ごめんねスレッタ・マーキュリー─共感と死─
※スレッタ視点です。暴言、暴力描写などがあります
昼にほど近い時間帯。安全に守られているはずのアパートの一室で、スレッタ・マーキュリーはかつてないほどの窮地に陥っていた。
張り詰めた緊張感に晒されながら、スレッタは喉をこくんと鳴らすと、目の前の見知らぬ男をジッと見つめた。
黒髪で、少しくせっ毛の人だった。肌は薄い褐色で、真っ黒な目をしている。顔つきからすると同年代だろうか。背はスレッタと同じか、それより少しだけ大きい。
何かがあった時は、すぐに連絡をすることになっている。スレッタはゆっくりと後ろ手にポケットを探ったが、そこには何の感触もなかった。…傷心したスレッタは、端末を部屋に置いたままぼんやりとダイニングで過ごしてしまっていたのだ。
どうしよう、迷ったのは一瞬だった。これはあからさまに異常事態だ。カチリと、無理矢理にでも緊急用の意識に切り替える。
「あの、どちら様ですか?」
普段のスレッタは人見知りで、知らない人に話しかけたり緊張したりするとすぐに声がどもってしまう。同時に無駄に焦ってしまい、ドジをする回数も多くなる。
けれどその性質はレスキューをする上では致命的だ。だからスレッタはエアリアルに乗って操縦する時は出来るだけ冷静になるように習慣付けてきたし、生身の状態でもある程度は意識を切り替えられるように訓練もしてきた。
今スレッタは意識をレスキュー用に切り替えた。要救助者は、一時的に目の前の彼を想定する。
「何か声は出せますか?なぜこの家にいるのか、訳を話せますか?」
水星での救助活動は大変の一言に尽きる。エアリアルに乗ってもスレッタの安全は保障されない。太陽の光に晒されれば、たやすく機体ごとロストしてしまう可能性がある。
何とか要救助者の元へと無事にたどり着けたとして、それだけで終わりではない。怪我をしていたら応急処置をし、無傷だったとしてもすぐさま安全な場所に送り届けなければならない。
暴言を吐かれることは日常茶飯事で、時には錯乱した要救助者が暴れまわることだってある。エアリアルの手のひらに要救助者を乗せてそのまま移動するやり方は、時間の短縮と共にスレッタの安全確保の為に何とか生み出した方法だった。
今、頼りになるエアリアルはいない。健常な成人男性が暴れたらスレッタ一人で対処できるか分からない。だから何とか目の前の彼を刺激せずに、逃げ出すための時間を稼がなければいけなかった。
「あなたのお名前を、教えてもらえませんか?わたしはスレ───スカーレットです」
根気強く語りかけていたスレッタの言葉に、相手の男が反応した。ぼんやりと暗い瞳でただこちらを見ていたようだったのに、急に焦点が絞られた気がした。
「…スカーレット?君、スカーレットって言うんだぁ」
「そ、そうです。スカーレットが、わたしの名前です」
偽名を名乗ったのは心苦しいが、きちんと声を出して反応してくれたことに少しだけホッとする。少なくとも、会話による意思疎通ができる相手だ。
スレッタは相手が安心できるようにニコリと微笑みながらも、じりじりと機会を伺っていた。相手を要救助者に設定してそのように振舞ってはいるが、それはあくまで自分の意識の表層を騙すためのものだ。
視線をあからさまに向けないように、撤退すべきドアへの距離を確認する。
玄関へと続く入り口は正体不明の人物が塞いでいるので、今のままでは逃げられない。同居人であるエラン・ケレスの部屋も同様だ。彼の部屋のドアはダイニングから玄関への途中にある。ならば、ダイニングから直接行くことのできるスレッタの部屋へ逃げ込むしかない。
そこなら鍵も内側から掛けられるし、エランに端末で助けを呼ぶこともできる。いざとなればベランダから外へ出ることもできるだろう。
目の前の彼の正体が分からない限りは、すぐにどのようにでも体を動かせるように準備はしておかなければいけない。
泥棒…犯罪者さんだろうか。それとも、ペイル社の追手…なのだろうか。
深く考えすぎると素に戻ってしまいそうだが、それでも考えてしまう。
エランならばすぐに判別できたのかもしれないが、自分ではよく分からない。目の前の人物は、スレッタにとって想像の埒外の存在だった。
そんな謎に満ちた彼は、コテンと首を傾げてきた。
「…あのさぁ、君、そんなにはっきりした赤髪だったっけ…?」
「へ?な、何ですか…?」
「だからさぁ、髪、髪の毛だよ。カリバンと一緒にいるのを見た時は、もっと茶色っぽかった気がするんだよねぇ…」
言って、目の前の彼は首を傾げつつも、自分の黒髪をクルクルと指で弄んでみせた。男性にしては長めの髪は、ほんの少しパサついているように見える。
「でも体格も肌の色も、俺が見かけた子と間違いないと思うんだぁ。う~ん、…もしかして、ウィッグでも被ってた?オシャレさんだね~」
思いのほか気やすい雰囲気に力が抜けそうになりながらも、騙されてはいけないとグッと堪える。彼は勝手にアパートに入って来たのだ。そんなことをするのは決して普通の人ではない。
でも、同時に泥棒ではないのかもしれない…とも考える。彼はスレッタを以前に見かけたと言っていた。カリバンと一緒にいた、と言っていただろうか。
カリバン…カリバンとは何だったか。空回りしそうになる頭を何とか動かして、彼の言った言葉を繰り返す。
───あ。
カチッとパズルのピースが嵌まったように、答えがスレッタの頭に浮かびこんできた。
───思い出した。エランさんのことだ。
カリバン・エランス。それは同居人であるエランが使っている偽名だった。
「あの、エランさんのお知り合いなんですか?」
名前のからくりに気付いた瞬間、スレッタは無防備にエランの名前を声に出していた。
途端に空気がビリッと震える。目の前の彼の視線が更に強まった気がして、肩が跳ね上がりそうになる。
黒い瞳がこちらをジィっと、強く強く見つめていた。
「『エランさん』…。君、彼のことそう呼んでるんだぁ」
「え…。あ、の…」
スレッタは動揺した。自分がとんでもない間違いを犯してしまったような気がしたのだ。
異様な空気に心が震える。
自分を騙すために被っていた緊急用の仮面が、少しずつ剝がされていくようだった。
「君さ、カリバンの妹って言われてる子だよねぇ?」
「そ、それは…」
覚えがある。昨日エランから言われたばかりのことだ。
仕事先の老人にスレッタがエランの妹だと思われていること。それを聞いた工場のえらい人が、『エランの妹』という存在に興味を持ったこと。
もしかしたら、目の前のこの人こそが工場のえらい人なのかもしれない。
「……っ」
スレッタは一瞬で判断すると、ほんの少しの賭けに出てみた。
「わ、わたしは、エランさんとは血が繋がっていません。名前だって、違います」
目の前の彼が注目しているのが分かる。スレッタの言葉を聞き逃すまいと集中している。
「でも───家族、です。血は繋がっていないけど、彼にとってのわたしは家族で、妹なんです。だから、ぜんぜんにてないけど、わたしはちゃんと、いもうと、なんです」
だから、彼にそっくりの女の人はいないんです。
そこまで言えたらよかったが、途中で声が詰まってしまった。でも、言わんとすることは伝わったはずだ。
本当は妹と呼称するなんてイヤだった。けれどこれしかこの場を切り抜けられる方法が思いつかない。
本当のことに僅かな嘘を混ぜて、目の前の彼に『エランの妹』という存在を諦めてもらう。
『エランの妹』は彼に全然似ていない存在なのだと、そんな人物はいないのだと、それを分かってもらえれば、きっと興味を失って帰ってくれる。そのはずだった。
「───うそつき」
「え」
そのはずだったのに。
「全然家族なんかじゃないだろ」
唸るような声がする。目の前の顔が見る見るうちに歪んでいく。眉間に皺をよせ、歯を食いしばり、こちらを睨みつけてくる。
「お前、カリバンのこと女として好きな顔してる。媚びを売る女の声音でカリバンの名前を呼んでる。何がちゃんとした妹だよ。うそつき。うそつき」
「あ…」
まさか嘘を見破られるとも思わず、自分の恋心を看破されるとも思わなかったスレッタは、その場で硬直してしまった。
自分と同じくらいの背丈か、せいぜい少し大きい程度だと考えていたのに、目の前の存在がとても大きく怖いモノに見えてくる。
張り詰めた空気が部屋を圧迫している。まるでその空気に押さえ込まれてしまったかのように、スレッタは動けなくなっていた。
彼は何故だか怒っている。スレッタが嘘を付いたからか、お目当ての妹が存在しなかったからか、理由は分からないが彼はとても怒っている。
明確な失敗だった。
───どうしよう。…どうしよう!……どうしよう!!
スレッタの被った緊急用の仮面が剥がれ、とうとう素顔が剥き出しになろうとする瞬間。
───ピリリリリリ…ッ
「───ッ」
隣の部屋から鋭い音が聞こえてきた。
ドアの向こう。スレッタの部屋。置いたままにしていた端末の呼び出し音だった。
スレッタに連絡をしてくるのはエランだけだ。
「あ。エラ…」
この音がエランからの呼びかけだと気づいた時、スレッタは思わず縋りつくように音のする方を見てしまった。
緊急用に被った仮面が完全に剥がれ落ちる。そこに居たのは17歳の、臆病で引っ込み思案なただの女の子だった。
無防備になったスレッタに、目の前の男が手を伸ばしてくる。手首を掴まれ、力任せに引っ張られる。
「きゃあッ」
堪らず倒れ込んだスレッタに男が覆いかぶさってくる。上を取られる本能的な恐怖から、スレッタは滅茶苦茶に手を動かして抵抗した。
「…いッ!」
その一発がぐうぜん掌底の形で男の顎に決まった。ひるんだ男の下から抜け出し、急いで部屋へと駆け込もうとする。
「───っこのッ!」
「ひャッ!、んぐゥ…っ」
けれど咄嗟に足を掴まれて、今度はバタンと勢いよく倒れ込んでしまう。なんとか手を下敷きにしたが、体のあちこちがジィンと痺れている。あまりの衝撃に身悶えていると、いつのまにかギラギラした真っ暗な瞳に見下ろされていた。
「カリバンを誘惑する『×××』め!」
「!」
大きな声で怒鳴られる。スレッタは反射的に身を竦め、顔を攻撃されないように両手で庇った。
「妹のふりして、カリバンを惑わして、彼を独り占めしてるんだろッ!この『××××』!!」
「………ッ」
何か酷いことを言われている気がするのだが、内容がよく分からない。もしかして、この地域で使われている現地語なのかもしれない。
スレッタは固く身構えて攻撃に備えた。
相手は武器の類を持っていないが、男性の力で思いきり殴られたらそれだけで致命傷になる恐れがある。
けれどいつまでも直接の暴力が振るわれることはなく、その代わりずっと言葉で攻撃され続けた。
「こんなに足を出して、まるで『×××』じゃないか!そんなにカリバンに『×××』して欲しいのか!!」
「………」
暴力は来ない。
その代わり、よくわからない言葉での攻撃だけが続く。
太ももの部分に腰を下ろされてマウントを取られているので、下手に動くことも出来ない。
「───ッ!!───っ!───!」
「………」
そんな状態が続いているうちに、少しずつスレッタはこの状況下でも冷静になってきてしまった。
男が一向に手を出してこなかったこともある。男の声がだんだんと涙声になり、勢いが乏しくなったこともある。
「『×××』…!お前なんかっ、お前なんか……『×××』の、くせにぃ…っ」
「………」
ぽたぽたとスレッタの両腕に雫が落ちてくる。熱く温かく、その雫は体温を宿していた。
スレッタはそっと両手を外して男の様子を伺ってみた。
「ぅ、うぅ~~っ」
彼は泣いていた。
顔を真っ赤にして、くしゃくしゃにして、歯を食いしばって泣いていた。
「ヒッ…っ、…っ、ずるい、よぉ…」
やがて、ヒックヒックと嗚咽が聞こえ始めた。
「俺もカリバンのそばに居たい…カリバンに愛して欲しい…カリバンの心が欲しいよぉぉ~…」
「───」
スレッタは目を見開いた。それはまるで、小さい子供が駄々をこねているようだった。
…自分にも覚えがある。実際にスレッタは小さい頃によく駄々をこねて母を困らせていた。
お父さんが欲しい。友達が欲しい。そう言って泣いては、母の眉を下げさせ、母の言葉を詰まらせていた。
幼い我が儘は、結局叶えられることはなかった。
泣いても怒っても、どうにもならない事はあるのだ。
目の前の、彼のように。
「ぁ…」
まるで自分のようだと唐突に思った。
彼はエランの心が欲しいのだ。彼はエランに愛されたいのだ。彼はエランのそばに居たいのだ。
それはそっくり自分のことだ。まったく何の狂いもなく、彼はスレッタと同じ望みを持っていた。
「───泣かないでください」
声が出た。
自分でも意外に思うほど、柔らかな声だった。先ほどまで強張っていたとは思えないほど、それは優しい声だった。
「泣かないで。…エランさんが、好きなんですね?」
スレッタの問い掛けに、目の前の彼は答えない。けれど否定することもなく、彼は唸りながら両手に顔を埋めていた。
ポタポタと、指の隙間から零れ出した雫が降ってくる。
「わたしもそうです」
スレッタは縮こませていた両腕をほどいて、そっと彼に近づかせてみた。
彼の顔はほど近いところにある。彼はスレッタの太ももの部分に跨っていたけれど、けっして体重を掛けることなく、少し前かがみになって泣き続けている。
「わたしも同じなんです」
ほんの少し手の甲に触ってみる。彼は拒絶することなく、されるがままになっている。涙がしみ込んだのか、汗をかいていたのか、男性にしては華奢な手の甲はほんの少し湿り気を帯びていた。
慰めるように擦りながら、スレッタの呼気も少しずつ湿り気を帯びてくる。
目尻に熱が溜まる。
声が震える。
「わたしも…、エランさんが好きなんです」
すぅ、と。スレッタのこめかみを何かが流れた。熱く温いそれは髪の間に吸い込まれ、空気に触れてほんの少し辿った道を冷やしていった。
「…おなじじゃないよぅ…。だって、おまえは、あいされてるじゃないかぁ…」
指の間から、か細い声が聞こえてくる。いじけたような声だと思った。
スレッタはそれに頭を振り、相手からは見えていないことに気付くと、相手に届くようにきちんと声に出すことにした。
「振られてしまいました」
「……え」
「旦那さんとお嫁さんに───夫婦になろうって言ったのに、振られてしまいました」
「なんで」
「わ……わかりません。でも、とにかく振られたんです。そんなことできないって、い…いわれました」
言いながら、スレッタの喉からも引きつったような声が出始めた。声に出したことで、昨日の感情が甦ったのだ。
「ひッ、…いっしょに、ずっと、いたいのに。ふぐ…っ」
「ちょ、ちょっとぉ…」
相手の戸惑った声がする。まるで目の前の彼の涙が移ったように、スレッタはポロポロと涙を流した。
「ぅ~、いいアイデアだとおもったのに…っ、ほんきだったのに…、ち、ちいさいこみたいにたしなめられて、ぜんぜん、しんじてくれなくて、プロポーズっ、ことわられたんです…ッ」
ふぐ、ふぐ、と鼻のあたりから動物の鳴き声のような音が聞こえてくる。こんな風に格好悪いところ、大きくなってからは誰にも見せたことがない。せいぜい、モビルスーツの通信越しに泣いたくらいだ。
でも構わない。この人は自分と同じだ。同じように格好悪く泣いていたのだから、同じような姿を見せても大丈夫なはずだ。
スレッタは本格的に大きな声で泣き始めた。わぁわぁと、子供のように。
「なんだよ、それぇ。そんな、そんなこと言って、お前、大切にされてるじゃないかぁ。俺とは全然、違うじゃないかぁ」
「そ、そんなの、ヒック、きまっでます。わたしのおやに、おんがあるからですよっ。だから、むすめのわたしを、めんどう、みでくれてるだけなんでずよっ、うぅー…ッ」
「うそだっ!ぜったいうそ!カリバンは、ぜったいお前の事やらしい目で見てた!おれ、見たもん!」
「かんちがい、ですっ!」
「ぜったいッ、そうだ!」
両者ともにボロボロと涙を流しながら、時には鼻水さえ流しながら、何だか口喧嘩の様相を呈して来た。
「だいたい、男はエッチなことが好きなんだ!カリバンだっておんなじだ!それなのにこんなに太もも出して、胸だって大きいし、お前、ずるいぞっ!」
「エランさんはっエッチじゃないです!エッチだったら、ぷろぽーず、うけてくれてます!だいたい、ずるいずるいっていってますけど、ちゃんとこくはく、したんですかっ!?」
「!そ…それは…っ告白、するまえに、お前がいたから…ッ」
「エランさんは、『いもうと』をねらってるやつがいるって、いってました。それ、あなたのことですよね!ちゃんと、『いもうと』じゃなくて、エランさんがすきだって、いったんですか!?」
「…それは」
「わたしは、こくはく、しましたっ!こくはく、してないひとに、もんくをいわれたくッ、ありませんっ!」
「……それは…」
床に仰向けに倒れたまま大声を出すのは、思いのほか重労働だった。ぜぇぜぇと息を切らしながら、勝利宣言のようにスレッタは告げる。
「わたしは、こくはく、しました!」
声が掠れる。喉が痛くて、コホコホと咳をする。それで余計に体力を削られて、スレッタは宣言を最後にぐったりと床に体重を預けた。
「………」
何だか頭の中がジンジンする。体が痛くて、寒気に震える。でも首から上だけは熱くて、特に目の周りが熱くて、何だか溶けてしまいそうだった。
「お、おい、お前、大丈夫なの…眠いの?」
「………」
目の前の彼も負けず劣らずな有様だと思うのに、ピンピンしてるのが何だか悔しい。彼と自分はそっくりだと思うのに、こんなところに違いが出るなんてどうしてだろう。
スレッタは疑問に思って、さっき床に体を思いきりぶつけた事を思い出した。よく考えたら2回も固いフローリングに体をぶつけている。だから余計に力が入らないのだろう。
でもどこも折れてはいないと思う。せいぜい打撲くらいだ。きっと。
専門的な医療の知識はないけれど、応急手当くらいの知識はある。スレッタは自分の体を勝手に大丈夫だと判断して、すぅー…と深く息を吐きながら更に体の力を抜いていった。
寝て起きたら、体力は回復しているはずだ。そうしたら、きちんと身だしなみを整えなければ…。
つい先ほどまで一緒に泣いていたもう一人の自分が、すぐ目の前に顔を近づけて一生懸命話しかけてきている。傍目から見たらキスをしようとしているように見えるかもしれない。
まったくそんな関係じゃないのに、変なの。
スレッタはくすりと笑おうとして、それも出来ないことに気が付いた。
もう本当に、眠る直前らしい。そう思って、これからやって来るだろう暗闇に逆らわず目を閉じようとする。
すると、もう一人の自分が、一生懸命話しかけていた彼が、いきなり目の前から居なくなっていた。
驚いて、ほんの少しだけ覚醒する。
掠れた視線の先に見えたのは、少し前の自分が待ち望んでいた、大好きな人の背中だった。
───エランさん。
声を掛けようとしたが、駄目だった。
掠れた音が空気を震わすだけで、明確な言葉としてスレッタの声が外に出ることはなかった。
エランはスレッタの方に振り返る。彼はとても強張った、怖い顔をしていた。
───いやだ、恥ずかしいから見ないでくださいエランさん。
伝えようとしても、やっぱり声が出ない。
その代わり、今までいまいち聞こえていなかった音が届くようになった。
「か、カリバン。突然家に来てごめん。あの、その子は…」
「彼女に、何をしたんですか…」
───エランさん、泣き疲れて眠りそうなだけですよ。体はちょっと痛いけど、大丈夫ですよ。
「な、何もしてないっ!カリバンが心配するようなことは、何も…」
「じゃあなぜ彼女はこんなにボロボロになっているんです」
「それは、さっきまで泣いてたからで…。な、泣かせたのは事実だけど、でも、す、少し、乱暴なことはしたけど、誓って、そ、そういう意味で彼女に手を出してないっ」
「………」
───もう!それは少し、嘘ですよ。この人が手を出して体を引っ張ったから、今ちょっと体が痛いんですから。
「俺は…俺は、カリバン、君が、きみのことが、す、好き、なんだ…。だから、彼女に手を出していない。か、彼女に教えられたんだ…スカーレットに、ちゃんと言えって…!」
「………」
───よかった。言えたんですね。これでもう、恨みっこなしですよ。よかった。
「………」
「………」
───エランさん?
「か、カリ…」
「黙れ」
───どうし…。……、………。
エランはスレッタの乱れた髪を整え、目尻の涙をそっと拭うと、告白をしてきた彼を見やった。
すでにスレッタの目は朦朧として、音も再び遠くなってきている。
けれどエランのその姿は、その声は、スレッタの心に深く刻み込まれることになった。
「もう一言も喋るな。好きだのなんだの───気持ち悪いんだよ」
絶対零度の視線。
明確な拒絶の言葉。
それは愛する気持ちを刈り取ろうとする鎌のような鋭さに満ちていた。
スレッタは、まるでもう一人の自分と一緒に死神の鎌を振るわれたように感じながらも、闇に囚われて目を閉じた。
解き放たれた厄災
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