赤い男と鶏-1
60氏より頭の中が真っ白になった。
夕日の中に沈むようにしてそこに在る血腥い光景、匂い、色彩。
意識が遠のきそうになりながら、冴は震える指で飼育小屋の鍵を開けた。
目の前のモノから目を逸らすことができない。小学校の皆で“命の大切さを学ぶため”というお題目により世話していた何羽もの鶏たちが、全員、ズタズタに引き裂かれている。
切り口は鋭利で、きっと大振りの包丁かナイフだ。あちらこちらに散らばる羽毛。肉片。辛い苦しいと鶏たちの魂の叫びが幻聴として鼓膜を貫く。
金網には白い布が括り付けられ、鶏の血液と思しき黒ずんだ赤で「畜生の分際でボクの小さな女神に慈しまれた天罰を」と書き殴られている。
無意識下で軽いパニック状態に陥っていたせいで、冴は自分の真後ろにぬっと人影が現れたことに気付けない。そして。
「それ、ボクがやったんだよ」
突如、肩の上に成人男性の手が乗せられた。
冴の心臓が大きく跳ね上がる。驚きのあまり叫びそうになり、生来の負けず嫌いでそれを辛うじて堪えた。
それから掛けられた言葉の内容が飲み込めた途端、自分が何十もの命を屠った犯罪者と狭い飼育小屋に2人きりでいる事実が幼い体にのしかかる。
恐る恐る振り返って、使おうとしていた罵倒の言葉も全て忘れ冴はその場に立ち尽くした。
赤い男が、そこに立っていた。
獲物を啄むコンドルも死肉を貪る野犬も、この男ほど血に汚れてはおるまい。
髪の毛も皮膚も爪も歯も舌も、およそ眼球以外の全てがまばらに重油に似た色合いで染め上げられていた。
くちゃくちゃと音を立てて噛み潰されているのが何の肉かなんて想像したくもない。それは想像せずともわかってしまうことを意味していた。
ぬらりと、薄いピンクの粘つく糸を引いて唇が大きく開かれる。ころん。噛み砕かれすり潰された成れの果てに混じって、形を保った眼球が一つだけ舌先まで転がってきた。男の口内のそれと冴の視線がかち合う。
想像せずともわかってしまう、なんて馬鹿らしい。想像よりも酷かった。男は偏執的な狂気で以って何十という鶏の目玉を抉り集め、それを歯でペースト状になるまで咀嚼し続けていた。唇の間から、白と黒と赤の撹拌が見える。