もう一度だけ part1
小麦粉目が覚めるとそこは、見知った部屋だった。今はもうない、ポーラータング号。俺らの海賊船だった潜水艦にあったかつての俺の部屋。
───今日は一体、どんな悪夢なんだろうか。
仲間たちが殺される様子か、仲間たちからの憎悪の言葉か。それとも、夢にまで出てくる最低最悪なグズによる罵詈雑言か、友人からの侮蔑の言葉か。はたまた大好きな恩人からの軽蔑の視線か。
どんな悪夢だとしても、俺はもう何も感じれないが、それでも一人で静かな朝を迎えたのは久しぶりだった。
そこまで考えて、ふと、少しの違和感を覚える。傷が痛むのだ。
夢では痛覚がないというが、実際は見た目や思い込みなどで夢の中では擬似的な痛みを感じるという。だから痛みを感じるのはおかしなことではないが、問題はそこではない。
俺はこれを明晰夢だと悟ったのに、痛みを感じるのだ。夢だと分かれば痛みは感じないはずなのに。そもそも、俺は悪夢であっても始めから、あの憎たらしい男につけられた傷はないことがほとんどだった。
今日は一段と嫌な夢だ。気色の悪い服のまま、ハートのタトゥーを切り裂く傷もそのまま、まともに歩けない足のまま、左手のボディステッチもそのまま。夢の中でも、こんな体なのだから。
左腕で体を持ち上げる。懐かしい座り心地のベッドに、冷たい風が心を撫でた。
「キャプテーン、どこいんすかー!」
「朝ごはん食べましょキャプテーン!」
聞き慣れた、それでいて懐かしくて、心が痛む声が聞こえ、体が跳ねた。
シャチとペンギンの声。忘れるわけない、忘れられない二人の声が徐々に近づいてきた。
足音と物音がするたびに体が震える。残った左手では左耳しか塞げなかった。何も、怖くない。怖がっちゃいけない。もう何度もこんな悪夢は見てきたのに、夢の中でも現実でも、俺の涙が枯れることはない。俺のせいだ。自業自得なんだ。恨んで当然だ。……でも、俺は夢だとしても、会えて、嬉しいんだ。ごめん。ごめん。こんなこと、思う資格もないのに。
「キャプテン?」
がちゃり。
「なんだ、キャプテンここにいたんですね」
「こんな時間まで寝てんの珍しいっすね」
ペンギンとシャチの言葉が投げかけられる。
傷つくとわかっていても、俺は顔を上げて二人をみた。
夢だとわかっていても、また愛しいクルーの、子分の顔を見たかったから。
「キャプ、テ……ン……?おわぁぁあ?!キャプテン?!!!」
「え、は……?ちょっ、どどどどうしたんですか?!」
二人は数秒の硬直ののち、顔を青ざめさせて俺の元へ駆け寄ってきた。
……一体、どうなってる?いつもの悪夢とは、何か、何か違う。
「なんすかこの顔の傷!!折角の色男が台無しっすよ!!」
「っ?!待てシャチ、そんな激しく動かすな!胸の傷の出血が……!」
「え……はァ?!何やってんすかホント!このくらい自分で直せ、る……で……しょ……」
まるで、本当にシャチとペンギンがいるかのような会話に唖然としながら、胸が苦しくなる。
「みぎ、うで……」
シャチは俺のシャツの右袖を掴む。俺の右腕がないことに気づいたみたいだ。
「は……?いや、いやいやいやいや……なんの、冗談、だよ……?」
ペンギンが呟きながら、その場にへたり込んだ。
そこでようやく、俺は思い出した。これは夢じゃ、悪夢じゃない。
「なァ、ロー。ヘルメスってモンを知ってるか?」
俺のボディステッチをイジりながらドフラミンゴが聞く。
しかし、俺はソイツの顔も見ず、何も反応しないようにした。目を閉じて、痛みに耐えるだけ。
「ツレねぇなァ……。まぁいい。コレは使用者を好きな世界に飛ばしてくれるらしい。いわゆる……そうだ、パラレルワールド、ってやつだな」
好きな世界。パラレルワールド。
少し、ほんの少しだけ眉を動かしてしまった。
「フッフッフ……たまには、あまァい夢でも見たいだろう」
──さあ、夢を見てみろ。そして突き落としてやるよ。
希望を持っちまったんだ。どこか、別の世界でもいい。俺が、コラさんの本懐を遂げ、元気な仲間たちと冒険を続けている。
そんな、そんな世界があるなら、
もう一度だけ、アイツらに。
ドフラミンゴが手に持っていた、古びれた機械を俺に当て──そして、記憶は途切れた。
「……しゃち」
「な、何ですか、キャプテン」
「ぺ、んぎん……」
「キャプテン、この左手……?!」
シャチの肩に頭を乗せ、ペンギンの手を取る。
ああ、あたたかい。ドフラミンゴが持ってきた、動かない死体じゃない。冷たい宝石でもない。生きてる……。生きてる……!
「ごめん、ごめん。シャチ、ペンギン……生きて、てよかった……もう一度、会えた……ごめん、俺の、せいで……」
ここは、別の世界だ。
大好きなみんなが生きている、夢の世界。
「おい、お前ら、何を騒いでやが、る……?」
静まった部屋に低い声が響いた。
声のした方を向くと、そこにいたのは、俺だった。否、痩せこけみすぼらしい俺とは似ても似つかない、この世界のトラファルガー・ロー。
シャチとペンギンも声に驚いて、振り返る。
たっぷり30秒。動揺から訪れた静寂は、シャチとペンギンによって破られた。
「ええぇぇぇえぇえ?!」
「キャ、キャプテンがふたり?!」
ああ、こんな空気も、懐かしい……。
でもごめんなさい。……ごめん、ごめん。こっちの、お前らにも迷惑かけちまう……なん、て
ばたり。
俺に似たソイツは音を立ててベッドに倒れた。
「っおい!……事情は後で聞く。ペンギン!シャチ!ソイツを治療する。輸血と点滴、麻酔の準備を頼んだ」
「あ、アイアイキャプテン!」
声を揃えた二人はバタバタと部屋の外へ出た。
俺に似た男には、右腕がなかった。少し前のドフラミンゴとの戦いを思い出して、背筋に冷や汗が伝う。……いや、今はそんなことを考えている暇はない。
嫌な過去を振り払って、俺はベッドへ駆け寄り、男を仰向けにした───そのときだった。走馬灯のように、誰か、いやこの男の記憶らしきものが一気に頭へ流れてきたのは。
ドレスローザ、ドフラミンゴへの討ち入り。切られたままの腕。動かない麦わら屋の体、国と共に肉塊になる国民。ドフラミンゴに捕らえられた、俺?
歩けないように切られた腱。悪趣味なシャツとピンクの紐の厚底靴。心臓にされたイトのタトゥー。味のしない鉑鉛のキャンディ。ハートの仲間たちが殺される映像とその遺体で作られた宝石。左手にその宝石をあしらったボディステッチ。切られ汚される胸と背中のタトゥー。ボロボロになった海賊団のつなぎ。布としてはあたたかいベポの、毛皮。血塗れなペンギンとシャチの帽子。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……おれの、せいだ。
地獄なんて言葉じゃ形容しきれない、真っ黒な記憶。
「ぅえ…うぁ…はァ……ハァ…………くそっ」
滝のような情報の多さと、腐った記憶たちに胃酸が喉元にまで迫り上がる。
なんだ、これは。コイツは、まさか。
ドフラミンゴに負けた、俺、なのか。
もう治りきった右腕が熱く、痛みを持っている。健康で何もしていない筈の心臓が、無性に苦しい。鍛えている筈の足が、不規則に震える。
だめだ、俺がここで慌てるわけにはいかないんだ。
大丈夫、大丈夫。ベポとはさっきまで一緒に本を読んでいた。シャチとペンギンは手術の準備をしてくれている。大丈夫だ、俺が想像していた“最悪”は訪れなかったのだから。
まずは、コイツの治療が先決。
「今、俺はただの天才外科医だ」
───患者を救わなければ。
「……ROOM、“シャンブルズ”」
↓続き
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