加筆まとめ⑥
見えざる帝国への帰還瀞霊廷
瀞霊廷での鍛錬は泊まり込みで行われていた。今日の鍛錬を終えたカワキは、一人静かに部屋で過ごす。
滅却師が死神の本拠地である瀞霊廷で連日鍛錬に勤しむなど、並の神経ではとても耐えられないだろう。だが幸か不幸か、カワキはその辺りの感性が人とずれていた。
『……では、明日にでも』
カワキは端末を手に帰還日時を知らせる連絡をしていた。部屋に仕掛けが無いことは、初日のうちに確認済みだ。
死神の本拠地――敵地のど真ん中で長期の修行を行うだけでは飽き足らず、堂々と見えざる帝国へ連絡を取る者は、騎士団員でもカワキくらいだろう。
明日の鍛錬は休み。それなら、尸魂界に居る間に用事は一度で済ませよう、という魂胆だった。
「カワキちゃん、ご飯食べに行こー!」
連絡を終えた頃、扉の向こうから明るい声が響いた。
霊圧で近付く相手に気付いていたカワキは、落ち着いた態度で扉を開ける。
『呼びに来てくれたんだね。ありがとう、井上さん』
礼を述べながらカワキは考える。
明日の不在時にこうして訪ねて来られては不審に思われる。親切は美徳だが、明日は呼びに来ないように言っておかなければならない。
『井上さん、明日のことなんだけど……』
「明日? どうしたの?」
『明日は一日対応できないから、食事の時も呼びに来なくていいよ。井上さんもゆっくり休むといい。休息は大事だからね』
「? うん、わかった! カワキちゃんもゆっくり休んでね」
井上は、カワキの言葉に一瞬首を傾げたものの、すぐに笑顔で頷いた。
(明日は一日中寝て過ごすとか? カワキちゃんってストイックに修行してたから、意外だなあ……何かちょっと可愛いかも)
布団に包まって過ごすカワキの姿を想像して、井上がフフッと笑った。今度はそんな井上の様子にカワキが首を傾げる。
『井上さん、どうかした?』
「えっ!? ううん、何でもない。ほら、行こっ! 朽木さんも待ってるよ」
『? ああ、わかった』
◇◇◇
翌日、カワキは久しぶりに見えざる帝国へ帰還した。
陛下に謁見するには、私服を模した服装は相応しくない。まずは着替えが必要だ。
カワキにはむしろ普段着とも言える軍服に着替える為に、自室を目指し静かな廊下を歩んでいく。
ふと、前方の柱の影に人影が見えた。
「……ケハイ……」
『! ……ペルニダ』
フードにすっぽりと覆われた人影。その下は小さな目のようなものが覗くだけで、顔を見ることはできない。
親衛隊の一人“ C ”ペルニダ・パルンカジャスだ。
いつもはカワキを遠巻きにして近寄って来ないペルニダが、わざわざ出迎えに来たとは思えない。
怪訝そうにカワキが用件を訊ねる。
『……何か用事でも?』
「……ケハイ…スル……」
『?』
ペルニダの要領を得ない言葉に、カワキは僅かに首を傾げた。
気配とは誰の気配だ。ここにはカワキとペルニダ以外、誰も居ない。目の前に居るカワキに対して「気配がする」なんて言葉は使わないだろう。
『誰の気配のことを言ってる? ここに君と私以外の霊圧は感じないけど』
「…死神ノ…ケハイ…ト……コレハ……」
『……さっきまで瀞霊廷に居たんだ。死神の気配というならそれが原因だろう』
死神の霊圧の残滓でも感じ取ったのか?
カワキがそう結論付けて淡々と答える。しかし、ペルニダは途切れ途切れに言葉を続けた。
「…チガウ……死神ノケハイ…チガウ……シッテル…ケハイ……」
『? 私が瀞霊廷で死神以外に関わったのは現世の人間だけだ。彼女と君が知り合いだとは思えないな』
カワキが今回、瀞霊廷に滞在している間に関わったのは死神の他は井上だけ。死神の気配では無いと言うなら、それは井上の気配ということになる。
しかし、現世で生まれ育った人間である井上と、見えざる帝国に身を置くペルニダに面識などある筈がない。
⦅これ以上、訳がわからない会話には付き合っていられない。時間の無駄だ⦆
カワキは浅いため息と共に言った。
『用が無いならこれで失礼するよ』
「…ケハイ…シッテルケハイ……コレハ…コレハ……」
ペルニダはカワキの言葉に反応せず、ブツブツと同じ言葉を繰り返し呟いていた。
その様子を一瞥して、カワキが歩みを進めようとした、その時――
「――これは余の右腕の気配だ」
『!?』
異様な気配にカワキが飛び退った。
――誰だ、何だ……今のは?
カワキはペルニダから目を離さない。
あまり会話した記憶は無いが、ペルニダが片言以外を口にするのは初めて聞いた。明らかに様子がおかしい。
⦅右腕? 何の話だ……、いや……⦆
ふと、アスキンの語っていた噂話とやらを思い出した。酒の席で話したほんの雑談だが……「腕」という単語が出てきた憶えがある。
――「そういや、知ってるか? ペルニダさんの正体は“霊王の左腕”ってウワサ……殿下は陛下から何か聞いてたりは?」
――『知らない。その話自体、初耳だから陛下に訊ねたことも無い』
――「ハハ! だよなァ……殿下は噂話になんか興味無ェか」
⦅噂話……というのは馬鹿にできないな。もっと話を聞いておくべきだったか……⦆
ペルニダの様子にカワキは「例の噂話はあながち嘘では無いかもしれない」と薄ら考えた。
カワキはペルニダと距離を空けて動ける体勢を取りつつ、慎重に訊ねる。
『――貴方の右腕……というのは何処に? 私には生憎と心当たりが無い』
「……ミギ…ウデ……?」
『――――……』
先程までの会話など無かったかのように呟くペルニダ。カワキは眉を寄せて、観察するような目でじっと様子を窺う。
⦅今のは――…いや、詮索は止そう。蛇が出たら今の私には対処できない⦆
カワキは力を奪われている今の状態で藪をつつくのは、得るものよりも危険の方が大きいと判断した。距離は詰めない。
『……私は君に用はない。もう行くよ』
「…………」
黙り込んだペルニダを油断なく見据え、変化がないことを確認すると、カワキはその場を後にした。
***
カワキ…霊王にはかなり興味がある。普段はペルニダとそんな仲良くない。アスキンの雑談が役に立ったから「無駄話だって思ってたけど……会話って大事だな!」と思ってるかもしれない。様子がおかしい奴からは距離を取るに限る。
ペルニダ…カワキのことは「陛下は何故か可愛がってるけどアレは無い」くらいの好感度しかない。多分普通に仲が悪い。カワキ経由でミミハギ様in浮竹の残り香的なものを感じ取って寄ってきた。
井上…カワキの言葉を「明日は丸一日、寝て過ごすから起こさないでね」という意味だと誤解した。