Nightingale In The Jail

Nightingale In The Jail


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虚圏


 月が輝く空。見渡す限り続く白い砂漠。

 ここは虚圏——多くの虚が住む、岸壁と砂場で構成された広大な世界。


 砂漠に立つ遺跡、古びた柱の影や瓦礫の下をキョロキョロと覗く白い影は、一人の破面だ。

 ふわふわと跳ねる白銀の髪を三つ編みに結んだ小柄な破面は、十字架を閉じ込めた不思議な薄灰の瞳を、悲しげに潤ませた。

 小鳥の囀りのような、か細い声が遺跡に落ちる。


「おーい、お前達〜? どこ〜……?」


 派手な白の外套と、同じく真っ白な衣装が埃で煤けるほど屈んで、破面が瓦礫の間に入っていく。

 僅かな隙間まで覗き込む破面は、誰かを探しているようだった。


 しばらくして——ゴソゴソと瓦礫の隙間から這い出た破面は埃まみれで項垂れる。


「……ここにもいない……」


 風切り羽を落とされた鳥のような様子の破面は、埃も払わず肩を落としてトボトボと遺跡を出た。


 冷たい月明かりに照らされて、遺跡から出てきた破面の全貌が明らかになる。

 右目を覆うはトランプ模様の白い仮面。ヒラヒラと裾が舞う布の多い派手な衣装。

 片方しかない虚ろな薄灰の左目の上、縦に走った傷跡が特徴的な、白い道化師——ローレアン・ラプラス。

 それが、青白い顔をした破面の名だ。


「どこにいるの……?」


 泣きそうな顔で、ローレアンが呟く。

 ローレアンが探しているのは、いつの間にか、はぐれてしまった仲間達だ。

 彼らはみんな、とても弱っちい。

 虚圏の大半は、弱肉強食の理が敷かれた厳しい世界。周囲は危険で溢れている。

 弱い仲間達は、強いローレアンが護ってやらなければいけないのだ。だというのに——


 ある日、ローレアンが目を覚ました時には、仲間達はみんな姿を消していた。

 その時のローレアンの驚きはとても言葉では言い表せない。すごく慌てたし、それに——とても、とても、寂しかった。

 どんなに強くても、ずっと独りは寂しいのだ。寂しくて、寒くて、それからすごくお腹が空いて……。


「……あ……。なにか、食べるもの……」


 たくさん歩いて、たくさん探して、色々な場所を動き回ったからか、ローレアンはとてもお腹が空いていた。

 ——取り込め。

 ——奪え。

 空腹のせいか、霞が掛かったようにぼんやりとする頭の中に、暗い地の底から響くような声が木霊した。


「……おなかが……すいた……」


 虚ろな目をしたローレアンがフラフラと歩き始める。

 どこまでも続く白砂の海は、ポツポツと石英の木が生える以外に何もない。

 どこへ向かうでもなく、ただ歩き続けるローレアンの視界の端に、自分の外套の裾がちらついた。

 所々、白い外套を汚す土埃に、怪訝そうに首を傾げたローレアンは気が抜ける声を上げて外套をつまむ。


「あれぇ? 泥だらけだ。どこかで転んだかな……せっかく、みんなが見つけやすい服を用意したのに、台無しだよぉ」


 情けない声を上げてぱんぱんと服の埃をはたくローレアンの言動は、まるで先刻の遺跡探索など記憶にないようだ。

 あらかた埃を払い落とすと、ローレアンは、頭に乗った小さなシルクハットを被り直して、上機嫌にくるりと回った。


「うん! これでよし! さっ、気を取り直して……あれ? 私、何をしようとしてたんだっけ? うぅんと、えぇっと……」


 独り言を口ずさみながら、胸の前で腕を組んで、ローレアンはウンウンと唸って頭を悩ませた。

 やっぱり思い出せないなぁ……と、後ろを振り返ったローレアンが明るい声で誰かに問いかけようとして——


「ねぇ、先生! 私、さっきまで——……あ…………」


 一瞬だけ光が差した薄灰がまた煤けた色に戻った。

 伸ばしかけた手を下ろし、ローレアンは虚空に視線を留めて、脱力した様子で立ち尽くす。


「そうだ……私、みんなのこと、探してたんだった……大丈夫、大丈夫だよ、ちゃんと覚えてるからねぇ」


 自分に言い聞かせるように、ブツブツと独り言を繰り返す様は、およそ、まともな精神状態には見えない。

 壊れた人形のように不気味な微笑みで、自分を抱きしめる様子は、奇妙な恐ろしさがあった。

 だが、今夜の砂漠にはローレアンの他には誰の姿もない。異様な様子を指摘する者はいなかった。


 しばらくそのまま時が経ち——ようやく少ない正気を取り戻した様子のローレアンは、思い出したように、口の中で何事かを呟いた。


「わ、たし……、私は……見つけないと。探さないと。■◼︎の◾︎◼︎を集めて、みんなを、先生を——呼んであげるんだ」


 危うい光を瞳に宿して、ローレアンが顔を上げる。

 何となく、降り注ぐ月の光が気になって空を見上げると、青い月が目に入った。

 ふと、一人の少女のことが頭をよぎる。


「……殿下……」


 ローレアンがいつだったか見かけた、群から弾かれても凛と佇む少女の姿は印象的だった。

 途切れ途切れの記憶の中でも、「殿下」と呼ばれていた少女のことは覚えている。

 彼女の目も——今夜の月と同じ、冷たくて、綺麗な色をしていた。


(殿下なら、きっとわかってくれる……。独りは寂しくて、とても苦しいんだって)


 同族から嫌悪され、遠ざけられることがどんなに辛いことなのか——ローレアンは身をもって知っている。

 故に——その一点で、ローレアンは種族も、立場も違う「殿下」に親近感を持っていた。

 だから、決めた。


「殿下は、現世の……えっと……空座町、だったかなぁ。そこにいるんだよねぇ」


 血色の悪い指先が虚空を撫でると、牙を剥き出しにした獣の口腔のように、空間に亀裂が走った。

 黒腔、破面が移動に使う道だ。

 向かう先は、空座町。目的地を定めて、ふわりと微笑んだローレアンは暗闇の中に身を投げた。


「私のお願い、聞いてくれるといいなぁ」


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