俺とシャディクで家ゲーした話 #1
人生、いつ何時、何が起こるか分からない。
落とし穴に片足突っ込んでヒヤリとするか。
運悪くスライディングで滑り込んでしまうのか。
あるいは、両足揃って真っ逆さまに奈落の底まで引き摺り込まれるか。
どこに潜むか分からぬそれらには、寸分足りとも隙を見せることなく、十分に気を付けてもらいたい。
今の俺から言えることは、それだけだ。
「悪かった__」
「…うん」
なんだろうね、これ。
最初は楽しくマ〇オカートをやってただけだった。
たしかに久しぶりの再会だったしテンションは跳ね上がってた。それも面会室じゃないわけだし。
玄関開けてハイタッチしたあとホールで腕組み合ってグルグル回って。
「なんで居んだよ!なんで俺んちに来るんだよっ!!」って叫んだら、「仮釈放だぞ!偉いだろ!異例の早さだって表彰も受けて来たんだぞ!! オレって偉い!!お前も褒めろよコラ!!」なんて言うもんだから。
向かい合って少しだけコサックダンスを踊って。
「えらい!エライ!! お前は秀才っ!!」
「そうそう! オレは偉いんだっ!!」
と、二人で小躍りしながらリビングに雪崩れ込んで。
トランポリンなんて置いて無いのに、そんな感じで大きくジャンプしながら、二十歳も越えて数年回った大の男二人が手に手を取って、ドスドス跳ね回ってたわけだ。
意味もなくソファーに置いてあるクッションを投げ合ったりして、はぁはぁ上がった息が少し落ち着いてから。
お前は背負ってたリュックから『青春取り戻そうぜっ!!』なんてセリフ吐きながら、ちょっとレトロなゲーム機本体を箱ごと引っ張り出したんだよな。地球の中古屋で買ったって言ったそれは、取説が付いてなかったから、ネットを引き引きパーメットに繋ぐのにも時間食って苦労した。
リュックの中をガサゴソしてたお前が『じゃーーーん!!』と言って取り出した濃色のビニール袋。
「なーんでしょ???」
「わっかんねぇよw!!」
「ジャ、ジャ、ジャ、」
そう言ったお前の小麦色の指に押し出されて顔を覗かせたのは__。
「ジャーーーーン!! マリカーでしたっ!!」
なぜ青春=マリカーなのか、それは俺も知らない。知らないが、こいつにとってはそうなんだろ。楽しかった思い出とかあるんだろ、きっと。
「オレ、園でも負け知らずだったんだぜ!?」
「いつの時代の話だよw!!」
鼻の下を人差し指で擦ったお前の顔が、得意げな子どものそれみたいで笑った。
きっと女子みたいな見た目してた、うーんとちっちゃい頃の話なんだろうな。
「お前小さい頃暴走族だったのかw」
って背中をバシバシ叩いたら「おうよ、近付き過ぎると痛い目に遭うぜw」と尻を思い切り叩き返されて、また暫く叩き合いになった。
その後パッケージ版の小さなカードを何処に挿したらいいのか分かんなくて、頭寄せ合って、ここでもないそこでもないと四苦八苦して。やっとオープニングまで辿りついた時には雄叫び上げて。ガッツポーズした後でまたハイタッチして。
とにかく野郎二人でキャッキャしながら、子どもみたいにゲームに熱中してた。
それだけの話だ。
まさか本当に痛い目に遭うとは思わなかった。
門も玄関も迂闊に開けなきゃよかった。テンションなんて爆上げするんじゃなかった。
途中こいつが「喉渇いた」なんていって、勝手に他人んちの冷蔵庫漁ってたけど。引っ張り出してきたやつが悪かったのかな。
ほら、そこのローテーブルの上やら床に4、5本空き缶が転がってるやつ。
でもそれ、たしかノンアルだったはずなんだが。
酔う筈なんてないんだが。
インターホンのモニター越しに突然映ったお前の顔に、こっちはそりゃあ驚いた。
「グエル。オレだよ、ここ開けて」じゃねえよ。
こいつとうとう脱走囚になりやがったのか!? と思ったし。全然反省してないじゃねぇか!と憤慨したし。フロント管理者に突き出してやろうとも思ったのだが。
よく聞けば、受刑態度がすこぶる宜しかったおかげで、早々に仮釈放の許可が出たとのことだった。ラウダがいつか言ってたけれど、地球ってマジで緩いんだな。どうりで宇宙行きの船にも無事に乗れたわけだ。
でもな、今になってよく考えてみれば、その時点で何かがおかしかったのかもしれない。
なぜ出所一番、船に乗ってまで俺の所にやってくるのだろう?
普通地球側のシャディガの所に帰ろうとしない? ミオリネの顔は見なくていいの? 一等先に宇宙に飛んできて、それで俺んち目指してやってくるのはどういうわけなの。宇宙目指すにしても、帰るならサリウスさん家じゃないの?
そんな疑問がふと浮かんだ時に、迷わずそこに突っ込むべきだったんだろう。
こっち側まで来たのなら、ウチじゃなくてサリウスさんの所に顔見せに行けよ。元気そうなお前の面を見れば、まだまだ続いている公聴会での気苦労も、少しは晴れるんじゃないか?って。
そんな風にインターホン越しに言って、門も玄関も開けなきゃ良かったんだ。
「ダブルダッシュしようぜ~w!!」とか言ったお前が後ろからじゃれついてきたあたりまでは覚えてる。
「二人乗りは楽しぃーなあー!!!」
とか言って騒ぎ立てるお前に「何年前のヤツだよそれ、俺達が生まれる前のゲームじゃねぇか!」なんて言いながら。
背後から抱きつくお前を、「暑いんだよ、ウザいんだよw」って、後ろ手に引っ叩いて__。
それでどうなった?
そのあとどうなったっけ?
いきなり耳朶に噛みつかれたんだっけ。
「痛ぇよ!」って振り払おうとしたら、がっちりホールドされた体が、少しも動かせなくなってるのに気付いて。
「さびしかった__」
耳に酒臭い息がふわりとかかる。
正確にはノンアル臭い、だが。
「オレたち、友達だろ?」って耳元で囁かれた。
そうだったっけ。
たしかに俺の方は何度か『俺達、あの時までは友達だったんだろ?』って言った気がする。不貞腐れたお前を立ち直らせるために。いや、でもちょこっとばかりは本当にそうだと思ってた。
でも__、
やっぱそれ、俺の勘違いだったみたいだ。
大型スクリーン前のフロアには、コントローラーが放り投げられたまま、ゲーム機はそのまま待機状態になっている。その付近からこっちに向かって、脱ぎ散らかされた服が点々と散らばっている。
そして今。
虚ろな目をした俺は、膝を抱えて俯き加減にブランケットを頭からすっぽりと被っている。
お前は生まれたての姿でベッドサイドに腰掛けながら、伏し目がちに手を組んでいる。
……巫山戯るな。
何が友達、だ。トモダチはこんなことしねぇんだよ。
友達の境界一気に飛び越えてんじゃねぇか。
……やっぱりお前はトモダチじゃねえ。
さっき「うん」と答えたのは、他に何と応えてみようもなかったからだ。だがな、ホントは納得なんてしてないし、許してもいない。
俺のこと、ジェタークだとか、猪突猛進だとか、向こう見ずの考え無しだとか、真っ向勝負の御曹司野郎だとか、散々に扱き下ろしておきながら、これは一体なんなんだ!
この光景は! この体たらくはなんだ!!
お前本当にどういうつもりだ、俺のこと嫌いじゃなかったのかよ。
おまえ、友人扱い止めろって俺に言ったよな?
手紙にもそう書いて寄越したよな?
やってること真逆じゃねえかっ!
森のくまさんじゃねえんだぞ!!
それでも薄っすら残る記憶の中での俺は、背中側からぴたりと身を寄せられたまま、耳元で「寂しかったんだ…ずっと……」と呟かれると、お前の胸を『やめろよバカw』と笑いながら突き放すことが出来なくなってしまっていた。
便所監禁は身に覚えがあるが、塀の中での生活は俺にとっては未知の領域だ。想像しろと言われても上手くイメージ出来ない。
面会室で顔を突き合わせていても、特段普段と変わった様子は見られなかった。平然と、淡々と日々を過ごしているように見えた。
だが、お前だって人の子だ。その裏では辛いと感じることもあったのだろう。
きっとベッドは薄い板みたいで冷たかったんだろうな。暖かな寝床と人肌恋しく思う夜もあったんだろうな。などと考え出したら喉の奥がきゅっと詰まって、胸が苦しくなってしまった。
……寝床で軽くハグされながら、添い寝するくらいのスキンシップなら。
まあ別にいいか。
むかし、ラウダにもやってやったし、減るもんでもないし。
そうだな、俺達は、友達だもんな。
心が弱った時くらいは隣に居てやろう。なーんてことを軽い気持ちで思ってしまった。
「寂しかったんだよ…グエル……」
グスグスと鼻を啜る音がすぐ後ろから聞こえた。
__泣いてるのか、お前…?
その気配に虚を突かれた俺は、『こら離れろよ、 暑苦しいんだよw』と軽くあしらうことも出来なくなってしまった。
「…そうか……そうだな…さびしかったんだな……」
俺は身体ごと振り返ると、背中にぎゅっと寄せられていた頭を腕で抱え込み、色素の薄い髪をわしゃわしゃ撫でた。
いつも弟にしてやるように。
猫の毛のような柔らかい髪は、すぐに鳥の巣のようになってしまった。
その巣の下から翆玉色の瞳が俺を上目遣いに見上げている。ガラス玉のような光が、反射しながらこちらをぼんやりと見凝めている。眠気に抗うようなとろんとした目で、重たくなってる瞼を持ち上げながら。その光の中に、俺の顔が映り込んでいるのがみえた。
「…グエル……オレ…」
「……どうした…?」
「…なんでもない……」
そうか、お前は孤児だと言ってたな。
こいつはきっと母の温もりを知らずに育ったのだろう。
ならば、今日くらいは__。
お前の母代わりとはいかないだろうが、温もりを分け与えることくらいなら、俺にだってしてやれる。
背中にゆっくりと腕が回されるのを感じてはいた。しかし、それを拒絶することは、酷く人情に欠ける行いな気がした。
俺はそれを許し、この腕はそれに呼応するようにシャディクの体を胸の内に引き寄せた。
俺のそれより少し低い穏やかな温度がじんわりと肌に伝わる。
それよりほど高い熱を密着する肌に伝える。
心地が悪い、とは思わなかった。むしろ規則的な鼓動と一緒に伝わる穏やかな熱は、心安らぐような気さえした。
そんな感想を抱きながら、俺の意識は本格的に遠退いた。
その結果がこれだ。
俺ってホントに馬鹿だよね。
目の前の痕跡からすれば、あの時点で一枚ずつ剥がされながら、ここまで辿りついたんだろうにな。俺とお前の関係で、肌が触れ合ってるのはおかしくない?って、なんでそこで気が付かなかったんだろう。
ラウダのせいで、その感覚に慣れっこになって、心も体も麻痺してんのかも知れないな!
あとひとつ、最高にまずかったのは、この寝台だ。
でもね、普段は私邸まで訪ねてくるやつなんていないし。俺も日中は殆ど留守にしてるもんだから誰かを上げる機会もないし。
深夜のクタクタ帰宅で、自分の部屋まで向かうのも億劫だったから。多少リビングを自室化させても、誰に迷惑掛けるわけでも無いし、別に構わんだろと思ったわけ。
それで最近になってリビングにベッドを移したんだ。サブスク視聴に便利なようにと思ったから、こんな風にスクリーンの真ん前に。
しかしこれが運命の分かれ道。
今になって判るが、これでは見方によっては俺も含めて、『どうぞご自由にお使いください。』と謂わんばかりの有り様だったんだろうね。
最大の敗因はこれなんだろうな。もうすでに手遅れだけど。
俺はここでもおのずと、最悪な選択をしてたってわけだ。
……呆れるよね。
なんで俺って本編でも、ダイス振っても、どの世界に転生しても、毎回だいたいの選択肢、致命的にミスってるんだろうね!
でもさ、よく考えてみてほしい。一番悪いのは俺じゃなくてコイツだろ?
俺はたしかにお前に対して言ったよ、一歩を踏み出すべき時期が来ていると。でも、それはこれからの人生についてであったり、考え方についての真面目な話だったり、ミオリネに対しての話であって、俺に対して踏み出せとは一言も言ってない。
それにこれは踏み出しすぎだろ。
お前さ、娑婆に出てきたからって張り切りすぎだ。一歩二歩どころか、一晩で百歩以上踏み抜いて、俺のパーソナルスペースどころか、神域聖域まで踏み荒らしてるじゃん。
なんで俺に対してだけそんな無茶苦茶踏み入るの?
って言うか、これもう侵略だよね? 俺と尻に対する宣戦布告だよね?
なんだよこいつ。何考えてんだよ。散々嫌いだとか言っておいて、なんでこんなことすんの!?
わけ分かんねーよ。お前って昔から分かりやすいようでいて、どっか掴みどころがないやつだよな!
なぁ、誰か教えてくれないか。
何故俺はいつもこんな目にばかり遭うのかな?
擦り寄ってくるのが野郎ばかりなのはナゼなんだ? たまにくらいは赤髪タヌキ似の女の子とかに好かれたって、罰は当たらないんじゃないの?
それともこれが俺の罪への罰なのかな?
こういう形で罪過の輪だとか、因果の道理だとかって回ってくるのかな?
なんか違う意味で悲惨で笑える。笑ってる場合じゃないけれど。
この事態を受け入れがたかった俺は、目の前の現実に対してなおも抵抗した。
……そうだ、きっとこれは野球拳的な謎現象が起きただけだ。散々騒いだせいで深夜に眠たくなった俺達が、寝惚けまなこでお巫山戯ジャンケンしながら寝床に向かっただけの話だ。その後はそのまま爆睡で、特筆すべきことなど何も無かったんだ!!
今ならまだきっとギリギリ間に合う。
そうだ、そういうことにしよう。
お互い記憶が吹き飛んでんだし、昨日のことなんて忘れようぜ!!
きっとなにも無かったんだよ。な? そうだよな!!って。
俺はズキズキ痛む尻の悲鳴を無視して言った。
枯れた喉を振り絞って、明るい声でそう言ったのに__。
「そうだな!」って言ってカラっと笑ってくれれば、それで済んでたかも知れないのに。
「オレは…しっかり覚えてる。忘れるなんて出来ないな……」とかジメッとした声で言いやがる。
せっかく危うい雰囲気打ち砕こうとしてたのに! そこは空気読むところだろうがッ!!
こんなのあいつ(弟)にバレたら、俺もお前もただじゃ済まないぞ。バカデカい斧で滅多打ちにされるか、下手すると殺される。
俺、せっかく持ち直してきた会社を、そんな下らん理由でダメにしたくない。
なぁ、頼むよ。忘れろよ。忘れてくれよ。
こっちも裏庭で一番太い木の幹に、頭ぶち当てて全てを忘れてくるから。
それからはずっと、こうやって沈黙が続いている。
外はすでに明るくなっているようだ。カーテンの隙間から白い陽射しが差し込んでいる。
それとは真逆の室内。
ちっとも爽やかな朝じゃない。
澱んだ空気の中、三角座りで膝の上に顎を乗っけて、放心したままの俺は動かない。
両足を床に下ろしてベッドサイドに腰掛けている、隣のこいつも動こうとはしない。
だってさ。
なんて言えばいいんだよ、これ以上。
何を言えばいいの?
何を言うのが正解なの、これ。
忘れるのが一番なのに、無かった事にするのが一番なのに、それをしたくないとか言われたら、もう俺どうしたらいいわけ?
ぼんやり映る視界の中。
プロジェクタースクリーン上ではゲーム機のロゴがピコピコピコピコ跳ねまくってる。
……ああ、 腹立ってくる。
何でお前だけ、ひとりでそんなに楽しそうなんだ?
俺のこと、バカにしてんのか!?
お前もどうせ、掘られて鳴いてる俺を遠目に眺めて、喜んでた口なんだろ。
この腐れロゴめ!
こっちは尻も心も、いまだにズキズキしてんだよッ!!
「……ともかく、シャワー浴びて来いよ…。その間に…片付けとくから」
疲れた感じの掠れた声が出た。
振りじゃ無いの、本当に疲れてるの。主に腰とか尻とかが。喉もそうだね…心もそうだよ?
「オレも手伝うよ。このままじゃ気が引ける」
「早く行けって…、とっ散らかってる服も拾ってけよ? そんで、あがったらさっさとサリウスさんちへ帰れ」
「…え……?」
驚愕といった面持ちの顔がこちらに向けられる。
「……そんなの…」
……イヤだよ……!
言葉と同時に腕を引かれる。
それと同時に被っていたブランケットがはらりと落ちる。
あゝ、傷だらけの俺を、このツラい現実から隔ててくれてた唯一の砦が__。
平和な日常など薄氷を踏むが如し。
このようにして、布切れ一つで簡単に剥がれ落ちてしまう。なんと儚いものなのだろう。 by グエル
頬同士がひたりと触れ合い仄かな熱を感じる。引き寄せられた胸元同士が密着し、腹までピタリとくっつき合う。脈打つ鼓動が肌を通して伝わってくる。
待って。もうやめてよ。また変な雰囲気始まりそうなのは勘弁して。それに今さ、腹の辺りがカピッてしてたし、ごわってしたし、ところによってはネチョッっとしたよ?
「…追い出すつもり? グエルはオレのこと、キライなの…?」
嫌いだと息巻いてたのは主にお前の方だろ? それに好きとか嫌いとか、そういう問題でもない。今一番の難問は__。
「……そういう意味じゃない。ラウダがいつ戻るか分からないだろうが。あいつが門や玄関の前に立てば、自動でロックが解除される。手遅れになる前に、お前だけでも逃げろ」
「そんな…! お前また自分一人を犠牲にするつもりなのか!? やめろよそういうこと! そういうところがキライなんだ! 置いてなんて行かないからな! 俺もこのままここに居る! 遊びに来たって理由で良いじゃないか!」
ひっつくな。ねっちょりしたものが擦れて気持ちが悪いって! 現実を生々しく突き付けられて気分も悪いって!
「……だめだ、断る。あいつの嗅覚を舐めるなよ…? こっちは毎週のように健康チェックと言う名の身体検査を受けてんだ。『おかしいな、この部屋なんか臭い』とか言われる前に証拠隠滅出来なけりゃ、俺の方こそ無事じゃすまん。ほら、早くいけよ」
強めの口調で言ってみるが、今の俺はベッドの上でしけたツラした三角座りの全裸男だ。こんな姿では屋主の威厳も欠ける。
それでも多少の効果はあったようで、俺に促されたシャディクは寄せた頭をゆっくり離すと、渋々といった感じで立ち上がった。
散らばる衣類を拾い上げる表情は、明るいものではない。ぼんやりとその姿を目で追っていると、シャディクはこちらに哀しげな視線を投げて寄越す。縋るような眼差しから逃れようと目線をずらすと、気だるい雰囲気を漂わせながら、シャディクは部屋から出て行った。
パタンと元気のない音でリビングの扉が閉まる。
俺はその後ろ姿を見送ったあと、ドアが閉まると同時に小さな溜め息をついた。
そうか、そうなんだな…。
お前の方は普通に歩けるんだな。
ってことは__。
記憶は殆ど無いが、やはり尻に甚大な被害をこうむったのは俺の方だけ、と言うことなんだな…ちくしょうめ。
いや、別にやり返すつもりはないんだが。なんだか悔しいじゃないか。なんでいつも俺だけこんな目に遭うの?
「うぅ…、いってぇなぁ……」
ヒリヒリ痛む大事なところ。それを庇うようにハイハイしながらベッドの端まで辿り着くと、そっと足を下ろしてみる。
恐る恐る重心を前に移動させる。気合いを入れて立ち上がると同時に、カクンと膝から崩れ落ちた。
ドッ、と床に膝を突く。咄嗟に突っ張った腕で体を支えた。膝にも腕にも、少し遅れて間接的に尻の穴にも衝撃が広がる。
「…っう!、くぅッ…!!」
ほら、やっぱりな__。
イヤな予感がしてたんだ、今も下半身に力が入らないもん。足を着いた時も、足裏の感覚鈍くて変だったもん。
我ながら情けない姿に泣けてくる。
とにかく__。
あいつを早く部屋から追い出したかった。
このorz体勢をあいつの前で披露するのは、色んな意味で宜しくない。万が一、まだ良からぬ気持ちが残っていたらどうなる?
「大丈夫? 助けがいるか?」などと親切ごかしに駆け寄られたあと、そのまま再度背後から襲われかねない。弟相手に嫌な覚えがある。
そうはいくか。俺は賢いジェタークなんだ、同じ轍など二度と踏まん!
自分の声が掠れてることから鑑みるに、相当鳴かされもしたのだろう。なにが『しっかり覚えてる』だよ『忘れられない』だよ。
俺の名誉のためにも今すぐ忘れろ。
……あいつ殴って気を失わせたら、全てを忘れてくれるかな…?
ともかくだ、これ以上の醜態を晒すのはご免こうむる。だって俺、20話ではギリギリあいつに勝ったんだぞ。そんな俺が、あいつのランスに滅多打ちにされて、足腰立たぬ状態まで追い込まれ、大敗北を喫しているなど、勝者としてのプライドが許さない。
そうだ、俺はいついかなる時も威風堂々たる__ッ、痛ってぇ!!
もうイヤっ!! 獅子辛い!!!
もしや…あいつ。宇宙まで打ち上がり、遠路遥々俺ん家まで来たのって、20話の仕返しのためだったの?
そんな疑念をいだきながら、膝をついたまま背後のベッドに向き直る。いずれにせよ、このままいつまでも寝台と仲良くしてるわけにはいかない。
窓を開けて風を通して。この色々シミになった汚いシーツを引っぺがして。ブランケットと、あいつ(弟)は鋭いからクッションカバーやピロケースも一緒に洗濯機に放り込んで。よく見るとフロアにまで飛んでるキチャナイ染みや、ローテーブルに零れた飲料なんかを拭き取って。あいつの金髪を拾われて「これは何だろうね兄さん」とか、ギラギラした金ピカ瞳の歪んだ笑顔を向けられる前に、念入りにフロアにもソファーにも掃除機かけて。仕上げに、部屋中に無香タイプのファブ〇ーズ撒き散らして。あとは、インターホンに録画されてるあいつの顔を消去して。シャワールームと洗面台の痕跡も完璧に消し去って__。
ぁああッ!! やることが多いっ!!!
今日が休みで良かった。のではあるが、逆に言えばラウダの出現確率も比例して高いと言うことだ。残念ながらダメージの残る尻やら腰やらに、構ってやってる余裕はない。急がねば、頑張れ俺。
「ぅ、ぅうッ、……ぐッ…ぅぁあっ!!!」
気合を入れてもう一度立ち上がる。……立てた。腰から下、凄くプルプルしてるが、膝もガクガクしてるが何とか立つことは出来た。
ハァハァと荒い息が上がる。
やめろ俺、今あいつが部屋に戻ってきたら変に取られる。少しの油断が二度めの悪夢を呼び寄せかねない。
へっぴり腰でヨロヨロしながら、残された衣類を適当に拾い上げ、ソファーの上に投げつける。
取り敢えず下の一枚だけでも穿いて、急所の守りを早いところ固めたい。風邪引きそうだし色んな意味で危険すぎる。
腰を庇いながら、落ちてたパンツを拾ってのろのろ動作で身に付けると、今度はベッドの端に腕を突っ込みシーツを引っ張り出す作業を始める。が、これが結構腰にツラい。半分ほど引き摺り出したところで力尽きて手が止まる。と、コロコロと何かがシーツの上から転がり落ちた。
ん__? なんだろう?
首を傾げながら、足元に散らばるそれらに目線を落とす。
「・・・・」
俺は言葉を失った。
悍ましきゴミ。
この家からその存在を抹殺すべき憎っくきゴミ。完全犯罪を目指すならば、絶対に残されてはならない類のものだ。
優しい気遣い?
そういう見方もあるかもしれない。そのおかげで俺は今、腹を下すこともなく、後片付けに勤しめているのかも知れない。
だが、よく考えてみろ。これをヤツが持参して我が家を訪れたと言うことは、最初からそのつもりがあったってことじゃないのか? 違うか?
__なにそれ、こわい。
シャディクお前、本当に何考えてるの?
マジであいつが分からない。コワイしか頭に浮かばない。一刻も早くこの家から追い出したい。
ガクガクしてる足に加え、シーツの端を掴んだ手の震えまでが新たに加わった。
俺とシャディクで家ゲーした話 #2 – Telegraph へ進む
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