように席に座った。

 帰還時に出迎えたハッシュヴァルトからの要望に従った形となる。

 食事の準備をしたのはカワキだが、給仕は別の者に任せてあった。二人の前に給仕係が食事を運ぶ。


「……お前には言うべきことが幾つもあるが……まずは、先程の報告についてだ」

『…………』


 ハッシュヴァルトが威圧感に満ちた声で言った。向かいに座ったカワキは顔色一つ変えずにクイッとグラスを傾ける。

 一息で飲み干されて空になったカワキのグラスに、給仕係がワインを注いだ。

 出鼻を挫かれたハッシュヴァルトが端整な顔を顰めて釘を刺す。


「……カワキ。一度でグラスを空けるな」

『どうして?』

「お前は一度の食事で何本ボトルを空けるつもりなんだ。何度も言わせるな、酒は量を考えろ」


 そんなに言うほどかと、カワキは無言のままで注がれたワインを飲み干した。

 針葉樹の葉のように鋭く尖った眼差しがカワキに突き刺さる。カワキはどこ吹く風で、給仕係に向かって空になったグラスを差し向けた。


「…………」

『…………』


 静かな室内にワインが注がれる音だけが響いて、気まずい緊張感が漂う。

 カワキはハッシュヴァルトが更なる忠告の為に口を開こうとした直前、遮るように言葉を発した。


『先程の報告について話すんじゃなかったのか?』


 揚げ足を取るような言葉に、暫し黙ったハッシュヴァルトが深い溜息を吐いて給仕係に命じる。


「追加は不要だ。下がって良いぞ」


 カワキは、自分の酒の飲み方はそこまで言われるようなものかと訝しんだが、口には出さなかった。


⦅部屋に戻ればまだ酒はある。この場では大人しくしておくか……戻って飲み直せば良い⦆


 何も言わずに大人しく食事をするカワキに、ハッシュヴァルトが疑わしそうな視線を向ける。

 警戒が燻る眼差しにもカワキの氷の表情が溶けることはない。

 ハッシュヴァルトは嘆息を漏らして当初の発言通りに話を進めた。


「先程の報告はどういうつもりだ? お前は報告書には記載が無い情報も持っているだろう。何故、陛下にお伝えしない?」

『必要な情報は伝えた。残りの情報は確定していない憶測ばかりだ。まだ語るべき時じゃない』

「それは陛下がお決めになることだ」

『その陛下が「構わぬ」と仰った』


 カワキは説教を受けているとは思えない態度だった。反省の色は見えない。

 しかし、ユーハバッハがカワキの報告に許しを出したのは事実だった。複雑な表情のハッシュヴァルトが言い聞かせるように言葉を紡ぐ。


「ならばせめて、自分で報告を書け。手間を惜しんで死神共の報告に投げるな」

『どうせ似たような内容にしかならない。時間の無駄だよ。省ける手間を省くことの何が悪いと言うんだ?』


 カワキは暖簾に腕押しと言った様子で右から左に聞き流した。カワキにとっては、説教よりも残りのワインの量の方が余程、重要事項だと言えた。

 ぼんやりと手元のグラスを眺めるカワキにハッシュヴァルトが諄々と説教をする。


「同じものを見ていても、視点が変われば自ずと視えるものは変わる。……お前は、己が気付いていることは他者も同じように気が付いているとでも思っているのか?」


 また始まったと、項垂れたくなる気持ちで溜息を吐くカワキ。テーブルの向かい側で緑の瞳がきゅっと細められた。


「カワキ……お前は思い違いをしている。お前は自分で思っているよりずっと観察力に優れている」

『お褒めに預かり光栄だ。そう思うなら、報告の必要は無いという私の判断に口出ししないで欲しいね』


 ハッシュヴァルトは苦い顔で皮肉を返すカワキに「話は最後まで聞け」と言って、目を伏せた。


「陛下も……お前を評価しているからこそ期待をかけて現世へ送り出したのだろう」


 伏せられていた双眸がゆっくりとカワキに向いた。


「気が付いたことがあれば所感で構わん、負傷も隠すな、陛下にはお伝えするまでもないことだと思うのなら私に伝えろ」


 真剣な顔付きのハッシュヴァルトの言葉にカワキが小さく肩を竦めた。

 何だかんだと言いながら、不肖の弟子を気にしているのだと解らなくもない。だが話が長いのだ。


『結局、報告(それ)か。君はいつも話が長い。私は必要なことは伝えている。負傷も隠したわけじゃない』


 剣術に関してならまだしも、他のことで口出しされる謂れはないとカワキは思う。


『心配しなくても陛下のご期待に添えるように努力するよ。私は嘘を吐かない』


 玉座の間で告げた言葉を繰り返す。

 無感情な蒼い瞳に、ハッシュヴァルトは物哀しさを覚えた。

 現世で出来た友人と修行をすると聞いた時はカワキに人間らしい情緒が芽生えたと思ったが――


(やはり、陛下の期待に応えることが……それがカワキの行動原理なのか……?)


 目を伏せて黙り込んだハッシュヴァルトに怪訝そうな視線を向けて、カワキが話を変えるように言葉を紡いだ。


『私は過去の話より今の話がしたい。最近は剣を使うことも増えてきたんだ。調整の為にも久しぶりに鍛錬に付き合ってくれ』


 カワキは過ぎたことに拘るより、近頃は困難の連続になっている任務を達成する為に、今できることをしたかった。

 ハッシュヴァルトはこれ以上は言っても聞かないだろうと悟った。渋々という態度で口を開く。


「……良いだろう。ただし、条件がある。今後はお前の状態も逐一報告しろ。交戦や負傷は伝えるべきことだ。解ったな?」

『…………善処しよう。とは言え、緊急性が高い事態では護衛任務を優先する』


 条件を付けられたのは面倒だが、幾らでもやりようはある。カワキは問答を続けて説教を長引かせるよりはマシだと、条件を受け入れた。

 この日の説教はこれで幕引きとなった。


***

カワキ…酒も無しに長話なんて聞いていられるかと言わんばかりの態度。1言うと2か3くらいで文句を返す。酒呑むなされることに対しては「そんな言うほどか?」と思っている。言うほどだよ。


ハッシュヴァルト…説教しようと思ったら酒飲み始めるし、陛下の言葉を引き合いに出してくるし、最終的には剣見てくれって言ってくる弟子に押し負けた。


◀︎目次|▶︎次ページ

Report Page