分水嶺①
「……へェ、それで?」
かたたん。
己のそれより一回り小さい五指が、年季の入ったカウンターの上を踊る。整えられていたであろう爪先は慣れつつある力仕事の所為かいささか不揃いで、──けれどそれ故に硬質な音が照明を絞った店内にやけに響いた。
「それで、って……お前さん、ちゃんと話聞いとったのか?」
そのある種不遜とも取れる科白に、それまで静観していたカクがテーブルに体重を預けながら訝しむような声音で投げかける。
「やだなァ〜、これでも一応セイトカイチョウだよ? そこらの子供に比べりゃ物分かりは良い方だって自負してんだわ」
「なら、」
スツールごと体を傾げ、へらへらと軽薄そうな態度をそのままに背後のカクへ向き直る。ぎっと不満げに木材が軋む音に、染み付いた船大工としての仮面が眉を顰めた。
小馬鹿にされたとでも思ったのか、言い募ろうと身を乗り出したカクにグラスを持った手が静止を促して突き出される。
「その上で訊いてんの」
「……どういう意味じゃ」
「言葉のままだよ。君らはさァ……その話をぼくにして、それでいったいどうして欲しいわけ?」
ロックグラスの中の氷が淡い照明の光を反射する。アルコールとは違う甘い香りを放つ液体が焦れったそうに揺らめいて、小憎たらしい顔がカクからおれへと、そしてカウンターの中に立つブルーノへと視線を巡らせた。
「"とある目的のために動いてるから邪魔をするな"って」
ふと、確信めいた言葉を紡ぐ口元に覗く妙に鋭い犬歯が目に付いた。
「こんなぽっと出の子供一人相手になァに警戒してるのかな」
獲物を狙う肉食獣のようなその視線がかちりと交差して。
「──優秀な政府の諜報員サンたちが、さ」
思わず目を眇めた刹那、距離を詰めたカクが腰元から引き抜いた鎹を──小僧程度の命を刈り取るのに道具など必要無いが、判りやすい脅しの手段を選んだのだろう──奴の首に突き付ける。
「どわあっ!?」
寸前、大げさな仕草で身を引いた奴の体が座面からずり落ち、床を掠めた靴底がカクの軸足を捉える。反射的にカクが足を引けば間髪入れず胸倉を掴んで諸共に倒れ込む。咄嗟に踏み出したブルーノの眼前に、奴の放ったグラスの中身がぶちまけられて一瞬動きが止められる。
図らずも押し倒す形になったカクの喉元に奴がアイスピックの先端を向けるのと、その眉間におれが指を宛がったのは同時だった。
「っ、!」
「いつの間に……!?」
予期せぬ反撃に動揺を隠せないカクの息を呑む気配。奴の手にした得物を見たブルーノの驚き戸惑う気配。
数瞬遅れて床に倒れたスツールが抗議の音を立てる。
「………」
『ポッポー!』
愉快げな表情の奴を睨むおれの肩口で鋭い羽音が鼓膜を叩く。カクが体勢を崩した隙に弾き飛ばされおれの首筋を狙って降ってきていた鎹は、憤慨したような鳴き声と共にハットリの翼に叩き落とされて床を転がった。
「──ァは、ビンゴ?」
どこまでも腹立たしい笑みを貼り付けて、奴は嗤った。