分水嶺④
「……それにしてもまさか、異世界のルッチとはのう」
「まあこの海だ。そういうこともあるんだろう」
未だ飲み込みきれていない表情で呟いたカクに応じながら小皿に乗せたナッツをハットリの前に差し出す。苦笑しつつ半ば諦念混じりに交わしたやり取りに、手の中のグラスを干した当人が憮然とした顔でぼやいた。
「それさァ……、社長サンたちも言ってたけどホントどういうこと? そりゃ信じてくれるに越したことないけど、そんな『この海だから』で片付けられるのもそれはそれでなんか癪だわ〜〜」
「どうしろと言うんじゃ、面倒な」
異世界に飛ばされた本人からしてみれば最もだが、雨の代わりに飴が降るような海に理屈を求める方が無茶というものだろう。
「べっつにィ〜〜……なーんか納得いかないってだけ」
むっすりと口を尖らせる様子は年相応で、ともすれば微笑ましさすら覚えそうになる。
けれど、そんな仕草ひとつ取っても虚実不明瞭なのだ。
ルッチの口振りから推察するに、少なくとも普段の言動が本来の性格と異なっているのは確かなのだろうが……果たしてどこまでが演技でどこからが本心なのか、今の自分にはまるで判別が付きそうにない。
(……もしも)
もしも、目の前のこの子供がロブ・ルッチという人間の有り得た可能性のひとつであるのなら。
この子供のように──真偽は定かでないにしろ──今の自分たちにとっては日常と化して久しい血の臭いや人を殺す感触などまるで知り得ないような人生を歩む道が、仮に存在したのだとしたら。
闇の正義を掲げることも、殺戮兵器だなんて異名を背負うことも無く、
「──ブルーノ」
不意に投げかけられた声音に思考を中断させられる。
見ると、幼馴染みで年下の我らがリーダーが常と変わらぬ鋭い目付きでこちらを射抜いていた。
「何くだらねェこと考えてやがる」
どこか不機嫌そうなその表情が当たり前になったのはいつからだったか。最近になって見慣れた人懐っこい笑みが何故だか脳裏に浮かんで、15年前の少年の顔がそれをかき消すように過ぎってはたちまち記憶の彼方に埋没した。
「……いいや、なんでも」
児戯にも似た取るに足らない感慨は、ゆるやかに胸中の奥底に沈む。
(今更、詮無いことだ)
グラスを回収する最中、ふと目を向けた子供の瞳はレンズに映り込む照明の光に隠されてその色が窺えることは無かった。