僕のお姫様

僕のお姫様



僕のお姫様は、僕より背が高くて。

僕より肩も背中も立派で大きくて。

ピンクの可愛い王冠を、頭のてっぺんにちょこんと載せている。

地球の海の青と似た澄んだ瞳が綺麗で。

瞳の下に魅惑的な黒子を従えて。

スッと伸びた鼻梁の下の形のよい唇からは、野性味と威厳とが交じり合う張りのある声が飛び出すんだ。

お姫様は澄み渡る空のように明るく喋る。

長いタテガミを風に靡かせながら、僕の前を胸を張って雄獅子のように颯爽と歩く。

風にふわりと揺れた濃色の髪からは、森の香りに混じって爽やかな柑橘系の香りが仄かに漂う。


小さい頃からいつも僕のことを助け、護ってくれた心優しいお姫様のことを、今度は守りたいから。あなたの騎士になって、あなたの笑顔を今度は隣で守りたいから。

その背中に追いつこうと懸命に努力するけど。

僕のお姫様はとても努力家だから。手を伸ばすたびに、あなたは強く、雄々しく、厳かで、崇高な存在になっていて、またひとつ遠くなってしまっているってことに気付くんだ。


そんなお姫様は、ここ最近、ずっとご機嫌斜めが続いてる。

そう、グループ総裁の娘が決闘のトロフィーとなる、なんて巫山戯たルールが校則に加わるようになってからだ。

このトロフィーはじゃじゃ馬で、大人しく棚になんか飾られてはいない。隙を見せれば直ぐに、宇宙の闇に紛れて逃亡を図ろうとする食わせ者だ。僕のお姫様はそれに手を焼かされ、振り回されっぱなしの日々を送っている。

お姫様は真面目だから、自分も押し込められてるこの檻の城の秩序を守ろうと必死だ。けれど、じゃじゃ馬トロフィーにとってはそれも気に食わないところらしくて、お姫様の怒りを焚きつけるように、失礼な物言いを繰り返す。歩み寄ろうと譲歩してきたお姫様も、堪忍袋の緒がそろそろ切れかかってる。二人の仲はいつも険悪で、牽制し合い、時に咬みつき合う毎日が続いている。


今日も僕のお姫様は、眉間に皺を寄せたまま、腕組みをして。

せっかくホルダーの称号と共に受け取った、似合いの白いドレスもガラスの靴もみんな台無しだ。

なのに僕はそれにホッとしている。

眉間に深く刻まれた皺のおかげで、あなたの美しさの多くが隠れてしまっているから。

本当は誰にも見てほしくない。

気付いて欲しくない。

あなたの底から滾々と湧き出してしまう美しさに。



兄さん、一緒に逃げよう



そう言って、何度その腕を取ってきたことだろう。

それだけじゃない。

抱き寄せてキスをして。

その先だって、何度もしてきた。

僕だって健全な男子学生だから。

その対象があなただって言うことが、普通とわずかに違う点ではあるかも知れないけれども。

心も身体も、あなたの全てをこの手で攫ってしまいたい。


全部、全部、夢の話だ。


目が覚めた時、虚しくなることだってしょっちゅうある。それでも、その間だけでも、あなたをこの腕の中に抱きしめられることは、やっぱり嬉しい。


ねえ、誰も知らない眩しい世界にいこうよ。

今のあなたじゃ想像出来ないくらい、とびっきりに自由で明るい世界に。

思いっきり笑い合って毎日を過ごすんだ。


袖を通していない白い制服の下から覗く、鍛えられた褐色の腕を取って。この腕を絡めて。長い指の間を握って、強く引っ張って。

あなたをこの檻の城から連れ出したい。

連れ去ることが出来たのなら二度とここには戻らない。

だって、このままいけばあなたはトロフィーと一緒にならざるを得ないんだ。

嫌だよそんなの、そんなに僕のお姫様が気に食わないなら僕に返せよ。

お願いだから、返してくれよ。

ほんとはね。心の中では許せないんだ、あいつのことも。理不尽で実に馬鹿馬鹿しいこんなルールを、ある日突然思い付きのように言い出した理事長のことも。

誰にも渡したくないんだ、あなたのことを。

だって、あなたを見つけたのは僕なんだ。

僕が一番最初に見つけた、僕だけのお姫様なんだ。


ねえ知ってる?

僕が前みたいに笑えなくなってきてるって。

昔みたいにあなたと気軽に腕を組んだり、飛び付いたり、そんな他愛もないことの一切が、手が震えて出来なくなってしまったことに。

あなたが僕の肩を抱き寄せ、笑いかけてくれるたびに、心臓が飛び出るんじゃないかと思うくらい、鼓動が早くなってしまうってことに。


僕は気付いてしまったんだ。

この気持ちの正体は、きっと。


僕がこうやって、枕を抱えてひとりで呟く「好きだよ、兄さん……」の言葉と。

「僕のこと好き?」って聞いた時に、あなたが即答する「好きだぞ!」の軽くて明るい『好き!』の響きは、はたして同じ好きなのかな?

あなたが僕に向けてくれる『好き』は、他の寮生達へ向けられる好き、と同じものだったりしないだろうか?


同じじゃないと、もしもあなたが言ってくれるのなら。

もう少しだけ踏み込んだ事も聞いてみたい。


じゃあね、

僕と父さんなら、どっちが好き__?


あなたは優しいから。

きっとどっちも好きだと言うんだろうな。

でも、あなたは嘘が下手だから。その瞳が泳いでる事に僕はきっと気付いてしまって、そして絶望するんだろう。

それが分かるから、僕は怖くて聞けない。


ねえ、兄さん

僕と一緒に逃げようよ


そう言えたら__。

あなたが、うんと言ってくれたら。


狭苦しいガラスの靴なんて、投げ出して、ここで砕いてしまおうよ。今よりも、もっと似合う白いドレスを着せてあげるよ。

だってこの城は狭くはないけど、あなたの自然な笑顔を奪ってしまう。

あなたを雁字搦めに縛ってしまう。


でも、この城にあなたを閉じ込めたのは、あなたが一番好きな人で。

それも悪意からくるものではなくて__。

大きな野心とともに、小さな愛も一緒に。お洒落な一輪の花のように添えられていて。

それが分かってしまうから。その小さな愛にあなたは気付いてしまっているから。絶対に頷いてはくれないんだ。

だから、顔を歪めながらもこうやって。自ら望んで今日も檻の城に収まって。


ねえ、兄さん

助けて、って言って。

苦しい、って言ってよ。

ここから逃げたい、ってそう言ってよ。

ここから連れ去ってくれと。

攫ってほしいと。

そう言ってくれれば。

涙ひとつをこぼして、合図をくれたら。

僕は迷うことなくあなたを奪う。


綺麗な宝石が散りばめられた宇宙の闇空を越えて。

船に乗って、どこまでもいこうよ。

あなたが本当の笑顔で笑える、遠い場所まで。

あなたが本当のあなたでいられる場所まで、二人で逃げよう。

あなたさえいれば僕は何でもできる。

だから、素直に言ってよ。

僕の前でここは辛いって、泣いてみせてよ。




ある日、僕のお姫様は城からそっと逃げ出した。

僕を置いて一人きりで。



なぜ僕を頼ってくれなかったのか。

どうして一言も相談せずに、僕を置いて出ていったのか。

助けても、苦しいも、涙のひとつも僕に吐かないままに黙って消えてしまったのか。

僕は、悲しみ嘆いて、泣いて怒って絶望して。

その後ではたと気付いた。


悪かったのは僕だ。

伸ばせば届いたかも知れないのに、奪って攫うことだってやれば出来たかも知れないのに。

あなたが想いを寄せるあの人に、僕は到底叶わないからと、最初から諦めてしまっていた。

僕はつまるところ、父さんに負けるってのが怖かったんだ。

兄が僕へ向ける『好き』と父さんに向ける『好き』の重さの違いを、まざまざと見せつけられるのが嫌だったんだ。

自分の心が傷付く事が怖かったんだ。

そんな情けない僕の姿を眺めたお姫様は、こんなやつは頼りになんかならないと、そう考えて僕のことを見限ったんだろう。


僕はお姫様の顔が苦悶に歪んだ時点で、見て見ぬ振りなんかせずに、躊躇うことなくその腕を掴んでこの城から引っ張り出すべきだったんだ。

誉れの白いドレスを切り裂いて、ガラスの靴を遠くに投げ捨てて、裸足になったあなたを抱えて、裸の心になったあなたをこの腕の中に掻き抱いて。

お姫様が「俺は行けない、行かないからな!」と嫌がったって、僕じゃなくてあの人の傍に居たいと言われたって、拒絶されても、突き飛ばされても、暴れられても。

僕はあなたに殴り掛かって気を失わせてでも、あなたを奪い獲るべきだったんだ。


そうすれば、あなたがその手を穢すことも、心を失い取り落とすほど、酷く痛めつけられることもなかった。

全ては僕が、自分が傷付くのを恐れて尻込みしたせいだ。



 僕は今、宝石箱がひっくり返った広い広い闇の中を彷徨っている。

魔女という名の機体に乗って。

指の間からすり抜けて、失くしてしまった僕のお姫様を探している。


あなたの心を縛るあの人は、此処にはいない。

もう、迷う必要なんてないんだ。

傷付こうと、引き裂けようと、千切れようとも、次こそはこの腕を最後まであなたに向かって伸ばすと決めてここに来た。


もう、何も聞かないよ

あなたの答えを待つこともしない

合図なんかなくていい

あなたが本当は泣いてたことを、今の僕はちゃんと知ってる


ねえ兄さん

見つけ出したら、今度は二度と離さないから。





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僕らの大切なもの – Telegraph



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