White Lie

White Lie


※ifDR本編風SSの続きです。毎度の如く長いので分割、続きは下からどうぞ。





「お前、嘘は得意か?」


 それはまるで、泣いている子どもへふいに話しかけるような、ひどく無責任で優しい声だった。




 ドレスローザ全土で起こった騒乱。その多くが終息を迎える中、セビオの教会で繰り広げられる闘争は熾烈を極めていた。


 縦横無尽に駆ける青き嵐と磐石の防御を見せる天夜叉。対する大蛇の尾が全てを薙ぎ払い、崩落する瓦礫が一つ、また一つと道を潰していく。


 大太刀を掲げるのは折れたはずの右腕。


「トラ男! 腕治ったのか⁉︎」

「肉を喰えば治るんだろ? 民間療法と侮っていたが、まさか効果が出るとはな」

「だろ? 牛乳もいいぞ、骨が治るんだ」

「待て待て! 医者がガキに嘘を教えるな! てめェのそれは誰かの骨を掻っ払って継いだだけだろうが! ヴェルゴか⁉︎」

「分かるか。骨の髄までおれの右腕だ。さすがによく馴染む」

「物理的な意味で⁉︎ とち狂ったこと言ってんじゃねェぞ!」


 思わず怒鳴るドフラミンゴの目の前で防御網が引き千切れた。投擲された大太刀の鞘が糸の盾を根こそぎ引き倒したのだ。

 素早く後転し退避。元いた地点から背後の壁にかけて烈風の蹴りが駆け抜ける。

 地を抉る蹴りを放ったトラファルガーは飛び込んで来るルフィを半身で回避し、指揮者の如く指を振るった。


「“タクト”」


 瓦礫の山が宙に浮き、渦を巻いて飛び交い始める。その様はさながら竜巻。自ら作り上げた嵐の中へと飛び込む彼の背を追い、ドフラミンゴは地を蹴った。

 瓦礫を足場に糸で駆け、上へ上へと昇る黒衣の背中に手を伸ばす。掠めた指から糸束を放ち、狙うは左腕。

 覇気を纏った近接攻撃も脅威ではある。しかし、まずは奇術めいた能力の起点を封じなければ。

 だがしかし、隙がない。ドフラミンゴ自身も追いすがるのが手一杯の状況だ。手が足りない。一人ではどうにも────


 刹那、瓦礫の暴風雨が晴れる。

 否、吹き飛ばされたのだ。


 大鐘楼に手をかけ遥か空へと飛び上がった麦わら。鞭のようにしなる足が瓦礫を弾き飛ばし、木っ端微塵に打ち砕く。

 麦わらは勢いを殺さずさらに跳躍。蒸気を上げた両腕が激しい風切り音と共に空を裂く。


「────“ゴムゴムの鷲バズーカ”‼︎」


 振り下ろされたのは黒く染まる両掌。衝撃波に撃ち抜かれ、トラファルガーが大きく減速した。

 傾ぐ身体、その左腕に糸が絡みつく。


「よくやった、麦わら‼︎」


 黒衣の男が煩わし気に腕を引いた。しかし、糸は数と強度を増し、彼の左腕全てを覆い尽くす。瞬く間に巌の強度へと上り詰めた糸はトラファルガーの左手を完全に拘束し、能力を封じた。

 制御を失い墜落する瓦礫を蹴り付け、さらに跳躍。糸を操作し、されるがままの痩身を無我夢中で引き寄せる。


 遠ざかるばかりだった背へ手が届く、その間際。


 トラファルガーが空中で身体を捻った。

 脳裏に警鐘が鳴り響く。


 掲げられたのは死の五文字。


「右手────‼︎」


 横殴りの衝撃がドフラミンゴを襲った。

 咄嗟に片腕を引き上げ防御するが、視界を覆うほどの巨大な瓦礫に吹き飛ばされ、弾丸よろしく地面へと失墜する。


 しくじった。


 これまで常に左手のみの動作で発動させていた能力。てっきり、意識付けすることで精度を上げているものと思い込んでいたのだ。


 臍を噛んで落ちゆくドフラミンゴ。左腕を糸で繋がれたままのトラファルガーもまた、糸を追うように空を堕ちる。否、自ら空を蹴り付け、堕ちゆくドフラミンゴの懐へと飛び込んできた。


「な? よく出来た右腕だろ」


 トラファルガーが囁く。

 刺青に覆われた右手が閃き、突如妖刀『鬼哭』が現れた。刀身に纏う青い燐光から予測されるのは貫通効果を持つ苛烈な攻撃だ。流石に二度目を喰らえば行動不能に陥るのは間違いない。

 青褪めたドフラミンゴを見つめ、黒衣の男が刀を構えた。

 意味はないと理解しつつ間合いから逃れようとその腹を蹴り付ける。覇気で防がれたのかびくともしない。それならばと“超過鞭糸”の一撃を見舞った。狙うは妖刀を操る右手。

 建物を紙の如く裂く必殺の一撃は僅かに柄を握る指の力を緩ませただけ。しかし、辛くも切先を逸らすことに成功し、至近距離で放たれた刺突を回避する。

 ただ、回避に全力を尽くしたため、体勢も受身も何もない。このままではただ落下するだけ。顔を引き攣らせたドフラミンゴだったが、こうなれば意地だと刀の柄ごとトラファルガーの右手を掴んだ。

 今度こそ、移動能力は使えまい。

 さらに、ここまで近付いてしまえば間合いも潰れる。


 問題はドフラミンゴ自身も攻守の手段を封じられていること。


 黒衣の男が首を傾げた。


「落ちてるぞ。いいのか」

「てめェこそ」

「構わねェ。地下も片付けたしな。おれは多分死ぬが、まさか付き合って一緒に挽肉になるつもりじゃねェだろうな」

「なんだ、エスコートがお望みか?」


 ドフラミンゴは痩せ我慢を口の端に乗せ、余裕ぶって笑ってみせる。

 もちろん、余裕などかけらもないが、それはお互い様だ。トラファルガーとて満身創痍。失血や不調のために顔は青褪め、そのくせ手は異様に熱い。そもそも身体に力が入っていないのか、戦闘の最中も数度ふらついていた。


 何がここまでこの男を駆り立てるのか。

 一人命を断つことなど容易いだろうに、麦わらとの戦いに拘るのは何故なのか。


 いや。

 分かっている。


 この男は、自身が死んだ後、世界を掻き回し続ける役割を麦わらに押し付けようとしているのだ。

 だからこそ、稽古をつけるように戦闘を重ね、身体の酷使には難癖をつけた。二年前、リスクを踏んで治療していることを思えば、早い段階で目をつけていたのかもしれない。


 身勝手な男だ。昔から、ずっと。


 勝手に助けて、勝手に突き放して。

 そのくせ、自身に差し伸べられた手には気付かない。


 地面に衝突する直前、激しい衝撃がドフラミンゴの身体を襲う。大鐘楼に身体を巻きつけた麦わらが腕を伸ばし、間一髪、墜落を阻止したのだ。

 ルフィの手が離れ、背中から地面に転がる。トラファルガーもまた、ドフラミンゴの身体に乗り上げるような形で止まった。

 左腕は糸の拘束、右手は掴まれたまま。トラファルガーが小さく咳き込む。拘束のために口を覆うこともできず、溢れる血がドフラミンゴのスーツに染み込んで紅を深めた。


「おい、大丈夫か?」


 返答はない。


 掴んだままだった右手から力が抜け、妖刀が滑り落ちる。思わず手を離して肩を支えようとすれば乱暴に払われた。

 黒衣の裾を引き摺り離れようとするトラファルガーだったが、左腕が糸繭に拘束されたままだと気付いたのだろう、僅かに眉を顰めた。無言で能力場を形成し、地に落ちた大太刀を引き寄せる。


 攻撃に身構えたドフラミンゴの目前、事は起きた。


「は?」


 ぽとり、と。斬られ地面に落ちたのは糸でも、ドフラミンゴでもない。

 糸繭に包まれた腕。

 トラファルガー・ローの左腕だった。


「────何やってんだ、あんた!」


 咄嗟に手を伸ばし、千切れた黒衣の肩口を押さえつける。止血、消毒、縫合、為すべき工程が瞬時に頭を駆け巡り、しかし、それよりも早く不安と怒りが口をついた。


 医者が自らの腕を切り落とすなど。

 それを選択させたのが己だなどと。


「馬鹿野郎が! 何で自分を傷付ける⁉︎」

「…………」

「あんたは何を考えてんだ! どうしてこんなことをしなきゃならねェ! 言ってくれれば、おれだって、糸を解くくらい……くらい……?」


 早口に怒鳴りつけながら、違和感に気付く。手が濡れないのだ。

 ふと地面を見れば、無惨に切り落とされた糸繭は真っ白なまま。せいぜい土に汚れている程度である。血の赤などどこにも見当たらない。


 視線を戻す。

 止血をと思い伸ばした己の腕。斬られた左肩だけでなく、遠ざかるその背を引き留めようと両肩を掴んでいた両掌。

 腕の中、黒衣の男はただじっとドフラミンゴを見上げていた。


 持ち上がった眉、薄く開く唇、丸く見開かれた瞳。


 それはまるで、あどけない子どものような顔で。


「なんだ、お前」


 呆然と呟く声すらそれまでとは違う。


「どうして、お前がそんな眼をする」


 押さえつけていた手の力が緩んだ瞬間、トラファルガーは一歩後退った。


 眼?


 言われている意味が分からず、己の顔に手をやる。

 そこにあったのはヴェルゴとの戦いでひび割れたサングラス。表情を隠すためでもあった色の濃い硝子は半分砕けており、隙間から裸眼がのぞいていた。そのためか、視界の色が普段と違う。自覚できるのはその程度だ。

 そもそも自分の顔など見えるわけでもなし、分かるはずがない。


「トラファルガー……?」


 困惑の中、再び手を伸ばす。

 容易に届くはずだったそれは虚しく空振り、指先だけが黒衣を掠めた。

 さらに一歩後退ったトラファルガーの顔には仄かな動揺が滲んでいる。全てを拒むように血に塗れた身体をおして逃れる姿はいっそ頼りなく見えた。


 助けを求めてか、視線が彷徨っている。だが、彼の仲間はそこにいない。当然だ。自身で遠ざけたのだから。

 トラファルガーは残った右腕で己の身体をかき抱き、後ろへ後ろへと下がっていく。一歩でも近付けば能力で移動して逃げ出しそうな気配すらあった。


「分かった。近寄らねェからとりあえず腕を元に戻せ。ほら」


 能力を解除し、糸繭から現れた黒衣の左腕を投げ渡す。目の前に落ちた自身の腕を見下ろし、トラファルガーが呻いた。


「なんなんだ、お前。何を考えてる」

「そりゃこっちの台詞だ。能力で切除するにしても罷り間違うことだってある。医者のすることじゃねェだろうに」

「医者? もうどうだっていいだろ、そんなこと」

「お前に救われた男がいる。その腕がなけりゃ死んでた男だ。それでなくとも、礼を言いに来たガキの前で、お前の腕を落とさせるわけにはいかねェんだよ」

「何、言ってんだ。今更、腕の一本くらい些末事だろうが。だって、お前は、お前らはおれを」


 凪いだ声に憔悴が滲む。


「おれを、殺しに来てくれたんじゃねェのか」


 沈黙が落ちた。


 違う、と。

 たった一言を発する。

 それだけのことが出来なかった。


 見つめる瞳。その深さに狼狽え、ドフラミンゴは言葉をなくす。



 

 沈黙こそが答えだった。


『そうではない』と雄弁に語る無言。

 割れた色硝子の隙間から覗く、傷付いたような眼。


 思い出すのは、吹雪の中、覚悟を秘めて輝いていた妹の瞳。燃える飴色の光は眼裏に焼き付いて離れず、あれからずっと何もかもが曖昧に見える気すらしていた。

 だからだろうか。

 妹の顔が思い出せない。

 いや、覚えてはいる。ただ、その記憶が正しいと思えなくなっていた。

 『眠りの家』に行けば彼女に会える。だが、眠りについた彼女からは何の熱も感じられない。喪われた熱こそが彼女の本質であり、そこにはもう何もないのだと思い知らされるばかりだった。

 年に数度だけ、墓所に立ち入る。防腐処理のためだ。必要時以外、ローは彼女に近付くことすらない。彼女のそばにバケモノを呼び込むわけにはいかなかった。

 だが、それでも、オモチャを通じ日々確認し、定期的なメンテナンスをしなければ、いくら保存環境を徹底したとて死体は腐り落ちていく。素手で触れることは出来ない。触れたとしても、彼女の身体の殆どは別の物質に置き換えられていて、もはや形以外の何もかもが別物に成り果ててしまっていた。

 その形ですら、本当に正しく彼女を模しているのかすらもうわからない。記憶のどこを探しても彼女の本当の姿が見つからないのだから。

 ただ一つ分かることがある。


 彼女を殺し、壊したのは。

 他の誰でもない己だった。


 時折思う。

 自分は何をしているのだろう。

 分からない。


 この戦いの中、『眠りの家』そのものが危険に晒され、仕方なく、能力を用いて妹の亡骸を王宮の離れへと移した。本当は彼女に対して能力で干渉するのも嫌だったのだが、そうも言っていられない状況になっている。


 ああ、早く。

 早く、終わらせなければ。


 ラミが腐ってしまう。


 失血と熱のせいだろう。気が焦るばかりで力が入らない。足下はふわふわと雲を踏んだように頼りなく、思考も上滑りして、時折、麦わらやドフラミンゴの言っている言葉が耳に入ってこない。

 会話をするほどに麦わらが首を傾げ、ドフラミンゴが怒鳴る。何かおかしなことを言っただろうか。分からない。

 最高幹部達、シュガー、セニョールにデリンジャー。彼らもまた、目の前に現れては何か口々に言ってくるのだが、理解できない。笑ってみせれば叱られ、突き放せば縋られる。何を求められているのか、どうして欲しいのか、何もかもが分からなくなっていく。

 最後なのだ。ここまで着いてきてくれた彼らには出来るだけ応えてやりたかったのだが。


 ドフラミンゴから投げ渡され、左腕を拾った。言われるがままに腕を付け直し、掌を見つめる。

 この腕に救われた者がいるとドフラミンゴは言う。麦わらのことだろうか。

 あの青年を救ったのは彼の兄の願いであって、ローではない。治療のことを言っているならば、それは単なる技術であって、この腕は言わばただの道具だ。感謝される謂れはなかった。

 この腕で救えたものなどなにもない。

 壊したものなら、星の数ほどあるというのに。

 何を勘違いしているのだろう。


「ああ、そうか」


 得心がいき、思わず声を漏らした。


 そうだ。

 きっと、そうなのだ。

 まだ、足りない。

 バケモノらしさが足りない。


 だから、ドフラミンゴも、ドレスローザの民も、ファミリーの皆も、誰も彼もが妙な顔でこちらを見るのだ。


 まるで、誰か案じるような。

 大切な宝物を見るような。


 あの日のラミと、同じ目で。


 中途半端に手を伸ばしたまま動きを止めたドフラミンゴの背後、ゆらりと立つ影があった。

 麦わらのルフィ。己と同じDを継ぐ者。世界を巻き込む力をもった本物の嵐、その幼生。技術も力もまだ荒削りだが、驚異的な速度で成長している。

 彼はいい。

 直向きで、自分にも他人にも嘘がない。失う痛みを知ってなお進むことを恐れていない。

 彼と、彼の向かう先にある混沌は、計画を磐石に仕立て上げてくれるだろう。


「麦わら。何がしたいか、そう訊いたよな。おれ、何がしたいかは分からねェけど、何になりたいかは分かるんだ」

「そっか。聞いてもいいか?」

「バケモノになりたい。お前らを脅かす本当のバケモノに、おれはなってみせる」


 舌がもつれた。ただでさえ頭が回っていないものだから口調まで辿々しくなる。


「さっきは殺さないように加減したから勘違いさせたんだよな? 悪かった。今度はちゃんとやるから」


 掌の上、青の球体を生み出した。どうにも力の入りにくい指で大太刀の柄を握り、刀身を滑らせ、地面へと突き立てる。何の抵抗もなく沈む光。さらに地中奥深くへと刀身を伸ばした。


「ちゃんとやり抜くから。だから」


 ぐらりと大地が揺れ始める。

 刀身はドレスローザの地下、水脈の一部に達していた。水を伝い、生み出した波動で大地に干渉して擬似的な地震を起こしているのだ。

 大地そのものを揺らす、あるいは断層に干渉すると、本物の厄災を呼び込んでしまう。そこまでは望んでいない。要はハッタリだ。

 だが、時にハッタリとは単に暴れるよりもなおのこと困難なもの。人体に瞬間的な波動を喰らわせるのとはまた別種の、より繊細なコントロールが必要だった。


 残り僅かとなっていた体力が搾り取られていく。口から大量の血が溢れた。身体が軽くなり、ただ立っているのすら覚束なくなる。

 視界が霞んでよく見えない。だが、これでいい。見えない方が都合がいいのだ。


 本当はもう何も見たくない。考えたくない。もういい。何もかも、もう。


 だから、早く。

 もっと、早く。


「トラファルガー、もういい、やめろ!」


 いつの間にかそばに駆けてきたドフラミンゴが何か喚いていた。

 煩わしく思えど生憎手は塞がっている。耳を塞ぐことはできなかった。背後から羽交い締めにされ、鬼哭を掴んだ指の一本一本を引き剥がされていく。


「分かった! あんたが必死なのは分かったから! だけど、こんなやり方じゃなくたっていいだろうが! 他の方法を考えろ! 死んだら全部終わりなんだぞ!」


 そうだ。

 終わりにしたい。

 全部、終わりに。


 笑ってみせる。


「麦わら、終わりにしよう」


 麦わらが一歩前に出た。


「トラ男。それがトラ男のやりたいことなんだな?」


 そうなのだろうか。そうかもしれない。


 分からない。

 だが、もういいのだ。


 背後で喚き続けるドフラミンゴの胸元から金の鎖が溢れる。その先で揺れるのは二枚のコインと幸せの象徴。己の分もと妹に託したはずの幸い。


 ラミは結局死んでしまった。

 己が殺した。


 それはきっと、己が望んだから。

 何も望まなければよかった。

 己が望むと、全部駄目にする。


 きっとそうだ。

 トラファルガー・ローは願いのバケモノなのだ。


 指先に力を込める。揺れが大きくなり、麦わらの顔が歪んだ。


「────いい加減にしろ!!」


 急に怒鳴りつけられ、思わず顔を上げる。麦わらと目があった。激怒し、高揚で瞳孔が開いた、深い色の瞳。

 これまでの怒りをぶち撒けるように青年は激昂した。


「違うだろ!! お前自身、何がしたかったのかもわかってないくせに! 周りも巻き込んでとことんめちゃくちゃやりやがって!!」

「別に、そんなもの分からないままでもいいじゃねェか。何にせよ、やり遂げればそれで────」

「いいわけあるか! お前、今だって何も分かってねェのに、そのままいなくなっていいわけねェだろ!?」


 麦わらが腕に唇を押し当てる。武装色の覇気を纏い黒く染まった腕に空気が吹き込まれ、噴き上がる蒸気で辺り一面が白く染まった。


「終わりになんてさせねェ!」


 裂帛の気合と共に青年の身体が大きく膨れ上がる。羽衣の如く蒸気を纏う巨体は轟音を響かせ空へと跳ね上がった。


「────“ギア4”‼︎」


 その形態は臓器への負担が高い。警告したのだがと、ぼんやりと思う。

 一方で、青年が彼に出来る全力を投じてくれていると気付き、久方ぶりに胸の高鳴りを覚えた。


「トラ男! お前はみんなが止めるのも聞かねェで、何でもかんでも諦めて結局全部手放す!」


 雷鳴の如く轟く大音声。

 ああ、確かに。言われてみれば、自分は他人の話を聞かず、何もかもを擲ってきた。耳を傾ける暇も何かを抱える余裕もなかったのだ。

 今なら素直に聞けるだろうか。


「そうやって何から何まで一人でやろうとするから! お前は自分のことも分からねェんだろう!!」


 霞む視界の中、大鐘楼を蹴り上げ、麦わらの四肢が唸る。

 高く、高く、駆け上がっていく。


 つられて空を見上げた。

 高く、青く、澄んだ空。


 空はこんなにも美しかっただろうか。


「いい加減!! 人の話を聞けェ!!」


 大きく膨れ上がったゴムの拳が空を覆い尽くし、太陽を隠した。


 やっと。

 やっと終われる。


 薄暗闇の中、肩の力が抜ける。波動を生み終わった鬼哭から指が離れた。大太刀が音を立てて倒れる。

 突然、背後に引き摺られた。気怠さを抑えて振り返る。鬼気迫る顔で己を退避させようとする若者の姿を見て、思わず笑みが溢れた。


 ああ、そうか。

 やっと分かった。

 この男はバケモノを殺しにきたのではない。彼が受け継いだのはトラファルガー・ラミの使命ではなく、正義だったのだ。

 悪を為す者すら助けようとする、愚かで優しい、ラミの生き様を継いだのだ。


 ラミはこの子どもの中に生きている。


 ならば、守らねば。

 今度こそ、きっと。


「ドフィ────」


 最期の言葉を告げ、左腕を振るう。


 姿が消えるその間際、妹の宝は泣きそうな顔をしていた。




 

 視界が変わり、能力で移動させられたのだと気付く。

 その部屋には見覚えがあった。ドフラミンゴが背中に銃弾を受けた際、運び込まれていた部屋だ。


 ベッドの上、誰かが寝ている。

 いや、横たえられている。

 それはまるで、ただ眠っているだけのように目を閉ざした美しい亡骸。


 息をのんだ。


「コラさん」


 ここにきて、ドフラミンゴはやっと理解する。地下に眠る『鍵』、トラファルガー・ローが行動を変えるほどの何か。

 彼が守り続けてきたものの正体を。


 耳に残るのは凪いだ声、紡がれる愛称。そして、続いて告げられた言葉。


『ラミを愛してくれて、ありがとう』


 トラファルガー・ローはそう言って、心底嬉しそうに笑みを浮かべた。


 子どもっぽくて底抜けに甘く、どうしようもなく無防備で、日向の匂いがする、

 宝物をみるような、

 彼の妹によく似た、優しい笑みを。


 眠りの家は、きっと、彼の宝箱だった。

 彼はずっと彼女を守り続けていたのだ。


 立ち竦むドフラミンゴの視界、窓辺に降り注いでいた陽が翳る。

 空を覆う強大な拳が見えた。


 今にも振り下ろされようとしているその拳の下、黒衣の男が佇んでいる。最後に見た柔らかな微笑を浮かべたまま、彼は空を見上げていた。


 割れたサングラスの隙間、ドフラミンゴが見つめるのは同じ空。

 能力場の被膜を失い、透き通る青。


 何も出来ず、手を伸ばした。

 届かない。止められない。

 叫びすら乾いた喉元で消えていく。


 誰か。

 誰か、助けてくれ。

 そう願っても世界は変わらない。

 このままでは、何もかも終わる。

 何も伝えられないまま、願いも、祈りも、約束も、全てが無に帰ってしまう。


 今ここにいるのに。

 ここまで走ってきたのに。

 肝心な時にそばにいることすら許されず、遠ざけられて。


 動けない。

 あの日と同じ、宝箱の中。

 また、守られたままで。


 ひどく緩やかに流れる時の中、セビオの教会へと小さな影が飛来し、急降下する。


 それは青い鳥。

 自由に空を飛ぶ、幸せの象徴。


 ドフラミンゴにとって、幸せは遠い昔に奪われ、己が手で壊したものだった。

 見えなくなっていたそれを、二人が再び思い出させてくれたのだ。

 与えられた。教えてもらった。

 託された。


 時は進み、ドフラミンゴもまた、居場所を見つけた。

 馬鹿を言い合い、他愛もない諍いの後に肩を寄せ合い、背中を預け合い、ここまで進んできた。

 大事な仲間が、友が、恩人がいる。

 ここがどんなにくそったれた世界でも生きる理由があり、進む意味があるはずだ。


 知らず、ペンダントを握り締める。強く、強く。

 血が滲むほどに強く。


 失われた幸せは戻らない。

 だが、今は。


 今のドフラミンゴにとって、幸せとは、守るべきものだ。


 瞬間、脳裏を声が駆け巡った。



『愛してくれてありがとう』


『貴様らが壊そうとしているのは彼の心だ!』


『お前がやりすぎそうな時はおれが止める。おれがトラ男を潰しそうになったらお前が止める。約束だからな』


『お前はどう考える?』

『ドフラミンゴ。お前がここを守ってくれたんだな』


『私がお兄様に伝えたいのは……思い出してほしいのは』

『あのね。やっぱり、ドフィもお兄様も難しく考えすぎなのよ』

『自分が変われば自分を取り巻く世界も変わっていく』



「“ゴムゴムの”ォ……!」


 麦わらの拳が空高く掲げられる。

 一瞬の空白。


「“大猿王銃”!!!」


 叫びと共に振り下ろされるのは強大な拳。偽りのバケモノを打ち砕く神の鉄槌。

 罪人はただ静かに裁きを待っていた。


 させない。

 そんなことは許さない。

 絶対に。


 凪いだ声が導く。


『技術だけじゃねェ。能力もイメージの問題だ。強固な檻も見方を変えれば堅牢な城になる』


 あたたかな声が教える。


『大丈夫。ドフィならできる。今は難しくても、いつか必ず変わっていけるよ』

『ずっと、そばで見守ってあげるから、ね?』


『あのね。人の大切なものがわかる人は優しい人なのよ』



 大切なものを守るため、何ができる?


 運命を、

 世界を変えるのは────



「おれがやらねェで誰がやる!」


 込み上げる激情と沸騰するイメージがドフラミンゴの脳髄を焼く。想いをのせた力が指先を伝い、空へと迸った。


「────“鳥カゴ”!!」


 ドフラミンゴの指を伝い、天から降り注ぐは純白の波濤。無数の細い糸が繋がり合い絡まり合って、瞬きの間に堅牢なる檻を作り上げる。


 閉じ込めてでも大切なものを失いたくないというエゴ、約束に導かれ生まれる気概、ただ守りたいという本能。

 溢れる意志が指先に伝播し、編み上げられたる糸が形を成した。


 現れたのは白亜の鳥籠。

 教会を覆い尽くす鋼の天蓋。


 麦わらの拳が鳥籠に激突する。鐘の音にも似た響きが国中に轟き渡り、遥か彼方の海までをも揺らした。

 麦わらの力が僅かに上回り、鳥籠がひしゃげて軋み始める。長くはもたない。練度も強度も半端だ。せめて近付かなければ咄嗟の対処も間に合わないだろう。


 窓を開け放ち、振り返った。

 静かに眠る恩人を見つめ、呟く。


「コラさん、行ってくる」


 ドフラミンゴは窓枠を蹴り、空へと手を伸ばした。輝く糸が大鐘楼へと絡み付き、偉丈夫の身体を一気に運ぶ。

 眼下を流れる景色はあまりの速度に混じり合い、何もかもが蕩けて見えた。目指すは極彩色の世界に建つ壊れかけた白の鳥籠と、その内側で空を見上げる自縄自縛の黒。それ以外は何も見えない。

 ドフラミンゴが大鐘楼に到達すると同時に、轟音を上げて鳥籠が崩壊する。大幅に威力を減した麦わらの拳がトラファルガーに激突。衝撃に耐えることが出来ず、二人を支える大地がついに崩落を始めた。


 音を立て、崩れゆく足場。昏く空いた大穴に黒衣の男の身体が堕ちていく。


 ドフラミンゴが糸を放つより早く自在に伸びる腕が堕ちゆく男の左手を掴んだ。しかし、力を出し切ったであろう青年の身体もまた、暗闇へと滑り落ちる。

 その間際、ルフィの目がドフラミンゴを見た。


 極限の疲労で閉じかけ、殆ど何も見えていないであろう青年の瞳。そこには確かな信頼が宿る。


 ドフラミンゴから放たれたのは蜘蛛の巣状の糸。それは大地に穿たれし大穴を覆い、落ちゆく二人の身体を柔らかく受け止めた。


「麦わら」

「ミンゴ」

「戦い、邪魔して悪かったな」

「……何、言ってんだ」


 地に降り立ったドフラミンゴを見上げ、ルフィが笑った。


「約束だろ?」


 ドフラミンゴが頷くと同時に、ルフィは目を閉じる。全霊を賭したのだろう。やり切ったと言わんばかりの笑みを浮かべたまま、青年は気を失った。


「トラファルガー」


 呼びかけに応えはない。薄く目を開いた黒衣の男はただ、右手を空へと伸ばす。

 その先に何があるのか知りたくて、ドフラミンゴは頭上を降り仰いだ。


 崩壊し、解けゆく白の鳥籠。

 小さな粒子となった糸の名残が舞い降り、瞬く間に消えていく。


 広がるのは青。

 自由な、自由なだけの空。


 そそぐ陽の光の眩しさに、トラファルガーが目を閉じた。その眦に糸の名残が触れ、六花の如く消える。

 瞬きの拍子に溢れた雫が一粒きり、頬を伝った。


「トラファルガー、話がある」


 再び瞼を開けた黒衣の男はただ静かに頷く。その眼に涙はない。

 空に伸ばされていた右手が閃いた。


「“シャンブルズ”」


 未だ凪いだままの声を聴きながら、ドフラミンゴは目を閉じた。





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