51.地球の怪しいおじさん ①

51.地球の怪しいおじさん ①



「何? 重機分野へ再進出したい、だと!?」

「そう、原点回帰だよ兄さん」

兄さんは困り顔でそう返し、僕は逆に身を乗り出しながら畳み掛ける。


僕と兄さんは時に本社で、時折兄さんが様子を見にくる地球支社側でも、度々開発案や今後の方向性ついてのディスカッションを重ねている。

別に毎回帰るたび、顔を合わすたびに、ただただハグり合ってるわけじゃない。誰だそんな破廉恥な想像ばかりしてるやつは。名誉棄損で訴えるぞ。真面目な話だって勿論してる、じゃないといつまで経っても経営が安定しない。学園の教職員の人材確保もままならないようじゃ困るだろ。


「確かに建設用の重機分野から我が社は始まった、とは聞いてはいるが。当時の資料なんて何も残ってないぞ、一から参入するのと変わらない状況だ。それで既存企業の安定したシェアを崩せるかどうか……」

「MSで培った識別技術を組み込めば、どうにか食い込めるんじゃないかと思ってるんだ。地上での需要はね、重機分野も地味に多い。紛争地跡になって荒れていたり、放棄地となってそのままの土地が多いから。で、その方面においてはウチのMS達のどっしりしたスタイルが適してるんじゃないかなって__」

「重機類にスタイルの違いなんてあるか? どこもだいたい決まった形状、規格だろ?」

「まぁ、最後まで聞いてよ。こいつら普段は重機として働くんだけど、作業用必要とあらばボタン一つでMS形態に変形するの。人型の方が便利な場合もあるでしょう? 緊急時とか、災害派遣や救助活動とか。で、イメージは、トランス〇ォーマーで想像してほしいんだ。どうだい? カッコいいだろ。勿論安全機能付きだ。近くに生体反応があれば識別の上で音声でも警告するし、近付き過ぎれば機能停止してエンジンストップする」

「ふむ、たしかに変形重機は燃える…って、カッコよさだけで予算は組めんぞ、子供向けの玩具とは違う。何より重要なのは実用性だ」

「フッフッフ、聞いて驚くなよ兄さん! 実はこれ、試作の段階まで来てるんだ。まだ荒削りだけど。ウチの支社の畑は農作業用MSを使って耕したし、外構工事は土木用重機型の試作機で僕らも加わったんだ」

「__! そう言えば、ペトラも前にそんな事を言ってたような。んーでもなぁ、どうかなぁ。実機を見てみないとなんとも……」

「見に来てよっ。僕の方はいつでも待ってるよっ(ついでに泊ってけよ! 仲良くしようぜ!)」

「なら、今度そっちに出掛けて詳しい説明を聞いてみるか。試運転もしてみたい。製品化に向けて踏み切るかどうかは、それを受けてから本腰入れて検討しよう」

「うん、ありがとう。じゃあ兄さんが来る前に設計資料と、開発継続した場合の概算見積もりを送るから」

「OK。他には何かあるか?」

「あと一つ、考えてるのはね__」


執務室のソファーで対面しながらこんな風に話し合いを続けているわけだけど、正直楽しい。仕事の話でも、プライベートの話でも、真剣な兄さんだとか、冷や汗浮かべる兄さんだとか、得意げな兄さんだとか、笑い転げる兄さんだとか、コロコロ変わる兄さんの表情を真正面から眺めながら直に話せるのはとっっっても楽しいわけだ!

大丈夫かな、僕興奮しすぎて鼻血出てない?


「そうだ。お前、企画したフリーズドライ製品やレトルト食品を、モニター配布したいって話をこの前してただろ。難民キャンプ向けで」

「あー、隣と共同開発してるやつね。今商品化に向けて種類をもうちょい増やそうと思ってて。どれを採用するか迷ってるとこ。それで生の声を聞きたいなって」

「俺の知り合いに、難民キャンプ周りに詳しい男がいるんだ。俺の方もソロキャン用品に使う素材について迷っててな。その人、そっちの方面にも詳しいだろうから、意見聞こうと思ってさ。ちょうどいいからお前にも紹介するよ」


……新たに事業を始めたらしくて、暇だとボヤいてたからな。自営な分小回りは利くので、何か困り事があれば声を掛けてくれとも言われている。きっと快く引き受けてくれるだろう。無口ではあるが真面目な男だ、適正価格できっちり仕事をしてくれると思うぞ。


そう言って紹介されたのが、目の前のこの男なのだが__。



「それで。まずはお聞きしたいのですが、あなたと兄との関係は?」

「知り合い、だな。……あいつからは何も聞いていないのか?」

「地球で世話になったとだけ」

男はスミレ色の瞳をこちらに向けて一瞥する。元々愛想笑いの一つすら浮かべていないその表情が、僕の一言でより硬くなった気がした。


兄さんが失踪して、父さんと事故り、地球に降りて__。

ここら辺の詳しい経緯は、兄さんのトラウマを刺激する可能性が高い。当然、僕の方からは詳しい話など聞けはしない。当時を知る人がいれば話を聞いてみたいとも思うのだが、その宛もなく、僕が事故当時の事を嗅ぎ回ってるなんて話が耳に入れば、兄さんの心を大いに傷付けかねない。なので、深追いはしていない。

兄さんが話す気になったら話してくれればいいし、一生知らなくても構わないと思っている。

但し、今回は少々事情が違う。

僕が食い付いてるのは、切実な危機感ゆえだ。


 改めて、当社応接室のソファーで対面している中年男を真正面から眺めてみる。

ビジネススーツの着用は無し。だが、これは職種に拠る違いもあるので一概にダメだとは言えない。今回は大型トラックを使っての輸送が主な仕事になるだろうし、これが彼の現場スタイルならば、理に適っているとも言える。

それに、このおじさん。年に見合わず筋骨隆々だ。着てるロンTもピッチピチだから、スーツ自体入らないのかも知れない。


だがしかし__。

いくら好意的に受け取ろうとしても、解せない点が多数ある。

この男、今日は宜しくお願いしますと最初に握手を交わした時すら、ニコリともしなかった。

兄さんの話では、この男を含めた数人で近年会社を立ち上げたとの事だったが、このように無愛想な男を営業や交渉役として寄越すのは、明らかに人材ミスではなかろうか?


依頼する内容は、モニター配布を受諾してくれたキャンプ地への商品搬入と、現地での直接配布だ。後日、アンケートを回収して貰う。難民キャンプは現地の治安情勢によって場所も転々とする。

事情に詳しいとのことなので、各キャンプ地に対して受け入れ可能かどうかの打診も合わせて、受け入れ先のリストアップもお願いするつもりでいたのだが。任せる気など、現時点でとうに消え失せかけてる。


 僕は交換した机上の名刺にチラリと視線を落とす。

社名:フォルドのそよ風。

__オルコット、……って書いてあるけど。肩書もミドルネームもラストネームの記載もなし。まずこれさ、本名なのかどうかも怪しいよ?


勿論のこと、会社住所の記載も無い。

ただこれには、理由も考えられる。

紛争地帯の混乱は、ベネリットグループ解散後数年が経過した今、完全に収まったかと言えば、そうだとは言い切れない。

平和へ向かうか、再び混迷を深めるか。

未だに先が読み辛い過渡期にある地上においては、届出もなく様々なビジネスが黙認されている。当然世界情勢により会社を移転したり、元々店舗や社屋を持たずに事業展開する場合もある。ここはコンプライアンスの点においても、非常に緩い世界線だ。


僕やミオリネだって、地上での開業にあたっては、どこへどのような届出を出せばよいのか。新規参入のためには、どのような認許可が必要なのか。それらについて相当気を揉みながら地球に降り立った。

が、蓋を開けてみれば、それらの全てが当該行政機関への自己申告による届出だけで済んだ時には、思わずズッコケそうになった。

如何にも仕事をしたくないといった態度の職員には『律儀に足を運ぶなんて珍しい。随分生真面目ですね』などと嫌味を言われたくらいのものだ。

宇宙と地球とでは何もかも勝手が違っている。多くの事柄がアバウトで、今でも戸惑うことが多い。


僕は指先で名刺の小さな文字をなぞる。

連絡先は__端末の番号がひとつか。

たしか交換時にチラッと見た裏面には、びっしりと代行可能な業務一覧が記載されていたようだったが。


「フォルドのそよ風さん。御社の得意分野と実績について、合わせてお伺い出来ますでしょうか?」 

「請負い可能な業務は、名刺の裏に書いてある。それをみろ」


……何だよ、このおっさん(怒)。

なんで命令口調になってんの? 依頼主はこちらだよ? 自分の立ち位置、ちゃんと分かってんの?

会話の省エネだか何だか知らないが、敬語も丁寧語もキレイサッパリ省いてくるし。そんなところをECOしても、地球のためにはならないっつーの!

これならウチのダリルバルデの方が、よほど立場を弁えた喋り方をしてくれる。最近心が芽生えたばかりのオラオラディランザと同レベルなんじゃないの?


僕は頬をヒクつかせながら、机上の手元に置かれた名刺を裏返す。


配送・運搬・搬入作業、引っ越し、建設補助、配管修理、水道工事、水回りのトラブル対処、詰まりの解消、庭の清掃・ハチの巣駆除、休耕田畑の代理耕作、護衛・警備、ライバル会社への不正アクセス・ジャミングでの嫌がらせ、介護補助、その他MS使用でのよろず作業、各種支援や業務の代行__。

チラッと見た時も思ったが、やはり多いな…。ん? それになんか…怪しげなやつ、混ざってない?


まぁ、はっきり言って胡散臭い名刺である。これなら渡さない方がマシなんじゃなかろうか?

この男はそれを平然と渡してきた挙句、今も目の前で堂々と胸を張っているのだが……。


実体があるのかどうかも怪しい正体不明な会社に、営業スマイルの一つも浮かべ無い不愛想な中年男。

このようなところに舞い込む仕事など、実際にあるのだろうか?

兄さんが暇そうにしてるって話してたけど。この『フォルドのそよ風』に関しては、時勢の不運などではなく、当然の帰結なのではなかろうか。


「実績についてはサイトに記載がある。分野によって様々だが……そうだな、ひとつ付け加えるならば。人の運搬、配管修理や畑作、あと船のジャック、不正アクセスとジャミングについては経験豊富だ。MSの操縦についても、それなりに腕に覚えはある」


ハ?! 船のジャックって何!?

このおっさん、海賊か何かなの!?

なんかその他にもヤバいキーワード口走ってた気がするんだが、ジャックで他が全部吹き飛んだ。


兄さん…あなたって人は!!

やっぱりまた変なやつに引っ掛かってるじゃないか!

もういいっ、この際『フォルドのそよ風』が運送業でも、水道修理屋だろうと、介護事業を展開する全国チェーン店であろうと、そこはどうでも構わない。

問題はこの男と兄さんの関係だ。

それを詰めるのが先だ! じゃないと兄さんの身が危ないっ!!


「取り敢えず、御社のことはどうでも__いえ、ある程度は把握出来ました。それで、これからについてなのですが、当社の方針としてはあなたの過去と、兄とあなたの関係。これを徹底的に明らかにせねばなりません」

「……なぜだ? 大型免許所有の確認の方が重要ではないのか?」

うっ…。急にまともなこと言いだすなよ、吃驚するじゃないか!!

「それも大事な確認事項ですが、ひとまず後回しです。あなたの過去の兄への接し方によっては、この依頼はなかった事にさせて頂くかも知れません。虚偽を挟まず、正確に正直にお答えください」

「これは尋問か?」

一々角の立つような言葉選びをするなよ!! ほんとにもうなんなの。

「あー、そう捉えて頂いても構いませんから! イエス・ノーも含めてはっきりとお答えくださいね!!」

男は憮然とした視線をこちらに向ける。不機嫌顔をしたいのは、こっちの方なんだが?!


「それでは再度お伺いしますけど__」

「……さっきから何なんだ? あいつからの連絡で、すでに業務委託を請け負ったと認識していたのだが。契約前にこれから面接があるのか? そんな話は聞いていないのだが……」

「いいえ、これは僕の個人的な調書です」

男の眉根が寄り、眼差しは一層険しくなる。

「それならば、答える義務もないということだな」

「ご自由に解釈して頂いて構いませんが。私の方としては、いくら信頼と親愛を置く兄からの紹介とは言え、素性はある程度明かして頂かないと。ビジネスパートナーとしてより良い関係を築く事は、難しいと考えております」

「尋問の次は脅迫か__?」

「滅相もない。ただ、情報を得られなければ、安心して仕事をお任せする事は出来ません」

男はウンザリだとでも言いたげに、ひとつ溜息をついた。


もう、本当に態度が悪いんだけど。うんざりしてんのはこっちなんだが?! さっさと答えろよクソオヤジ。

ねぇ兄さん……。

どうしてこんなおじさんを僕に紹介するの?

まずこのオッサン、堅気なのかどうかすら怪しいよ? 筋肉だけは無駄に付いていて、力仕事には向いてそうだが。

第一、兄さんとこのガチムチおじさんの関係は一体何なんだ。筋肉繋がりで知り合ったのだろうか? ジムで話し掛けられたとか? あの時の兄さん、本当に地球に何しに降りたの? インストラクターを目指しての、武者修行とかだったの?


兄さんたらさ、この不愛想なおじさんを紹介するって言った時、胸張ってる感じだったんだよ? 明らかに信頼を寄せてる様子でさ。

今考えてもモヤモヤする……。

それに。このおじさんにコールを掛けた時の、兄さんのあの顔。

あれはいったい何だったんだ__?

兄さんが通話中に浮かべた優しい表情。親しげな口ぶり。口の端がちょっと上がって、どこか嬉しそうで。

あー、もうダメ!! 思い出すとムシャクシャするッ。


はっきり言おう。

僕はこの男と兄さんの関係を疑っている。


コラボ事業で試作した災害・救援用のレトルト食品やフリーズドライ製品。この評価を収集しようと、一番使用頻度が高いであろう難民キャンプで、モニター配布を考えている。

そのような話を兄さんにしたところ、現地の事情に詳しい男を知っているとのことで、すぐに連絡を取り付けてくれたのは有り難かったのだが。


その時の雰囲気が、兄さんの表情が。なんだか空気全体がしっとりしてて__。


僕の心は、その場で瞬時に危険を察知した。

なんか怪しいぞ、この雰囲気。ちょっと前に見覚えがある、嫌な思い出を彷彿とさせる。そう、いまだに許し難い地下格納庫でのあの光景に酷似している。

僕の恋路を無自覚に邪魔立てしてきた我が社の歴代MS達。

その次の脅威は他社のご令嬢などではなく、親子ほど歳の離れてるっぽい、このおっさんだったのだ。

しかもさ、元彼みたいな感じで現れたんだよ、このおっさん。


全く何なんだよ、兄さんは!!

CEOに就いてから、やたらオジサンばっかり寄せ付けやがって。

近頃だって怪しい投資家のモブおじ達が、ハイエナの如く兄さんの周りをウロついている。リモートで兄さんと対談なんかさせようもんなら、食い入るようにと言うか、舐め回すようなイヤらしい視線で見つめてくるんだ。

兄さんはちっとも気付いて無いけれど、僕はいつ何時、モブおじ達の魔の手が最愛の人の腰回りに伸ばされないかと気が気でない。

この変態共め、散れっ! 散れっ!

僕のお嫁さんに近寄るな!!

兄さんたら、おじさん寄せ付けフェロモンでも放出してるのだろうか? もうファ〇リーズ3本くらい一度にぶっかけて、その香り、全消ししてやりたい。


と言うわけで、僕は顔を突き合わせる前からこの男に対しては、不信感と敵愾心を抱いていたのだ。

そして今、僕は改めて確信した。

間違いない、兄さんはまた変な男に騙されている。

心の耳を澄ましてみろ。

僕の内に棲む怪物(ポチ)だって面談が始まるなり呻り出し、今もバウバウ吠え立ててる。

気を付けろ! こいつは兄さんを誑かす間男だ! 俺達の天敵だ!

そう言って牙を剥いて涎を吐き散らしながら、激しく威嚇してるじゃないか。

ポチが首に巻いたゲーミング首輪だって、クリスマスシーズンのイルミ並みの高速点滅を繰り返してる。


分かってるよ、ポチ。

僕も君と同感だ。


最近ポチとは仲が良いから、互いの意見はだいたい一致する。僕もポチと一緒になって吠え立てたいし、こいつの喉笛に噛み付いてやりたい。

だが、一応表向きの顔としては、ジェタークの副代表であり、地球支社の長でもある。冷静沈着を装っている身であるゆえに、そうもいかない。


……落ち着け、ポチ。

まずは証拠集めからだ。


そう言って、胸の内で吼えまくってるポチを撫でて宥める。


「もう一度お訊ねしますよ? あなたと兄との関係は?」

「だからさっき話しただろう、地球で少しの間世話をみた。それだけだ」

「その回答は先ほど聞きました。こっちはもっと詳しい話が聞きたいんですよっ、あなたと兄の馴れ初め……いや失礼。兄とは、いつ・どこで・何故・どのように知り合ったのか、その詳細を教えて頂けますでしょうかッ!?」



 グエル・ジェタークの弟を名乗るこの男。最初は丁寧だった口調が次第に乱れてきている。と言うか見るからに興奮している。

「……あいつがそれ以上のことを喋らないのならば、俺からも勝手に話すわけにはいかない」

「あー、まどろっこしいッ。いい加減に口を割ってくださいよ。そこが明かされないようなら、僕は尚更あなたを信用出来ない!」

またひとつ溜息が出る。こんな話は聞いていない。


 
 シーシアを手掘りの墓に埋葬したグエル・ジェタークは暫く手を合わせた後、独り言のように呟いた。

「俺は……どうすれば……」

別にこちらに対して向けられた言葉ではなかったのだろうが、俺はあいつの親では無いので『自分で考えろ』とそう言った。

その声で振り返ったあいつは少し間をおいた後、軌道エレベーターまでの道を教えてくれと言い出した。

「これ以上失くしたくないんだ…俺と父さんをつなぐもの」

そう言って立ち上がったあいつの顔を思い出す。

朝焼けに照らされた青い瞳には、昇ったばかりの陽光が映り込んでいた。


俺は暫くその顔を無言で眺めたあとで、義手の指を空へと向けた。

道のりも何も。遠くに霞んで見える、天空高く聳えるタワーがこいつの目には入らぬのだろうか。指を差して『あれがそうだ。あれの袂を目指して進めばいずれ辿り着く』と教えてやった。

グエル・ジェタークは頭を下げて礼を言うと、俺に背を向け歩き出す。


その後ろ姿を眺めた俺の脳裏に過ったのは、あの子も生きていればこの位の年になっていただろうか__などという下らない感想だった。

捨てたはずの記憶は、そう努力してきたはずの欠片は、思いもよらない場所で急に顔を出す。

__人の心とは、実に厄介なものだ。


ふと、薄汚れた長い髪の隣に広がる背中の染みが目に留まる。

慌ててグエルを追いかけその腕を取った。

振り返り怪訝な顔を向けるグエル・ジェタークの足は、軌道エレベーターへ向かう道とは見当違いの方角へ向いている。


「……方向が違う、そっちは海だ」

「何!? 海だと!? ホンモノかッ!?」

一瞬青い瞳をキラつかせたグエル・ジェタークだったが、今はそれどころではないと気付いたのか、すぐさま光の落ちた暗い目に戻る。

「安心しろ、海は軌道エレベーターからでも見える」


__何を言ってるんだ俺は。


咄嗟に口から出た言葉に心の中で自嘲しながら、土地勘が無い場所に、地上を知らぬ宇宙生まれの御曹司を一人で放り出すのは、無理があったかと思い直す。

それに加え__。

乾きかけの赤黒い血糊が、肩から背中にかけて付着した作業服。これではゲートは無事に通れまい。きっとこいつは、その事にも気付いていないのだ。


「ついて来い。まずは準備が必要だ」

グエル・ジェタークは何度か瞬きを繰り返した後、こちらに真っすぐ目を向けこくりと頷いた。

なのに、だ。まずは闇市へ向かうと告げると、イヤだとごね始めた。


「俺が聞いてるのは軌道エレベーターへの行き方だ! 腹ごしらえをしてる暇などない!」


腹ごしらえとは言って無い。そうか、腹も減っているのか。そうではなくて、その成りでは不審に思われるので、すんなりとは帰れないと言っているんだ。

簡単に説明を付け加えても、イヤだイヤだとゴネまくる。頭に糖分が回っていないのか、全く聞き分けが無い。そうだな、お前が言うように、水分補給と栄養補給も至急必要なようだ。


「俺のせいで可愛い弟が困ってる!! 大事な家族なんだ、俺は今すぐ戻りたいんだッ!!」

だから、その可愛い弟の所に戻るためにも、支度がいると言ってるんだろうが!!

「もういいっ!!」

そう言って俺の腕を振り解いたあいつとその足は、またあらぬ方角へ向かおうとする。具体的には播磨灘だ。何故やたらと海を目指す。そんなに海が見たいのか?


「とにかく、俺の言うことを聞けっ」

咄嗟に義手じゃない方の手でその頬を張った。

バチンッと派手な音がする。


頬に手を当て俯いたかに思えたグエル・ジェタークは即座に顔を上げた。

食い入るように勢いよく向き直った彼の口からは、当然悪態または反論が飛び出すかと思いきや、ハッと驚いた表情をしてこちらの顔をまじまじと見凝めてくるだけだった。


なんだこの顔は。なんだこの目は。

思いっきり下げられた眉が、しょんぼりした子犬の様だ。その下で、夏の光を照り返す湖面のようにさざめく瞳が、俺をなんとも評し難い眼差しで見つめている。不可解な視線を向けられた俺は困惑した。


 頬を打たれた御曹司は、さっきまでの逸る血気が嘘のように大人しくなった。

まずはスポーツ飲料を買い与えてみる。水分補給をさせるとやや心が落ち着いたのか、目に見えて物理的な距離が縮まった。

躾けられた犬のようにさらに従順になったジェタークの御曹司を連れて、屋台で軽い食事を済ませた後、俺は闇市で必要なものを買い集めて回る。

その間もあいつときたら、目を離すとすぐに余計な店先で引っ掛かり、お茶を渡され和んでいたり、金もないのに要らぬ品物を売り付けられようとする。その度に足を止めるなと引っ張った。

人混みに入れば迷子になり掛け、キョロキョロと不安な顔を浮かべて俺の姿を探し回る。

組織から渡されたこいつの資料には、学園内においては相当腕の立つパイロットのような記載があったのだが、果たして本当なのだろうか?

きちんと俺を目で追えと叱ってから、呆れながらその腕や手を引っ張り歩いた。


野宿の合間に手書きでエレベーター内のフロアマップなどを書いてやり、要らぬ検問に掛からぬよう獣道を伝ってエレベーターの袂まで送り届け、一度は身ぐるみを剥がしてしまったので、手持ちがないであろう御曹司に片道分の運賃を握らせる。

おかげでこっちの懐はカラに近い状態になった。ナジとの合流まで自分の身が保てるだろうか?


 今思い返しても、全く世話が焼けるヤツだった。こいつの拘束当初には、物珍しさも手伝って、倉庫跡を覗きに来ては男子学生のような挙動をする若い衆に手を焼いた。

『あいつ、スペーシアンの御曹司だってよ。見てみろよ、ちょっと顔可愛いよな?』

隙を見てはちょっかいを出そうとする若者達の手を退け、その身を案じた俺は拘束場所を便所へと移し、子供達と交代制で見張りをしつつ、世話を見てきた。

父さん…と呟くだけのBotと化したこいつに何故か胸が痛み、無理を押して宇宙から連れ帰ったのは俺だ。それが理由でここまで来てしまったのだが、取引に使うどころじゃない。結果的には手痛い出費となり、余計な拾いものをしただけだった。


 無事に宇宙に解き放った筈のグエル・ジェタークは、その後数ヶ月の間、全く姿を現さなかった。

ある日突然表に出てきたかと思えば、グループ総裁の娘と手を結んだとのニュースも一緒だった。その後すぐにタッグを組んだ相手の娘は、地上で揉め事を引き起こした。

腹を立てたナジは拘束時のくすぐり動画をネットに流すと憤り、過激な報復行動に出ようとする。それをまあ待て、落ち着けと宥めているうちに、総裁となったかの娘はグループ解体宣言を行った。

ウチの若い衆達が拘束当初、俺の目を盗んで撮ったジェターク社CEOのくすぐり動画は、結局使われる事なくメディアごと圧し折られることになった。

元々あの掃討作戦により壊滅状態に追い遣られていた『フォルドの夜明け』もそれとともに目的を失い、いや、達成したので解散となり現在に至る。



それで__。

グエル・ジェタークがゴネる元となった可愛い弟が、目の前のこの男なのだが…。

正直ちっとも可愛くない。あいつも話の通じぬ頑固なところがあったが、こいつもこいつで何かおかしい。

握手を交わした時点では、仕事が出来る系の男なのかとの印象を持ったのだが、そのメッキは話す度にバラバラと剥がれ落ち、今やニンゲンであるかどうかすら怪しくなってきた。

血走った目をギラギラさせて俺を睨みつけるさまは、人間のそれより猛獣に近い何かを感じる。


嗚呼、いったい何十分、いや何時間か? この押し問答が続いている?

この尋問のようなやり取りは、今日中に終わるのだろうか?






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