掌は染まれど
空白の一ヶ月あたり「うあッ」
撫子は藍染の蹴りで吹き飛び転がった。なんとか浅打の柄は離さず握り込む。
「ぐぅ……っ」
立ち上がり、浅打を構える。対する藍染はまさしく余裕綽々といったところで、構えることすらせず悠然とそこに立っていた。
「くそッ、破道の七十八、『斬華輪』!」
放たれた鬼道の刃は藍染によって片手で容易く打ち消される。
——明らかに威力が下がっとる!
破面に拉致される時に使用したものと同じ鬼道だが、威力はその時と比べ物にならないほど弱くなっていた。
「ここ虚圏において、君の力は上手く扱えないようだね」
「やかましわ……!」
——鬼道も、白打も今の状態やとロクに使えへん。
連れてこられた虚圏は虚の世界だ。それに引っ張られて霊圧が不安定になっている。
撫子の体も似たような有様であり、そんな状況で鬼道や白打で戦うことはできない。
いまや頼りになるのは歩法と斬術のみ。
「でェいッ!」
しかし幾度斬りかかろうと軽くいなされるばかりで手応えなどは微塵もない。
「闇雲に斬りかかるものではないよ、撫子」
「そうでもせえへんと、活路も開かへんから、なァ‼︎」
数度打ち合い、撫子が一度距離を取る。そしてすぐに藍染に肉薄し、懐に飛び込もうとする。
「ッもろた!」
藍染がわざと作った隙に飛び込もうとした撫子。しかし、彼女は突然苦しみ出す。
「ぅゔっあッ……⁉︎」
その苦しみ様に、一瞬藍染は動きを止める。
「ぅ、ぐ、ぁあああッ‼︎」
撫子はその隙を逃がさんと藍染に斬りかかろうとして、斬魄刀の頭で鳩尾を突かれる。
「がッ……」
鳩尾を突かれた撫子はぐらりとその場に倒れ伏し、動かない。
加減を少々間違えた藍染は、倒れた娘にゆっくりと歩み寄る。——息はしている。気絶しているだけだった。
未だ浅打を握りしめる右の手をそっと開かせると、その掌は赤く爛れて熔けていた。
「——これは」
——霊圧で灼けている。
義骸が本人の霊圧に耐えきれず、不具合がこういった形で現れているのだ。おそらく、見ていない左手も、更には足も。
——あの男の義骸でもこうなるとは。
試しに回道を掛けてみたものの、あまり変化は見られない。応急処置にもなっていないようだった。
浅打を鞘に戻してやり、娘の身体を抱き上げる。想像よりも、軽い。
そのまま撫子に当てがっている部屋に向かい、寝台に軽い身体を横たえる。
興味が出たので未だ意識が戻らない娘の頭を撫でてみる。緩くウェーブを描く癖っ毛は、父親である自分に似たのだろうか。
詮無いことだ。藍染は自分と娘の類似点を探すのを止めて、最低限の処置を始めた。
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「ん……」
意識を取り戻した撫子は半身を起こす。鳩尾に受けた一撃から、どれぐらい時間が経ったのだろう。疲労が溜まっているのか、体が重い。
ふと、片手が視界に入る。
「包帯……?」
もう片方の手も同様に真っ白な包帯が巻かれている。
「手当て、されとる……?」
まさか、と撫子は一つの考えが過ぎる。
——藍染が?
「いや、ないない。それはないやろ。絶対ないわ」
あの背もプライドも高い、血だけ繋がっている他人同然の男が、自分を気にかけるか?
気にかけたとして、自ら手当てをするような奴なのか? 撫子の中で答えははっきりしていた。
「……部下にやらせたんやろなあ」
上手く巻くもんやなあ、と包帯に包まれた手をひと撫でして、もう一度寝台に横たわった。
藍染と剣を交え、幾度も打ち合って転がされたせいで酷く疲れている。瞼を閉じれば眠りに落ちるのに、時間はそう掛からなかった。