もう一度だけ part2

もう一度だけ part2

小麦粉



 俺に似た……否、恐らくは別の世界のトラファルガー・ローは、患者用のベッドで静かに寝息を立てていた。

 背中と胸の傷を縫合し、両足の腱にはギプスをつけた。肝臓にわずかに溜まっていた鉑鉛も取り出し、輸血と栄養剤の点滴も順調に進んでいる。細かな傷はペンギンとベポで対処中だ。傷による発熱も徐々に下がり、手術後の緊迫した空気も緩みつつあった。

 しかし、また別の苦い空気が部屋に流れる。

「……なあ、キャプテン。何者なのかな、この人」

 ベポが包帯を巻きながら呟いた。

 みんな、事態の異常さには気づいているだろう。俺と同じ顔、同じタトゥー。空似というには無理があるほど俺と“同じすぎる”のだから。

 双子が感覚を共有するといわれるように、俺はこいつの記憶の断片を見た。記憶を見て、俺とこいつが同一人物なのが分かれば記憶が流れ込んできたのには説明がついた。

 だが……言っていいのか。俺の言葉じゃ有り余る出来事だ。言葉にするには重すぎる……違う、言いたくないんだ。あんな死んだ方がマシとも言える生活。別世界だとしても酷い扱いを受けた仲間たち。

 自然と体が強張る。記憶の断片だけを見た俺がこうだ。コイツはどんなに苦しかった?仲間たちはどんなに辛かった?

 そんなことはあり得ないと分かりながらも、ベポたちクルーが生きているのを見て、どうしようもない安心感を得てしまうくらいに、俺は影響を受けていた。

 その中で沸々と湧き上がるのは、この世界ではどうしようもない、ドフラミンゴへの怒り。並行世界への無力感。

 脂汗の滲む俺の顔を、用具を片していたシャチが覗き込むように見てきた。

「キャプテン、何か知ってんすね」

 サングラスの奥の目が心配するように俺を捉える。

「……本人から聞いた方がいい」

 少なくとも、見ただけの俺から伝えられることはそれだけだ。




 あたたかい、ふかふかなベッド。その感触に驚いて俺は飛び起きた。

「っうわ……!」

 ここは、そうだ……俺はパラレルワールドのこの世界に、このポーラータング号に飛ばされた。

 体には包帯が巻かれ、足にはギプス。腕にはいくつかの管が繋がっている。細かい傷にもひとつひとつ手当されていて、きれいで適切な処置だった。

「だっ、大丈夫か?キャプテンもどき!」

 ベッドの横には、もう会えないはずの大好きな副船長がいた。

「……ベポ」

 記憶のままのベポの瞳には、本当に情けない俺が写っていた。

 ゆっくり、ベポの手に触れると確かな生き物の温かさを感じる。硬い毛皮でも、冷たい宝石でもない、掠れた記憶の中に確かに存在する大好きな感触。

「ごめん、本当に……迷惑、かけて……ごめん……また会えて、よかった……こんな、船長でごめんな……」

 溢れた涙が、真新しい包帯にシミを作る。濁った記憶に手を伸ばして、感覚を思い出す。

 もう一度だけ、

「……もう一度だけ、抱きしめて、いいか」

 わかってる。知ってる。このベポは、俺の知ってるベポとは違うことを。もう何もかも昔とは違うことを。

 ベポが困りながらも頷いたのを見て、やっぱりベポは優しいな、なんて。

 ベポの首に顔を埋めて、左手を背中に回す。さっきよりも、もっとあたたかくて、大好きだった匂いがして、拍動する心臓の音が、強く聞こえた。

「……おれはさ、キミに何があったのかわかんないけど……キミは、キャプテンはキャプテンだよ。“迷惑”だなんて“こんな”なんて言わないで」

 ぎゅぅ、と大きな手で抱きしめ返された。

「お、れは……」

「ベポ」

 男の声が部屋に響く。入り口の方にいたのは馴染み深い帽子を目深に被った、この世界のトラファルガー・ローだった。

 ベポは少し強く俺を抱きしめると、抱擁を解いた。温もりが消える。……行かないでくれ、だなんて言えない。資格もない。

「話を割ってすまないな。……ベポ、全員をここに召集してくれ」

「アイアイ!」

 キャプテンもどき安静にね!、と騒がしくベポは部屋を出た。

 帽子のツバと滲む視界のせいで、目の前にいる彼の表情は読めない。何を考えているのか。同一人物と言っても、ドフラミンゴを討ち仲間と冒険を続ける彼と、何もかもを失い地獄を歩いた俺との違いは大きすぎて。……もう俺には、彼が何を考えているかなんて微塵の想像もつかなかった。

「別に取って食うわけじゃねぇ。……お前は、ドフラミンゴに負けた俺、だな」

 ドフラミンゴという単語に体が震える。ドフラミンゴに負けた、俺。やっぱり、彼は憎きアイツに勝ったらしい。

「治療するとき、お前の記憶の断片を見た」

「は……?」

「俺は大方のあらましを知ってるが、クルーにはまだ話してねェ。自分の口で言え」

「いや、ちょっと待て……待ってくれ……」

 なんだ、と言うような顔で彼は俺を見る。……俺、こんな顔してたのか。

「俺は、もう帰る。クルーたちにひと目会えた。もう……十分だ」

 俺がここにいれば、いずれ俺の世界のドフラミンゴが来るのは明白。迷惑をかけるわけにはいかない。俺はここから離れる。それでいい。

「……知るか」

 ぶっきらぼうな声が響く。

「帰ってどうする。どうやって戻る。仲間の仇は。コラさんの本懐は。傷だって治ってねェ。俺は、今のお前にドフラミンゴが討てるとは思えねぇぞ」

「……ああそうだ、その通りだ。討てるもんなら、とっくにやってる……!あんなに練習したROOMですら、今は………何もない。右腕も、体力も、技術も、仲間も、味方も、気力も、何もかもッ!……アイツに、奪われた」

──見たんだろ?!記憶を!!

 ……それなら、わかるはずだろ。

 それでもなお、堂々とした目が、俺を射抜く。気迫のある強い意志を宿した瞳。


「俺らがいる」


 もう一人の俺は、ベッドの脇にあった俺の帽子を乱雑に、しかし優しく俺に被せた。視界が白く染まる。

「……俺らと共にドフラミンゴを倒す。それでいいだろ」

 涙が溢れた。溢れて、止まらない。

 そんなこと、考えもしなかった。

 もうこれからずっと、独りで、この地獄の底を生きるのだと。この生き地獄が、せめてもの償いなのだと。……そう思っていた。そう言い聞かせていた。

「仲間の仇を仲間がとるのは当たり前だろ!俺はお前じゃねぇが、お前は俺だ!ドフラミンゴを討てねぇ理由がどこにある!!」

 帽子のツバ──今度は俺の帽子の──で“俺”の顔は見えない。

 そうだ。ドフラミンゴを倒す。それ以外の償いなぞ始めから存在しなかったんだ。

「……ごめん……ありがとう」

「……そこは適当に頷いときゃいいんだ」

 バツが悪そうにしながらも、彼は俺の帽子の位置を直して「そもそも俺はそんな泣き虫じゃねぇ」と言葉を溢す。

 俺の帽子を直して、頭に置かれた大きな逞しい手はどこか、懐かしい。

「ああ……よろしく、頼む」

 涙を止めて彼を見上げる。

 トラファルガー・ローのニヒルな笑みは、少しだけどこかコラさんに似ていた。ほんの、少しだけ。





「ローさん!たくさん、あったまってねっ!!」

「ううっ……大好きっすローさぁぁん!」

「今日はこのまま寝よう!!」

「私らがずっとそばにいます!」

「ローさんの背中、おれがもらった」

「ずりぃぞハクガン!!」

「ちょっとジャンバール、ローさん苦しいって」

「ドフラミンゴぶッ飛ばす!」

 うわぁぁんローさぁぁああん!!

 憎っくきドフラミンゴめー!!

 ロー……ややこしいが、もう一人の俺である彼の姿は、白いつなぎを着た者たちに埋もれてもう殆ど見えなくなっていた。

 こうなってしまった理由は至極簡単。並行世界のローの境遇をクルーたちに話したからだった。

 あまりにも惨いことを除き、彼は自身の口から、その身にあったことをつっかえながらもクルーの皆に話した。

 ドフラミンゴに負けたこと。麦わら屋が死んだこと。ハートの海賊団が皆殺しにされたこと。ずっと拷問を受けていたこと。そして、この世界にやって来た経緯。ドフラミンゴに再度挑むこと。

 終始、場はまばたきをすることすら憚れるほどの重い空気が流れていた。それもそうだ。別世界、とはいえ一定の確率であったかもしれない自分たちの未来、悲惨な結末を己の船長から知ったのだから。

 ローは話の最後にこう言った。

「ここにいる皆とは、違うのはわかってるが……俺のせいで、皆を……死なしちまって、ごめん。ずっと、ずっと謝りたかった。ごめん、ごめん。不甲斐ない俺で、ごめん」

 震える体のまま。涙の滲む瞳で。枯れた声で。

 およそ、想像なんて欠片もできないほどの恐怖と絶望を抱えて。

「…………でも、もう一度、」

───もう一度だけ、俺と一緒に戦ってほしい。


 そうしたならもう、クルーの皆は涙腺崩壊甘やかしモードに入っちまった。

 まずベポが彼に抱きつき、次にペンギンとシャチが左右を確保。ハクガンが背中にくっついてイッカクが左足元へ、クリオネは……アイツどこ行った?……まぁ、ともかく最終的にジャンバールが全員を抱きしめるようにハートの海賊団総勢20名+αの人間団子が完成して、ようやくカオスな今に至る。

「ったく、アホども。そいつは怪我人だ。あまり負荷をかけんじゃねぇ」

 俺は場を引き締めるように、鬼哭で床を叩いて音を鳴らす。

 流石にぎゅうぎゅうになったもう一人の俺が大変そうだ。

「あーキャプテン、そんなこと言って!どーせぼっちなのが寂しいんだ!」

「キャプテンのツンデレー!!」

「負荷なんてかけてないもん!ね?ローさん!」

「ああ……ありがとう、ベポ。……あたたかいよ」

「キャプテンもこんなに素直だったらなぁあ」

「……おい、シャチ、ペンギン。そろそろ俺はROOMの展開に疲れたんだが……外の見張り、頼んでもいいよな?」

 思っていたよりも低い声が出たが、自然と口角は上がる。

 今は潜水中だが全員を医務室に集めているため、水中でホバリングをしている。だが、海王類などの襲撃に備え、俺が広範囲にROOMを展開して索敵をしていた。

 だが、既に話はまとまったし見張りをつけてもいい頃だろう。そう例えば……シャチやペンギンに任せたり、な。

「キャプテン大好き!!我らが船ちょ

「よっ!男前!!最高にかっ

「“シャンブルズ”」

 シュン、と小さな音を立てて二人の声が途切れた。同時、笑い声が部屋に響く。

「見張りざまあみやがれ!」

「アホだあのふたり」

 二人と入れ替えたペンを一本ずつ持ってそう叫ぶのは、シャチのいた場所に入り込んだウニと、ペンギンのいた場所に体をねじ込んでいるクリオネだった。……お前そこにいたのか。

「盛り上がっているとこ悪りぃが、お前らもそろそろ持ち場に戻れ」

 場を宥めるように言えば、団子になった船員たちからブーイングが起きる。

「待って待って船長!」

 ブーイングの中、ひとり声を上げたのはイッカクだった。手をあげ人と人の間から俺の方を見る。

「病人のローさんには世話係が必要だと思いマス!世話係を交代制で決めませんか?!」

 輝く瞳にはあわよくば私が、という魂胆かわ見え見えだった。

 だが、確かにイッカクの言う通り、病人かつ不安定なローの世話係は必須。臨時で当番を配置するのは良い案だ。

「ああ、そうだな。……なら一日交代の当番をお前らの中で決めてくれ」

 野太い歓声が上がった。

「よし、じゃんけん大会の順位で決めるぞ野郎共!」

 ベポがそういうと、船員はいそいそとローから離れ、人間団子状態が終わる。しかし、気合を入れているのか雄叫びを上げる者、集中しているのか静かになる者。カオスな状況は変わらなかった。

 台風……というより竜巻の中心にいるもう一人の俺は、呑気に笑いながら「みんながんばれー」と更に場を荒らす。案の定、野郎共やる気が上がったのが肌でわかった。

 そうして、じゃんけんはスタートした。

 グループで分けたり、トーナメントにしたり、色々やり方はあるだろうにまさかの個人戦一斉勝負。……俺の仲間はこんなに馬鹿だったのか。いやそうだった。周知の事実だ。

 繰り返される「あいこでしょっ!!」というデカい声を聞きながら、俺はベッドに座るローの左隣に腰掛けた。

「……うるさくてすまねェな」

「そんな風に思わないのは、お前が一番知ってるだろ」

 剃られた髭ともみあげのせいか、幼く見えるローはにやりと笑った。

 同じように笑って俺は言葉を返す。

「……そりゃ、どうだろうな」

 生き方は変わってしまったかもしれない。失ったものは違うかもしれない。

 それでも、コイツは俺で、俺はコイツ。全く同じ考えを持つ者がいるのは、不思議な感覚だった。

 だからか、見過ごすことは出来なかった。昔のように生きる意味を、あの時のように目標を失った俺を。

「……感謝してる」

「わかってるだろ。……ただの気まぐれだ」

「わかってるよ。“気まぐれ”なのは」

 少しムカついて、意外と面白かった。

「いよっしゃぁぁあああっ!!」

 俺らの鼓膜を揺さぶったのは、いつの間にかここに戻って来ていたペンギンだった。

 船員たちはそれぞれ、喜びや悲痛な雄叫びをあげている。どうやら、じゃんけん大会の優勝者──もとい、世話係が決まったようだ。

「ローさん!俺が最初の世話係です!!」

 ペンギンが心底嬉しそうに言った。

「チッ……別に今日からだしな」

「そうだそうだ、今日の数時間だけより、明日に丸一日一緒にいられる方がいいもんな」

「ばーかばーか」

 そんな言葉にペンギンはニヤリと笑うと高らかに笑った。とんだ茶番だが、どうやら右に座るコイツは笑いを堪えているらしい。

「ローさんの?“初めて”に?おれはなれるんですけどねぇ?」

 ペンギンのくせに!!!!と他の19人は叫ぶ。ぎゃあぎゃあとまた一段騒がしくなった。

 全くもってアホだ。

 アホで、馬鹿らしくて、

「面白いやつらだ」

 そう言って、ローは声を上げて笑う。

「ローさん笑ったー!!」

 彼の笑顔を見て……少しだけ、わかった気がした。

 遠い昔、コラさんが俺を助けたときの気持ちが。








☆沢山の感想ありがとうございます😭めちゃくちゃ嬉しいです。拙いですががんばります☆

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