杏山カズサの選択 1
闇の中でなお光る赤い瞳を爛々と輝かせて、少女が歩く。
とっくりと日は落ち、人通りが少なくなった大通りを歩く姿に、声を掛ける者はいない。
1人で出歩く不用心さに不良が目を付けて近寄ることもあるが、射殺さんばかりの視線に何をなすまでもなく悲鳴を上げて退散していく。
「殺す……殺す……」
少女ことカズサは、大切な友人を奪われた憎悪に駆り立てられるがまま、錆付いた牙を研ぎ続けていた。
幽鬼のようにふらふらと歩きながらも、頭の中ではどうやってホシノを殺すかで思考は目まぐるしく動いていた。
その結果分かったことは、ホシノを殺すことは難しいのだという単純な事実だった。
(あいつは……ホシノは強い。それを忘れちゃいけない)
脳裏に蘇るかつてのホシノの動き。
小柄な体躯に見合わぬ頑丈な大盾を片手で軽々と持ち、動きも軽快だった。
例えカズサがマビノギオンをフルオートで全弾撃ったところで、盾に全身隠れてしまえばやり過ごすことは容易い。
盾を超えてダメージを与えたとしても、気にせずこちらを落としに来ることは想定できた。
そこまで考えたところで、カズサは頭を振ってその考えを振り払った。
(違う、こんなんじゃダメ。引き撃ちしてるだけで勝てるはずがない。そんなのは弱虫の思考だ。ホシノを殺すんだから、こっちの安全なんて度外視で挑まないと負ける)
盾で守られるならば、彼女の身を守る盾を引っぺがして、ゼロ距離で撃つくらいのことはしなければならない。
ホシノにダメージを与えて殺すならば、ホシノの攻撃をかいくぐり、その喉元に牙を突き立てなければならないのだ。
(油断させて近づいて自爆テロに巻き込む? いいやそんな付け焼刃の腹芸なんて見破られるに決まってる。どうしたらいい? どうしたら……)
グルグルと堂々巡りの思考の迷路に迷いながら当て所なく歩いていると、見覚えのある場所へとたどり着いた。
ミレニアムにほど近い郊外にある、ぽつんと自販機が立っている場所だ。
「……あ、ここ……みんなと来た場所だ」
チカチカと点滅する街灯の下にある自販機は、かつてスイーツ部の仲間たちと買いに来た自販機だった。
ミレニアムの新商品のジュースが入っているとして、味を確かめに来たのだった。
『っ!? ナニコレ辛い! パッケージとイメージ全然違うじゃないの!』
『うっ、こっちは甘すぎる。練乳を更に濃縮したような感じで喉越しが悪い』
『あはは、こっちのキュウリ味のコーラはまだ飲めるかな。ちょっと青臭いけど』
さすがはミレニアムというべきか、奇天烈な味に悲鳴を上げたり眉を顰めたりすることが多かった。
こんな人気がない場所で売られているのも頷ける話だ。
未だ爆破されずに残っているということは、ゲヘナとは距離があり美食研究会のアンテナに引っかからなかったのかもしれない。
カズサ自身もハズレを引いてしまい、飲み切るのに苦労した覚えがある。
お金を無駄にしたと憤ったりしたが、それもまた思い出の一ページだった。
「……あ」
気付けばカズサは、自販機でジュースを購入していた。
手の中にはアイリが飲んでいた薄緑色のコーラがある。
(そういえば、昼から何も飲んでなかった……)
スイーツ部の皆を探して走り回り、見つけたと思ったら仲違いして。
今や眼は赤く充血し、声も掠れている。
(何か飲まないと……)
そう思って、カズサはジュースを開けて傾けた。
口に広がる青臭さと、その後に広まる炭酸の刺激と甘い味。
飲めなくはない、と判断して嚥下した時。
『カズサちゃんも砂糖を食べてくれるなら――』
「うっ、ぐ! ぅおええぇっ……!」
胃が跳ねた。
こみ上げてくる吐き気を抑えることができず、カズサは今し方飲んだ物を全て吐き出した。
脳裏に過ぎったアイリの言葉に、体が思わず拒絶したのだ。
『つまんないカズサ』
『砂糖以上に優先すべきものなどないだろう?』
「う、ううう……」
アイリの言葉に続いて、ヨシミやナツの言葉が延々とリフレインする。
その全てがカズサが砂糖を摂取するように求めてくるのだ。
思わず流れる涙と、口内に広がる苦みが残った甘さを吹き飛ばす。
胃液しか出なくなっても立ち上がることができず、蹲るカズサはポツリとこぼした。
「甘いもの、ダメになっちゃった……」
カズサが長年愛していたスイーツ。
甘い砂糖がもたらす幸福感は、今やカズサから全てを奪った悪魔に成り果てた。
それに気付いてしまえば、もう口にすることができない。
例え砂漠の砂糖を使っていなくても、カズサの体がそれを拒絶するのだと理解した。
「いいや、もうどうでもよかったんだっけ。そんなことよりホシノを殺さないと」
そうだ、甘いものが食べられなくなったからって何だというのか。
これから自分は人を殺すのだ。
その程度の代償など安いものでしかない。
理性が叫ぶ戦力比較なんて気にしていては、いつまで経っても動けない。
「刺し違えてでも殺す」