ごめんねスレッタ・マーキュリー─すべてが変わる朝─
※オリキャラ視点です
突然だが、俺ことダーオルン・ダウルーロウは、ものすごく恵まれた立場の人間として生まれた。
まずは生まれた場所がとても良かった。ここは突然雨が降ったりはするけど、その分豊かな自然がたくさんあって、美味しい食べ物もたくさん採れるいい土地だった。
この辺りを牛耳っているスペーシアン連中もわりかし温厚な連中で、戦争なんて起こさないし税の吸い上げも程々にしてくれている。少しは口出しはするけどガチガチに締め付ける訳でもなく、現地の住人の好きにさせてくれていた。
何より生まれた家が良かった。ダウルーロウ家は昔から裕福かつ周辺に影響力の強い一族で、スペーシアンの代わりにアーシアンを働かせる立場の人間だった。
なので俺と兄貴たちは、小さなころから色々な教育を受けた。
兄貴たちはとても優秀な人たちで、ある程度大きくなったら宇宙へと上がってスペーシアン連中に混じって勉強を続けた。宇宙で教わった知恵や構築した伝手によって土地を潤ませるのだと、遠目から見ても使命に燃えている様子だった。
結果としてその夢は現実になり、現在の兄貴たちは工場を大きくさせようと躍起になっている。
当時の俺も期待されていたが、正直まったくのダメダメだった。
兄貴たちと同じ家庭教師に教わっても、勉強の内容が全然分からなかったのだ。
意味不明な教師の言葉を素通りさせて、まったく違う事を考えていたと思う。そもそも、勉強をしようとする情熱がなかったのだから仕方ない。
結局俺は、逃げて、隠れて、遊ぶことに夢中になった。それを繰り返していると、初めは躍起になって勉強させようとしていた大人たちも諦めてくれるようになった。
子供ひとりじゃ外に遊びにいけなかったので、屋敷の中でひとりぼっちで遊ぶ。
何故か家に置いてあった子供向けの人形相手におままごとをしたり、その子を連れて庭を探検したり。女の子とも男の子とも言えない遊びを繰り返していた。
庭の敷地はそれなりに広くて、いい遊び場だったと思う。
兄貴たちもあまり近づいては来なかった。出来の悪い弟なんて、恥ずかしくていない事にしたかったんだろう。
その日もひとりで遊んでいた。けれど、いつもとは違う出来事があった。使用人の子供が一緒に遊んでくれたのだ。
彼は複数人での遊び方を知らない俺にヒーローごっこを教えてくれた。
使用人の子供はコミカルな怪人役をやってくれたので、俺はカッコいいヒーローになって、被害者役の人形を何度も救って見せた。その日は夢中になって、疲れるまで繰り返し遊びまくった。
上の兄貴と同じくらいの年上の子供は、誰かと遊ぶ楽しみを俺に教えてくれた。そうして俺は、物も言わない人形相手では寂しかったのだとようやく気付く事ができた。
ラウティーアム。それが使用人の子供の名前だ。本家の子供たちは大体が惑星の名を付けられていたので、それらに付き従うために付けられたような、『衛星』という意味の名前だった。
俺の名前、ダーオルンの元である『金星』は、衛星が一つもない珍しい惑星だ。そんな名前だと言うのに、いつのまにかラウティーアムは俺の専用の従者っぽくなっていた。
金星のそばに寄り添う衛星。何だか可笑しくて奇妙だが、だからこそ自分だけのものが出来たようで嬉しかった。
ともあれひとりぼっちから卒業した俺は、それなりに楽しく日々を過ごしていった。年上なのに俺よりバカな従者が居たおかげで、成長していくうちにだんだんと自信もつくようになる。何気ない事でも褒めてくれるので、あの頃の俺は少しは勉強も頑張っていた。
兄貴たちには到底敵わないようなレベルの低いものだったが、別に崇高な使命もないので構わないと思っていた。俺は俺が楽しければそれでよかったのだ。
歯車が狂い始めたのは、地元の学校に通い始めた辺りだったように思う。
そこでの俺は注目の的だった。地元の有力な一族の直系なのだから当然だ。宇宙に上がった兄貴たちとは違って地元に残った俺は、そいつらにとって手の出しやすい格好の獲物に見えていただろう。
まだまだ純粋だった俺は、チヤホヤされて有頂天になった。おべっかを使われて舞い上がり、自分の小遣いから何でも彼らに買い与えもした。寂しかった幼い頃とは一変して、周りには自分を肯定してくれる子供たちに囲まれて嬉しかったのだ。
家族とは疎遠だが、優しい従者もいるし、友達もいる。俺はそんな状態に満足していたし、ずっと続くと信じていた。
事実、その頃の俺は知らなかったが、ラウティーアムはずっと一緒にいるための準備をしてくれていた。
年が離れている俺たちは、学校へ行っている間は別行動を取ることになる。その間のラウティーアムは従者として色々と覚えることがあると言いながら、毎日忙しそうだった。
でも行きと帰りは必ず笑顔で迎えに来てくれるので、そんなに離れている感覚はなかった。晴れの日も、曇りの日も、スコールがあっても、彼はいつも来てくれた。
あの頃の俺は迎えが来てすぐに帰る時もあれば、ラウティーアムも巻き込んで友達みんなと遊びに行くこともあった。ひとりだけ年上の彼はみんなの保護者のようになって、よく世話をしてくれた。
俺はまったく不満などなかったが、友達…だと思っていた連中は、それが気に入らなかったみたいだ。
ある日そいつらが陰口を叩いている所に遭遇した。ラウティーアムへの悪口と、従者にずっとべったりな俺への愚痴、思うように金を使わせることができない不満。そんな事をグチグチと言っていた。
俺は腹が立って、気が付いたらそいつらと言い合いになっていた。だんだんとヒートアップして、口汚い罵り合いに発展する。
子どもの喧嘩なのだが、その中で、よく覚えている言葉がある。
───ダウルーロウ家の人間じゃなかったら、誰もお前なんかのそばにはいかない。お前が頼りにしてる従者だってきっとそうだ。
そんな風な事を言われた。
俺は口では言い返したけど、頭の中ではショックを受けていた。その通りだと思ったからだ。ダウルーロウ家の人間でなかったら、俺に何の魅力があるんだろう。だって家族でさえ近くにいてくれない、つまらない人間なのに。
学校から連絡が入ったのか、慌てた様子のラウティーアムがすぐに迎えに来てくれた。喧嘩はいけないっすよ、そんな事を言っていたと思う。俺はうんと返事をしながら、寂しいような、不貞腐れたような気分で俯いていた。
こんなにそばにいても、きっとこいつは家族の命令1つで俺から離れてしまうんだ。…そういう目でラウティーアムを見るようになった。
その後の俺は少し荒れた。最初の奴らとは違うグループと付き合うようになり、次第に悪い遊びを覚えるようになっていった。
女の体は麻薬だと思う。特に甘やかしてくれる年上の女はいい。パートナーのいる女と遊んでいる時は、滅多に感じない自尊心を満たしてくれる。
元々の俺は少し野暮ったい外見だったが、様々な女たちの影響で少しは垢ぬけた外見になった。そのせいか、俺をダウルーロウ家の人間だと知らない相手でも引っかけられるようになり、ますます女遊びにのめり込んでいった。
ギブアンドテイク。一時の遊び。ほんの束の間の、安らぎの提供。
俺は蜜を集める蜂のように花の間を飛び交いながら、勉強もせずにフラフラしていた。女遊びを教えてくれたグループとも疎遠になったが、周りに群がろうとする奴らはひっきりなしにいたし、不便に思うことはなかった。代わりはいくらでもいるので、少しでも気に入らなけばすぐに取り換えてしまえばいい。
俺は蜂であり、花であり、小さな王様のようだった。家族が戸惑う中、ただラウティーアムだけは相変わらずそばにいた。
大人になった後も変わらない。無職では体裁が悪いのか、小さな工場の上役にはなったけれど、特に仕事も覚えないでフラフラしていた。
ラウティーアムは律儀に仕事を覚えようとしていたが、頭が悪いので中々うまくいかないようだった。俺はわざとワガママを言って仕事の邪魔をしていた。
彼はそんな俺相手でも辛抱強く相手をしてくれた。それは嬉しかったけど、たまに俺が自虐めいたことを言うと気まずそうにする時があって、何だかそれが無性に気に入らなかった。
だから我が儘と同じようにワザと自虐するような事を言ったりしてやった。そうして相手の態度にイライラする。ひどい悪循環だと思うが、やめられなかった。
そんな日々が数年続き、俺はこのまま死ぬまで同じなんだろうと思っていたら、ある出会いがあった。
カリバン・エランス。俺の運命だ。
彼はとても不思議な男だった。ふらりとやってきたよそ者で、せっかく宇宙に居住できる資格を持っているのに、こんな地球の小さな工場に仕事を求めてやってきた。
最初の出会いは忘れられそうにない。モビルクラフトの暴走に巻き込まれながらも、果敢に突っ込んでいく彼の姿は格好良かった。幼い頃にラウティーアムと遊んだ、出来の悪いヒーローごっこを思い出した。
それから俺はカリバンに纏わりついた。彼は他の連中とは違って、ダウルーロウ家の人間だと知っても態度を変えなかった。そっけない態度に俺はますます夢中になっていく。
最初は純粋に友達になりたいと思っていたのだ。けれどカリバンが恋愛が苦手だと知ってから、彼に対する思いは姿を変えた。
───こんなミソッカスの俺でも、カリバンに勝てるものがある。もしかしたら、彼を自分のものにできるかもしれない。
多分、俺は無意識にこう思っていた。それから毎夜、口には出せないような夢を見るようになり、何かの重力に惹かれるかのようにカリバンの事を考える日々が続いた。
でもよく考えたら、こんな魅力的な男がずっと独り身でなんているわけがない。それでもひとりでいるというなら、何か理由があるに決まってるのだ。
俺は偶然カリバンがナイトマーケットでひとりの女の子と歩いているところを見かけてしまった。
最初は妹だと思っていたけど、カリバンの目はそうでないと言っていた。彼の目は工場にいる時のような平坦なものではなく、隣にいる女への欲が滲んでいた。
俺はとてもショックを受けて、家に逃げ帰ってメソメソと泣いた。目が溶けるんじゃないかというくらいに涙を流して、そうして、少しおかしくなった。
カリバンの住所を調べる。実際にその場に行く。暑い中ずっと彼の借りているアパートの窓を眺める。
人を雇う。どうやらカリバンはナイトマーケットで歩いていた女と一緒に住んでいるらしい。妹とは別に彼女がいるのかと思ったが、どうもそうではないようだ。
何がしたいのか自分でも分からないまま、とにかく彼の事を調べに調べた。そうしている内に、だんだんと女に直接会ってみたいと思うようになった。
カリバンに相応しいか見てやろう。妹でも愛人でも関係なく、相応しくなかったら別れさせてやる。…そうしたら、自分が女の後釜に座れるかもしれない。
まったく正気とは思えない考えだったが、俺は真剣だった。
でも結局はすぐにばれた。どうやらカリバンのアパートに行った時、家にいた女に写真を取られていたらしい。
これまでにないほどの剣幕でラウティーアムに怒られて、俺は少しだけ目が覚めた。同時にこの写真を撮った女に逆恨みをした。カリバンも手に入れているくせに、ラウティーアムも女の味方をするのだ。恨めしいったらない。
この一件から、カリバンはあからさまに俺から距離を取るようになった。心の中で女への恨みが募っていく。
そしてとうとう、カリバンの口から工場を辞めることを聞かされた。俺は引き留めようとしたが、彼は頑として頷かない。明確な拒絶だった。
俺は悩んで、苦しんで、彼をどうにか諦めようとした。この時はまだ理性が勝っていた。
ただ最後に女に会ってみたいと思った。
カリバンに相応しいのか、そうでないのか。俺が遠目で見た時は、彼は女に一方的な愛欲を募らせているように見えた。見間違えかもしれないが、そう見えた。
俺は女を確認したかった。
カリバンにきちんとした愛情を返せる人物なのかを知りたかったのだ。
カタンと音がして、目を開いた。
「若、目が覚めたっすか?」
「ん…」
遥か昔の事のような出来事を思い返していたら、大分時間が過ぎていたようだ。目が覚めた時にはいなくなっていた従者がようやく病院に帰って来た。
ラウティーアムは自分も怪我をしているというのにフラフラと出歩いて、何か色々と買ってきたようだ。ガサガサと袋を探っている。
包帯を巻かれて狭い視界の中、俺は何となしにその様子を眺めていた。すると何故だか植木鉢やら、園芸用の土だかが袋から出てくる。
固定されているので首を傾げることはできないが、訝しんだ視線は感じたのだろう。ラウティーアムは俺の方を振り向くと、素敵なプレゼントっす、と笑っていた。
久しぶりに見た笑顔にハッとする。
こいつはいつもヘラヘラ笑っているくせに、最近はしかめ面や困った顔ばかりしていた。最初に目が覚めた時は泣きながら怒っていた。
主人であるはずの俺をバカだと罵って、女の子を傷つけるなんて最低だと攻め立てた。ボロボロと泣きながら説教して、こんな事もうしないでくれと懇願していた。
俺はうんと返事をして、そのまま眠りについたのだ。
ラウティーアムは一通りの道具を袋から出すと、そぅっと大事そうに、別の小さな袋を取り出した。
中に入っている厚手の紙を開いて、中身を俺に見せてくる。
それは小さな種だった。
白く長い根が出ていて、反対側には頼りない双葉がぴょこんと顔を覗かせている。
どうやらこれを植木鉢に植えるつもりらしいが、どうして俺に見せたのか分からない。そういえば、プレゼントと言っていただろうか。
「これ、すごく大事な種だったみたいですけど、分けてくれたんです。スカーレットさんから、若への贈り物っすよ」
「スカーレットから・・・?」
口の中が切れているので声を出すのは痛くて嫌だった。でも自然と彼女の名前を口に出していた。
スカーレット。
それはカリバンに片想いをして、カリバンに片想いをされている、野暮ったい女の子の名前だった。
女…妹に会わせてくれとカリバンに言った後、俺はヤケになっていた。手酷い拒絶を受けたからだ。
絶対零度の目線に、もう俺とカリバンの道は交わる事はないのだと悟っていた。
けれど、どうしても諦めきれない自分がいた。一度は諦めようとしたくせに、やっぱり嫌だと心のどこかが叫んでいた。
とにかく女が憎くて堪らず、どうにか会ってやろうと頭を巡らせ始めた。そしてある事を思いついた俺は、カリバンが借りているアパートの管理会社に連絡した。
会社といっても吹けば飛ぶような木っ端会社だ。家の名前を出せばすぐに予定を組んでくれた。
腰を低くしてもてなそうとする相手に、それとなくカリバンの家の鍵が必要になったと伝えてみた。鍵さえ手に入れれば簡単に女に会える、そう思ったのだ。
いざとなったら家の権限でも何でも使ってやろうと思っていたが、相手はすぐにお目当てのモノを持ってきた。拍子抜けするほど簡単だった。
でもこれでようやく女に会いに行ける。俺は大それたことをしていると分かっていたが、ぽっかりと開けた奈落の口に落ちるように、止まらなくなっていた。
ピンポン、インターホンを鳴らす。
何度も鳴らして返事がない事を知ると、躊躇なく鍵を使ってアパートに入る。ずんずんと奥に向かって歩いていく。そうしてようやくお目当ての相手に会うことができた。
初めて真正面から見る女は、随分と幼い顔立ちをしていた。成熟した体とは裏腹に、田舎から出てきたばかりのように野暮ったく、間抜けそうな顔をしていた。ただ最高級の翡翠のような艶やかな碧い目と、この辺りでは見た事のない鮮やかな赤い髪の色は目を引いた。
想像していたどれとも違う女の姿に面食らいながら、それでもまだ気に喰わないと思っていた。
女と話して、やっぱりカリバンとは兄弟ではなさそうだと当たりを付ける。彼女はカリバンが好きなようだ。…なんだ、両想いか。半ば予想していた事だったので、俺はこの時まで冷静だった。
でも女は嘘をついた。カリバンと同じ嘘だ。
自分たちは家族だと嘘をついて、俺を騙そうとしてきた。そんな幼稚な嘘、すぐに見破れるに決まってるだろ。馬鹿にされて腹が立って、狂暴な気持ちが湧いてきた。
家のどこかで端末が鳴り、停滞した空気が破られる。どうやらカリバンからの連絡らしく、女が縋るように目を向けた。同時に、俺は彼女に手を出していた。
最初は犯そうかと思っていた。女に痛い目を合わせられるし、カリバンだって辛い目に合うだろう。そうしたら、俺の事を意識しないではいられないはずだ。もう憎しみでも何でも、俺はカリバンからの何かが欲しかった。
でも到底そんな気にはなれなかった。女遊びは好きだけど、目の前にいるのはいつも遊んでいる年上の人ではない。ただの震えている子供に見えた。
それでも腹は立っていたので、大声を出して罵った。娼婦、あばずれ、売春婦。あまり口にしないようなスラングを叫びながら、マウントを取り続ける。
声が枯れるまで喚き続けているうちに、いつのまにか涙が流れていた。心の中ではもう分かっていたし、俺はとっくに知っていた。こんな事をしても、カリバンは手に入らないって。
俺は何をやっているんだろう。どうしてこうなったんだろう。初めはとても、純粋な気持ちだったはずなのに。
大声を出し、涙を流し続けながら、心で悲鳴を上げていた。情けない、もうやめようと思っても止められない。
その内に明瞭な声も出せなくなって、俺はわんわんと泣きわめいた。人前でこんなに泣いた事なんてない。人としての尊厳をどこかへ放り投げていた。
そうしたら。
「───泣かないでください」
目の前の女が…スカーレットが、俺に手を差し伸べたのだ。
「………」
小さな種が、目の前に差し出されている。
どうしてこの種をスカーレットが俺にプレゼントをするのか。まったく意味が分からなくて眉を潜める。
包帯だらけで表情なんてよく見えないだろうに、ラウティーアムは正確に俺の内面を読んできた。
「これは、スカーレットさんの気持ちです」
「気持ち…?」
「俺は若への伝言を請け負ったんすけど、彼女は言葉が見つからないって言うんです。若の事はもうひとりの自分のように思えるから、怒ってないって。…でも何を言うべきか分からないから、代わりにこの大事な種をあげますって。スカーレットさんと若とじゃ、全っ然違うと思うんすけどね」
「………。これ、何の種?」
「プラムの種だそうです。スカーレットさんと…カリバンの、大切なものらしいっす。捨てていいって言ってたけど、絶対に育てるべきです」
「………」
あの時の彼女を思い出す。
俺に手を差し出したスカーレットは、どういう流れでそうなったのか、自分もカリバンに振られたと言って泣き出した。
ハッキリ言って、何かの勘違いだと思う。だから俺は冷静に指摘したのだが、彼女は頑なに否定してきた。
あまつさえ自分は告白したのに、お前は何をやっていたのかと糾弾してきた。
生意気な女だと思ったが、俺が回りくどい事をしていたのも事実だったので、何も言い返すことができなかった。
その内彼女は元気がなくなり、少しずつ声が小さくなって、すとんと眠りに落ちていった。あるいは、気絶したのかもしれない。
ラウティーアムと普通に話せたようだから、彼女の体は大丈夫だったんだと思いたい。
「………」
俺はラウティーアムに差し出された種を受け取ろうとして、慌てて手を引っ込めた。カリバンにとっても大事なものだと聞いたからだ。
何かの罠なんじゃないかと疑心暗鬼になる。だってスカーレットがわざわざ大事なものを俺に差し出すとは思えなかったし、もし本当に大事なものだとしても、カリバンが取り返しにくるかもしれない。
そんな事はないと理性では分かっていても、心の奥深い所で恐怖している自分がいた。
スカーレットが意識を失ったあとの事は、思い出したくない。
カリバンは、恐ろしかった。
ヒーローだと思った男は、まるで怪物のようだった。
怒り、憎しみ、そんなものを暴力と一緒に叩きつけられて、俺は逃げることすらできずに半死半生になった。
カリバンに惹かれているのに、彼がどうしようもなく怖い。矛盾した気持ちに混乱する。
今どうにか平静でいられるのは、あの時守ってくれたラウティーアムがそばに居てくれるからだ。
俺の逡巡をどう思ったのか、ラウティーアムは小さくため息を吐くと種をサイドテーブルに置いた。
植木鉢に土を入れ、その隣に置く。
怪我をした俺でもひょいと種を手に取って植えられる距離だ。少し力を入れれば植木鉢を落とすことだってできる。
「湿らせた紙の上に置いておけば、1日くらいは土に入れなくても大丈夫でしょ。でもウダウダしてたら俺が勝手に植えちゃいますからね」
仕方ないな、という風に言われてカチンとくる。何で俺がわざわざ植えなくちゃいけないんだ。お前が勝手に植えればいいだろ。
腹が立った俺は、そのまま横になってふて寝した。顔も体もあちこちが痛くて仕方ないが、薬が効いているのでまだ我慢できる。
怪我のせいかすぐに眠気はやってきて、俺は再び意識を失った。
「───、怪我の具合は…」
「どうしてダーオルンが…」
「相手の男…、捕まえて───」
誰かがボソボソと喋っている。聞き覚えのある、けれどあんまり聞いた覚えのない声音だ。
うっすらと目を開けると、もう辺りは暗くなっているようだった。誰かの会話がピタリと止まる。
「起きたのか、ダーオルン」
「兄さん・・・?」
そこには、暫く会っていない兄貴たちがいた。もう彼らは所帯を持って家を出ているので、顔を合わせるのは本当に久しぶりだった。
「馬鹿な事をしたな」
「本当に、遊びが過ぎるぞ」
俺を叱る兄貴たちは、相変わらずだった。年は2つ離れているはずなのに、双子のようにそっくりだ。
強いて言うなら眉間の皺が深い方が上の兄貴で、下あごに細かい皺がついているのが下の兄貴だ。
「………」
黙っていると、兄貴たちはまた喋り始めた。今度は説教ではないようだった。
「父さんと母さんも心配してる。母さんは今日の昼まで来ていたが、今は家でゆっくり休んでもらってるぞ」
「父さんも動揺していて、宥めるのに苦労した。明日はそろって来るだろうから、生意気を言わずに謝っておけ」
「………」
心配とか、動揺とか、よく分からない事を言ってくる。普段俺を放って置いている人たちが、本当に心配しているのだろうか。
何て反応したらいいのか分からずにジッとしていると、兄貴たちは別の事を喋り始めた。
「お前を殴った男だが、今は警備隊に拘束されている。すぐには出られないだろうから安心しろ」
「出てもお前には近づけさせないがな。むしろ父さんが怒り心頭で、私刑にさせる勢いだ。それはどうかと思ったから、そのまま収監させるように説得しておいたぞ」
カリバンの事だ。俺は暴力を振るう彼の姿を思い出して、小さく震えた。兄貴たちはそんな俺の様子を見て、同情したようだった。
「大丈夫だ。もうあんな事にはならない。すべて俺たちと父さんに任せておけ。顔だって元に戻る。けど、もうあまり無茶はするなよ」
「火遊びは程々にしろ。女性の方は同意しているかもしれないが、相手の男はそうじゃないんだ。せめてこれからはパートナーのいない人を口説けよ」
兄貴たちの言っている内容から、彼らが勘違いしている事に気が付いた。いつもの遊びの最中に、相手の男から殴られたと思っているらしい。
そうだとしても相手の男への仕打ちはやり過ぎだが、今回はもっと酷い。俺は男の方に横恋慕して勝手にアパートに侵入し、彼の大事な女性に乱暴しようとしたのだ。
「あの…違うんすよ。今回は火遊びじゃなくて…えっと…」
後ろで聞いていたラウティーアムが訂正しようとする。けれど彼がすべてを言い切る前に、兄貴たちはさっさと立ち上がっていた。
「ラウティーアムもすまなかったな。身を挺して弟を守ってくれたって?昨日の夜に知らせを受けて驚いたぞ。怪我の具合はいいのか」
「あの、それは大丈夫なんすけど…」
「俺たちはこれで帰るが、弟をよろしく頼む。仕事終わりに慌てて来たから準備も何もなくてな。今夜だけ世話をしてくれたら後で人をやるから」
「えっと、それは助かるんすけど…」
「じゃあな、また仕事の合間に来るから」
「くれぐれも大人しくしていろよ」
いつも忙しい兄貴たちは、人の話を最後まで聞かないことがある。今回も言いよどんだラウティーアムの話を聞かずに帰って行った。
「………」
「ねぇ、今回の話、あの人たちにどんな風に伝わってるの…」
「旦那様と大旦那様はすべて知ってるはずっす。奥様はどうか分かりません。若旦那様たちは、誤解しているみたいですけど…」
「ふぅん…」
俺のやったことを詳しく伝えたら兄貴たちは怒るかもしれない。でも、すべて知っている父さんはカリバンに怒っているのだという。そうして、俺の事を心配しているとも言っていた。
「ふぅん…」
何だかこそばゆい気持ちになる。サイドテーブルに置かれた植木鉢と種を見ながら、何となくスカーレットに会いたい気分になった。
この話を報告したら、自分の事のように喜んでくれるんじゃないか、そう思ったのだ。
カリバンが拘束されている現実を脇に追いやって、俺は自分に都合のいい想像をしていた。
本当に都合のいい、相手の事を考えない想像だった。
もう夜中になった頃、頭の横に置いていた端末が震えた。あれから母さんと父さんから連絡がきて、母さんは泣き、父さんは怒っていた。
今回は誰からの連絡だろう。もしかして、兄貴たちだったりするかもしれない。何か言い忘れた事でもあったのかも。
口の中が痛いのであまり声は出したくないけど、相槌くらいなら大丈夫だ。
そう思って手探りで端末を探り、耳元に近づけてタップした。
「はい、誰ぇ・・・?」
『俺だ、クーフェイだ』
「はぁ…?」
思いがけない人からの連絡に、俺は目を見開いた。
クーフェイ爺さん。あの小言ばっかりの怖い爺さんだ。そういえば、ラウティーアムと一緒にカリバンのアパートに来ていたと聞いている。
どうして俺の端末に連絡できたのかと思ったが、大方ラウティーアムにでも教えてもらったんだろう。
また小言を聞かされるのかと辟易したが、一応今回の事件の功労者らしいので切らないでおいた。爺さんがいなければ俺とラウティーアムはヘタしたら殺されていたし、スカーレットは放置されて怪我が酷くなっていたかもしれない。
「何の用ぉ・・・?」
一応聞いてみた。すぐに大きな声で説教されると思ったので少し端末を耳から離す。すると予想していた怒鳴り声ではなく、神妙な声音が聞こえてきた。
『お前、自分の父親を説得しろ』
「は…?」
想像の埒外の事を言われて、間抜けな声が出た。俺が父さんの何を説得すると言うんだろう。
疑問に思っていると、クーフェイ爺さんは続けてこう言った。
『このまま拘留が続けばカリバンの命が危ない。今すぐに出す必要がある。若、お前はすぐに父親に連絡して、カリバンを放すように説得しろ』
「な、何それ。別に私刑は免れたんでしょ、そう聞いてるし。まさか拷問されたりしてるって訳ぇ?」
むしろ俺はしばらく捕まったままでいいと思っていた。彼を恋しく思う気持ちはあるが、同時に恐ろしくも思うからだ。
だから長期間の拘束は自分にとっても都合が良かった。その間彼は遠くへは行けないし、俺に暴力も振るえない。
けれどそんな自分勝手な願望は、クーフェイ爺さんの言葉に一蹴された。
『お嬢さんが泣いてる。詳しくは言えないが、このまま拘束が続けばカリバンの命はない。若、父親を説得しろ。お前がカリバンの命とお嬢さんの心を救うんだ』
「───」
ガツンと頭を殴られたような気がした。
スカーレットが泣いている。何故だかその言葉に強いショックを受けていた。
考えてみれば当たり前だ。彼女はカリバンが好きなのに、ムリヤリ離れ離れにされたのだ。そうしていつ会えるのか分からないのだから、不安に思って当然だ。
でもカリバンの命が危ないと言うのがよく分からなかった。警備隊はそんなに無茶をする組織じゃない。多少は金にうるさいけれど、悪戯に命を奪うようなことはないはずだ。
「な、なにそれ。大袈裟・・・」
俺はクーフェイ爺さんが嘘を言っているんじゃないかと疑った。嘘ではなくても、話を大きくしているんだろうと思っていた。
だって、拘束されているだけなのに死ぬなんて、意味が分からない。カリバンはそんなに弱い男じゃない。彼はすごく強くて、怖い男なのだから。
しぶる俺に、クーフェイ爺さんは続けてこう言った。
『───信じなくてもいい。けどな、お嬢さんの為だと思え。父親を説得するんだ』
あまりに真剣な声にとうとう俺は少し折れた。
「説得って言っても、どうすればいいのさ」
『自分が馬鹿な事をしたんだと心から父親に訴えろ。そして、カリバンを許してもらうように頼み込め』
「た、確かに俺が悪かったけど、でも暴力を振るったのはカリバンの方で…」
『お前は先にお嬢さんに怪我をさせただろう。殺されたって文句は言えない』
本当に殺されても仕方ないと思っているように、慈悲を感じさせない声音だった。俺は怯えながら、そんなに怒るくらいスカーレットの怪我は酷かったのかと心配になった。
「も、もしかして、スカーレット、酷い怪我なの…?」
『───。いや、そうじゃない。けど今は…。あぁ、少し熱が出ているようだ。心配事が重なって相当無理をしていたからな。泣いているって言っただろう。このままの状態が続けば、お嬢さんの心は壊れちまう』
クーフェイ爺さんの言葉を聞きながら、俺は端末の光に照らされたサイドテーブルを見た。植木鉢はそのまま、種も近くに置いたままになっている。
俺の事を怒っていないと言って、大事な種を渡してくれたスカーレットの姿を想像する。同時に泣いたまま熱を出して眠っている姿も頭に浮かび、俺はだんだんと焦ってきた。
「せ、説得・・・。いつまでに、すればいいの?」
『今すぐに。明日の昼までには間に合わせろ』
もう夜中なのにそんな無茶を言う。もっと早くに言ってくれればいいのに…。
『本当はお前と父親で顔を見合わせた方がいいんだろうが、病院を抜け出すのが無理なら父親に一筆認めろ。それも無理なら通話でもいい。とにかく、カリバンを外に出してやれ』
説得するための具体的な内容のアドバイスはないらしい。父さんの決定に正面から口ごたえするなんて、そんな怖い事したことない。
「と、父さんに、どう言えば…。な、泣きついても、大丈夫なのかな」
情けない弱音が出る。叱られるかと思ったが、クーフェイ爺さんは力強く肯定した。
『そうだ、情けなくても、格好悪くても、一本筋の通ったところを見せてやれ』
見せてやるって、…誰に?一瞬考えて、すぐに答えが浮かぶ。───スカーレットにだ。
クーフェイ爺さんの言葉と自分の考えに後押しされるように、俺は頷いていた。
電話を受けてから数時間。俺はベッドでまんじりともせず、従者が帰ってくるのを待っていた。
あれからすぐに父さんに電話して、相手が根負けするまで説得を行った。父さんもいい迷惑だったと思うが、ラウティーアムにも無茶をさせた。
クーフェイ爺さんからの連絡があった後、俺は誰よりも頼りになる人物として俺の従者を叩き起こし、説得のサポートをさせたのだ。
通話を切られたら、それこそ一筆認めて直接父さんに届けさせるつもりだった。
幸いにして通話だけで事は済んだが、書類などの物的証拠を確保するために結局はラウティーアムを走らせることになった。彼には悪い事をしたと思う。
病院には似つかわしくない、バタバタとした足音が聞こえてくる。
「若!持って来たっす!」
朝の光を浴びながら、ラウティーアムが笑顔で病室に入ってくる。俺は彼から受け取った書類を読んで、大きく安堵の息をついた。
カリバンの拘束は警備隊に払う金だけで解放される。これは父さんが警備隊に約束させた分だから覆らないらしいが、最初に提示された金額よりも何十倍も安くなった。
これならきっと十分に払える事ができるだろう。もしすぐには払えなくても、クーフェイ爺さんが立て替えてくれるはずだ。
やり切ったと思ったら、どっと疲れが押し寄せて来た。特に口の中が痛い。血の味もする気がする。
ケガ人だと言うのにこんなに大仕事をして、俺は疲れ切っていた。きっと美容にもよくない。
だから俺は寝ることにして、ついでにラウティーアムも寝るように促して横になった。
「はぁー…。俺はもう寝る。お前も寝なよぉ」
「おやすみなさい、若。クーフェイ爺さんへの報告はしておくっすよ」
「はいはい。…と、忘れるところだったぁ」
「わ、何すか急に」
ビックリする従者を余所に、苦労しながら起き上がる。もう口も体も疲れていて、今すぐベッドに逆戻りしたいくらいだが、まだやる事があった。
俺はサイドテーブルに置いてある種を手に取った。半日放置していたからか、すっかり紙の水気はカラカラに乾いている。その上に置いていた種も心なしか元気がない。
でも土に入れてたっぷり水を加えれば大丈夫だろう。
指先に摘まんだ種をプスリと土に押し入れて、適当にぱっぱと土をかぶせておく。水差しの中身をドバっと注ぐと、俺は満足してもう一度ベッドに逆戻りした。
「あーっ、水が下から漏れてるッ!受け皿取ってくるっす!」
ギャーギャーと騒ぐ従者の声を耳にしながら、俺は心地よい眠りについた。
多分カリバンにはもう会えない。…スカーレットにもだ。でも、俺の心は朝の空のように晴れ渡っていた。
ほうき星の消えた日 前編
SS保管庫