4.WHAT DO YOU LIVE FOR?

4.WHAT DO YOU LIVE FOR?




南流魂街十四区。

その中でも取り分け人や物の往来が激しい山間部の町を、一台の牛車がガタコトと音を立てて横断した。

田舎では一生見ることの無い絢爛な装飾に、何事かと遠巻きに眺める町民達。

その横を、旅装束に身を包んだ九歳ほどの少年が鼻歌交じりに通り過ぎる。

「あっ! 海燕くん、行ってらっしゃ〜い!」

「おう! 行ってくるー!」

「海燕様、旅のご無事をお祈りしております」

「ありがとな村長!」


麗らかな春の木漏れ日の中、肩にかけた荷物を揺らし、少年は畦道から山道へ分け入る。そうして辿り着いた人気のない川の畔に、少年は首を捻って辺りを見渡した。

「お〜い! 梨子〜! 居るかァ! 居たら返事しろ〜~!!」

"梨子"とは、二ヶ月ほど前から少年が気にかけている童女のことだ。とある事件をきっかけに梨子と知り合った少年は、先月共に『真央霊術院』の入学試験を受けていた。

その合格発表が二週間後。今日はそれを確認するために瀞霊廷へ向かう旅路の一日目だった。もし受かればそのまま瀞霊廷へ移住することになるので荷物も多い。

当然、その様な厳しい道程を幼い子ども一人で歩ませるわけにもいかず態々迎えに来たのである。

——いやまあ…アイツ・俺が比じゃないくらいには逞しいんだけどな?

あの童女ならば百里先の瀞霊廷も十日で踏破してしまえるのではなかろうか。

そう思考していた海燕の視界の端に、紙らしきものが落ちているのが映る。近づけば、それが汚れ一つない真新しい紙である事に気付いた。

海燕は重石で飛ばされぬよう固定されたソレを拾い上げ、中を検めると…そこに書かれていた童女の理解し難い振る舞いに憤った。

『海燕へ

先に瀞霊廷へ行きます  

      梨子より』

「はァ!? オイ! どういうつもりだアイツ!」

この二ヶ月の間に童女の悪戯と猪突猛進っぷりに振り回されていた少年は、最初こそ抱いていた敬意の様なものも今では呆れと怒りが上回り霧散しかけていた。

「ってかアイツ本当に一人で行けるのか…!? 迷子になってねェだろーな!?」

とは言っても心底善良な少年が怒るのは純粋に童女の身を案じていたからなのだが。

「いや、こんなところで時間食って場合じゃねェ…。今ならまだ追いつける…!————行くか、瀞霊廷!」


かくして少年は一人、瀞霊廷への旅路に出た。その途中、いくら探しても梨子という童女が見つかること等ないとも知らずに——







瀞霊廷・真央霊術院


艶やかな黒髪を束ねた少女は、真央霊術院前に立てられた掲示板に自身の名前が記されているのを見て喜んだ。これで来月から晴れて院生である。死神になる第一歩であった。


同期となる者達の名を一頻り眺めたのち、踵を返す。

そこで一人の少年が目に留まった。自身と同じ背丈の少年は、少女が来たときから変わらず掲示板の横を動かぬまま。人々が行き交う通りを疲れた顔で眺めていた。

どうしたのだろうかと心配に思った少女は生来の世話焼きから少年に声をかけていた。
「こんにちは」

「お、あー、こんにちは! アンタも受かったのか?」

「と、言うことは貴方も?」

「おう! 来月から同期だな! よろしく!」

先程の沈んだ様子とは打って変わり、硬い表情ながらも快活に受け答える少年に嬉しくなった少女は笑いを零す。

「ふふふっ、宜しくお願いします。楽しい霊術院生活になりそうで嬉しいわ」

人好きのする少女の笑顔に、少年は少し照れた様子で笑い返した。

「ああ! 私ったら…名乗るのを忘れていましたね。——あらためまして、都と申します」

差し出された手を握り返すも、一瞬躊躇いながら少年は己の氏名を名乗る。

「…志波海燕。海燕でいい」

都は聞き馴染みのあるその名に僅かに目を見開き、そうでしたか、と相槌を打つ。そして何事もないかのように優しく微笑むと、少年の名を穏やかな声で紡いだ。

「よろしくお願いします。海燕さん」


その後、知り合いの少女が行方不明だという海燕の話を聞いた都が思いのほか深刻に受け取り、「宿屋を探して回る」と言い出したのを切っ掛けにして、二人は市中を奔走する事になる。

当初は都の助力によって南門の門番と付近一帯の安宿屋に梨子の特徴が伝えられ順調に情報を集めるも、何故か影も形も見あたらず。

悩んだ二人は敷居の高い宿泊施設を訪問しては、その度に捜索への協力を頼んで回った。

そして『現状、瀞霊廷に梨子は到着しておらず、おそらくは行き違いか迷子』と海燕が結論を出したところで……とうとう、瀞霊廷の空に帳が降りた。

「悪ぃな都、こんな遅くまで…」

「いいんですよ。梨子さん、はやく会えると良いですね」

「ああ、今日は助かったぜ。ありがとな!」

都を家の前まで送り届けた海燕は破顔し、道中何度目かの感謝を伝える。言葉の軽さに対して真剣な色が含まれた口調に、都は微笑みを浮かべた。

「どういたしまして。お力になれて幸いです。今度は梨子さんも一緒に、霊術院でお会いしましょう」

そう返す声は優しく、それに応える言葉を探す海燕の表情もまた穏やかなものだった。

「——ありがとう、都」


夕闇の中、海燕は帰途につく。沈んだ街路を歩きながら深く息を吸い込むと、心を鎮めるべく長く吐きだした。

「……さて」

『梨子とは行き違いか迷子』と結論づけた筈の海燕は、神妙な顔つきで虚空を睨みつける。

本来ならば有り得ない光景を思い出すのは容易だった。梨子と合流する筈だったその日に、村を訪れていた貴族の牛車。——そこに描かれた『綱彌代の家紋』を。

「よりによって【五大貴族】……。面倒なことになったぜ……」

そう呟く声は憂いを帯び、暗い街路に溶け込むように響いた。







「まぁ、だからと言って放置するわけにもいかねェしな」

そう自身に言い聞かせながら海燕が立ち止まったのは、豪華絢爛な城郭の門前だった。

海燕の姿を認めた門番達は門の両脇に控えると城内へ客人の来訪を伝えるべく、声を張り上げる。

『志波家嫡男・志波海燕さまの御入城だ! 城門を開けよ!!』

門番の言葉で、外構えの大門が重厚な音を立てながら開口する。海燕が門の先を見ると何故か、既に来訪者を迎えるべく並び立つ人の群れがあった。

どうやら自身よりも先に来訪者が居たことを理解した海燕は、そのあまりに大仰な列の間を内心首を傾げつつも臆す無く突き進む。

そして、屋敷の中へ入る本玄関へ辿り着く直前。玄関の扉を開け放ち、男が一人、陽気な声を響かせ姿を現した。


「それじゃNe・梨子ちゃん! 気が変わったら連絡Yo・Ro! ボク等いつでも上で待ってるからSa!」


男の「梨子」という言葉に海燕はやはりここに居たのか、と苦々しい顔をする。

そして次に意識が向いたのは、褐色肌の男が死覇装の上に纏った白い羽織だった。

「…隊長羽織…?」

護廷十三隊に於いて、たった十三席しかない隊長位に就く者のみが纏うことを許された白羽織。

それに酷似した意匠の羽織を纏う男はしかし、海燕の知るどの隊長とも合致しない容貌をしていた。

(いや、違う。この背の紋様は——)


「Heyーー!! そこの坊Ya! 今ちゃんボクを呼んだKai!」

「え」

男は勢いよく海燕の方を振り向くと、掛けたサングラスを陽光に煌めかせハイテンションで叫ぶ。

その瞬間、脇に控えていた男達がサッとスポットライトを白羽織の男に向けて点灯させた。

「うわァッ!?」

強烈な光を浴び、目を覆う海燕。どこからとも無く大音量の音楽が流れ出し、バシュウッと煙幕が撒き散らされた。

「Soーー! ちゃんボクこそ! ナンバワン・ザンパクトー・クリエイラァー!! 二枚屋OhーEtsu!!

Si・Ku・Yo・Ro・でェーーーース!!」

奇抜が過ぎる口上に海燕は目を見張りながらも言葉の意味を理解し、更なる衝撃を受ける。

「"刀神"・二枚屋王悦…!?」

「Soー言うキミは! 五大貴族が一家・志波家嫡男坊、志波海燕Da・Ne」

「なぜ王属特務が、瀞霊廷に居られるのですか…!? というか本物…!?」


【王属特務・零番隊】


隊士は居らず、構成員は隊長位に就くたった『五人』の死神のみ。しかし、その総力は六千名を超える護廷十三隊の全軍をすら上回るとされている。

だが、霊王を守護する彼ら零番隊が霊王の座する霊王宮から離れることは滅多に無い。

あるとすれば、それは三界に甚大な被害を齎す恐れのある事象が起こった時だけだ。

そんな例外的な存在である零番隊士が今、海燕の目の前に立っていた。

「本物かい?とはご愛敬! 五大貴族様の屋敷に乗り込んDe、そんな大ボラ吹く勇者は居ないYoh!」

男はそう言い、脇に控える男衆が抱える数十本の刀から一つを引き抜くと、海燕の目の前に差し出した。

「コレは『浅打』。つまりは己の魂の精髄を写し取る以前の『最強の斬魄刀』だYo! 今日は『瀞霊廷の重鎮方と三界の安寧について語り合う』次いでに、ちゃんボクのクリエイトしたこの浅打達を新米院生チャン達にプレゼントするっていう仕事があったのSa」

要するに今期の院生達に配られる予定の『浅打』を"刀神"自ら手渡しに来てくれたという事だ。海燕は慌てて自身に差し出された浅打に手をかける。

そして、困惑の表情で男を見上げた。何故か男が手を離さないからである。

グイッと男が近付き、浅打を海燕の胸元に押しつけると抑えた低音で囁いた。

「…大方、お姫様を助けようと急いで乗り込んで来たんだろうケドNe。無策はタダの無謀だYo」


——帰りな。坊Ya。


グラサン越しに冷えた目で見下ろす男を、海燕は額に汗を垂らしながら睨み上げる。威圧なのだろう、男から流れ出す霊圧が全身を粟立たせた。

「………ご忠告、痛み入ります。ですが! それならば尚のこと、帰る訳にはいきません……!!」

見上げる少年の目差しは実直さを帯び、男の目を射抜く。しかし男はそれに肩を竦めて返した。

「んン〜〜〜〜ソレは一体全体、何が理由だってンDa・i? まァ、志波の死神が考えるコトなんて聞くまでも無いケドNeェ。

——それが自分のエゴだって、解って行動してるのかい?」

再度の忠告に海燕は一瞬だけ目を伏せ、男を見つめ直す。

「……わかっています。これはただ、自分が後悔しない為だけにしている事です。アイツはきっと……俺に関わるなと言うでしょうし、もしヘマをこいて俺が死ねば……アイツを苦しませるだけ苦しませて終わっちまう」

「……解っているなら何故だい」

「アイツと『友達』でいると決めたからです。——だから俺は、アイツ一人で行かせるワケにはいかねえんだ」

意思の固い瞳を男は暫し見据えた後、浅打からそっと手を放す。

「…そうKai。キミ達は良い仲間を持ったんだNe」

そう言いながら横を通り過ぎる男の顔に、海燕は僅かな『愁い』が滲んでいるように思え返事に窮した。


「——精々その誇り、大切にするコトだYo。それが刃を振るうコツSa」


数人の男衆を連れて立ち去って行く背中を海燕は物寂しげに見送り、自身も踵を返して前を見据えた。

手に持った浅打を腰の帯に差し込む。そうして魄動が早まるのを感じながら、玄関の前に立った。

——この先に居る者達は、決して話し合いで解決できるような簡単な相手ではない。

最悪、梨子を連れて尸魂界中を逃げ回る事になるだろう。そうなれば家族にも迷惑をかける。しかし……ここで逃げたならば、それこそ親父達は笑うだろう。

よって、海燕に迷いはなかった。

扉を引こうと手を伸ばす。

だが、その前に——内側から扉が開き、五歳ほどの童女が顔を出した。


「あ〜〜! やっぱり海燕だ! 久しぶり!」


そう言って気の抜ける笑顔を浮かべる童女。その姿は確かに、海燕の探していた友のものだった。

「梨子…!? 無事だったのか! 怪我とかねえだろうな!?」

「怪我はないよ?」

「そうか! 良かった! じゃあお前、今すぐ帰るぞ!」

「…? どうして?」

梨子が心底分からないといった様子で首を傾げる。

「どうしてって…オメー」

「……ああ! もしかして心配してくれたの? それなら大丈夫だよ海燕! 実はわたしね!

——綱彌代家に『養子』に入ることになったの!」

そう、童女は満面の笑みを湛えながら「だから大丈夫だよ!」と呆ける海燕へと言い放った。

「ぜっ……全ッ然・大丈夫じゃねえ!!!?」





「お前、今なんつった!?」

耳を疑う発言を聞いた海燕は、梨子の両肩を掴み圧をかける。

「え…『養子』に入るって」

「んなのお前には無理だ! 今すぐ撤回してこい!」

「——残念だけど、それはもう出来ないんだ」

梨子の背後から現れた男が、幼子を窘めるような口調でそう告げた。死覇装の上に貴族の衣服を身に纏う男に、海燕は警戒を強める。

「…アンタ、綱彌代の人間か?」

「ああ。だけど誤解しないでくれ。本家の者には私も困らされている側でね。なに分家の末裔なものだから、地位として末席も良い所なんだ。まあ…そのお陰でこの子と出逢う事ができた訳だから感謝しなければね」

男が梨子の頭を優しく撫でる。梨子が少し困った顔をしているが、海燕はその物腰の柔らかさに一旦警戒を緩めた。

「海燕、しょう介するね! わたしの兄様だよ!」

「初めまして。私は時灘。——綱彌代 時灘だ。梨子から話は聞いているよ。とても親切にしてくれたと。兄として礼を言わせてほしい。有難う」

「お…おお」

海燕が差し出された手を握り返すと、男はふっと微笑んだ。

「そういえば、先ほどの話に戻るのだが…。既に分家を交えた会合にて梨子の"本家"入りが決定し、届出も受理されてしまっている。私の力でも、もう取り返しはつかないのだよ」

「…そうか。いや。それにしたって何で養子なんかに? 綱彌代家ってのは…伝統を重んじる…というか。その…流魂街の住民とは縁遠い筈だろ…?」

「そうだね。上の理屈によると『稀に見る優秀な人材を統学院で腐らせぬ為に後見人となる』だったかな? いや〜、彼等にしては珍しい事もあるものだよ」

実に疑わしい理由である。これまで出会ってきた貴族に対する募りに募った不信が海燕の脳裏で訴えていた。

「疑わしいって顔だね?」

「当然だろ。だが理由がそれだけだってんなら……コイツ、連れて帰ってもいいよな?」

「それは無理だよ」

「何でだ。支援がしたいだけなら基本放っておいても問題ないだろ。この屋敷だって霊術院から遠いじゃねえか」

二人の間に漂う緊迫感を肌で感じながら、梨子は未だに理解できていないのか…黙って成り行きを見守っていた。

「梨子の住む屋敷なら霊術院の隣に用意した。…それに貴族は綱彌代家だけではない。他の貴族の目もある以上、彼女には『尸魂界の歴史』とも呼べる綱彌代家の家紋に泥を塗るような真似は許されないんだ。──要らぬ争いを産まぬよう配慮するのは彼女の為なんだよ」

「…梨子はアンタらの権力闘争の駒じゃねえぞ」

「其れこそ誤解だ、海燕殿。彼女はもう既に、尸魂界中の勢力から狙われている。それを私達は保護しているに過ぎない」

男の言葉に歯噛みする。正論と言わざるを得なかったからだ。

しかし、それで疑念が拭える事はなく、海燕は反論する言葉を探して沈黙する。

その様子に見兼ねたのか男の方から口を開いた。

「……仕方がない。これは部外者には秘匿すべき話なのだが、それほど不安なら君に教えよう。責任ならば私が持つ」

「……!」

「——先の会合。採決にて参加者の『全て』が梨子の本家入りに合意した。要するに、他家はともかく我が一族が梨子に対して危害を加える事などないのだよ。……私も、可能な限りは彼女の支援に務めたいと思っている。それでも納得いかないかい?」

これ程までに譲歩されて、もはや何かを反論できる立場に海燕はなかった。自分よりも彼らの方が、梨子を護る力があるのだ。

海燕は己の無力さと滑稽さに意気消沈する。

「海燕……綱彌代の人たち、わたしが『人助けしたい』って言ったら『手伝う』って言ってくれたの。だから大丈夫だよ……?」

気付けば梨子が心配そうにこちら見上げている。

「ああ、悪ぃ梨子。心配してるつもりが逆に心配させちまったな。

——時灘さん」

そう言うと海燕はその目に再び意志を灯し、童女の兄となった男に対して向き直る。

「非礼を詫びさせてほしい。少なくともアンタは俺よりもコイツの無事を考えてたのに……済まねえ……!」

海燕が勢いよく頭を下げたのを見て、男——時灘は目を瞬く。

「いや…なに、友を心配してのことだ。目くじらなど立てられはしないよ。それに警戒されるのも、我が一族の日頃の行いが原因なのだからね」

「……アンタ、良いやつだな」

「そうでもない。私も所詮は貴族の一員だよ」

「そうか? ——…なら瀞霊廷ってのは案外、気安いところなんだな」

海燕は屈託なく笑う。そのポジティブさに時灘も苦笑を零した。

「——梨子のこと頼みます」

「…勿論。君が護れない間は、私が彼女を護ると誓おう」


海燕はその後、時灘といくつかの情報を交換すると梨子の前にしゃがみ込んだ。

「ところでお前なんで俺置いてった?」

「…………ヒュールルルー♪」

口笛を吹いてとぼける梨子をじっと睨みつける。だがこの程度で折れないことは短い付き合いの中だけでも十分に理解していた。

「…分かった。もう聞かねえよ。だけど連絡くらい寄越せよな。霊術院が始まるまでは会えないみてぇだし」

「海燕お母さんみた〜い」

「うるせえ! 俺だって頻繁に構いやしねえよ。なんか不味い状況になったとき、一人で解決しようとすんじゃねえって言ってんだ!」

梨子の頭を片手でぐりぐり押さえつける。暴力反対!とか騒いでいるが知った事ではない。

「じゃあな。俺はもう行くぞ」

「………うん。元気でね」

「お前もな」

海燕は少しだけ覇気のない梨子の頭に、今度はぽんと優しく手を置いた。

「霊術院で会おう」

「——…うん!」


去って行く海燕に、梨子は全力で両手を振る。その熱い青春の一幕を時灘は生暖かい目で見送った。







———そして今日この日。神による全ての選択は終わり、有り得た未来は一つの未来へと収束する。


それを象徴するようにとある一報が瀞霊廷中を水面下で賑わした。

五大貴族・綱彌代家へと向かい入れられた一人の幼子。それらを巡る残りの四家、護廷十三隊、中央四十六室、そして零番隊らの異例の介入。

貴族の青年は監視の為にと霊術院へ派遣され、軽薄そうな隊長は真実の大半が隠匿されているだろうその話を聞き、目を眇める。

とある天才は一報を上司から聞くや、自らその渦中へ飛び込む事になるだろう。

それらの動向を眺め、とうの昔に嵐の中へ飛び込んでいた少年がほくそ笑む。


———当然、その影響は尸魂界に留まらず、三界全てへ波及することになる。


先の南流魂街襲撃にて生き残った虚の証言に、薄らと笑うヴァストローデ。

王の寝所にて目覚めぬ主に、神の復活を告げる従者。

神の欠片を持つ者達はザワつく世界を肌で感じながら祈りを捧げた。


そして遥か上空の異空間。

そこで男は一人、語りを続ける。

「———結果。あらゆる魂魄の行動は決し、揺らがぬ未来へと歩を進めるだろう」

否。他に人はいる。ただ物言わぬ楔と成り果てているだけだ。

「……私から力を奪い尽くしてまで、貴女の望んだ結末とは何だろうね?」

言葉を返さぬ神を、男はその何の変哲もない黒い瞳で見据える。これはいつもの光景だ。男が嫌味を言い、女はただ聞き流す。

悪意の煮詰まった世界を覆う、仮初の日常。


こうして、来たる激動の時代を前に、全ての駒が盤上へと出揃った。





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