mensonge

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 突然、名前を呼ばれた。今はもう病院くらいでしか呼ばれない懐かしい名前を。そして振り返った先に立っていたのは、俺の記憶の奥底にある人物だった。



………



「お願いよ。お母さんを助けてほしいの」


 これは、嘘だ。理由はない。でも俺の直感は間違いなく母の言うことが真実ではないと告げていた。母は別に病気じゃない。ならお金が必要な理由は他にあるはずだ。それは、何だろうか。


───"なによ。私が何を買おうと私の勝手でしょ。"───


 たしか、母が好きだったものは高級ブランドのバッグとコートと、あとネックレスとかのアクセサリーで、趣味は海外への旅行、豪華客船でのクルージング、それに……。


「(……お金の使い道って間違いなくそれだよなぁ…)」

 ものの見事にお金が溶けていくものしかない。母は豪遊が好きだったらしい。なるほど、これじゃいくら金があっても足りないだろうな。


 でもどうしよう。断った方がいいのかな。俺は今お父さんに何もかも支えてもらっているから、全財産を渡してしまっても特に困ることはない。でも、そのお金はお父さんやルイに返したいお金だから、できれば残しておきたい。それにお母さんは俺の貯金が尽きたら今度はルイやお父さんのところに金を無心しにくるような気もするし、今ここではっきりと突き返した方が良いんじゃないか?

 ……でも、そもそも俺の勘は正しいのか?実は全くの見当違いで、お母さんは本当に病気で俺の助けが必要なのかもしれない。それにもしかしたらお母さんは昔のように人を騙すのを反省しているかもしれないし、でも、でも──。



 ……………嘘でも、良いか。本当に病気だったら、俺は母を見捨てることになってしまう。それは嫌だ。俺はお母さんを信じよう。そうだ、仕事をしよう。こっそりバイトして、お金が貯まったらアパートを借りよう。お父さんには黙って家を出て、それでまた一人暮らしするんだ。母の治療費を払いながら、いつかルイとお父さんにお礼ができるようにお金をたくさん稼ごう。

 それに…たとえお母さんの言っていることが嘘だったとしても、俺はお母さんの役に立てる。それは幼少期の夢だったのだから、それが叶えられるのならもういいや。



「───分かった。お母さん、いくら必要なの?」







 俺は銀行からお金を引き出して母に手渡した。そういえば病院の名前とか聞いてないな。あとで聞いてみよう。帰る道すがら、俺は今までのことを振り返った。

 思い返すと、父と再会し一緒に住むようになってから実に一年が経ったのだったか。父と弟との三人での生活にももうすっかり慣れてしまった。そして俺は相変わらず仕事に就いていない。本当はハローワークに行ったりバイトを始めたいのだが、それはルイに止められている。父には初めの頃しか相談していないが、ルイにさえ反対されるのならきっと答えは同じだろう。だから俺は家庭に少しでも貢献したくて家事に手を出した。掃除や洗濯は得意だ。施設にいた頃よくやっていたから。でも料理だけは野菜切りしか今までやっていなかったから全然ダメだった。

 だから俺は料理の本を読んで何度も作った。初めのうちは焦がしたりと散々な出来だったが、それでも続けてようやくまあまあ食べられる味になった。一人暮らしを始めたら家事はできなくなってしまうが、きっとかつてのようにお手伝いさんを雇うようになるだろうし、大丈夫だろう。

 大丈夫、俺は今までずっと一人だったし、今までとは違って自炊だってできるはずだ。

「よし、頑張ろう」



───────


 

 大学から家に向かう途中、何となく目に入った雑貨屋の店に入った。特に買いたいものはない。道草は趣味じゃないのだが…何というか、虫の知らせのような、店内に何かがあるような、そんな直感が店の奥へと足を進めていく。

 奥の方では店員が商品の補充をしている。新人なのかかなり慎重に陳列している。俺が後ろを通ろうとした時、その店員はようやく客がいることに気付いたのか慌てて振り返った。そして、俺はその店員の顔を見て固まった。


「……え。」

「いらっしゃいま…せ…」

 遅れて相手も気づいたようだった。

「え、なんで……?」

 おかしい、何で兄がここに…それも店員の制服を着ているんだ?兄は視線をうろうろと泳がせていたがやがて覚悟を決めたらしく、このバイトが終わったら話ができるかと聞いてきた。


……


「どういうことだよ兄貴!バイトなんて聞いてないんだけど!?」

「ご、ごめん…どうしても、お金稼がなきゃいけなくなって…」

「はあ!?何だよそれ!何があったワケ!?」

「じ、実は……」



「───というわけで、お母さんの治療費はまだまだかかるみたいで…」

「今は働いてた時の貯金を崩して渡しているけれど、減る一方だから今のうちに稼いでおきたくて…」

「お母さんは俺しか頼れないみたいだから、もしお金尽きちゃったらお母さん治療できなくなるし」


「……。」


「そ、それでね、本当はバイトも裏手で人前には出ない仕事を選んだはずなんだけど、なんか人手不足みたいで任されてしまって…でも今度からは出ないようにして貰うから大丈夫!」


「俺に、相談してくれなかったの」


「え…?相談…?え?だってこれ俺とお母さんの問題だから、ルイには関係ないだろ?ルイとお父さん二人の負担にはなりたくないんだ」


「………ふーん」


「……もしかしてルイ、怒ってる?大丈夫だよ、バイトは明日からは絶対にバレないようにするし、それにルイやお父さんからお金借りたりなんかしないからさ。俺は薬さえあれば何時間だって働けるし!」


「………分かった。そうだよな、兄貴はそうだもんな。分かったよ、兄ちゃんの事情は分かった」


「ほんと?」


「うん、だから教えて?次にお母さんに会うのはいつ?」


「ええと、明日の───…」




────────



 ルイにバイトがバレてしまった次の日のこと。運動のため毎日している散歩の最中、午後に会う約束をしていた母から電話が掛かってきた。

「もしもし、お母さんどうしたの?」

「ねえ聞いて、大変なの!またお金が必要なんですって!」

「分かった、いくら?」

「───万くらいよ」

「……ごめん、もう一回いい?」

 耳を疑った。聞き直したが聞き間違いではなかった。

「え、お母さん、そんな大金が必要になるの二回目だよ?ちょ、ちょっと待って、病院どこ?」

「お願い、どうしても必要なの」

「手術するの?違う?じゃあ百万以上の治療費って何するの?俺も説明聞くから病院教えて!」

「どうして?今まで貸してくれてたじゃない、また必要になったのよ」

「そんなこと言われたって百万円以上渡したのついこないだだよ?銀行だって預金あってもそんなに何回も引き出せないんだよ。…とにかくお医者さんの説明は俺も聞くから病院行くよ。お金は一応銀行から引き出せたら持っていくから!」


─────


 全速力で走って家に帰る。脱いだ靴もおざなりに、自室のタンスへと駆け込む。

「えっと…確かここに…」

 ……ない。以前仕舞ったのはここだったはずだけれど、もしかしたら別の引き出しかもしれない。他の引き出しを開ける…ない。引き出しを取り出してタンスの中を見たり、クローゼットの方を見たりしたが、どこにもない。

「なんで…?一体どこに…」


「兄ちゃんが探してんのはこれか?」

 声のした先にはルイがいた。そしてその手には───。

「…!ルイ、どうしてそれを?」

「…………兄ちゃんはさ、」

 淡々とした口調。それに、ルイの俺を見る目は、どこか冷たくて。なんだか、似ている…何に?

「変わんないよね、そういうところ」

 バタン。扉が閉まる。間を開けずにガチャリと鍵が掛けられた音がする。慌ててドアノブを回すが開かない。扉を叩き、力の限り叫んだ。

「ルイ、待って!開けて!ねえ!開けてよ!!」


 そこで、ようやく思い出した。

 お父さんが俺を叱るとき、いつもあんな目をしていたことを。






 俺は室内を改めて見返した。外に通じているのは…はめ殺しの窓と、外から鍵がかけられる扉のみ。窓のガラスは強化ガラスでできているらしい。軽く叩くと、明らかにただのガラスではない音が鳴る。……ここから脱出するのは現実的ではない。となれば、あとは扉しかない。この扉に付けられた鍵は、鍵穴に専用の鍵を刺さなければ開くことはないし、当然ドアを取り付けるネジ等もない。やたら頑丈にできた扉は力尽くで開けることも叶わず、となれば鍵をかけた人間に頼むしかない…。

「開けて!開けて!お願い、ねえ!俺行かなきゃいけないところがあるの!だから開けてよ!!」

 ドンドンと扉を叩き、声の限り叫ぶ。防音仕様のこの部屋は、どれだけ騒いでも家の外の人間には気づかれることはない。しかし、扉そばの音ならば家の廊下ぐらいなら声も物音も聞こえるのだ。だから必死にルイを呼ぶ。お願いだから開けてほしいと。だが、いつまで経っても扉は開く気配はなく、俺は扉の前で項垂れるしかなかった。


 しばらくして俺は、もう一度窓に向き直った。強化ガラスはどの程度の衝撃で破壊できるのだろう。仮に壊せるとして、どのくらい時間がかかるのか。椅子を持って、振り下ろしてみた。鈍い音が鳴る…ヒビ一つすらつかない。窓を割って逃げ出すことは不可能であると判断した俺は、やはり扉からの脱出を図ることにした。

 扉から一度離れ、勢いをつけて扉にぶつかる。かなり強くぶつかったはずだが、鈍い音が鳴っただけで扉はびくともしない。それでも何度か繰り返してみたものの、1ミリだって動く気配はなかった。

 …どうする?部屋にあるものを利用して扉か窓をぶち抜くか?でも、こんなに頑丈だとベッド持って突進するくらいじゃなきゃこの扉は壊せない気がする。そして、そんなことができる力は俺にはない。

「ルイ!開けて!お願いだから!ねえ、悪かったよ!相談も何もしなくてさ!でも俺はお母さんを助けたいんだ!だからここ開けてよ!」

「お願い…開けて、開けてよ…俺、何でもする。ルイのためだったらなんだって出来るし、どんなことでも言う事聞くから!だから開けて…!」

 ああ、なんて情けない。俺は結局一人じゃ何もできない。この部屋から出ることすらも。

「俺をここから出して…出してよ…」


 その時、ガチャリと、音がした。扉が開かれていく。

「───!ルイ、ありが……」

「どうしたんだ?ルイと何があったのか?」

 お父さん、だ。

「え…えっと…。その、喧嘩、しちゃってさ…?ルイが怒って出してくれなくて…」

「それにしてはやけに切羽詰まっているみたいだが…」

「いつも散歩しているときに、子供と遊んだりすることがあるんだけど、それで、午後も行くって約束したから、待たせちゃってるかもしれなくて」

「……つまりシャルロは、約束を守るために行く所があるんだな?」

「そう、だから───」

「随分と大きな子供のようだが。年齢に関していえば俺よりも年上なんじゃないか?」

「──え。」

「ルイから聞いた。母親の病気を治したいんだって?」

「そう…だよ。お母さんは俺の家族だから、俺にできることは何でもしてあげたいんだ」

「……お前の母親のことは調べた。何の病気でもなかったよ。過去含めて、あいつは健康そのものだ」

「本、当に?」

「ああ…だから、お前はあいつに騙されて──」

「よかった!お母さん元気なんだ!よかったぁ…!」

「……お金を騙し取られていたんだぞ?怒らないのか?」

「…お母さんはそういう人だ。他の人が騙されたのならともかく、俺なら別に…」

「…………。」

 お父さんは懐から、さっきルイが持っていった俺の通帳を出すと、中を開いて俺に見せてきた。

「これはお前の通帳だ。見ろ、この日から十万単位で引き出されているな。この日なんて百万以上だ。これだけ失った上で、それでもお前は「良かった」というのか?」

「だから、別に…」

「───もういい。お前がそういう子だということは知っている。お前は何も変わっていない。なら、俺はお前を騙そうとする者からも、傷つけるような奴からも、全てからお前を守るから」

「お…お父様、違う、違うんです。俺はお金なんてどうでも良くて、ただお母さんの役に立ちたくてやったことだから、だから…、」

「お母さんに酷いことしないで…。お願いだから…」


 俺はお父様に泣き縋った。何が何でもお父様が再びあの恐ろしい報復をする姿なんてもう見たくないし、母がどんなに人を騙す人だとしても俺にとっては大切な肉親だから傷ついて欲しくなかった。

 お父様は、そんな俺をじっと見つめたあと、ため息をついた。

「分かったよ。お前がそこまでいうならもう何もしない。その代わり、お前は今後一切あの母親とは関わらない。誓えるか?」

「──うん…!ありがとうお父さん。本当にありがとう、ありがとう…!」

 お父様の、いやお父さんの顔は呆れ気味だったが、それでも初めてお父さんが折れてくれたという事実が、たまらなく嬉しかった。





「あ、もうこんな時間。行かなきゃ」

「……どこにだ?」

「バイト。シフトの時間だからもう行かないと」

「バイトはもう行かなくて良いだろ?」

「でも、お金貯めたいし、一人暮らしだって…」

「……シャルロ、少し話そうか」

「え、あ……えっと、シフト入ってるから今は…」

「?シャルロはもう辞めたことになってるぞ?そうだな、リビングで話そうか」


 俺の描いた人生設計は早くも砕け散ってしまった。でもまあ、いいか…今は。お母さんの無事が保証されたのだし。そうだ、バイトが駄目なら資格取得とかからチャレンジしよう。


 そうして、睡眠と家事と運動の時間以外のすべてを勉強に費やし始めた俺にまたあの笑顔でストップを掛けられることなどその頃の俺はまだ知らないのだった。



……

………………




「ねえ父さん、マジであいつ許すの?俺、あのまま放っとくの嫌なんだけど…」

 兄はどうも身内に甘い。まさか、かつて自分のことを捨てた母親の治療費を惜しみなく渡し、それが詐欺だと分かっても水に流してしまうなんて。兄は少しずつではあったが、俺に会う前に兄に起きた出来事について話してくれた。兄は自分に降りかかった理不尽を恨むことも怒ることもなく、ただ自分のせいなのだと自らを責めていた。

 …兄のそういうところ、俺は嫌いだ。でもそれ以上に、そこに漬け込んで兄の心の一番柔らかい場所を抉るような奴はもっと嫌いだ。奴は今の今までずっと甘い汁を吸ってきたのだから相応の報いを与えてやりたいと思うのは傲慢なのだろうか。

「まさか。俺は許してない。奴がシャルロを一番傷つけたんだから許すわけがないだろ?俺はただ「俺たちはもう何もしない」と、そう言っただけだ」

「もしかしてもう事が済んでいたり?」

「そういうこと。それにしても、高跳びして逃げられたのならもう帰ってこなければ良かったのにな?…とにかく、俺たちはもう何も心配しなくていいんだ」

「そっか。じゃあ今日は折角だし奮発しちゃう?」

「高級寿司はやめてくれよ…アレはちょっと、いやかなり高いから…」

「焼き肉行こう。めっちゃ牛食べよう」

「おーい、聞いているか?…うーん、聞いてないなこれ。…まあ、今日はいいか!」






───────


あとがき

母親:離婚後海外のどっかに国外逃亡していたため難を逃れていた。海外での生活が合わず、金も底を尽き始めて焦っていたが、たまたま見た日本の番組で偶然通行人として通りがかったシャルロを見て飛んできたらしい。そしたらまさかの社長の養子。これ幸いと金を要求したが、それが自分の破滅へのカウントダウンを早めていることには気づかなかった。ちなみに来なくても数年後には居場所を突き止められている。合掌。


シャルル:流石に十年以上前に逃げた奴の消息を掴むのは簡単ではないので、行方を探しつつもシャルロ本人の方により多く時間を割くことにしていた。そしたらなんか相手の方から寄ってきた。


ルイ:こう見えてルートで一番変わる人。兄が断っていれば後々父親にバイトくらいさせてあげたら?って説得してくれる。貢ぎルートだと通帳を管理するようになるし、しばらくは一人で外出させない。買い物は通販で頼めばいいし散歩は俺かローラン達の誰かと一緒に行こうね。


シャルロ:お母さんが元気で嬉しい。どちらのルートでも母親の末路を知らないので心残りが解消したらしい。最終的に再就職して家を出るつもりだが今の所目処は立っていない。何事もやりすぎる癖がある。


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