杏山カズサの選択 2
「いや、まだダメ……私はアビドスのことを何も知らない」
カズサはアビドスのことを、砂しか無い場所としか知らない。
それは正しいのだが、ホシノを殺すために今必要なのは、アビドスの正確な情報だ。
アビドスは砂漠が一面に広がる程の広大さで、ホシノのいる学校がどこにあるかなんて分からない。
否、たとえ学校の場所が分かったとして、そこをホシノが根城としている保証なんてない。
「調べないと」
正確な地図を、標的の喉笛に食らいつくための最短経路を。
カズサの持つマビノギオンだけではホシノを殺しきれないかもしれない。
武器を強化して弾薬を補充する必要もある。
「なら、ミレニアムに行かなきゃ」
幸い、ここはトリニティとミレニアムの堺に近い場所だ。
あまり時間を掛けずに目的地に着くだろう。
そうしてミレニアムに辿り着いたカズサが見たものは、トリニティで味わったものと同じものであった。
「モモイ、どうしちゃったんですか!? ミドリもユズも様子が変です!」
「やめなよアリス、砂糖の独占はキヴォトスでは恥ずかしいことなんだよ!」
「独り占めするなんて卑しい、卑しい~!」
「あはははははは!」
「うわーん! アリスはどうしたらいいんですか!?」
同じくらいの背丈の少女が4人、そのうちの1人を残りが取り囲んで甚振ろうとしている光景だった。
その様子はスイーツ部の顛末をカズサに思い出させ、心に突き刺さった棘の痛みを与える。
だからだろう。
八つ当たりだと分かっていても、見て見ぬふりができなかったのは。
「え……?」
ドン、と横合いからカズサが撃った。
カズサを意識していなかったからか、まともに防ぐこともできずに少女たちは沈黙する。
「邪魔して悪いけど、放置もできなかったし、止めさせてもらったよ」
「あ、ありがとうございます。アリスは……アリスはどうしたらいいのか分からなくて」
少女、アリスは仮にも友人を撃ったカズサに感謝した。
本来ならばありえないことだが、この状況に限っては暴走を止めてくれたことの方がありがたい。
放置していれば彼女たちは、スイーツ部と同様にアビドスへ行くことになっていただろう。
「それより、そこの子たちを運んだ方がいいよ」
「そうでした。アリスは皆を保健室に連れていきます」
「ちょっと、1人で3人も担いでいく気?」
「アリスは力持ちなので大丈夫です! 運搬クエストだって最近はイノシシの攻撃から卵を割らずに運べるようになりました」
「……1人背負うよ」
「良いのですか? ではお願いします!」
「別に……その代わり、エンジニア部ってどこ?」
「これで君の銃の強化は完了した」
「ありがとう」
「ただすまない、今は立て込んでいてね、本当ならBluetooth機能や電子決済機能も盛り込みたかったんだが……」
「それは要らない」
「…………合体変形機構は」
「要らないって言ってるでしょ」
「……仕方ないか。ならせめて代わりのスマホくらいは持っていきなよ。前のやつは粉々になったらしいし、それで何かあったら連絡すると良い」
ため息をついたウタハから改造されたマビノギオンと代替品のスマホを受け取り、動作に問題が無いかを調べる。
銃は火力、精度ともにアップしており、妙なギミックもないことも確認した。
これでいい、とその場を後にしようとしたとき、カズサの目の前に立体ホログラフが浮かび上がった。
『杏山カズサさん、少々お待ちいただけますか?』
「……あんた誰?」
『私はミレニアムが誇る天才清楚系病弱美少女ハッカーの明星ヒマリと申します』
「ふ~ん、そう」
長ったらしい肩書に興味のないカズサはヒマリの自己紹介を聞き流した。
「それで? 私に何の用?」
『貴女に一つ、お願いがありまして』
「断る。私も忙しい」
『アビドスへ行かれるのでしょう? あそこは広大です。遭難しないように地図が必要ではありませんか? キャスパリーグさん』
「……どうして」
『これでも〈全知〉の学位を得ている眉目秀麗な乙女ですので』
カズサのやろうとしていることなどお見通しであったらしい。
カズサ自身も敵意を隠しているわけでなし、今の状況で銃の強化を頼んでくる相手なら、見る目のある人間ならおおよそ想像はつくことだろう。
「それで? 私に何を望むの?」
『アリスちゃんとはもう会っていますね。彼女をシャーレの先生のところまで連れて行って欲しいのです。ようは護衛ですね』
「それくらい自分たちでできるんじゃないの?」
「悪いがそれは難しい」
疑問を呈したカズサに、傍にいたウタハが首を振った。
「ゲーム開発部がああなってしまった以上、今私たちは外に目を向ける余裕がない。どこまで砂糖の影響が広まっているかの調査でてんやわんやだ」
『そういうことです。ヴェリタスの部員も1人、アビドスへ行ってしまいました。その際にこちらのシステムにダメージを入れていかれたので、復旧に時間が掛かっています』
自由に動かせる手札が、今はアリスしかいないのだという。
そしてそのアリスを十全に使えるのはシャーレの先生なのだと、カズサは理解した。
「……連れて行くだけ、それ以上はしない」
『それで結構です』
「じゃあさっさと地図頂戴」
『それなら今モモトークを通じて貴女のスマホに入れました』
「は?」
カズサが懐から先程ウタハから渡されたスマホを取り出すと、動作チェックの時には見なかった地図アプリが新しく入っていた。
「いつのまに……」
『これでも天才清楚系病弱美少女ハッカーですので……』
「おい、私の作品に横から茶々を入れてほしくは無いんだが?」
『ウタハさん、今はそんなことを言っている余裕は無いでしょう? ……ですがその地図は少し前のアビドスです。アビドスは今多くの人員が流入しています。建築も盛んに行われているので、時間を掛ければ掛ける程、役に立たなくなっていくでしょう』
「いや……これで十分」
時間を掛けるつもりはない。
ホシノのいる学校までの最短距離が分かればそれでいいのだから。
「アリスの事は、こちらからも頼むよ。持てる火器は好きに持っていって良いからね」
「そう? じゃあ遠慮なく」
ウタハの厚意にカズサは頷き、動きが鈍くならない程度に手榴弾などの爆弾を追加で拾った。
「あ、さっきの……」
「……カズサ」
「カズサですね。アリスはアリスです!」
「知ってる。シャーレまででしょ、とっとと行くよ」
「はい!」
ぶっきらぼうに応対するカズサに気を悪くした様子もなく、アリスはその後を追った。
その瞳には光が溢れていた。
カズサという護衛が増えたとはいえ、1人で学園を追い出されたようには見えない。
あまつさえ鼻歌まで歌っているアリスに、何とも言えぬ居心地の悪さをカズサは感じた。
「……ねえ」
「? はい、アリスを呼びましたか?」
「あんた、なんでそんな前向きなの? ゲーム開発部だっけ? そのみんながあんなことになってるのに」
スイーツ部と敵対したカズサは、何も言うことができずに蹲るだけだった。
それに対してアリスは、即座にこうして行動に移せていることがカズサには疑問だった。
「アリスがミレニアムに残って、お手伝いをしていれば皆は助かるんでしょうか?」
「それは……」
質問に質問で返されたカズサは、その言葉に是と答えることは出来なかった。
どうしてこうなったのかは分かっても、どうすればいいのかなんて分からなかったからだ。
「モモイやミドリやユズのことは、ヒマリとリオが治療法を探してくれると言っていました。ならアリスは仲間を信じて、自分にできることをやります! アリスは砂糖が効かない体なので、先生に一緒に戦ってもらいます」
「そう……強いね、あんた」
「はい! アリスは勇者です。メイドのジョブもマスタリーしたのでメイド勇者です。これからはヒーラーのジョブも習得する予定です」
「なれるよ、きっと」
根拠はない。
それでもアリスのこの真っ直ぐさがあれば、あるいは何かを成し遂げられるのではないかと、カズサは思った。
未来への展望を語っていたアリスは、カズサの目を見て問いかけた。
「カズサも仲間になりませんか?」
「え?」
「カズサは強いです。勇者パーティの戦士に相応しいです。一緒に来てくれませんか?」
「それは……」
アリスの目は、カズサの強さを疑っていない様子だった。
ヒマリから情報を事前に聞いていて、仲間に引き込むように勧められたのかもしれない。
腹黒そうな女のやることだ。
「私は……」
[アリスに付いて行く]
[1人でアビドスに向かう]
今カズサの前に、2つの選択肢が現れる。
先程までのアリスのゲーム用語に感化されてしまったらしい。
1つは共闘と栄光の道。
勇者の仲間として戦い、暗黒に包まれたキヴォトスに光を取り戻す名誉ある道。
1つは孤独と蔑視の道。
仲間のいない誰からも白眼視される、人殺しの罪を自ら犯しに行く闇の道。
どちらを選ぶかなんて、分かりきっている。
それでも咄嗟に頷いてしまいそうな魅力的な提案だと、カズサは思ってしまった。
「せっかくだけど、遠慮しておく」
「ええ~っ!? 勧誘失敗です! アリスのレベルが足りないからですか!?」
「そうだね、うん。旅立ちすらまともに終えていない時点では、仲間にはなれない」
「そんなぁ……カズサはチュートリアルのお助けキャラだったのですね……」
「そういうこと。あんたは悪くない」
しおしおと萎びた野菜のように落ち込むアリス。
そんな彼女を見ても、カズサは意見を翻したりはしなかった。
(あんたは何も悪くない。悪いのは……)
アリスはシャーレの先生と共に、この事件に立ち向かうのだろう。
それは褒められるべき、称えられるべき勇者の所業だ。
(眩しい)
アリスの真っ直ぐな視線に込められた熱は、カズサには眩しすぎた。
そしてそのアリスと協力する先生も、皆を助けるために尽力するのだろう。
これから人を殺そうとしに行くカズサには似合わない。
自身の中で煮え滾る殺意を、カズサは捨てることができなかった。
[アリスに付いて行く]