ミレニアム編 1話
「はぁ…はぁ…!」
アビドス自治区の旧市街地。
かつて栄華を極めたその場所は今や砂に埋もれ、生命の息吹を何一つ感じない。
その中を桃色の髪を靡かせ、荒い呼吸と共に駆ける少女がいた。
「ダメ…!捌ききれない…!部長!部長、聞こえる!?」
「…まだジャミングの範囲から出れてない…!」
通信機はザァザァとノイズを返すのみ。だが少女は諦めずに叫ぶ。
彼女の名は和泉元エイミ。
ミレニアムサイエンススクールの特異現象捜査部の生徒だ。
「───!」
エイミをわらわらと追うのは謎の機械の群れ。
深海に棲息する生物の様な奇妙な容姿の兵器達。
それらはエイミを射程圏内に捕らえたのか、一斉に光弾を射出する。
「ぐっ…!」
だが、エイミとてそう簡単にやられてやるつもりは無い。
被弾を最小限に抑えるため、前傾姿勢を維持しつつ近くの廃ビルに向かって駆ける。
「ッ!!」
瞬間、足に全力で力を込めて大地を蹴りつける。
エイミが選択した行動はビルの中に駆けこむのではなく、上への跳躍だった。
そのままビルの壁を踏み台に、更に高く跳ぶ。
「このぉっ…!!」
天地は逆転し、頭上に自身を追う機械の群れの姿が映る。
エイミはそれに向けて愛用のショットガンを撃ち下ろした。
跳躍している間になるべく早く、撃てるだけの回数をリコイル制御をしながら撃ち続ける。
ガンガンガンと弾丸が金属に叩きつけられ、対象が大地に折り重なるように倒れ伏す音が辺りに響く。
量産可能な兵器は合理性の塊だ。必要十分の化身と言い換えても良い。
故に、不要であるはずの上部装甲は厚くないだろうと踏んだのだ。
その読みは当たった様で、一先ず目視できていた機械達は全て沈黙させる事に成功した。
「はぁっ…はぁっ…はぁっ…!」
肩で息をし、膝に手を突く。
エイミはもう限界だった。
かれこれ30分はこの撤退戦を全力で行い続けているのだ。
残弾は0。体力ももう殆ど残っていない。
もう一度同じ事をやろうとしても不可能である事は明白だった。
「うへ~、よく頑張ったねぇ。」
「ッ!?!?」
故にこうなる事は必然だった。
突如聞こえた声に驚き顔を上げるがもう遅い。
脇腹に凄まじい衝撃と激痛が走り、吹っ飛ばされる。
その衝撃の強さを鑑みるに蹴りを入れられたのだろう。
だが、察した所で為す術は何も無い。
エイミはそのまま近くの壁に叩きつけられ、地面に倒れ伏した。
「かはっ…!!あ”っ…!!!」
「っ………。」
全身を襲う激痛に悶えるエイミ。
小柄な人影は何か言の葉を紡ごうとしたが呑み込み、白いショットガンを向ける。
そしてその引き金が引かれると共に、熱砂の大地の空に銃声が轟いた。
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「…いい加減話してくれませんか、リオ?」
「…黙秘するわ。」
ミレニアムにおける生徒会、セミナーの執務室。
そこには二人の少女が穏やかではない様子で対面していた。
一人はミレニアムの最高権力者であるセミナー会長の少女、調月リオ。
もう一人はリオと双璧を成す天賦の才を持つ少女、明星ヒマリ。
ヒマリはリオの背中を睨みながら問いかけ続ける。
「今回構築した物流管理システム…”砂漠の砂糖”を警戒したいのは私も同意見です。」
「…」
リオからの依頼を受けた物流管理システム。
それはミレニアムに搬入される全てのものを管理可能なものとする代物だった。
普段はリオとはウマが合わず、対立することの多いヒマリだがこの依頼は渋々受けた。
リオの依頼を受けた理由。それは偏に”砂漠の砂糖”の危険性を認知しているが故。
「私の現時点での”砂漠の砂糖”の認識は、キヴォトス外の”麻薬”に相当するもの。」
「確認できているその症例からも、間違いなく規制は敷くべきです。」
「ミレニアムにも少量ながら流入が確認された今、動かなければならないことも道理。」
摂取した者をその美味と至上の幸福感で魅了し、多様な悪影響を度外視させる依存性。
そして、場所によっては貧者ですら買えてしまうほどの安価。
言ってしまえば、”砂漠の砂糖”は社会秩序を即崩壊に追い込む程の猛毒だ。
特にこのミレニアムという場所は、その毒が最悪の形で作用する場所でもある。
研究機関の側面も強いミレニアムは、その優秀さから各人の選択肢が多いのだ。
暴力一辺倒であれば制圧も可能だが、絡め手まで使用されては堪ったものではない。
「…ですが、今回のこれは明らかに度を超えています。」
「あなたが制御系を改修したことで、このシステムは使い方次第ではディストピアまっしぐらな危険物に成り果てました。」
ピリ、と空気が張り詰める。
リオの行った改修は、あまりにやりすぎなものだった。
変更されたのはその把握対象。
これまではミレニアム内に流入する食品・飲料品だけに留まっていた。
それが今や、対象を絞らずに”個人の私物”に至るまで把握可能となっていたのだ。
既存の摂取者もC&Cが確保して医療施設に叩き込んでいる現状では、明らかに過剰な行為規制。
稼働し始めていない今だからこそ、ヒマリはその行いを諫める。
「エイミにも調査してもらいましたが、報告の内容的にもここまでの管理は不要です。」
「…ですが貴女は意味の無いことはしない、違いますか?」
「…」
リオは何も答えない。
視線も合わせずに窓の外の景色を見続けている。
それは暗に”取り合う気は無い”という意思を表していた。
「貴女が見据えている”砂漠の砂糖”の脅威…それは如何なるものなのですか?」
「話して頂けないことには、私も手の打ち様が…」
「黙秘する…そう言ったわ。」
一切応える気の無いその回答に、遂にヒマリの表情が歪む。
対するリオの振り向いたその表情は無表情。
その心の内も何一つわからない。
取り付く島も与えないリオは更に畳み掛ける様にヒマリを突き放す。
「”砂漠の砂糖”への対応に、これ以上知る必要は無いわ。」
「管理者権限は貴女にも付与してあるから、有効活用なさい。」
「待ちなさい!最低限、情報の共有は…!」
「出ていきなさい。」
リオはAMASに指示を出すと、喚くヒマリを強制的に部屋から排除する。
そして姿が見えなくなり、声も気配も無くなり、完全な独りになった事を確認し、漸く一息吐いた。
おもむろに鍵付きの引き出しを開け、中身を取り出す。
手にしたのは細長いフラスコであり、底には極小量の”砂漠の砂糖”があった。
「逼迫したこの状況…やはり、もう少し事を急ぐべきね…」
「詳細を話せばヒマリは反対し、敵対するのは目に見えているもの。」
「これが無ければ、理解を求める事をしても良かったのかもしれないけれど…」
リオは思い出す。ゲーム開発部のアリスを名乗るアレを。
あの『世界を終焉に導く兵器』は、何が何でも破壊しなければならない。
「”砂漠の砂糖”…エリドゥの設備を以てして、漸く数パーセント解析出来た薬物…」
「本体が基底状態でここまでの性能を発揮するだなんて、警戒しない方がおかしいわ…!」
「それに『名もなき神々の王女』に連なるものとは、夢にも思わなかった…!」
自然とその手には力が入り、身体が震える。
アリスの破壊を急がねばならない理由はここにあった。
今は大人しいが、アリスと”砂漠の砂糖”の接触が何を引き起こすかわからないのだ。
下手をすればアリスが行動を開始し、”砂漠の砂糖”も励起という悪夢すらあり得る。
今の”砂漠の砂糖”の脅威は自動応答機能に過ぎない。
にも関わらず、あれほどの脅威となっている。
片方だけでも手に負えないというのに、それが励起した時の事など、考えたくもなかった。
「システムで当面の時間は稼いだ…砂糖への対応はヒマリが何とかするでしょう…」
「私は『名もなき神々の王女』の破壊を急がなければ…!」
調月リオは、その恐怖を以て決意を新たにした。
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「全く…やはり相容れませんね…」
他に誰もいない特異現象捜査部の部室にて。
リオに追い出された私は、彼女のその強引なやり方に文句を垂れていた。
その時、部室の扉が開く。
「ただいまー、部長。」
「おかえりなさい、エイミ。今回こそは…また外れでしたか。」
部室に戻ってきた大事な後輩に目を向ける。
だが彼女は胸元で両手の人差し指で×印を作っていた。
つまりはそういうことなのだろう。
「例によってまた何にも無かったよ。」
「そうですか…」
ここ数ヶ月、エイミには”砂漠の砂糖”に関する調査を依頼していました。
出所と思われるブラックマーケットや、その名前に関連するであろうアビドスの砂漠等の様々な場所へ。
自分の足がこれであるが故に、彼女に依頼する他ありませんでした。
しかし、私が得た情報から目星を着けた場所は最初の数個を除いて全てハズレという有様。
少し…ほーんの少しだけ、自信が揺らぎそうな気がしないでもない様な、そうでもない様な気がしてしまいます。
「…ここまでやって何の成果も無いし、もう後は場当たり的に対応する形で良いんじゃないかな?」
「…」
エイミも思うところがあったのか、方針の転換を提案してくれます。
私としては妥協したくはありませんでした。
リオのあの警戒心の根源には、恐怖があったからです。
このまま見過ごせば、何か大変なことになると。そんな気がしてなりません。
ですが、暑がりの彼女に灼熱の大地に行くことを強いるのはやはり気が引けます。
故に、その提案を受け入れることにしました。
「いい加減手がかりの一つくらいは欲しいものですが…そうですね。」
「当面は対応できる目途も立ちましたし、今は様子見に徹しましょう。」
了承を告げ終えると同時に私は顔を上げ、再度エイミへと視線を向ける。
しかし───
「目途って何?」
「…エイミ…?」
エイミの表情は無表情だった。いや、それ自体は何ら変わりが無い。
彼女は普段からその無表情さで周囲からも感情が見えないと言われている程だからだ。
だが、何かが違った。彼女はその無表情の中にも感じられる何かがある。
だというのに、今はそれを感じない。まるで、冷たい水の底を見ているかの様な…
硬直する私を余所に、エイミは再度問います。
「目途って何?」
「え、ええ。私とリオが共同開発した物流管理システムが…一応完成したのです。」
瞬きをするとエイミから感じた違和感は消えていました。
きっと気のせいでしょう。
そうに違いないと自分に言い聞かせ、私は言葉を紡ぎます。
「もう動いてるの?」
「いえ、これからです。」
「誰がいつ動かすの?」
「私とリオだけが権限を持っていますので、近い内に私が起動する事になるでしょう。」
「ふーん。」
かなり食い気味に私から話を一通り聞くと、エイミは興味を失った様でした。
冷凍庫のアイスを取り出し、ヘッドホンを装着して部室を後にしていきます。
「エ、エイミ…?」
彼女はそれ以降何も言いません。
効率を重要視する彼女らしい動きかとも少し思いました。
ですが、やはり何処か違和感があり、私の胸のざわつきは残ったままでした。