22.無邪気な狂気 【 逆襲注意】
ここで一つ注意です! 描写は暗転で省いてますが、弟君は自分の悪戯(本人は至って真剣に取り組んでいるつもりですが、計画的犯罪です)で、頭が暈けたボブ君の『逆襲』に遭います。リバと言うんでしょうか?自業自得です。弟君の愚痴?が少し入りますので苦手な方はご注意下さい!
腹の奥が熱い。それに何だか全身だるくて熱っぽい。風邪ひいたのかなと思うくらい。さらに加えて__。指先。足先、耳や唇。体の五感を司る器官、そして末端の感覚が、やけに敏感になってるような。自然と意識が向いてしまうのだ。片手で耳のきわを触って、唇に指先を当ててみる。なんか変にドキドキする。
今日は僕がやるからゆっくりしててと言い残し、キッチンに消えたラウダさん。その後姿を見送りながら、なんだか気分がソワソワと落ち着かない。指の先を見凝めながら爪先同士を擦り合わせる。何だか妙にくすぐったい。足の指をモゾモゾ動かす。何だろう、気分どころか体の末端までもが、やたらと動きたがる。心の方も体の方も、揃いも揃って落ち着きを失くしている。
少しすると、後片付けを手早くすませたラウダさんがダイニングに戻ってきた。
対面の椅子を静かに引いて座ると、片手で頬杖を突きながら、数度瞬きした後でこちらを眺める。いつもの温かな微笑みがない。だからと言って、外向きの棘のある怜悧な表情、と言うわけでもない。無表情に近い顔で、こちらの様子をじっと眺めてる。
なんだろう、この違和感は__。観察されている、という表現が一番近いのだろうか。彼の様子が気になりつつも、弄んだ指先同士の動きは、無意識に続けていたようだ。
「どうしたの__? それに。一体なんだい、これは」
指先を取られ握られて、はじめて指遊びを続けていたことに気が付いた。水仕事を済ませてきたからか、少し冷たい手のひらの温度に驚いて、あッ…、と声が上がる。変に上ずった感じになって恥ずかしくなり、慌てて指を引っ込める。
「いえ、ラウダさんこそどうしたんです? そんな風にじっと見て。俺、ご飯粒でも付いてます?」
「ついてないよ、安心して。それに、僕はいつでも君を見てるじゃないか。抱きつくのも好きだけどさ、眺めるのも好きなんだもの」
その言葉に何故かドキリと心臓が跳ねた。顔が熱い。
「……そんな明け透けに……恥ずかしくないんですか?」
「え、別に__。君こそ、なんか顔赤くない?」
「あなたが変な事言うからでしょう? 別に、俺は何とも__」
いや、そうだった、何ともある__。
そう言われて、外から見ても分かるくらいに変なのかな、と考えてみる。額に手をやってみる。熱い。やっぱりこれ、熱とかあるんじゃないか? それに、こめかみも全身も、何だかじっとりじんわり汗ばんでる。
「いや、なんか身体が熱っぽくて。風邪でも引いたのかなって__」
「そうか、他に変わったことは? 頭痛がするとか、気持ち悪いとか、耳鳴りがするとか、お腹痛いとか」
「いえ、調子が悪いわけではないんですけど…でもなんかちょっと変なんです、皮膚感覚が…過敏と言うか、なんか特に末端の…彼方此方が妙に敏感になってるような、ソワソワするって言うか__」
「そうなんだ__、でも多分違うよ、風邪ではないね」
「そうですよね。俺、身体の丈夫さだけは取り柄なんで。滅多に風邪とか引かないですし」
対面に座るラウダさんは顔色一つ変えず平然と言う。
『うん。ちょっと、新しいお薬、入れてみただけ』
その言葉に眉の端がピクリと跳ねる。そして、思いっきり蒼褪める。
え__? えっ!?!? いや、何ッ!?
今のは何かの聞き間違いか!? そうだよな!?
お薬って何__? いったい何の話!?
俺、何一つ聞いてないよ!?
ガタリと勢い良く立ち上がると、後ろで椅子が転がった。
口を押えて走り出す。目を白黒させながら慌ててトイレへと駆け込んだ。
おいおい、おいおい!!! なんの悪い冗談だッ!?
いったい何なんだよ、あの人はッ__。
臆面もなく涼しい顔して、さらりと言う言葉じゃないだろうが、それ!!
渡された連絡用の情報端末を胸ポケットから震える指で取り出すと、大慌てで検索する。
『緊急 異物誤飲 吐き方 コツ』
頭の中は半分くらいは真っ白だ。
今でも時々彼の考えてる事が、分からなくなる時がある。
検索結果の図解に沿って、中指を喉の奥限界まで突っ込む。嘔吐反射で背中が一気に痙攣した。何とも表しがたい汚らわしい音とともに、さっき口にした夕食が吐瀉物として吐き出される。ヒイヒイ、ゼエゼエ息が上がるが、涙で目が真っ赤になるだけで、感覚器官の過敏さは一向に鎮まらない。
それどころか、嘔吐の動作のたびに頭に血が上って__。
頭を下げる姿勢のせいか、それとも薬のせいなのか、血の巡りが良くなって余計に状況が悪化しているような気がする。顔が真っ赤になるのが分かるし、心拍数も上がってる。思考がぼやけて頭がハッキリ回らないその反面、皮膚の感覚は恐ろしいほど研ぎ澄まされて。指先で少し触れるだけで、ヒクつくほどに鋭敏になってきているのが分かる。
暫くトイレに籠って吐き戻しを繰り返す。顎の下までよだれが滴る。これで胃の中は空っぽになった筈__。そのはずなのだが、収まらない。何をどうしても収まらない。
口の端から零れっ放しの、トマト味やら野菜の味やら、他にも色々ごった交ぜの酸っぱい味のする涎を拳でゴシゴシ拭きながら、今度はふらつく足で、薄暗がりになっている洗面所へと向かった。
近くにあった軽いコップを掴み取ると全力で口を濯いだ。この柄はラウダさんの奴だが、今はそれどころではない、構うもんか。それよりもだ。コップが口に少し触れるだけで『あ……っ、う』とか『はぅ、』とか変な息が漏れて、非常に腹が立つ。
ラウダさんっ!! あいつッ!!
なんなんだ、何のつもりだ、こんな事して!!
俺をどうしたいんだ、どうさせたいんだっ、全くもうッ!!
鏡の中では顔色を紅潮させて潤んだ眼の俺が、必死な顔で己を抑え込もうと睨んでいる。
その背後から、音もなく入ってくる人影が映り込む。
「ねぇ…ボブ、あのさ…、大丈夫かい?」
……返事をする余裕も無い。
「いつまでも出てこないから、心配になって__」
いやいや、お前がこんなにしたんだろうがっ!?
心配そうに、眉毛をハの字に下げて上目遣いに見上げる彼の瞳が、いつも以上に綺麗に澄んで見えるのは、いったい何故なのか。
「ごめんね…、いきなり強引過ぎたかも。怖い思いさせちゃったかな…。どっか痛い? 具合悪いトコとかない?」
ラウダさんは俺を労るように、震えるこちらの手を取って、片手で頬を優しく摩ってくれる。それが堪らなく刺激となって__。
止めろ、よせ__ !! 今は触るな、寄るな!! おかしくなるってっ!!
軽いスキンシップがヒリヒリする。気が狂わんばかりにゾクゾクする。
「……ラウダ…さん…」
「__え、何…?」
「…責任、取って下さいよ……?」
彼は可愛い顔で、大きくひとつ頷いた。
暗転__。
……一つだけ言っておく。迫るボブの圧は凄かった。あいつ、僕のことを変態呼ばわりしやがったが、自分だって箍が外れりゃ常軌を逸した色魔じゃないか…。宥め賺して抱いてやっても欲が尽きない、いくらやっても満足しない。
顔を真っ赤に紅潮させた後、吹っ切れたように急に真顔になって、『いいですか?』と迫られれば__そんなの、頷くしかないだろう__?
兄さんとおんなじ顔して、青い瞳で見凝められれば、ガチな表情で迫られれば、それだけでこっちは身も心も狼狽えるだろうが。明らかなハンデを背負いながら、あのガタイの良さで押されまくって圧されまくって、そりゃあ勝てっこないだろうが…。底なし沼の体力バカとか、そんなとこまで似てんのかよ…。
端から端までベロベロ舐め回されて…なんか全身ボブ臭いし…。はぁはぁしながら、息を荒げて迫ってくるボブが、一瞬大型犬に見えたりもした。おまけに朝まで一度も離してくれない。ほら、唇だって腫れあがってヒリヒリしてるし__。異様に力強いし、抱き寄せられるとか、抱き締められるとか言う、甘くてやわな世界じゃない、あれは僕の趣味のプロレスやレスリング、相撲とか言う地球の伝統芸能に近い何かだ。全身砕けるかと思った……。
普段の穏やかな彼からは想像出来ない、情熱的な顔を見て__。
少しばかりドキリとさせられたのは、悔しいから黙っておこう。
今まで知らなかったボブの側面。そんなところも全てをひっくるめて。
彼のことが大好きだ。
俺は初めてラウダさんを叱った。
本人への断りも無しに、勝手に怪しげな薬を盛るもんじゃない。
そんなの人として、当たり前の常識的な事だろう!?
俺は大事な人に乱暴したり、前後の見境なしに襲ったり、そんな事はしたくない。
そう言って、今度ばかりは少し声を荒げた。
しかし、ラウダさんは口を尖らせて反論する。
だからちゃんと白状したし、隠し立てもしなかっただろ? 君には誠意を尽くしているつもりだ!!
__あれが、誠意? 嘘でしょう!? 不意打ちとか闇討ちとか、毒盛りとか、戦国時代でもギリアウトですよ、誠意とは真逆の奴ですよね!?
あれは不意打ちなんてもんじゃない!!
それに毒じゃなくて薬だ。薬と名前がついている以上は、誰が何と言おうと(たとえ媚薬であろうと)薬なんだ!!!
はぁ!?
その態度、何なんですか!? あんた本当に反省してるんですかっ!?
こっちはあなたのせいで、酷い目に遭ったうえに、今激しい自己嫌悪の真っ最中なんですよ!? この落とし前、どうやってつけてくれるんですかっ!!!
だから、いきなりで悪かったって、謝ったじゃないか!!
落とし前は__、そうだな…次の休暇に君が好きだと言ってた手作りコロッケ、山ほど作ってやるからそれでチャラだ。おまけにリンゴも3つウサギ剥きにしてやる。
食べ物で釣ろうとしないでください、犬や猫のチュー〇じゃあるまいし。
卑怯ですよ、そんなの!!
卑怯とか言うな!! お前、自分の立場分かってるのかよ!?
そんな事言えた義理じゃないだろ!?
はいはい、どうせ俺は居候です!! でもそんな風に言うなら、さっさと開放して下さいよ!!
俺だってここに居たいが為だけに、こうやって何時までも引き籠もっているわけじゃない!!
えっ……? そうなの__?
僕と一緒に暮らすの、ひょっとして嫌なの…!?
そうは言ってないじゃないですか!!
じゃあ、やっぱり嬉しいんだね、僕もだよ。君と暮らすのは楽しいし、幸せだ(満面の笑み)。
俺は口を開けたまま暫く唖然とする。呆れて口が塞がらない。
『……やっぱり、今すぐ解放して下さい…』
そんなの嫌に決まってるだろ!!!
僕は君と暮らすこの生活が楽しいんだ、大好きなんだ、言われて易々手放すわけがないだろうがっ!!
それに……。そう。細かい事は伏せるけれど、君を守りたくてこうしてる。君の支えになりたくて、助けになりたくてこうしてる。これからも君とずっと一緒にいたい__だから……。
うん、、、ちょっとは悪かったかも知れないけれど…反省もちゃんとしてるから…。
だから__。それだけは、この気持ちだけは、どうか信じて欲しい。
そんな風に言われると、それ以上は何も言えなかった。冷静沈着で頭の回転の良い彼の事だ(最近はそうとも思えなくなってきたけど)、何か考えがあっての事のようにも思えて、俺はそれ以上言葉で責めるのをやめる事にした。
じゃあ、もうこれで終わりにしますけど__。これからは気を付けて下さいね。
……やだ……。
えっ__!?!?
これからも薬入れるし、混ぜるし、僕はそれを止めないよ?
ハ__???
この話の流れで、何故そんな結論が出るんです、おかしいでしょう!?
君が不意打ちとか闇討ちだとか抜かすから、先に言っておくだけだ。これで間違いなく正直で誠実な対応だろうが。
んん__? そうなの__?
果たして本当にそうなんだろうか???
気分が安らぐためのもので、心配ないとは言うが__。
信用出来ない、一切信用出来ない。
安らぎどころか、なんかすっごく身体が熱かったし、火照ってたし、頭も殆ど回らなかった。ちょっと触れられるだけで、ひっ、とか、へっ、とか、はぅっ、とか声が上がる安定剤なんて、それ自体安定性の欠片もないし、信用も安全性もへったくれも無いと思う。まずもって、それ、本当に精神の安定する系のお薬なの?
彼の言葉や話そのものが疑わしいんだが……。
それにそうじゃなきゃ、俺が自分の気持ちを我慢出来ずに、ラウダさんに対して手を出した事になってしまう__。
そんな、はしたない、ふしだらな自分だとは思いたくない。
ますます自分に幻滅してしまうじゃないか……。
理屈的にはこっち側に間違いなく優勢旗が立つ筈だと思う。それなのに、聞き分けの無い頑固なラウダさんに、何だかこっちの心の方が深いダメージを負った気がした。
23.痛み分け【閲覧注意 えってぃ注意!】 – Telegraph へ進む
21.黒い小瓶【閲覧注意 えってぃ注意!】 – Telegraph へ戻る
【目次へ】