ごめんねスレッタ・マーキュリー─ほうき星の消えた日(前編)─

ごめんねスレッタ・マーキュリー─ほうき星の消えた日(前編)─





 泣いている彼女を抱きしめる。

 あたたかな体温を感じながら、この人だけは離すまいと腕が力を強くしていく。

「ごめんね、スレッタ・マーキュリー」

 言葉だけは謝りながら、けれど心の内は罪悪感だけではなく、同じくらいの幸福感も感じていた。




 少し前までのエラン・ケレスは人と触れ合う事が好きではなかった。肉体的なものだけでなく、精神的な繋がりも拒絶していた。

 ペイルでの苦い経験から決定的になったこの性質は、学園に通い始めても変わらず継続されていた。

 生徒たちとの接触はあまりしないよう言い含められていたので、これ幸いと命令に従い、最低限の接触すらもしていなかった。

 エランから寮生に話しかける事はない。他愛もない挨拶や雑談は無視をするし、事務的な会話にはただ了承の相槌を打つだけだ。

 愛想の欠片もない態度に戸惑う生徒も怒る生徒もいたが、エランの心には何の波風も起こらなかった。

 彼らは高い学費を払って学園に通う、スペーシアンの富裕層の子供たちだ。

 実験動物の自分とはまったく違う生き物で、だから彼らからどう思われようと構わないと思っていた。

 仮に彼らと仲良くなったとしても、未来へはどうあっても繋がらない。だから最初から関わり合うつもりはなかった。

 唯一シャディク・ゼネリだけは、そんな態度を取るエランに対しても朗らかに接してくれていた。

 養子だと隠さずに公言している彼は、それなりに苦労もしたのだろう。同じ御三家という括りに入る事もあって、時には気安く話をすることもあった。

 けれどやはり自分とは違う生き物なのだ、という意識は常に心の中にあった。

 …『エラン・ケレス』というメッキを剥がせば、中から出て来るのは何の価値もない薄汚れたアーシアンの子供だけだ。

 スペーシアンの為に用意された特別な学園の中で、ただひとりすり潰されるのを待つだけの、取るに足らない存在だった。

 周りに人はいるのに、エランは常にひとりきりだ。

 昔は同じ境遇の仲間がいたが、とうに引き離されてしまった。エランは影武者を命じられた事で、他の強化人士とも違う『何か』になってしまったのだ。

 学園での生活の中、だんだんと強い孤独感に襲われていく。

 仲間が欲しい。友達が欲しい。

 この苦しみを共有できる『誰か』が欲しい。

 自身の命に興味が薄れていった後も、心の奥底で孤独を厭う想いはくすぶり続ける。

 そんなエランの元に、ある日彼女───スレッタ・マーキュリーはやって来た。

 彼女の操るガンドアーム。

 エアリアルから放たれたガンビットは、まるでほうき星のように尾を引いて、エランの目と脳に焼き付いていた。




 温かい。

 エランはぎゅっとスレッタを抱きしめながら、罪悪感と幸福感、そして彼女を守らなければいけないという使命感。そんなものに心を支配されていた。

 腕の中の泣き声がだんだんと小さくなっていく。スレッタは「ううぅ…」と小さく唸りながら、エランの胸に沈むように体重を預けていった。

 遠慮なくかかる彼女の重みに、ほんの少し違和感を覚える。

「スレッタ・マーキュリー…?」

 名前を呼んでみるが、返事はない。

 彼女の体は温かい。…少々、温かすぎるほどに。

「スレッタ・マーキュリー」

 もう一度名前を呼ぶ。やはり返事はない。

 エランはスレッタの肩に手を回し、少し体を離してみた。途端に彼女の体が崩れ落ちそうになったので、慌てて腰を抱いて支えてやる。

 見れば涙で濡れた頬は真っ赤に染まりきっていた。羞恥の赤面ではなく、明らかに熱がありそうだ。

「だ、大丈夫?スレッタ・マーキュリー」

 先程と同じ言葉を、今度は違う意味を込めて口に出す。スレッタは「うー」と返事をしながら薄目を開けたが、結局は根負けしたように目を閉じてしまった。

 焦るエランに、いつの間にか近くに来ていたクーフェイ老が話しかけてくる。

「朝は調子が良さそうだったんだが、ぶり返したか。おい新入り、お嬢さんを車に乗せてやれ」

「クーフェイさん」

 思わず縋りつくように名前を呼ぶ。

 エランはまだ囚われの身から自由になったばかりだ。今まで住んでいたアパートに帰っていいのかも分からず、スレッタを休ませる場所をすぐに確保するのは難しい状態だ。

 だからクーフェイ老の指示がとても頼もしく思えた。

「俺の貸し家に移動させる。お嬢さんを寝かせたらついでに俺も休むから、お前は家で適当に過ごしてろ。起きたら詳しく話をしてやる」

「それはいいんですが、彼女の具合はどうなんですか。病院に行ったんでしょう」

「安静にしてれば問題ない。薬もあるから後で飲めそうなら飲ませてやれ。何はともあれ移動だ。ほれ、早くしろ」

 クーフェイ老はエランを叱るとさっさと車の方へと歩いていき、乗り込みしやすいように後部座席のドアを開けてくれた。

 確かに話をするよりも彼女を早く休ませるべきだ。エランは丁寧に横抱きにすると、あまり振動を与えないように気を付けながら車まで歩いた。

 慎重に後部座席へとスレッタを座らせる。車が小さいうえに重力もあるのでデミトレーナーに乗り込んだ時よりも大変だった。

 反対側のドアからエランも後部座席へと乗り込み、彼女の体を自分の方へと寄りかからせて安定させる。

 様子を伺っていたクーフェイ老がエンジンをかけ、車がゆっくりと動き出した。

 暫く車内は静かだったが、老人が唐突に口を開く。

「お嬢さんの怪我の具合だがな…」

 そんな言葉から始まって、エランが離れていた間のスレッタの様子を教えてくれた。

 入院時の姿。医者からの説明。そしてエランとの間に交わした約束が原因で、ずっと気を揉んでいたこと。

 怪我自体はそう重いものではないようだが、安静にしているようには言われたらしい。なのに彼女はエランの事が気がかりで、碌に休めもしなかったのだ。

「お前と会えてホッとして、気が緩んだんだろう。たくさん寝て、たくさん食べたらすぐに良くなる。後で滋養のあるもんでも買っといてやれ」

「…ありがとうございます。クーフェイさん」

 苦いものを噛みしめながら、返事をする。

 あの3日間の約束は、最初はスレッタを守りやすいようにエランのそばに縛り付けるためのものだった。けれど途中から、ただ自分が安心感を得るために言及することが多かったように思う。

 それが元で彼女が苦しむことになるなんて、想像していなかったのだ。

 何よりケガ人を遠慮なく抱きしめてしまった。痛かっただろうに、スレッタは何も言わずに抱きしめ返してくれていた。

 まったくの考えなしの自分に泣きたくなる。

 しかし今更離れるという選択肢は取れない。エランの力が続く限り、彼女をこの手で守りたいのだ。

 スレッタの身も心も、すべてを守るにはどうしたらいいか、エランは考え続けなければいけなかった。


 暫くして、エラン達を乗せた車は一軒のアパートの前に辿り着いた。外観はすっきりとしていて、部屋数も多くはなさそうだ。

 エランは慎重にスレッタを抱き上げて、クーフェイ老の後に続いた。鍵を開けて中に入ると、きちんと整理整頓されている部屋が現れる。

 車の運転で疲れたのだろう。首の辺りを揉みながら、老人がやれやれと息をついた。

「ようやく帰って来た。おい、まずはお嬢さんを寝かせるぞ。こっちだ」

 言うなりクーフェイ老はさっさと1つの部屋に入っていく。

 案内された場所には床に直接敷いてあるタイプの寝具が置かれていた。どうやらスレッタの為に用意してくれたらしい。

 碌に物もないことから、元々はあまり使っていない部屋だったようだ。

 スレッタを寝具の上に横たわらせて、上から薄いブランケットをかける。横になる事で楽になったのか、ほんの少しだけ彼女の辛そうな顔が緩んだような気がする。

「お嬢さんは本格的に寝入っちまったようだな。薬と水はここに置いとくから、少しでも目が覚めたら飲ませてやれ。俺は寝る」

「はい」

「イタズラするなよ?」

「しません」

 クーフェイ老の揶揄いに反論しながらも、エランはジッとスレッタを見つめる。

 彼女がこうして具合を悪くして寝込むところを見るのは、これで2度目だ。

 1度目は病気で、2度目は怪我で。

 3度目だけは阻止しようと、エランは決意していた。


 数時間後。別の部屋で物音がしたかと思うと、クーフェイ老が欠伸をしながらやってきた。

 スレッタの様子を聞いてきたので、少し前に薬を飲んだ事を伝えておく。

 本当に一瞬の目覚めで薬を飲んだらまたすぐに眠ってしまったが、今の寝顔はとても落ち着いているように見える。薬が効いているようだ。

 クーフェイ老はスレッタの寝顔を覗き込み、これなら起きたら飯が食えそうだ、と言いながらほんの少し口角を上げた。

 昨日は普通の食事をしたそうだが、熱が出た事で胃腸が弱っているかもしれない。解放された時に端末なども戻ってきているので、食べやすそうなものを買ってくることにした。


 アパートを出て、大通りを通っていく。数日前までの見慣れた光景のはずなのに、今は何だか景色が違って見える。

 屋台で売っている料理を物色しながら、これからの事を考える。

 今はクーフェイ老の好意に甘えているが、スレッタの体調が良くなったらすぐにこの土地を出た方がいいだろう。

 一応の解決はしたとはいえ、土地の有力者から目を付けられている今はとても危険な状態だ。

 今回は父親の方が強硬な姿勢だったようだが、上役の男が復讐に来ることも十分に考えられる。彼が父親に強請れば、こちらにまた手を伸ばしてくるかもしれない。

 だから出来るだけ遠くに逃げる必要がある。

「………」

 エランは食べやすそうなスープを見繕いながら、はぁ…と大きく息をついた。

 まだ他にも考える事がある。ある意味こちらの方が切羽詰まっているかもしれない。

 それは今までは大して気にしていなかったお金のことだ。

 クーフェイ老が払った金額は相当なものだった。それでなくても色々と世話になっているし、この分に上乗せして謝礼を払わなければいけない。

 手持ちの金で何とか足りるとは思う。けれど、この先の生活は確実に苦しくなるだろう。

 シャディクから貰った報酬は多かった。一生の贅沢ができるほどではないが、場所を選べば死ぬまで慎ましく暮らすこともできたかもしれない。それくらいの額になる。

 これは地球を旅するうえで相当なアドバンテージだったと言える。その有利な状況が、今回の事件で吹き飛んでしまった。

「………」

 この土地に来た当初、スレッタが寝込んだ時の事を思い出す。

 彼女はお金の心配をしていた。

 物価が安いから大丈夫。そう言ってスレッタを安心させたが、真実は少し違う。

 確かに宇宙と比べたらこの土地の物価は遥かに安い。けれど今まで旅していた地域と比べてしまうと、途端に物価は高くなる。

 つまり、スレッタの心配は妥当なものでもあったのだ。

 もしこの土地の物価がもっと安ければ、警備隊に言われるがままの金額を払ったとしても十分な余裕があっただろう。

 エランは自分の過去の言動に頬をぶたれた気になって、心の中で項垂れた。最近はずっと自分自身に呆れている気がする。

 だが反省はとりあえず後回しにして、早急にこれからの予定を組まなければいけない。

 クーフェイ老に金を多めに払ったとしても、まだ僅かばかりの金額は残る計算だ。

 それで別の土地へ行き、何とか仕事を見つけて食いつなぐしかない。多少は危険な仕事でも選択肢に入れて稼いでいけば、そのうちまた余裕は出来るはずだ。

 若干楽観的なものは否めないが、今からすべてをきっちり決めたとして、その通りに物事が進むとは限らない。

 ますはスレッタの体調が回復したら彼女と相談して、次に向かう土地を決めよう。

 場所の候補を新たにリストアップしながら、エランはそう考えていた。

 老人から思わぬ土地の名前が出てきたのは、アパートに帰ってすぐのことだった。


「次に向かう土地だぁ?ああ、まだ言ってなかったな。お前さえよけりゃ日本に来い」

「『にほん』…?」

 スレッタはまだ寝ているので、老人に相談したところ聞き慣れない言葉が出てきた。どうやら土地の名前らしいが、クーフェイ老の故郷の町の名前だろうか。

 首を傾げるエランを前に、老人は端末をつたない手つきで操作したかと思うと、呼び出した画面を見せてくれた。

「ここから北東にある島だ。縦に長いが、その真ん中あたりだな」

 海に囲まれた島だった。背を反った生き物のような細長い形をしている。

 この形には見覚えがある。

 エラン達のリストから真っ先に外されていた、ベネリットグループが統治する地域だ。

「クーフェイさん、大陸の人ではなかったんですか…?」

 名前が大陸風だったので、てっきりそう思い込んでいた。今はかなりの人種が混ざり合い、名前も同様に混ざり合っているが、それでも土地に根差した人々の方が圧倒的に多くなる。

 大陸ならベネリットが関係していない場所もあるのだが、この島…『にほん』の方は、何十年も前にベネリットの前身であるグループが実効支配をし始めていた場所だ。

 昔は島がひとつの国として纏まっていたらしいが、当時のグループが念入りに小間切れにし、そのまま後を継いだベネリットが分割統治している地域だった。

 中には援助の名目でワザと多数の難民を呼び込んで、治安を不安定にさせている所もあるらしい。自分たちにとっては危険な地域だ。

 顔をしかめるエランに、クーフェイ老は「嫌ならいいがな」と引き下がる姿勢を見せた。

「けど俺の住んでいた場所はベネリットの土地じゃない。飛び地みたいなもんでな。上に居るのはスペーシアンではあるんだが、別の組織が支配してる」

「別の組織…ベネリット以外のグループですか?」

「…別の組織だ。そんで、いくらか自治権も認められている。俺も自分の土地を持ってる」

「アーシアンが土地を…?」

 それは驚くべき事だった。基本的には土地の権利はスペーシアンが買い占めている。アーシアンはその土地を借りているだけ、というのが空の上の彼らの言い分だった。

 中にはダウルーロウ家のように力のあるアーシアンもいるが、本当にごく少数だ。大抵のアーシアンは土地代として取られる税金に四苦八苦することになる。

「お嬢さんにはもう話してある。彼女は乗り気だったようだが、お前はどうだ」

「話が出来過ぎています。あなたもお人好しが過ぎる。…まるで、最初から僕らをその土地へ連れて行くのが目的のようだ」

 急激に警戒心が沸き起こる。

 エランは肩代わりしてくれた金を払えば、クーフェイ老との縁は切れると思っていた。なのに老人は自分の土地へエラン達を連れて行こうとしている。

 関係を継続したとして、老人になんの得があるというのだろう。…自分たちを利用しようとしているのではないか。そう考えるのが自然だった。

「今更ながらに警戒か、遅い。…が、お前の思っている事は残念ながら半分ハズレで半分正解だろうな」

「どういう事ですか」

「お嬢さんにはもう言ってあるが、お前たちを連れて行くことで俺にも都合が良い事が起こるという事だ。まだ詳細は見えんが、そんな気がする。…あとな、最初から日本へ連れて行こうなんて考えてなかったぞ。若もお前も暴れすぎなんだ。流れに身を任せていたらこんな事になっちまった」

 老人に無茶をさせるな、そんな言葉で叱られてしまい釈然としない心地になる。

 悪意はない…という事だろうか。老人の意図を見極めたくて、エランは改めて質問をしてみる事にした。

「僕らを連れて行くことであなたに都合が良い事が起こるとは、どういう意味ですか?」

「まだ詳細は見えんと言ったろ。今は何となくそんな気がするだけだ。早ければ今年の年末か来年の頭くらいに、何か動きがあるだろうさ」

「…僕らを別の組織で運用するつもりですか?」

「別にそんな事はせん。仕事という事なら、個人的に頼みたいものがあるだけだ。あと、自分の事を機械かなんかのように言うもんじゃない」

「……個人的に頼みたい仕事とは?」

「さっき言った俺の持ってる土地の管理だ。不便な場所だから色々と面倒でな。ちょうど体が頑丈で真面目な管理人を探してた。お前なら、まぁ及第点だろう」

「………断ったら?」

「それで終いだ。俺とお前らの縁は切れる」

「………」

 老人の言い分はあっけらかんとしていた。本当に、断ったらそれまでだと思っているようだ。

 警戒を少し解き、エランはその後もいくつかの質問をしてみた。主に管理して欲しいという土地の状態と、老人がどれくらい自分たちに干渉してくるかについてだった。

 それによるとどうやら土地は小さな山を丸ごと買い取ってあるようだ。山の中腹に家が一軒あり、主にこの家と周辺を綺麗に整えるのが仕事らしい。

 山奥に分け入る必要はないようで、むしろ遭難する恐れがあるので奥には入るなと言われてしまった。

 更に老人はまだこの土地での仕事が残っているので、エラン達を『にほん』に案内したらすぐにここへと戻らなければいけないそうだ。

 仕事が終わり再び『にほん』に帰ってからも、こちらから連絡を取らなければ基本は放っておいてくれるという。

 最後に家の管理で何か分からないことがあれば、前の住人に相談しろと老人の指示で締めくくられた。

「まだ了承するとは決めてません」

 憮然として言うと、クーフェイ老は呆れた顔をする。

「言葉ばかりは慎重だな。…まぁ、俺も少しは腹の内を見せるか」

 そう言うと、老人は急に神妙な顔つきになった。

「お前さんはあまり疑問に思ってないようだが、俺には変な能力がある。人の心を見たり、未来の出来事がある程度わかる力だ」

「はぁ…」

 真剣な顔で何を言いだすかと思えば、オカルティックな話らしい。

 要領を得ない返事をしながらも、老人の言い回しが時折変だと感じていたのはこの力が原因か…とエランは一応の納得をしていた。

「まったく何の反応もないな」

「色々と腑に落ちるので」

 思えば何度もエランの口に出していない…頭の中だけの言葉に言及していた気がする。心を読まれていたという事だろう。

「この土地に来たのは俺の能力を当てにした友人の依頼があったからだが、話を持ち掛けられた時は受けるかどうか少し迷った」

「はぁ…」

 また唐突な昔語りだ。この話がエラン達に関係あるのだろうか。内心で首を捻っている間にも、クーフェイ老の話は続いていく。

「だが結局は受けることにした。南西の地に何かが来るという予感があったからだ」

「それも未来予知ですか?」

「分からん。俺の目で見る能力とは違って、これは感じるものだ。単なる勘のようなもんなんだが、不思議と当たる事が多い」

「はぁ…」

「この時のイメージは流れ星とか、ほうき星だった。空の端から落ちてくる光だ。希望を乗せてやってくるが、同時に燃え尽きそうな光だった」

「………」

「この地に来て暫くは覚えてたんだが、半年も経つと忘れかけてた。…だがお前がやってきた」

「僕がその流れ星だと?」

「正確にはお前ら2人だ。ただ希望と言っても、すでにそれは為されている気配がした。だからお前らを放って置いてもよかったんだが…」

「………」

「子供が燃え尽きる可能性があるのに、黙って見ているのは性に合わん。だから色々と首を突っ込んだ。まぁそれだけの話だな」

「では『にほん』に僕らを誘ったのは…」

「単にお互いに都合がいいからだ。俺の方は早く管理人が欲しかったんだが中々探す時間がなくてな。そこにおあつらえ向きの人材がきたんだから、渡りに船だった」

「………」

「あとはさっきも言った事が理由だな。お前らを日本に連れて行くことで、何だかいい事が起きる気がするんだ」

「…それも、単なる勘ですか?」

「そうだ」

「………」

「別にどうしても嫌だと言うなら来なくていい。とはいえお前ひとりならどこへなりとも行けるだろうが、お嬢さんもいるんだ。慎重に考えろよ」

「…返事は、後でもいいですか」

「おう」

 会話の一区切りが出来たところで、ギシリと床が鳴る音がした。視線を向けるとスレッタがぼんやりとした様子で廊下に立っている。

「スレ…スカーレット。起きたの、体調は?」

 慌てて彼女を迎えに行く。

 スレッタはエランの顔を一瞬見上げると、すぐに力なく目を伏せてしまった。顔色は少し青ざめているだろうか。熱が出ていないか心配になって、彼女の額を手のひらで覆ってみる。

「……ぁ」

「熱は…下がっているようだけど。気分はどう?何か食べられる?」

「………」

 返事もせずに黙っている様子に、エランは段々と不安な気持ちになってくる。

「今からでも、病院に行って診て貰った方が…」

「エランさん」

「なに…?」

 スレッタは一瞬エランの名を呼ぶと、また俯いて黙り込んでしまった。するとクーフェイ老が彼女のそばに来て、言い含めるように喋りかけた。

「スレッタお嬢さん。言いたい事があるなら言っちまいな。大丈夫だ、誰も怒ったりしない」

「…クヘイさん。でも、邪魔するのは…」

「邪魔?…ああ、それこそ大丈夫だ。道に迷いそうなバカに、お前さんが行きたい方向を指し示してやんな」

「………」

 会話の内容はよく分からないが、お互いに話は通じているらしい。面白くないモノを感じながら、エランはスレッタの言葉を聞くことにした。

 スレッタはクーフェイ老の言葉に頷くと、遠慮がちに視線を合わせてくる。彼女の目を真正面から見るのは、何だか随分と久しぶりに感じた。

 彼女が口を開く。

「エランさん。あの…わたし、に…日本に行きたい、です」

「…それは、クーフェイさんの提案に乗りたいってこと?」

「は、は、はい…。あの、ごめんなさい。でも、クヘイさんはとっても優しいです。信用…できる人です」

「おう、嬉しい言葉をくれるじゃないか」

「………」

 スレッタの言葉を聞いて、クーフェイ老は少し照れているようだ。自分がいない3日間の間に随分と信頼されたらしい。

 皺が緩んでデレデレとしている顔をジッと見ていると、途端に老人は皺を深くして噛みついてきた。

「おい、こんな爺に嫉妬すんな。みっともねぇぞ」

「してません」

 半目になって反論する。彼女が信用したいというなら、それに従うだけだ。もし自分たちを裏切るつもりなら、分かった時点で反撃してやる。

 攻撃的な気持ちも見えているのだろう。クーフェイ老は呆れた顔でこちらを見てくる。

「お前がそんなだと、スレッタお嬢さんが苦労するだろ」

 あまつさえ苦言を呈してきた。しかも旧知の仲のように、スレッタの名前を気安く呼んでいる。

「先ほどからスレッタスレッタと、身内でもないのに少し馴れ馴れしいと思います」

 ほとんど言い掛かりのような言葉が口をつく。

 そこまで言って、気が付いた。目の前の老人がスレッタの本名を呼んでいる事に。

「……どうして彼女の名前を?調べたんですか」

「なんでわざわざそんな事しなきゃならん。スレッタお嬢さんに教えてもらったんだ」

「…スレッタ・マーキュリー?」

「え、あ、あの…。わたし、あの…。ご、ごめんなさい」

 青い顔になって謝る彼女に対して、クーフェイ老が庇うように前に出た。

「謝らんでいい。お嬢さんの名前はな、俺の事を信用する証に教えてもらったんだ。代わりに俺の本名も教えてある、対等なやり取りだ」

「本名…あなたの?」

「そうだ。クーフェイは仮の名前みたいなもんだ」

「本名を教え合って…。だから信頼関係が築けているとでも?」

「そうだ」

 深く頷いて断言する老人に、エランは言葉が継げなくなる。

「俺は本当の名にかけて、スレッタお嬢さんを裏切らないと誓う。…で、お前はどうだ、カリバン・エランス。お前は名前を教えるつもりはあるか」

 まるで戦士による誓約のようだ。エランは理屈ではなく本能で、老人が自分たちを騙すつもりなどない事を悟った。

 そのうえで、老人はエランに問いかけている。自分を信用する気はあるかと。

 こくりと小さく唾を飲み込む。目の前の枯れ木のような老人に圧倒されて。でも僅かばかりの反抗心と共に、言い訳のような言葉が口から洩れ出る。

「僕に本名はありません。忘れてしまったんです」

「お前が思う本名でいい。名前を教える気があるのかどうかだ」

 無性に追い詰められた気になったエランは、とうとうその名前を口にした。

「───エラン」

 スレッタが大事に呼んでくれる音の響きが、いまやエランの名前になっていたのだ。

 途端に老人はニヤリと笑った。

「俺の名前はイロクモ・クヘイだ。長い付き合いになりそうだな、エラン」


 そうして半ばなし崩し的に、エランとスレッタの2人は『にほん』へと行くことになった。






ほうき星の消えた日 後編


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