加筆まとめ⑦
地獄蝶の報せ瀞霊廷
カワキは来たる冬の決戦に備えて井上、ルキアの二人と鍛錬に打ち込んでいた。
ふと、その視界の端をヒラヒラと舞う黒い何かが横切った。
⦅――……地獄蝶?⦆
黒い何か――地獄蝶をカワキが目で追いかける。地獄蝶の行き先はルキアだ。
何か報せがあるのだろうかと、カワキがルキアを見遣ると――
⦅何だ、あの顔……? 一体、何の報せが届いた?⦆
今から戦争にでも行くかのようなルキアの表情に、カワキが眉を寄せた。
何かの歯車が狂い始めているような嫌な予感がして、報せが何だったのか訊ねようと口を開きかけたその時――
「! 朽木っ!!」
音が言葉になるより先に浮竹が崖上から叫んだ。
その声には張り詰めた緊張感があった。
「はい!! こちらにも今、報告入りました!!」
「鬼道衆が開門処理に入っている筈だ! 隊舎前の穿界門に急げ!!」
「はい!」
どう考えても緊急事態だ。カワキは気を引き締める。開門処理が必要ということは現場は現世であると容易に予想ができた。
『現世で何か?』
時間を掛けるべきではないと、カワキは端的な言葉で訊ねる。
ピリピリと張り詰めた顔でルキアが問いに答えた。
「ああ、破面だ。現世に十刃が現れた」
『「!」』
その言葉にカワキと井上が瞠目した。
一瞬にして動揺と混乱の波に揉まれて、すぐには言葉が出てこない。カワキの頭の中で思考が荒れ狂う嵐のように駆け巡る。
――尸魂界側の予測では決戦時期は冬……まだ数ヶ月の猶予があったはず……。
――いや、仮定の話はやめろ。起きていることだけが現実だ。
――今の一護は虚の力に振り回されている上に、井上さんもそばに居ない……。
まさか自分が不在の時に破面が出現するとは誤算だった。とんだ面倒事を持ち込んでくれたものだと、カワキは歯噛みする。
太陽の門を使えばすぐにでも現世へ戻ることが可能だろう。だが、この状況でそのような真似をできる筈もない。
⦅破面が出現したとあっては一護はきっと戦いに行こうとする……いや、先日の破面が現れたなら一護が狙いの可能性も……⦆
護衛対象の危機に焦燥が灰のように降り積もる。
ぐるぐると考え込むカワキの耳に、井上とルキアの会話が聞こえて、意識が現実に引き戻された。
「まって朽木さん、あたしも……」
「お前は駄目だ、井上」
ルキアが諭すように続ける。
「こちらへ来る時に教えたろう。私と一緒に穿界門を通っても、地獄蝶を持たぬお前やカワキは自動的に断界へ送られる」
ルキアの言葉にカワキは落ち着きを取り戻した。
沸騰した思考が一瞬で冷めていく。
冷静になって考えてみれば、今のカワキがどれほど頭を悩ませたところで、現世へ戻る術は限られている。
⦅他人任せは性に合わないけど……一護のことは本人の成長と死神達の働きに賭けるしかない、か……⦆
カワキは肩の力を抜くように、深く息を吸って吐き出した。
『何もなしに断界へ送られては、かえって現世への到着が遅れる。歯痒いけれど今は待つしかない』
自分に言い聞かせるようにカワキがそう口にした。その言葉にルキアが頷く。
降り立った浮竹が「彼女の言う通りだ」と口を挟んだ。
「今、断界を安全に通過できるように界壁固定の指示を出しておいた。半刻ほどかかるが君達はそれから現世へ向かいなさい」
「……はい」
大輪の花が萎れるような井上の様子に、ルキアが励ますように温かく声を掛ける。
「……そんな顔をするな、井上。先に行って待っているぞ」
士気を保つことは重要だ。特に、万が一の場合に井上の力は起死回生の一手となり得ると、カワキもルキアに続いて井上へと声を掛けた。
『敵は十刃……怪我人が出ることは間違いない。君の力が必要だ、元気を出して』
「……うん……!」
井上が顔を上げて頷いた。
ルキアとカワキは井上に頷きを返して、互いに目を見合わせる。
カワキが逡巡するように、一瞬視線を横にずらしてから、ルキアを見据えた。
『……朽木さん、一護を頼んだ』
「! ああ、任せろ!」
真剣な眼差しのカワキの頼みに破顔したルキアが力強く応えた。
◇◇◇
「井上様! 志島様! 断界界壁固定終了致しました!! お通り下さい!!」
その声にカワキが顔を上げた。井上と共に門へと駆け出す。
『行こう、井上さん』
「うん! ありがとうございます! 行ってきます!!」
前を走るカワキに続いて走りながら、門前に集まった死神達に礼を述べる井上。
門をくぐった二人のそばに、ザッと同行の死神二人が駆けてきた。
「!」
「お供致します!」
カワキは死神達の姿を一瞥したものの、何も言わずに視線を前方に向けた。
現世へと駆ける足を止めることはない。
「ええっ!? いいですそんな…」
対して、井上は目を丸くして死神の同行を遠慮する様子を見せる。
死神の一人が大きな声で言った。
「貴女方はもう旅禍ではない! 客人です! 客人の往来には地獄蝶を外した死神2名が同行するのが習わし! 煩わしいでしょうがご容赦を!」
困ったような顔をする井上に、カワキが淡々と言い放つ。
『今は問答の時間も惜しい。私達の邪魔をしないと言うのなら、慣習の通りにさせてやればいい』
「う、うん……。……じゃあ……お願いします……」
はにかんで笑った井上。
修行の成果を発揮する時だと、固い決意を胸に宿して現世に向かい断界を駆ける。
その背中に、この場の誰でもない男の声が投げかけられた。
「何だ、護衛は2人か」
全員が振り返り、声の主を探す。彼らの瞳に映ったのは虚空に走る亀裂。
亀裂は瞬く間に広がり、そして―――
「存外、尸魂界も無能だな。最も危険が高いのは移動の時だということを知らんらしい」
暗闇の世界が広がる空間から、一人の男が姿を現す。
白い死覇装、腰には斬魄刀、何より……特徴的な割れた仮面には見覚えがあった。
『君は――……あの時の破面……』