百合園セイアの未来との決別

百合園セイアの未来との決別


目次


百合園セイアという少女は、予知夢の能力を持っている。

そのことを知るものは多い。

殊更に公言するものではないが、セイア自身はそれをひた隠しにしているわけではない。

セイアにとっては既に見た過去であっても、本来それはまだ起きることのない未来だ。

隠そうとしたところで、予知夢による情報量の差は覆しがたく、知らぬままを貫けるほどにセイアは嘘が上手い訳ではない。

結果、未来を知る、ということに対しての周囲の反応はおおよそ二つに大別される。

未来を知るなど気持ちが悪い、と遠ざけるか、未来を知るならおこぼれにあやかろう、とすり寄ってくるかだ。

前者は遠巻きにするだけなので気楽なものだが、後者はセイアを崇拝して担ぎ上げようとしてくるのだから厄介だ。

甘い汁をすする、という面はあれど、彼女たちの自意識はセイアを上位の存在を見ており、善意で行動するが故に強く否定しにくい。

やがてセイアはサンクトゥス派閥のリーダーとなり、ティーパーティーのホストを任されることになる。

ここでセイアが無能であれば、お飾りとして適度に持ち上げられて終わりだった。

だがセイアは体の弱さを補って余りあるほどに才覚を示し、神輿であったはずの地位を盤石なものとした。

セイアの動向を鼻で笑っていたものがどのような顔をしたのかなど、想像するまでもない。

 

そんなセイアと対等な関係になれるものなど、それこそ同じティーパーティーくらいしかいない。

ナギサはセイアの背景を知った上で飲み込む度量があったし、ミカは察しが悪いがそれゆえに裏表がなく付き合える関係といえた。

だがいくら仲が良い関係だったとしてもそれぞれが派閥のリーダーである以上、一定の線引きは必要となるもので、気の置けない関係にはなりきらなかった。

その隙間を埋めるために派閥の外に目をやり、目を付けたのが入学したばかりの浦和ハナコだった。

どこの派閥にも属さず、さりとて埋もれるほどに凡庸でもない。

頭の回転も速く、人より耳年増であったセイアの話についてこれる才能(意味深)もあった。

彼女と出会ったことが、セイアの罪の一つなのだろう。

 

白洲アズサの襲撃を受けて長く意識を失っていたセイアだが、エデン条約の一連の顛末を通してようやく目を覚ますこととなる。

それはアズサの諦めない姿勢を見たからであり、ヒフミの宣言を聞いたからであり、シャーレの先生による新しいエデン条約による逆転を見たからでもある。

未来というものは大きなうねりであり、個人の足搔きなど飲み込んで元の流れに収束していくものだとセイアは思っていた。

それ故にこれ以上の予知夢を見るのを恐れてセイアは夢の中に引きこもっていたのだが、各々の頑張りによって変えられるものがあるのだと、エンドロールまで見て初めて逆転することもあるのだと気づけなかった。

だから目を覚ましたのだが、未だベアトリーチェという元凶の舞台装置を排除しきれていない状況であったため、セイアは再び望まぬ夢と現実の狭間へと迷い込むこととなる。

 

 

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「……ん? こ、ここは……?」

 

延々と白い空間を漂うだけだったセイアだったが、目を開けた先ではどこかの家の中が目に飛び込んできた。

 

「蜃気楼? いや、百鬼夜行自治区か?」

 

家屋の建築様式は、百鬼夜行のものだ。

夢の中だったはずなのに、床を踏みしめる足の感覚すらもある。

 

「おや? お客様かの?」

 

呆然と周囲を見回すセイアに、声が掛かる。

 

「この白昼夢の中に迷い込むとは、珍しいものよな」

 

「君は……誰だ?」

 

「妾はクズノハと呼んでくりゃれ。其方は?」

 

「……セイアだ」

 

「ほう、この場で名乗るだけの力はあると見える。結構結構」

 

言葉を交わしたセイアを、クズノハはキセルをふかしながら面白げな眼で見つめた。

 

「なにやら悩みがあるようじゃの。こうして巡り合えたのも何かの縁。話してみてはどうじゃ?」

 

「それは……だが悠長に話している余裕は無い。早く戻らなければ」

 

「おかしなことを言うのう。夢の中で時間を気にするなど」

 

「……そうだった。あまりにも現実味があるから、ここが夢であると認識できなくなっていた」

 

「決まりじゃな。では主人として客人を持て成さぬわけにもいくまい。茶を用意しようではないか」

 

『では菓子は私が用意しよう』

 

「?」

 

「ほう?」

 

セイアとクズノハの会話に割り込む声があった。

展開についていけないセイアと異なり、クズノハはそれを察したようだった。

セイアの隣の空間が滲みだすように歪み、そこから一人の少女が出てくる。

 

『あ、あー、少しばかり声が聞こえにくいな。初めてだとこんなものか』

 

「わ、私?」

 

現れたのはセイアだった。

もう一人のセイアは混乱するセイアをよそに、クズノハへ頭を下げた。

 

『不躾な訪問ですまない。貴女には一言礼を言いたかったのだが会えなくてね。こうして確実に会えるだろうタイミングに便乗させてもらった』

 

「なるほど、中々に器用なことをする。其方とは初対面だが、言いたいことは分かった」

 

「なんなんだ君は!? ドッペルゲンガーか? なぜ私と同じ顔をしている?」

 

納得したクズノハとは対照的に声を上げるセイアを、もう一人のセイアは一瞥して答えた。

 

『私は百合園セイア、君だよ。別の世界の、少し先の、という頭書きがつくがね』

 

「別? 少し先?」

 

『未来が見えるのだから、別の世界があっても良いだろう? 未来を変えるということは、別の世界を選択するということに他ならないのだから』

 

「そう、なのか? いやでも、私には君みたいな力は無いんだが」

 

『少しばかりズルをしていてね、深く気にすることはない』

 

「気になるんだが……」

 

いくらズルをしようと、別の世界に自ら干渉する自分など想像もできなかった。

 

『いつまでも自分に君とか言われるのは分かりにくいな。私のことはバーボンセイアと呼んでくれ』

 

「……いや、バーボンセイアって、なんだそのネーミング」

 

『バーボンハウス、好きだろう?』

 

皮肉げに口端を吊り上げるバーボンセイアに、セイアはそれ以上の言葉を失った。

しかし彼女の一言で、セイアは顔を引き攣らせるしかない。

目の前の少女は、ネットサーフィンをしていて、バーボンハウスに釣られたセイアの過去を知っているのだ。

同じ人間だから当然ともいえる。

 

『つまらないものだが、こちらを用意させてもらった。ナグサに採点してもらったから、味は保証できると思う』

 

バーボンセイアがどこからともなく取り出したのは羊羹だった。

小さくカットされて皿に載っており、ご丁寧に楊枝まで付いている。

クズノハに差し出されたそれは、少し離れているセイアにすら甘い香りを感じさせる。

 

「では折角のもらい物であるし、いただくとするかの」

 

楊枝で突き刺した羊羹を、クズノハは警戒することもなく口に入れた。

 

「うむ、中々に美味であるな」

 

『そう言ってもらえると嬉しいね』

 

和やかに会話をするクズノハとバーボンセイア。

漂う甘い香りに釣られ、セイアが思わずそろりと手を伸ばす。

 

「こりゃ」

 

「いたっ! え、痛い?」

 

だがその手をクズノハのキセルが軽く打ち据えた。

強くはないものの、夢の中なのに痛みを感じてセイアは目を丸くする。

 

「其方は止めておけ。黄泉戸喫になるぞ」

 

「え……え!? これそんな危ないものなのかい?」

 

『失礼だな、まだ私は生きているよ』

 

「そのような有様で生きているとは片腹痛いわ。魂の尾が切れていなくて、まだ死んでいないだけであろ? 其方の肉体はどこにある?」

 

クズノハの指摘に、バーボンセイアは笑みを深めるだけだった。

答えない彼女を鼻で笑い、クズノハはセイアに視線を向ける。

 

「さて、妾だけ楽しんで申し訳ないが、脱線しすぎるのも良くない。話を聞かせてもらうか」

 

「あ、ああ。私は――」

 

そうしてセイアは居心地の悪さを感じながらも、クズノハに事のあらましを伝えた。

生来持つ予知夢、ゲマトリアの暗躍、ベアトリーチェが語る色彩との接触による肉体のダメージと予知夢の暴走。

それによって流れ着いた先がここなのだと、セイアは語った。

 

「ふうむ……なるほどのう」

 

『私と同じだね』

 

「ではその予知夢を切り離してしまえば、其方は助かるであろうな」

 

「! できるのか?」

 

「できるな。だがそれをするということは其方の半身を切り離すようなもの。今まで自らが頼りにしてきた力を失うことになるが?」

 

「構わない。やってくれ」

 

「ほう、即決か。気に入った」

 

満足げに頷いたクズノハは、キセルを置いてセイアに近づく。

 

「本来であれば対価を頂くところじゃが……」

 

『それは私が払おう。羊羹以外にも用意はある』

 

「というわけでな、面白い話と美味い菓子で相殺しておいてやる」

 

「あ、ああ。ありがとう」

 

あの怪しい羊羹も自分の払う対価に入れられていることに、何とも言えぬ違和感があった。

 

「その、ば、バーボンセイア……これは私の話だ。君にだけ払わせるのは違うと思うんだが?」

 

『君も私なのだから気にすることはない。少しばかり先の私からの餞別と思っておけばいい……ああ、やっぱり恥ずかしいからその呼び方止めてくれる?』

 

「君が呼べといったんじゃないか! 私も自分をそう呼ぶの嫌なんだぞ!?」

 

『はっはっは、ジョークだよ、フォックスジョーク。これからの君の苦難を考えると軽口の一つも叩かなければやってられないのでね』

 

「えっ……未来にいったい何が起きるというんだい?」

 

『それは言えない、カンニングはダメだ。予知夢を手放すというのはそういうことなのだから』

 

不穏な言葉を返すバーボンセイアに、セイアは不安を覚えた。

だが予知夢を失うことは既に決定事項だ。

未来への不安に怯えながら、それでも前を向かなければならない。

 

「さて、能力を失うときに、其方は最後の未来を垣間見ることになるじゃろう。それがどういったものかは、妾にも分からん。せいぜい幸せな予知夢であることを願うのじゃな」

 

『残念だが、私がここにいる以上、何もないことはあり得ない。覚悟しておくことだ』

 

そうだ、バーボンセイアが語らずとも、彼女がこのようにセイアの持たない力を駆使して現れたりできるようなことが起きる。

彼女が自分の延長線上の未来にいる彼女なのか、それとも別になるのかは、セイア自身の選択に掛かっているのだろう。

 

「ではな、其方の話は面白かった。次は現実で見えようではないか」

 

クズノハの指が、セイアの額に触れる。

直後、止まっていた予知夢が、濁流のように情報の雨をセイアに叩き付けていく。

喪服を着た涙を流す少女。

穴だらけのシッテムの箱。

崩壊するサンクトゥムタワー。

闇に落ちていく意識の中で、セイアはよく知る自身の声を聴いた。

 

『……最後に一つ、忠告だ。ハナコを泣かせるなよ』

 

 

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「なるほど、あの私も随分と苦労するようだ」

 

予知夢によって意識を失い姿を消したこの世界のセイアを見て、もうひとりのセイアは呟いた。

同じ存在であるからか、彼女にも予知夢の一端は垣間見ることができたからだ。

自分とはまた別の、あり得ざる世界からの来訪者。

彼女の存在によってキヴォトスは荒れるだろう。

だがその結果、あのセイアはキヴォトスに侵食する砂糖を見ていない。

砂糖の蔓延よりも、彼女の襲来の方が危険度が高いと予知夢は判断した。

それがどのような結果をもたらすか、神ならぬ身では分からないが、良い結果につながると良いとセイアは思うのだった。

 

「さて、其方はどうする? まだ妾と話をしてくれるのか?」

 

「できればお願いしたいね。特に、それだけ食べて何もないのは気になる」

 

クズノハはセイアの用意した羊羹を躊躇うこともなくパクパクと食べていた。

当然、その中には謹製の砂糖がふんだんに使用されている。

セイアからすれば良いものをおすそ分けする感覚で盛り込んだものだが、それにしては美味だけではない幸福感を覚えるには、彼女の反応は素面に過ぎた。

セイアの指摘に、クズノハはクスクスと笑う。

 

「頭のない体だけの砂蛇が作った砂糖であろ? その程度では妾には効果なぞない」

 

「ふむ? 純度が低い、ということか。『頭がない』とはどういうことだい?」

 

「純度とはまた別の話でな、この砂糖を作っている砂蛇は自らを制御、統括する部分がない。だからこれ以上の効果を発揮できない、ということよ。其方は五行論を知っておるか?」

 

「五行論? ぼんやりとは知っているが……それが関係しているのかい?」

 

「ある意味ではな」

 

首を傾げるセイアに対し、クズノハは掌を掲げると、ホログラムのように文字が空中に浮かび上がった。

木・火・土・金・水と書かれた文字が円形に並び、時計回りに矢印が示される。

 

「これが五行論。自然の現象を表した図じゃな。木は火によって燃えて灰として土を肥やし、土中からは金属が生まれ、金は冷えると水を生み、水は木を成長させる」

 

次に、一つ飛ばしたものを指す星形の矢印が円の中に生まれる。

 

「今のは相生。次は相剋じゃ。水は火を消すし、土は水を堰き止めるという流れ。子供でも分かることじゃな。あ、蒸発云々は言わんでもいいぞ。そんな揚げ足に意味はない」

 

「それは分かったが、これがどうつながる?」

 

クズノハの基礎的な授業は理解した。

だがこれが砂糖の純度とどう関係があるというのか、それは未だにセイアには分からなかった。

 

「これは自然の現象、つまりは今は忘れられた神々が定めた万物流転の事象よ。だが『名もなき神々』はこれに対抗する術を考えた。つまりは逆じゃな」

 

宙に浮かぶ矢印が逆に向く。

相生は木→水→金→土→火へ。

相剋は木→金→火→水→土へ。

 

「これがキヴォトスの各地に存在する『名もなき神々』の遺産が齎す、捻じれて歪んだ五行じゃ」

 

「これが……」

 

「砂は『土』に属するから、『火』に強く『水』に弱い。『火』はゲヘナのヒノム火山で、『水』はレッドウィンターの雪が相当するかの」

 

「……なるほど、治療薬云々でレッドウィンターの雪が出て来たのは、こういうことか」

 

「其方が望むように、より砂糖の純度を上げたいのであれば『火』を支配下に置けばよい」

 

セイアは得心がいった。

雪で冷やすことで砂糖の中毒が消える、という謎の現象が起きていたのは、この本来あり得ない歪な五行の流れを下地にしていたからか、と。

そしてゲヘナから流れる地下水やアビスを目的として開発をしていたホシノの考えも、純度を上げるためといえば理解できる。

だがそこでふと、『土』に隣り合っているもう一つに意識がいく。

 

「では、この『金』はなんなんだい?」

 

「そこが話の肝よ。『土』が『火』を支配下に置いて自らを強化されるなら、『金』が『土』を支配下に置くことでより自らを強化することも可能ではないか?」

 

「……つまり『金』こそが『土』に対して強く、砂漠の砂をどうにかできるだけのポテンシャルを持っている、ということかい?」

 

「その通り。じゃがこれを広めているものがそうしていない以上、そやつは『金』の要たる『名もなき神々の王女』を手中に収めることは叶わなかったのであろうなぁ」

 

しみじみと語るクズノハに、セイアはものすごいことを聞いたと目を丸くした。

つまりホシノは、解決する手段はあったにも関わらず、探しても手に入れることができず、やがて発狂したということだ。

 

「そもそも砂が砂糖に姿を変えるのは本来の働きではあるまい。おそらく砂を砂糖に変えるようにそやつが願ったのであろうな。砂蛇は都合のいい命令に従っただけよ。まあ砂糖に変化したのは分かりやすいとも言えるが」

 

「? 砂糖に変化することが分かりやすい、のだろうか?」

 

「汗をかいたら塩が欲しくなるように、体がそれを欲する五味というものがある。五味の中で、『土』に相当する味は『甘』じゃからな。属性的にも合うから変換効率は良かったであろうよ」

 

「……なるほど。砂糖に変わったのは、起きるべくして起きた、ということか」

 

全てがつながった気がする。

通常は会うことすらままならない超常の存在であるクズノハなら、何か知っているかとは思っていた。

だがまさかこんなところで、先んじて正解を知っているものがいるとは、セイア自身思ってもみなかった。

既に消えてしまったこの世界のセイアも、この話を聞いていればうまく動けたかもしれない。

 

「どうする? 今からでも追いかけて説明するかえ?」

 

「……いいや、私には無理だ」

 

「そうであろうな。その体では無理もあるまい」

 

ここに来るまでに、随分と無茶をした。

セイアが今存在できるのは、ここが夢と現実の狭間であるからで、この世界の現実にこれ以上干渉しようとすることはできない。

自分のいる世界のクズノハには会えず、世界を渡ってまでなぜそんな無茶をしたのか?

それはセイア自身に負い目があったからだ。

かつて自身が犯した罪、それを清算することもなく目をそらしたことが、今の自分につながっている。

この世界のセイアにはそれをしてほしくなくて、こうして無理をしたのだから。

 

「少しお節介はしたが、この世界の問題はこの世界のものが解決すべきだろう」

 

「道理じゃな。さて、其方とはもう会うことはなかろう。達者で暮らすが良い」

 

「そうだね……願わくば、この世界の私が、道を間違うことがないことを祈るよ」

 

百合園セイア、これから彼女が歩む苦難の道行きの先に自分がいないことを、別世界のセイアは願って止まない。

 



 

 

 

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