加筆まとめ⑮

加筆まとめ⑮

夜の色

目次◀︎

尸魂界・空座町


 突如、始まった藍染と市丸の同士討ちは市丸の敗北で決着が着いた。瓦礫に倒れた市丸に松本が駆け寄る。

 カワキは電車の窓を流れる街並みを見る様に、口の端から血を流して顔色を失っていく市丸と、透明な涙をこぼす松本を視界の端に捉えていた。

 カワキの視界の中央を占めるのは、もう動くことさえままならない敵でも、悲嘆に暮れ膝をつく味方でもなく、目の前の脅威——更なる変貌を遂げた藍染だった。

 指の動き一つ見逃すまいと、神聖弓を手に凍る眼差しで藍染を見据えていたカワキが、ふと瞳を揺らし、僅かに目を見開く。小さく開いた口は音もなく空気を食んだ。


『————……』


 幾許か温度を取り戻した蒼い双眸は藍染の背後に向いていた。そこに居るのは一人の男。

 男は瓦礫に音を立てて着地し、肩口まである橙色の髪を風に揺らしていた。ところどころ擦り切れた死覇装から覗く右腕には鎖が巻き付き、見憶えのある黒刀を握っている。

 左腕に担いだ死神をドサリと降ろして、囁く様な声で男が言葉を紡いだ。


「……ありがとな。……親父」


 瓦礫の上に寝かされた死神は、疲労困憊で意識を失っている様だった。記憶にあるより濃い髭を蓄えた死神の顔も、黒い刀を握って佇む男の顔も、その場に居る全員がよく知る顔だ。


「……い……一護……か……? 一護だよな……? あれ……なんで髪伸びてんだ……? それに……髪のせいかな……なんか……ちょっと背も伸びてる気がしねえか……?」


 茫然として湧き上がる疑問をそのまま口にする浅野の言葉通り、現れた男——一護は、まるで無人島で長期間を過ごしたかの如き変わり様だった。

 呆気に取られ、瞠目する浅野と有沢の隣で、カワキはすぐに理由に思い当たった。


『あぁ、成程。断界で……無茶をする』


 拘突を如何にして躱したのかは知らないが、手持ちの情報から推測するに、断界で修行を詰んだのだろう。ほんの一時間ほどの間に数ヶ月は顔を合わせなかったかの様な外見の成長はその影響か……。

 瞼を閉じて家族の安否を確認する一護。カワキに一護の霊圧は感じ取れない。藍染と同様、カワキが感知できる範囲を大幅に超えているのだろう。

 経過時間を考えれば断界で修行に当てた時間は半年もない筈だ。たったそれだけの期間でカワキの数十年の研鑽を容易く凌駕する——やはり一護に秘められた潜在能力は素晴らしいと、カワキは感嘆を覚えた。


「……良かった。遊子と夏梨は無事みてえだ……」


 家族の無事を確認して目を開けた一護が安堵に微笑んでこちらを振り向いた。


「!!」


 浅野達は驚きで言葉が出ない様だった。戸惑いを浮かべる顔を順繰りに見て、誰も何も言わないのならと、カワキが一歩踏み出した。

 一護と視線を合わせる。最後に見た諦観に満ちた眼差しとは一転、泰然自若とした眼差しに、護衛は不要なようだと、カワキは肩の力を抜いた。

 瓦礫が散乱する街中にあって、二人の間には休み明けの教室でクラスメイトと挨拶を交わす様な何気なさがあった。


『久しぶり、と言うべきかな、一護。調子は良いようだね』

「……ああ。カワキ、みんなを護ってくれてたんだろ? ありがとな」

『良いよ。君が万全の状態で戦えるようにそうしたんだ。期待してる』

「おう」


 落ち着いた声色で頷いた一護は友人達の名を一人ずつ呼んだ。場違いなほど穏やかな面持ちをした一護に戦いを前にした緊張や特有の空気はない。


「……みんな、そこに居てくれ。そのままじっとしててくれ」

「……ど……どういう意味だよ……? 一護……」

『……見守るくらいはさせてもらうよ』


 カワキはその一言で、言外に直接戦いには加わらないと了承した。きっと今の自分では同じ土俵には立てないから。

 それが理解できぬほど、カワキは自らの力を過信してはいなかったし、理解できてなお参戦しようとするほど、情に厚い人間でもなかった。

 此度の戦いは既にカワキの手が届く範囲を遠く離れている。せめて目が届く範囲に留まっていることが幸いか……。

 一護の生死は一護自身の手に委ねるほかない状況だ。そしてカワキは一護の勝利に賭けている。戦いの行く末を見届ける——今のカワキに出来ることはそれだけだ。


「……黒崎一護。本当に君は黒崎一護か?」

「……どういう意味だ?」

「本当に黒崎一護なら、落胆した。今の君からは霊圧を全く感じない。霊圧を抑えていたとしても全く感じない事などあり得ない。君は進化に失敗した。私の与えた最後の機会を君は取り零したのだ」


 藍染の言葉にカワキは目を丸くして息を呑んだ。けれどそれは望みを絶たれた絶望からではなかった。川辺に転がる石ころの中に煌めく原石を見つけたように、勝算が見えたことに心が弾んだ。

 ————そうか。藍染にも、一護の霊圧が感じ取れないのか。

 カワキは瞳を窄め、誰の耳にも届かないほど微かな声で『……ははは』と笑った。一護の勝ちに賭けて正解だった。


「——残念だ。黒崎……」

「藍染。場所を移そうぜ。空座町(ここ)では俺は戦いたくねえ」


 声を張り上げずとも場の空気を支配する静かな強さの宿る言葉だった。自分の言葉を遮った一護の提案に、藍染は不愉快そうに間を開けて「……無意味な提案だな」と言葉を並べる。

 しかし、藍染の言葉が最後まで紡がれることはなかった。つらつらと力の差を語る藍染の顔を一護の手が鷲掴みにする。


「な……に……!?」

『見てくる』


 勢いのままに目にも止まらぬ速度で街の外へ向かった二人。困惑に青褪めた浅野達に一言残して、カワキもまた、飛廉脚で宙を蹴り上げてその後を追った。


 一護は藍染を街外れ——尸魂界に広がる森の一角へと投げ落とした。カワキは森を一望できる空中に立ってその光景を遠目に眺める。辛うじて個人を認識できる位置、当然会話までは聞こえない。

 普段なら獲物に狙いを定めた獣のようにすぐ傍まで距離を詰めるところだが、今回ばかりは大きく距離を取る。静血装の使用が制限されている今、あの戦場に足を踏み入れるのは、生身のまま核爆弾の爆心地へ向かうのと同義だ。


『口惜しいな……出来ることなら、もっと近くに居たかった』


 晴れ渡った青空に、悔しさの滲む独白がポツリとこぼされた。霊圧を感じ取ることはできずとも、山が削れ、地は抉れ、戦闘の激しさは遠目にもよくわかる。

 それだけに、激闘を間近で観察できないことが口惜しくて、カワキは憂いを帯びた表情で眉を下げ、静血装が使えたら……と喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 青い空を焼き尽くすように、赤く激しい火柱が上がる。きっと、空座町に残った者達にも目視できたことだろう。吹きつけた熱い風に黒髪がぶわりと広がり波打った。

 舞い上がった前髪から露わになった蒼い瞳が戦況の変化を捉えて好奇心に輝いた。黒く溢れた力が一護の姿を覆い隠す。


『姿が変わった……? あれは————』


 遠目にしか窺うことはできないが、変貌した一護の姿は、カワキの胸に懐かしさを想起させた。

 風に靡く漆黒の長い髪、前髪の隙間から覗く赤い瞳。幼い頃から傍で見慣れたその配色。今の一護の姿はまるで————


『————……まるで、あの人みたいだ』


 暫く顔を合わせていない父の姿が脳裏を掠め、両者の力を比較していると、辺りを闇が覆った。

 月の無い夜よりも暗く、黒く染め上げる力は一護のもの。暗闇で満ちたのはほんの一瞬——昼の明るさを取り戻した時には、決着は着いていた。


『お疲れ様、一護。素晴らしい力だった』

「……ああ。これで本当に終わりだ」


 賞賛の言葉と共に、カワキがつま先からトンと地面に降りる。カワキに目を向けた一護は歩くたびに全身を覆っていた装備がバラバラと砕け散っていた。

 虫の息で這いつくばって傷を再生しようともがく藍染。一護の髪がカワキと同じ夜の色から夕焼けの色へと戻り、風に消えるように短髪に変わった。


『!』


 ————まずい。

 そう思うや否や、藍染がゆっくりと体をもたげる。

 急速に力を失い、膝から崩れ落ちた一護を抱き抱えたカワキが退避する寸前、藍染の胸を赤い光が貫いた。正確には、藍染の内側から吹き出しているようだ。


『鬼道……? 一体誰が……』

「何だこれは……!! 鬼道か……!? こんなものいつ……」

「……ようやく発動したみたいっスね」

「浦原喜助……!!」


 下駄が地面を踏み締める音に振り返ると緑の甚平姿の人物——浦原が目深に帽子を被って立っていた。

 憎しみを隠しもせず、正面からぶつける藍染。ギロリと睨みつけた「お前の仕業か……!」という問い掛けに浦原は恐れることも悪びれることもなく「はい」と一言で答えた。


「その鬼道はアナタが完全な変貌を遂げる前……最も油断していた時に、別の鬼道に乗せて体の中に撃ち込みました」

「……あの時か……!」


 それは封印だと語る浦原の言葉にカワキは誰より真剣に耳を傾けていた。何と用意周到な策略、多彩な手段……さすがは初代技術開発局局長だと、心の内で呟く。

 そうしている間にも、藍染を貫く閃光は強さを増し、その体を取り込んでいった。


「浦原喜助! 私はお前を蔑如する!! お前程の頭脳がありながら何故動かない! 何故あんなものに従っていられるのだ!」


 霊王の存在に言及する藍染と浦原を意味深に見つめてカワキが黙り込んだ。藍染の言葉はどんどんと勢いを増し「楔を失えば世界が崩れる」と言う浦原に叫ぶ。


「それは敗者の理論だ!! 勝者とは常に世界がどういうものかでは無く、どう在るべきかについて語らなければならない! 私は————」


 必死に叫ぶ藍染の訴えも虚しく、浦原のかけた封印は成就した。今度こそ、戦いは幕を閉じたのだ。


***

以上


カワキ…無月は割と冷静な目で見ている。近くで観戦するのは断念してかなり距離をとった為、心做しかションボリしている。浦原さんの作った封印鬼道に興味津々。


前ページ◀︎

Report Page