決心、あるいは契機
原作22巻189話〜あたり「おっはよう黒崎くん!」
「おはようさん一護クン!」
「あ! 撫子ちゃんおはよう!」
「うん! 織姫ちゃんもおっはようさん!」
「……」
いつも通りだ。
あまりにも、いつも通りすぎる。
いつも通り平子撫子は登校してきて、井上織姫と仲良く挨拶する。
あんまり撫子が平然としているものだから、昨晩の出来事が夢だったのではないかと錯覚するほど。
——「アタシは『仮面の軍勢』。一護の同類や」
——「んー……そら、あれや。一護が母ちゃんのお腹ン中に居てる時より前から、やな」
一護はクラスメイトと談笑する撫子を見る。金髪で、関西弁で、大家族で、死神の力を持っていて、共に朽木ルキアを助けるために協力してくれた仲間で、死神でありながら虚の領域に踏み込んだ仮面の軍勢。
——「アタシらんとこにおいで、一護。あんたはそっち側に居るべき人間やない」
考えても埒があかない。一護は行動に出ることにする。
「んでなァ、雑誌に——ん?」
クラスメイトと会話を続ける撫子の手首を掴む。会話中で悪いが仕方ない。直接問いただすと一護は決めたのだ。
「ちょっと来い撫子」
「んん〜〜〜⁉︎」
お〜た〜す〜け〜、などと言いながら一護に引き摺られて行く撫子。
その姿を井上織姫と茶渡泰虎、そして石田雨竜が見ていた。
「なあ、昨日のはなんだったんだよ?」
人気のない校舎の連絡通路。そこまで撫子を引っ張って来た一護は問う。
「昨日? そら昨日言った通りやで?」
対する撫子の返答は至極あっさりとしたものだった。
「……言うとくけど。まさか昨日の今日でもうアタシが諦めた思てんちゃうやろな。しつこいでアタシらは。一護から承諾の返事貰うまで、いつまででも勧誘したる」
撫子は腕を組み、一護を見遣る。
「……もう、遅いねん。仮面の軍勢は一遍発症したら二度と元には戻れへん。……昨日、アタシに抜けた方がいい言うてたけど、そない問題やないんや。あんたがどう思おうが、あんたはもうこっち側やねん。一護」
一護は目の前のクラスメイトを見る。いつものふざけたようなニヤニヤ笑いでも、面白がるようなニィっとした笑いも浮かべていない。
「……織姫ちゃんも、チャドくんも、石田も、ルキアちゃんも、阿散井くんも、他のいろんな死神たちも、みんな仲間やと思てるやろ? 違うで。仲間でおれんのは今だけや。今のまま死神でおり続けたらあんたはいずれ必ず内なる虚に呑まれて正気を失う。そうなったら終いや」
目の前の少女の表情は、思っていたよりも固い。諭すような空気に一護は気圧される。
「あんたの力は全てを壊すで——仲間も未来もあんた自身も、ぜんぶ巻き込んでコナゴナに——」
一瞬、撫子の目に何か別の色が見えた気がした。それは怒りにも、悲しみにも似た、諦観の色に近い。
「……ホンマは、もう気ィ付いてんのと違う? あんた自身の内なる虚が、もう手ェつけられんぐらいでかなっとるいうことに。アタシとおいで一護。正気の保ち方教えたるわ。……あんたは、友だちも家族も傷つけたないやろ」
撫子の言葉は、一護に重く突き刺さる。友だちも家族も傷つけたくない。その通りだった。
「ま、考えとき。いつでも歓迎するで」
**
「はー……どないしよなァ。てか休み明けテストかいな。範囲読み返しとかんとなァ……」
放課後、下校中。道を歩く撫子に、急速に迫る何者かがいた。その人物は撫子のすぐ後ろまで近づき。
「のわァッ⁉︎」
思い切り背中を叩いた。
「誰やねんこの……」
不意打ちで背中を叩かれつんのめり、あわや電柱にぶつかる寸前で体勢を立て直す。下手人は誰だと振り向けば、そこには見知った姿があった。
「ひ……ひよ里姉……!」
撫子の姉貴分、猿柿ひよ里。
ひよ里は撫子に近づくと、片手を撫子の眼前に構える。
「なにモタクサしてんねんがしんたれが‼︎」
「デコピンッ⁉︎」
「どこや黒崎一護は⁉︎」
「イヤ……まだ……」
「まだァ⁉︎ まだてどうゆうことやねん‼︎ さっさと言いくるめて連れて来い言うてるやろ‼︎」
「そんなん言うたかて一護言うこと聞かへんねもん‼︎ 友だちに無理強いしたないし‼︎」
「なら早よ力づくで連れてきい‼︎」
「ええ⁉︎ こないだまでと言うてることちゃうやん‼︎ そもそも今無理強いしたない言うたばっかりやん‼︎」
ぎゃいぎゃいと言い合っていると、その場に現れる者がいた。
「……見つけた、撫子ちゃん」
「……織姫ちゃん……チャドくん……!」
井上織姫と茶渡泰虎。撫子の友人の姿に、ひよ里は顔を顰めた。
「撫子」
「え?」
「ナニ尾けられてんねんハゲが‼︎」
「顔が痛い! 友だちやぞ尾けられるもなにもないで⁉︎」
二人のやりとりに、少しだけ言いづらそうに織姫が割って入る。
「あのね、……黒崎くんに訊いても、きっと黒崎くんは『なんでもない』って答えると思うから……直接訊きに来たの、撫子ちゃん」
織姫は心配と疑惑が綯い交ぜになった表情を浮かべている。無理もないだろう。友人が巻き込まれているのか、はたまた逆に周囲を巻き込もうとしているのか。真意が見えないのだから。
「何があったの? 撫子ちゃんって……ほんとは何者? 黒崎くんを……どうしたいの?」
「……それは……」
「……はっ、そないなもん訊かれてサラッと教える思てんのか?」
「ひよ里姉⁉︎」
静止の色が含まれる声に構わず、ひよ里は口を開く。
「猿柿ひよ里!」
「え?」
「え? やないわ名前や名前! うちの! あんたらも名乗り!」
「……井上織姫……」
「……茶渡泰虎だ」
「は! 姫に虎かい! 大層な名前やのォ! うちらなんか猿に平やぞ! うらやましィのォコラ!」
「ヒラて何やねん。アタシだけ生き物ちゃうやんけ。ムリクリ括らんでよ、それに撫子の方やったら花の名前やで」
チョップ。
「……しかもでっかいオッパイにサラッサラの髪しゃーがって! ホンマムカつくのーこの女!」
「普通にひがみやんけ……サラサラの髪羨ましいんはわかるけど」
頬のばし。
「……まあええわ。とにかくあんたらに教えることはナンも無い」
「いたた……」
撫子はチョップされた頭とのばされた頬をさする。じゃれあいの範疇だがこの姉は結構乱暴だ。現に背中の斬魄刀に手をのばして——のばして?
「あんたらはここで死——」
「ごめんなさいッしたァーーー‼︎」
瞬時にひよ里を担いで跳躍。内心で歩法を叩き込んでくれた四楓院夜一に感謝しつつ、全力で脱出する。
「あ! 待って撫子ちゃ……」
「ホンマごめん! いつか説明するからー!」
**
「——撫子コラ放せハゲ‼︎ あいつらシバいたいねん‼︎」
「あかんに決まっとるやろ‼︎ 織姫ちゃんもチャドくんもアタシの友だちやで! それに狙いは一護やろ! まだ他と騒ぎ起こさんでええってみんな言うとったやろ!」
「やかまし! 放せ‼︎」
「あいたーー⁉︎ お尻叩くことないやんひよ里姉のッ、アホ‼︎」
「痛った⁉︎ ハゲコラお前こそ尻叩くなや‼︎」
「お返しですゥー!」
いつもの調子で言い合っていると、不意にひよ里が黙り込む。
「ひよ里姉?」
「——……うちキライや人間」
「……うん」
浅野啓吾。小島水色。有沢竜貴。井上織姫。茶渡泰虎。石田雨竜。——彼らは人間だ。
「……死神も……キライや……」
「…………うん」
伊勢七緒。京楽春水。朽木白哉。阿散井恋次。朽木ルキア。——彼らは死神だ。
内に虚を宿す仮面の軍勢にとっては相容れない人々だ。
——それでも、ひよ里姉。そない、悪いモンばっかでもないんや。少なくともアタシは、織姫ちゃんやチャドくん、石田みたァな人間も、ルキアちゃんたちみたァな死神も居るって知っとる——
「……しゃーからもうちょい、待ってって言うてんねや、ひよ里姉」
いつの日か。この口の悪い姉貴分が人間や死神も悪くないと笑い飛ばせる日が来ればいいと、撫子は仮面の軍勢のアジトへと急いだ。