かすがい。(7) #早瀬ユウカ&天童アリス (終)

かすがい。(7) #早瀬ユウカ&天童アリス (終)


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 長いようで短い先生とのやりとりを終えた後。

 いつの間にか、自分が清々しい気分になっていることに気づく。

 ……不思議なものよね。べつに私の気持ちを先生に受け入れてもらえたわけじゃない。ううん、むしろ。ほとんど失恋したみたいなものなのに。


 それでも、ずっと胸のうちに秘めているだけだった気持ちを正面から伝えられて、これからも想い続けることを許してもらえた。

 付かず離れずだった今までの関係から一歩踏み出すことができて、そんな自分が、なんだかとっても誇らしかった。


 ……まだ、あの日の恐怖や悔しさの全てを乗り越えられたわけじゃない。

 これからも、みんなに助けてもらわなきゃいけないことだって、きっとたくさんあるんだろう。


 それでも。今なら、他の誰でもない私自身に、胸を張って言える気がするんだ。

 私はもう、大丈夫だって。


 ──だから。

 あと、ほんのすこしだけ。

 欲張ってみることにする。


「……先生。もうひとつだけ、お願いを聞いてくれますか?」

“お願い?”

「大したことじゃないんです。ただ……」


 すう、と深呼吸する。

 ……これから先の言葉を口にするには、私自身にも覚悟が必要だったから。


 今日一日で先生にはずいぶんとワガママを聞いて貰っちゃったけど、正真正銘これが最後のお願い。

 ほんの少しだけ悩んで、迷って……それでも、前に進むことを選んだ。


「今夜だけは、私がぐっすり眠れるまで……手を、繋いでいてほしいんです」

“……でも、それは”


 戸惑い混じりの声が返ってくる。

 ……当たり前よね。つい昨日まで、私は男の人とまともに触れ合うことすらできなかったんだから。

 きっと、いつかの雨の日みたいに私が無理をしてるんじゃないかって心配しているんだろう。

 それでも、私の決意は変わらなかった。


「大丈夫です。だって……今は、みんながいてくれますから」

 

 強がってるわけじゃないし、痩せ我慢をしてるわけでもない。

 ただ、みんながいれば大丈夫だって、今なら心から信じられるから。

 もう一歩だけ、踏み出してみようって思えたんだ。


“……分かった。ユウカがそこまで言うのなら、私はユウカのしてほしいことをするよ”


 数秒ばかりの沈黙の後、返ってきた先生の声は、やっぱりどこまでも優しくて。

 でも……その言葉には覚悟を決めたような決意が感じられた。


“それに……私だって本当は、ずっと、ユウカの手を握っていてあげたかったから”


 私と同じように、先生もきっと悩んで、迷って……それでも、私のことを信じて、踏み出すことを選んでくれたのだろう。


”……でも、無理だけはしないでね。ユウカ”

「ありがとうございます。……大好きです、先生」


 暗闇の奥にいる先生が今、どんな顔をしているのかは分からない。

 だけど……この瞬間、私と先生の想いはひとつなんだって信じられる。

 あとは触れ合って、確かめ合うだけ。


 そのためには──

 もうひとり、言葉を交わさなきゃいけない相手がいる。


「お願い、アリスちゃん」

「……ユウカ」


 アリスちゃんの名前を呼ぶ。

 この夜の間、ずっと私と先生の手を握ってくれていた、誰よりも優しくて純真な女の子の名前を。


「ユウカは……本当に大丈夫、ですか? アリス、アリスは……ユウカが悲しんで、苦しんでるところは、もう……見たくありません」


 すぐ隣から不安げな声。

 アリスちゃんの小さな手は、今も変わらず私のてのひらをぎゅっと握りしめていた。

 ……もしも、この手を放してしまったら。今度こそ私がアリスちゃんの前からいなくなって、二度と会えなくなってしまうんじゃないかって……そんな風に怯えているみたいで。

 私だって、アリスちゃんの悲しそうな顔は見たくない。

 だからまずは、アリスちゃんのことを安心させてあげなくちゃ。


「心配しないで……って言っても無理よね。分かってる。……本当は私も、まだ少しだけ、怖いから」

「ユウカ。それなら……」

「でもね、アリスちゃん。私、無理をしてるわけじゃないの。だって……私一人じゃできないことでも、みんなの力を借りれば乗り越えられるって、アリスちゃんたちが私に教えてくれたんだもの」


 きっと、アリスちゃんが背中を押してくれなかったら、この夜は始まらなかった。

 アリスちゃんが私の手を握っていてくれたからこそ、みんなに本音を打ち明ける勇気を出せた。

 アリスちゃんがいなかったら……先生に素直な気持ちを伝えることだって、できなかっただろうから。


「だからお願い、アリスちゃん。みんなも。あとほんのちょっとだけ……私に勇気を分けてほしい」


 アリスちゃんの小さなてのひらを、今度は私の方から、ぎゅっと握り返す。アリスちゃんに私の気持ちが伝わるように。


 今までずっと私のことを守ろうとしてくれて、ありがとう。

 でも、今だけは。

 私のことを、信じてほしいんだ。


「……分かりました。アリスも、ユウカと先生なら大丈夫だって信じます。きっと悪夢になんか負けないって、信じています」


 ほんの少しだけ震える声で、アリスちゃんはそう言って。

 同時に、私の手を握っていた力がふっと緩められるのを感じる。


「だから……頑張って、ください、ユウカ」


 そう言って、アリスちゃんは私と先生の手を解放する。

 ──自由になったお互いの手の行き先は、たったひとつ。


「……先生。よろしく、お願いします」

“うん。……よろしく、ユウカ”


 覚悟は決めた。

 ゆっくりと、手を伸ばす。


 薄暗い闇の中では、先生がどこにいるのかさえも分からない。

 ……思えば。“あの日”からずっと、私はこうやって暗闇の中を彷徨っていたのだろう。

 こわくて、くらくて、自分がこれからどうしたらいいのか、どこを目指せばいいのか、それさえも分からなくて。

 ただ怯えながら、がむしゃらに手を伸ばして、誰かに助けを求めてた。


 だけど、今は。

 伸ばした私の手に、優しく添えられたアリスちゃんの小さなてのひらが、私が本当に辿り着きたい方向へ導いてくれる。私のことを助けてくれる。

 だから──今度は私も迷わずに、この暗闇の中を歩いていける。


 ……そうして、辿り着く。

 お互いを求めて伸ばされた、私と、先生のてのひらが。

 ちょうど、アリスちゃんの胸のまんなかで、触れ合った。


「……せん、せい」


 先生の手に触れる。指先に感じる暖かな感触だけを頼りに、先生の素肌の熱を、体温を確かめて……ぎゅっと、しっかりと、握りしめる。

 今までずっと握っていたアリスちゃんのてのひらの、小さくてすべすべとした感触とは正反対の……ごつごつしてて骨ばって、がっしりとした力強さを感じさせる──


 ──おとこのひとの、手。


 ……ざわり、と、脳髄の奥が軋む。

 ぞっとする感触。恐怖と拒絶が神経を駆け巡る。理性を超えた私の根底に刻みつけられた、嫌悪感。

 “あの日”──掴んで、引きずって、押さえつけて、剥ぎ取って、這い回って、撫で上げて、まさぐって、揉みしだいて……わたしを、こじあけて、なかに、はいってこようとした、あのときとおなじ、ゆびさき。

 ──こわい。いやだ。きもちわるい。はなして。さわりたくない──そんな悲鳴みたいな感情が、私の裏側から溢れてこようとする。


 分かってる。ここにいるのはあいつらじゃなくて先生だ。今この場所には、私を傷つけようとする人なんて誰もいない。

 非合理的な妄想だって、理性ではそう分かってる。分かっている、はずなんだ。

 だけど……理屈じゃない、“あの日”に感じた恐怖が、絶望そのものが、今も発作みたいに私の心を蝕んでいる。


 ……ずっと、“あの日”のことは考えないようにしてた。

 あの日のことは悪い夢だって。嘘だって、現実じゃなかったんだって、思い込めるならそう思い込みたくて。

 あの事件が起こる前の、まだ無邪気な少女だった頃の「私」を──早瀬ユウカを、演じ続けていた。


 だけど、こうして先生に触れて──また「おとこのひと」を身近に感じてしまったら。

 このカラダに刻み込まれた恐怖と拒絶が、都合のいい現実逃避を許してくれなくなる。


 私があの日あいつらに穢されてしまったことは、もう誰にもどうにもできない現実なんだって、否が応でも突き付けられてしまうから。

 だから私は──おとこのひとと触れ合うのが、怖くてたまらない。

 ……ああ、体が震えている。やっぱり、寒い。

 今もまだ、それは変わらない。


 でも。

 今はもう、それだけじゃない。


「だいじょうぶです、ユウカ」


 そっ、と。

 先生の手を握る私の手に、小さくて柔らかなてのひらが重ねられる。


「アリスが、ユウカを手伝います。……アリスも、先生とユウカの手を、握っていたい、です」


 そのてのひらの持ち主──アリスちゃんは、まるで抱きしめるように私と先生の手を握っていて。

 もしも私が嫌だって思ったらすぐに振りほどけるくらいに優しく、さりげなく、それでも確かなぬくもりがそこにはあって。

 冷え切っていた心がほんの少しだけ、温かくなるのを感じる。


「ユウカ、ユウカ。アリスは、アリスが、みんなが、ここにいます」


 暗闇の中から聞こえるアリスちゃんの声は静かで、少しだけたどたどしくて。

 だけど、その声を聞くだけで、アリスちゃんがそこにいてくれるだけで、なんだか勇気が湧いてくる気がして。


「だから……どこにいたって、どんなときだって」


 気がつくと、体の震えは収まっていた。

 暗闇の中、アリスちゃんが笑顔を浮かべたのが確かに分かった。

 アリスちゃんは私に向かって微笑んで、そして──



「ユウカは──ひとりぼっちじゃない、ですよ」



 ……ああ。

 やっぱりアリスちゃんは『勇者』なのね。


 きっと、アリスちゃんも怖かったはずだ。

 アリスちゃんは優しいから。私がまた傷ついてしまわないかって、ずっと不安だったはずだ。

 それでも、勇気を振り絞って私の背中を押してくれた。私ならきっと、この悪夢を乗り越えられるって信じてくれた。


 アリスちゃんの勇気は、いつだって、私たちに前に進むための力をくれる。

 みんなの優しさと、ほんのちっぽけな勇気。それさえあれば。


 もう私は、この寒さなんかに負けやしない。


「……もー、私たちのことも忘れないでよねーユウカ! 今夜は一晩中ユウカのこと、ぎゅーってしててあげるから!」

「全く、しょうがないですね。今回はユウカに華を持たせてあげます。……本当に、今回だけ、ですからね?」

「わ、わたしも……役に立たないかも、ですけど……そばにいることくらいは、できます、から……」


 アリスちゃんの声に続くように、すぐ近くから姦しやかな声が響き渡る。

 みんなが私のことをぎゅっと抱きしめてくれている。私に元気を分けてくれる。あったかくて、きもちいい。


「……モモイ、ミドリ、ユズ」


 みんなの名前を呼ぶ。

 うん。もちろんみんなのことだって忘れてないよ。

 私の大切な後輩。手がかかるけど放っておけない、目の離せない妹みたいな子たち。私の宝物。

 みんながいてくれたから、私は今ここにいられるんだもの。


「……あのね。モモイ、ミドリ」


 この気持ちを、感謝を、無性に伝えたくって。

 先生と繋いだ手とは反対側の、自由な方の手で、私の両隣にしがみついていたモモイとミドリをぎゅっと引き寄せて抱きしめる。

 そして……


「わ、わっ!?」

「ひゃあ!?」


 ちゅっ、と。

 モモイとミドリのほっぺたに、一回ずつ口づけをする。


「ちょ、ちょっとユウカっ!?」

「い、いくらなんでもいきなりすぎ、です……っ」


 驚きのあまり、モモイとミドリは悲鳴じみた抗議の声を上げる。

 ……さすがに不意打ちすぎたかしら。でも、構うもんか。


「あら。モモイとミドリは私のこと嫌い?」

「そ、そうじゃないけどっ! ユウカのことは……好き、だけど。……べ、別に恋愛的な意味とかじゃなくてだから! そこは勘違いしないでね!」

「……そういう言い方は、ずるいです。キライなわけ、ないじゃないですか」


 ふてくされたような二人の声を聞いて、不思議と顔がほころんでしまう。

 それに二人とも、普段はさんざん私のことを振り回してくれてるんだから、そのお返し。

 たまにはこれくらいやったって、罰は当たらないわよね?


「もう、ユウカはいきなりなんだから。ほっぺとはいえ、私たちにだってファーストキスへの憧れとかがさ……うぅ、これはお返し!」

「その、いつもお世話になってますから……これくらいは挨拶の範疇、です、よね?」


 声のすぐ後に……両方のほっぺたに、温かい感触。

 モモイとミドリのくちびるが、私の右と左の頬に、一回ずつ触れる。

 恋愛感情とかじゃない。母が娘に、娘が母にあげるみたいな、親愛の口づけ。


「……えへへ。だいすきだよ、モモイ、ミドリ」

「も、もー、だからそういう照れるのはやめてよー! 私たちとユウカはもっとこう、がおーってきて、うわーって逃げて、追いかけてって関係でさぁ……」

「それは……ちょっと分かります。ユウカがそんなだと、私たちも調子狂っちゃいます、から……」

「あら、そう? みんなには随分と助けて貰っちゃったし、これからはもう少し優しくしてあげようかなーって思ってたんだけど……やっぱりもっとビシバシ厳しくした方がお好みかしら?」

「やばっ薮蛇突いちゃった!? お、お手柔らかにおねがいします……」


 慌てふためくモモイ。考えなしに勢いだけで喋るからそういう目に遭っちゃうのよ。少しは反省しなさいな、まったく。

 あ、もちろんお手柔らかになんてしてあげないけど。

 やっぱり私たちには、それくらいの距離感がちょうどいいものね。


「それにもちろん、ユズのことも大好きよ? ただ、ユズにはキスは……ちょっとまだ早いと思って」

「あ、あうぅ……」

「……でも、ユズとはこれからもっと仲良くなれたらなって思ってる。だからさ、改めて……これからもよろしくね、ユズ」


 感触を頼りに、私の背中のあたりに張り付いていたユズに触れる。緊張で汗ばんだおでこを優しく撫でて、目じりに浮かんでいた涙をそっと拭ってあげる。

 

「……! はい、よろしく、おねがいします……ユウカ、せんぱい」


 いつもはおどおどしているユズだけど、その言葉には確かな決意が込められていた。

 思えば、ユズが私とこんなふうにちゃんとお喋りしてくれたことは、これが初めてだったかもしれない。

 これからは、さ。部活とか仕事とか関係なしに、もっとユズとも、いろんなお話ができたらいいな。


「ふふっ。やっぱり愛されてますね、ユウカちゃんは。なんだか少しだけ妬けちゃいます」

「ええっと、私は皆さんとの付き合いはそこまで長くはありませんけど……それでも、ユウカさんがとても慕われているというのは十分伝わってきますよ」

「ノア、セリナさん……もう、からかわないでよ! ……二人のことだって、もちろん大好きだからね」


 向かいのお布団で、ノアがくすくすと笑っている声が聞こえる。セリナさんも私たちのことを温かく見守ってくれている。

 みんな私には勿体ないくらいのいい友人ばっかりで。自分は人の縁に恵まれているんだなってひしひしと感じる。


 気心の知れた間柄。こうしてじゃれあっていても、お互いのことが嫌いだなんて欠片も思ってない……ううん、むしろその逆。

 今はただ、この信頼が心地良くって。その温かさに涙が滲んでくる。

 触れたい。もっとみんなと、こうやって触れ合っていたい。


 いつのまにか、寒気はどこかに吹き飛んでいた。

 あったかい。

 あったかいよ、みんな。


「……せんせい」


 ぎゅっ、と──先生の手を握る。強く、強く。

 おとこのひとの手の感触。ごつごつしてて、強くて、逞しくて……だけど、もう怖くはない。みんながいてくれるから。


 ……そのはずなのに、なんでだろう。

 まだ、胸の鼓動が止まらない。今もどくんどくんって早鐘のように高鳴り続けている。

 頭の中がぱちぱちと弾けて、ふわふわと宙に浮くみたいな幸せな気持ちが心の中を満たしている。


 この感情の理由は何?

 手と手を合わせて、触れ合って、好きな人の手を握って。

 ……まるで、普通の女の子みたいに。



 どきどき、している。

 また先生に、どきどき、できてる。



 ……ああ、そっか。

 私は……先生に、どきどきして、いいんだ。

 幸せになって、いいんだ。



 ──なんだか、不思議とすっきりした気分だった。

 あの日からずっと頭の中を覆っていた靄みたいなものが、綺麗さっぱり消えてしまったような。

 心の底からそんな気持ちになれたことが、ただ嬉しくて。


(ありがとう、先生。ありがとう、アリスちゃん。ありがとう、みんな)


 ──子は鎹(かすがい)、だなんて言うけれど。

 思えば今夜のアリスちゃんは、まさに私と先生の間を繋いでくれた「かすがい」だったのだろう。


 触れ合えず、距離を置いて、いつの間にかばらばらになってしまいそうだった私たちの心を繋ぎ止めてくれた、大切な絆そのもの。

 “あの日”とは真逆の、温かい手に触れて。今は、その手を握るだけで勇気を貰える気がして。

 アリスちゃんやみんなのおかげで、また、そう思えるようになった。


 ああ。

 私は、幸せ者だ。


 みんながこんなにも自分を想ってくれる。私のことを愛してくれている。

 あの日から、みんなはずっと私のことを気遣ってくれた。私がまた笑えるようにって支えていてくれた。


 辛いことがあった。

 耐えられないって思った。

 だけど、私の大好きなみんながいてくれたから──

 みんなのおかげで、私はまた、笑顔になれたよ。



 ……気がつくと。

 どこからか、きゅう、すう、という音が聞こえてくる。


 いつの間にか、アリスちゃんは寝てしまったみたい。

 ……ううん、アリスちゃんだけじゃなくて、モモイとミドリ、それからユズも、私の隣で寝息を立てている。

 私の手や服の裾をぎゅうっと掴んだまま。無邪気に、幸せそうに。


 みんなの頭を順番に優しく撫でてあげているうちに、不思議と私も笑みが零れてしまう。

 ……次第に、私の意識も微睡みの中へと溶けていく。


 ありがとう、みんな。


 ──だいすきだよ、みんな。



∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴



 ──その夜もまた、夢を見た。


 薄暗い廃墟。

 暗闇の中に一人きりで、一糸纏わぬ姿でぽつりと立ち尽くす私自身。

 そしてまた……床一面を埋め尽くすようなおぞましい蟲々の群れが、私めがけて這い寄ってくる。


 こわい。

 さむい。

 おぞましい。


 恐怖と嫌悪感が全身を駆け巡って、私は一歩も動けなくなる。


 ……ああ、結局、こうなっちゃうのか。

 私はまた、ひとりぼっちで──



「──光よ!」



 眩いばかりの光が闇を切り裂いて、私の視界を真っ白に染め上げる。

 私を蝕んでいた蟲たちが、暗闇が、悪夢が……ガラスが割れるように罅割れて、粉々に砕け散って消えていく。


「もう、大丈夫ですよ。ユウカ」

「……アリス、ちゃん?」


 気がつくと、辺りの風景は一変していた。

 一面の青い空。立ち並ぶ近代的なビル。楽しそうに談笑しながら歩いている生徒たち。

 私の知っているミレニアムサイエンススクールの、いつもの景色。


 いつの間にか、私はもう裸じゃなくなっていて。普段通りの、セミナーの制服に身を包んでいて。

 そして──私の手をしっかりと握りしめたアリスちゃんが、私の隣で、私に向かって微笑んでいた。


「アリスたちがユウカを助けにきました! 今度こそ、ユウカのことを絶対に守ります!」

「ふっふー! 私たちが来たからにはもう安心だよユウカ! 大船に乗ったつもりでいてね!」

「いつもならライバル同士ですけど……今日は特別に、協力プレイでクリアしましょう!」

「え、えっと……いっしょに、が、がんばりましょうっ!」


 前を向けば、そこには──モモイ、ミドリ、ユズ。ゲーム開発部のみんな。

 ノアやネル先輩,ミレニアムサイエンススクールのみんな。セリナさん。そして、先生。

 みんなが私のことを待っていてくれる。いつだって、私のことを迎えにきてくれる。支えていてくれる。助けてくれる。


 ……だから。

 私はもう、大丈夫。



“さあ。一緒に帰ろう、ユウカ”

「……はい!」


 差し伸べられた先生の手を、ぎゅっと握り締める。

 てのひら越しにあったかい感触が伝わってきて、心までが暖められていく。


 先生と、そしてアリスちゃんと両手を繋いで。

 私は自分の足で歩いて、前へと進んでいく。

 みんなのところへ。光さす世界へ。私の、あるべき居場所へと。



 ──ああ。

 今夜はきっと、いい夢が見れそうだ。


∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴


「かすがい」~おしまい~


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